あらすじ
原爆投下は、たった一語の誤訳が原因だった――。突き付けられたポツダム宣言に対し、熟慮の末に鈴木貫太郎首相が会見で発した「黙殺」という言葉。この日本語は、はたして何と英訳されたのか。ignore(無視する)、それともreject(拒否する)だったのか? 佐藤・ニクソン会談での「善処します」や、中曽根「不沈空母」発言など。世界の歴史をかえてしまった誤訳の真相に迫る!
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Posted by ブクログ
誤訳の定義が難しいということに触れつつ、有名なポツダム宣言時の首相の「黙殺」という発言の英訳からはじまり、さまざまな日本語と外国語の通訳・翻訳時に起きた問題を取り上げて解説されている。
ある言葉を直訳するか相手国の文化などを考慮して伝わるように変更して訳すかどうかで受け取り側の行動が変わるが、そのまま伝えても取引を失敗したから誤訳なのか、結果がよくても違う言葉で伝えたから誤訳なのか。
もちろん訳者に外国語の知識がない、外国の文化を理解していないなどの問題がある場合もあるがどうしても訳を担当した者に非難が集まってしまうことが多い。
また、本書ではわざわざ訳が難しい比喩表現などを使う原発言者に問題があるケースもあると指摘していてまさにその通りだと思う。外国が注視する発言をする場合に日本人でも理解しにくい微妙なニュアンスの違いを求めて言葉を選ばれても、訳者が意図通りに受け取れるかもわからないし、さらに訳語を受け取った人間が意図を理解することはかなり難解になってしまう。
それゆえ、首相など国外とのやりとりが必須になる立場である人はより伝えるということを意識して発言をしていかなければならないのだろう。
面白かったのは、英語力に定評のあった中曽根首相・宮沢首相の二者がこぞって英語で問題を起こしたということ。
日本人の平均より英語が話せるからといって知ったかぶりをしたり、しっかり伝えるということへの意識が低くなってしまったりした結果なのだろう。
こうした失敗の経験からも専門家としての通訳・翻訳の重要性が理解できる。
以前より国外とやりとりする人も増え、AIも発達していることで訳者の重要性を軽視する人が多くなってしまう予感がするが、認識の改善や教育面の充実が行われることを祈る。
Posted by ブクログ
主に政治の場で展開された会話で、ちょっとしたニュアンスの差(文化の差)からトラブルになった事例を紹介している。
冒頭から第二次大戦での原爆投下に繋がったとされる、ポツダム宣言に対する日本政府の「黙殺」という言葉が話題に上る。発した側と受け取った側の真意は色々あるだろうが、異国間でのコミュニケーションの重要性が伝わってくる。
通訳という仕事の優劣は、ネイティブか否かよりも結局のところ母国語の語彙力や理解力に左右されるという。特に文学作品などはそれが顕著に出る。
自分自身たくさんの本を読んでいるが、翻訳ものはどうしても苦手だ。読書を始めてしばらく経ってから翻訳物が読みづらい理由が異国間での文化や言い回しの違いによるものだと気づいた。その事は本書でも、重要事項として多面的に語られている。
同じ言語同士でも意思の疎通ができないことだってある。まずそこを理解することが必要だ。
Posted by ブクログ
歴史において翻訳が必要となる場面は多々あるが、いわゆる「誤訳」はどうして起こるのか、、なぜそれは誤訳になってしまうのかというのがすごく端的にまとめられている。取り上げられている題材もわかりやすい説明がついているので少し日本史に抵抗がある人で英語に興味がある人は面白いと思う。文化的に背景を捉えながら英語を学ぶことの重要性を感じた。日本の英語教育ってどうなんだろうな〜と思わずにはいられなかった。
Posted by ブクログ
「言葉は文化である。」この言葉をまさに実感できた本。
どんなものをとっても、100パーセントの意味を持って訳すことはできないようです。an orange cat って、何色の猫だと思いますか?
Posted by ブクログ
読み応えのある翻訳論だった。
第一章、第二章などは、太平洋戦争中、そしてその後の政治の場面の中での誤訳が扱われている。
その辺りは政治状況についての知識や、興味があまりなかったので、少々つらかった。
後半は、翻訳がどこまで可能なのかという話が中心。
こちらの方は、かなり読みやすい。
芭蕉の古池の句をどう訳すかという話は、非常に面白かった。
言葉を単純に置き換えるレベルなら、いかようにも訳すことはできるけれども、「かはず」を「frog」と訳して済ましてよいのか、とのこと。
英語圏でいう「frog」は、侘びさびどころか、出てくるだけで噴出してしまうような、あまり情緒的にみられることのない生き物だからだそうだ。
それ以外にも、通訳は沈黙を訳すことはできない、論理構成まで訳すことはできないという指摘も興味深かった。
通訳を使う人が、通訳の限界を知っておくべきだとも。
私の目には通訳にしても、翻訳にしても神業にしか見えないが・・・。
通訳者を養成するメソッドの開発が急務だという話も巻末にあった。
通訳論や翻訳論が、まだそういう状況なのだということも、ちょっと驚いたことだった。
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通訳関連で、近場にあったので。
つまるところ、米原万里の『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』ということになるんだろうけど、お互いの文化や背景なんかが違うと、不実であろうと貞淑であろうと、美女であろうと醜女であろうと、完全に伝わるっていうことはほぼありえないんでしょうかね。
まったくもって難しい世界。
Posted by ブクログ
通訳、翻訳の有り方を模索することを目的に歴史的な訳を分析した本。
ポツダム宣言等、国際間のやり取りに登場した訳が紹介されており、勉強になります。発言内容の背景にはその国の文化や歴史があるため、完璧な訳ってのは大変難しいことがよく分かります。
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通訳・翻訳という観点から異文化コミュニケーションを論じた一冊。前半は誤訳・ミスコミュニケーションにまつわるエピソード集という色彩が強いが、後半ではそもそも他国の文化そのものを訳すことができるのかという点を考察しており、非常に興味深い。単に外国語を知っているというだけではなく、外国の文化を理解していないと異なる言語での相互理解はできないという見解には説得力がある。
Posted by ブクログ
主題は:通訳者は空気であれ というもの。
一方で、通訳者は対外折衝において頼りにされ 情報が集まる。
そのために空気でいることがとても難しい。
また、文化間で同じ対象を表す表現が異なったり、訳し切れないこともしばしば。
先日生まれて初めてすこし仕事の場で通訳をしたので読んでみました。
今後の通訳において参照すべき、示唆に富んだ失敗事例・評価が難しい事例が満載でした。
「外国語に堪能」であることと、「通訳として有能」なことは全く別物。
Posted by ブクログ
もともとは『ことばが招く国際摩擦』
というタイトルで発売されていた本の文庫版。
もともとのタイトルの方が本の内容を正確に伝えているように思います。
通訳者、翻訳者の話を聞いたり、本を読んだりすると、
英語にしろエスペラントにしろ、国際語っていう考え方に潜んでいる
本質的な問題点が見えてくるような気がする。
大変勉強になりましたが、
ひとつひとつの事例をもうちょっと踏み込んで書いて欲しいなぁ
って思うところが多かったので、星4つです。
Posted by ブクログ
私は、特に第5章「文化はどこまで訳せるか」の内容に強く惹かれた。ある文化の中に存在する事柄をもう1つの文化の中に訳するという事はどこまで可能なのだろうか。「言語の通訳」についてしか考えた事のなかった私にとって、この「文化の通訳」という言葉は非常に衝撃的だった。通訳者達はその文化のギャップをどのように埋めてコミュニケーションを図るのか、彼らの奮闘ぶりに読者である私達の脳もストーミングさせられる、パワフルな内容。1つ1つの事例が詳しく取り上げられており、通訳に関する知識があまりない私のような人間にとっても面白く読みやすく書かれているのが嬉しい。通訳という仕事には興味がなくても、英語に何らかの形で興味を持っておられる方には是非一度読んで頂きたい。また、その1つ1つの事例に対する見解もしっかりポイントを突いていて、素晴らしい通訳論の1冊だと思う。
Posted by ブクログ
著者は立教大学異文化コミュニケーション研究科創設者の鳥飼玖美子先生。1〜3章は歴史的事例から通訳における誤訳というものを考察、後半は翻訳における文化の違いの重要性に着目し、最後に通訳者の使命や通訳研究の必要性を提起している。
ややセンセーショナルなタイトルがつけられているが、裏表紙にあるような誤訳の話は前半だけ。通訳論の本が書きたかったとあとがきに書かれているとおり、単なる誤訳論議の本ではなく、もっと客観的に、色々な話題が盛り込まれた通訳論への橋渡し的な一冊になっている。特に、通訳者や通訳者を目指している人は基礎知識として読んでおくとよいと思う。
「通訳は言葉を訳すのか、メッセージを訳すのか」という議論があるらしい。メッセージだとしたら、日本語から英語への通訳は概念から言語という着物をはぎ取り洋服に着替えさせるような役割なのか、それは可能なのか、そもそも言語とは何か・・・。最後の章にあった問いかけが気になった。翻訳を仕事とする者としても、今後考えてみたい。
Posted by ブクログ
「黙殺」をignoreと訳して原爆投下、「善処します」がI'll do my best.でニクソンショック、「大きな航空母艦」がunsinkable aircraft carrier「不沈空母」と訳され強気の防衛構想発言に、など主に昭和の外交関係で起こった出来事を取り上げ、その経緯を追ったもの。それらを踏まえて、訳すという作業はどのような作業なのか、通訳者の役割とは、通訳者育成、そして言語の研究のために必要となる通訳研究の可能性について述べている。
鳥飼先生の、英語教育関係の本はいくつか読んだが、もともとこの先生の専門の通訳に関する著作は初めて。が、正直あまり興味が持てずに終わってしまった。特に政治・外交・経済の話におれが弱いというのがあって、貿易摩擦だか円高だか、そういう背景に関する知識におれが欠けているので、ピンと来ない。防衛関係の話で、commandは「指揮」なのか「指図」なのか、vitally importantを「死活的に重要」と訳すとマズい、とか、その出てくる日本語のニュアンスをうまくぼかすためにあえてこう訳す、といった話で、こうなるともはや英語云々の話ではなく、面白くなかった。結局、もとの英語は一つでも訳し方次第で何とでもなる玉虫色のものだ、ということが確認できた。何か月か前に司法通訳の話をどこかの本で読んだ気がするが、いくら厳密さを求められて行っても、与えるニュアンスの違いや文化の違いまでを盛り込んで訳すことには自ずと限界があって、それを「誤訳」と呼ぶならほとんど誤訳、という話と共通して、なんか通訳という仕事に対する暗い感じ、というのを覚えてしまう。
いくつかこの本で気になったところのメモ。まず上でも挙げた、佐藤栄作首相の「善処します」I'll do my best.問題で、「拒否の意を含んだ日本語だったのだが、英訳された段階でそのニュアンスは消えてしまい、ニクソン大統領に誤った期待を抱かせてしまった」(p.40)ので、当人たちにも責任があるが「その場の通訳者が少なくとも"I'll do what I can." "Let me see what I can do."程度の英語にしておけば、ニクソンはあれほど怒らないですんだ、と考えることもできる」(同)ということだ。本当にI'll do my best.と訳されたのかどうか自体が「真相は闇の中」(p.37)だそうだが、最近読んだ大修館の雑誌「英語教育」のQuestion Boxのコーナーでたしか"I'll do my best."は競争相手がいる時には「ベストを尽くす」の意味になり、いなければ本当はどうなるか分からないけどやるだけやってみる、という消極的なニュアンスを含む、みたいなことが書いてあったような気がして、とすると"I'll do my best."で必ずしも期待を抱かせる表現、とすることはできないのではないかと思った。そこにも書いてあった気がしたが、"I'll do my best, but I can't promise anything."みたいな言い方が良かったのか、と思う。あと、これも上で述べた「なんか通訳う仕事に対する暗い感じ」というのは、「なかば公然と知られていることに、日本政府が民間の通訳者をあえて使う理由、というものがある。その理由とは、会議中の右舷についてあとになって両国間で意見の不一致が生じた場合、通訳者が政府外の人間、つまり部外者であれば、その『誤解』を通訳者の『誤訳』に基づくものとして説明しやすいから、というもの」(p.96)があるらしく、なんて通訳者に失礼な話なんだろう、と思うが、そういうキレイゴトでは済まない世界なんだなあ、と思って、ほんとおれには無理だ、と思ってしまった。あと、通訳者があえて通訳しない、あえて誤訳することがある、という話で、それはまた恐ろしい話だと思う。昔、リチャード・ギアの出ている映画で中国で拘束されたアメリカ人を裁く法廷で、都合の悪い部分は通訳が途切れるとか、なんかそんな話があった気がするのを思い出した。「極端にいえば、通訳者がいくら心の中で『これは絶対に黒だ』と思っても発言者が『これは白です』といったら、『白』と訳さなければならない。『この方は白とおっしゃっていますが、本当は黒なのです』ということは通訳者として許されることではない。いわんや、すまして『これは黒です』と発言者がそういったかのように訳すのは、通訳でもなんでもない。」(p.264)というのは、なんかもう、笑ってしまった。あとorangeという色が必ずしも「オレンジ色」じゃない話は知っていたが、oakが「樫」じゃなくて「楢」という話(pp.158-9)は、全然知らなった。樫と楢は実は全然違う、という話も衝撃で「誤訳」と生活語彙の話は面白いと思った。(19/07/12)
Posted by ブクログ
もう少し歴史寄りの内容かと思って手に取ったのだが、それは第3章くらいまでで、残りは日米の文化的な差異や言語特性から生じる誤訳や、翻訳通訳の苦労話だった。まあ、それはそれで面白かったのだけど。
特に
・「オーク」の誤訳により、日本で採れる木材で作られた家具をわざわざ輸入していた話(P159)
・天声人語は英語話者には何を論じたいのか理解されない話(p255)
・江戸幕府のオランダ語通訳は優秀だったので、ドイツ人なのにオランダ人と偽って入国しようとしたシーボルトが、自分は方言を話していると言い逃れた話(p275)
は大変興味深かった。
Posted by ブクログ
通訳翻訳にまつわる誤訳と呼ばれる訳を考察する。
外国語能力の欠落によって引き起こされた誤訳は誤訳以外の何物でもないが、一般的に誤訳と呼ばれているものの中には、それらとは異なる種類のものがあるという。
例えば、文化の違いから引き起こされる誤訳は、文字面はきちんと対応しているのに、日本語と外国語でその言わんとしていることが異なる場合があるという。
さらに具体的には、orange catという例が挙げられている。これは、直訳すれば、「オレンジ色の猫」ということになるが、英語と日本語では同じ色でも色彩分類が異なるので、日本語でいう「茶色い猫」に当たるのだという。
この他にも、文化の違いだけではなく、外交などの政治がからむ局面においては、二か国間での利益の違いから、通訳者や翻訳者に圧力がかかり、故意に誤訳を行わなければならない場合もあるという。
Posted by ブクログ
BilingulalでありBiculturalでなくてはいけないって本当にそう。
うなづけすぎて頭痛がする位です。
基本、国際政治・外交の通訳に触れていることがメインなんですが、ふと外務省にお勤めだった頃の雅子妃が思い出されました。颯爽としてとてもステキだったのに、早くご病状がよくなることを祈ります。
Posted by ブクログ
ニュースの同時通訳や新聞等にある専門用語の日本語訳に興味や違和感を持ったことがある人にはオススメ。
通訳・翻訳の違い、言葉だけでなく文化背景(諺・例え等)を如何に訳すか?言葉にならない「間」さえもが政治・国際関係を動かすものとなるなかで、その存在を消し影にさえならない通訳者たちの仕事を歴史的に分析している。
ジョーン・バエズの件は、政治と音楽、プロとアマチュアの入り交ざった例として大変おもしろい。