寺山修司のレビュー一覧
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「速度がおそいほど経験が拡張されるという人生観」は、成人期をそのように過ごしてきた人たちの「そうであってほしい」という願いなのではないかと思った。確かに、「ぼくたちにとって速度は『実存』」なのだろう。
毎年夏の原爆特集は、やはり難しい。
いつの時代も弱者に皺寄せがいき、その時々の社会が投影されるのだと感じた。
どこか胸の奥、大切な部分が満たされないような寂しさや、刹那的な感覚が残った。もしかすると、“誰か”を演じることでしか生きられなかったのかもしれない。それは社会からはみ出したからではなく、幼い頃の経験から身につけた、彼なりの自分を守る術だったのではないかと思う。
第四章の「不良少年入門」はとても共感できた。特に「5 自殺のライセンス」には、思わず「本当にそうだな」と頷いてしまった。 -
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絢爛豪華なことばが縦横無尽にはねまわっている戯曲集。
貧困や政治や性を扱っているのに、ことばが喚起するイメージだけで、舞台が天国にも宇宙にも変わる。
放埒な中にも、シェイクスピアなり聖書なりのモチーフをさりげなく生かしているのがいやらしいほどうまい。
(テグジュペリがなんていうかは知らない)
特にどの戯曲が好きというのはなくて、テーマや言い方は違えど、通底するものは同じに思える。それが何かは言葉にできないけど。
寺山修司はエッセイを1,2冊しか読んだことがないのだけど、その中の言い回しやアイデアがここにも(というか、自分の戯曲をあちらで引用していた)。
色々なところから気に入ったフレーズを蒐めてはコラージュして、繰り返し使う作家だったんだろうな。
寺山の短歌の模倣(というか盗作)なんかは有名な話だけど、国語の資料集に載っちゃってるし。
「去ってゆくものはみんな嘘」と言った天才は、そんなところも嘘だった。
戯曲という目で見ると、実現しづらそうな指定が色々あるのだけど、どこまでリアルに演じたのか気になる。
そういえば2011年に「盲人書簡」を見に行ったことがあるけど、気圧されてよく分からないまま終わってしまった。
また何か見に行きたい。
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初読み寺山修司。すっごくおもしろかった!増田セバスチャンさんの影響で手を出した寺山だが、ここまでおもしろいとは。太宰を読んだのもアラサーのときだったが、アラフォーにして寺山にかぶれる。読書人生どんな楽しい落とし穴が待っているかわからないもんだ。
一読して思ったのは、寺山修司はぽっかり空いた穴を埋めてくれるタイプの作家ではなく、よりその穴をえぐるような扇動を仕掛けてくる挑発的な作家だということ。左翼的に思われがちな彼だが、私が感じたのは左翼も右翼も「体制」「反体制」というなんらかの体制に縛られているのに対して、寺山は「体制(スタイル)には属していない」ということ。そんな言葉があるかわからないが無体制か?ある意味アナキズムに近い気もするが、寺山はカテゴライズされることは嫌うだろう。アングラの代名詞の劇作家なので、もっと読みにくい代物かと思っていたが抜群におもしろかった。無思想足り得ることは難しいが、現代の大人にこそ寺山の挑発にのって踊っていただきたい。踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損損。血が沸き立ちますよ。 -
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言葉の連隊が大挙して押し寄せてくるようなすさまじさ…。言葉の錬金術師ってこういうことか!!!5篇の戯曲が一冊に収められていますが編み方も大変よく、見事に一つの無限ループを描いて宇宙を作ってます。みんな誰かの代理人。私は誰の代理人なんだろう?それを放棄し動物的に生きるということは意外と勇気がいる。遠くに行きたいという僕の願いをかなえてくれるのは汽車ではなく僕の中を流れる赤い血。人生とは自然に反して生きること。見せかけの栄光か本物の自由か。見てしまった歴史と処世。舞台等なくても誰もが芝居をしている。D.C.
で、ここまで言葉責め(なんか違う)しておきながら、“言葉が 死ぬとき めざめる 世界がある”ですって。なんかもういろいろすごすぎ。 -
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数年前、インターネットの海で初めて見た「階段」という詩がとても好きになって、以来ずっと大切にしていたのです。
初めて見てからほんの数週間ほど前まで、きっとわたしの知らないどなたかが書いた詩なのだろうと思っていましたが、何故だか突然誰が書いたのか?もし手に入るなら手元に置きたいと思いついて、インターネットで調べました。
寺山修司の本は2冊持っていましたが、詩集は持っていなかったし、作詩をしていたことも知らなかったのですが、手に入るということが嬉しくて早速本屋さんで買いました。
いま読んでもとってもとっても素敵ですが、何年も前、もっと自分の感性が定まっていない、まだ構成中のふらふらした頃に出会いたかったと思いました。
この詩集が自分の感性を構成する部品のひとつになってほしかった・・。
でも「階段」に惹かれたわたしはこの詩集を好きになるような感性を持っていたようで、海も天文学も少女も宝石も猫も好きです。
びっくりするぐらいわたしの好きなものがたくさん詰まっていて、ぜんぶの言葉を覚えておきたいぐらいです。
人は誰しも自分が好きなものを敏感に察知するアンテナを持っていて、びびっと反応するとふらふら~と惹きつけられてしまうのかもしれない・・。
寺山修司ってよく聞く人だけど、2冊本を読んだけど、あんまりよくわからない、いったい何なんだろう?と思っていましたが、ちょっと距離が縮まった気がします。 -
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初めて読んだ寺山修二の本が「家出のすすめ」だったせいだろうか。
あれから彼のどの著書を読んでも、寺山修二に対するイメージは「家出少年」のまま変わることがなかった。「身捨つるほどの祖国はありや」と彼が詠んだ歌があまりにもインパクトが強かったせいもある。
だがこの本を読むことにより、また一つ別のイメージも定着することになる。
どこかテネシーウイリアムズの戯曲「ガラスの動物園」の主人公の少年を思わせるような、センチメンタルで繊細な少年である。
この詩集は、今にも壊れそうな美しい硝子細工のような心を持った少年の、アイロニーに満ちた叙情詩である。
「ヒスイ」という一編の詩がある。
「だがヒスイは買うにはあまりにも
高価すぎて
ぼくはあまりにも
貧しかった
だからこそぼくは歌ったのだ
せめて言葉の宝石で
二人の一日を
かざるために」
寺山修二は言葉こそが唯一無二の宝石になりうると信じていた一人なのかもしれない。全編に、宝石のような言葉が散りばめられてある。
手のひらに宝石を
それは君がくれた、たったひとつの言葉
エメラルドのラブレター
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ネタバレ初めて手にした寺山さんの著書。
一読二読してみて、本書のタイトルの意味を理解できたかどうかが、この本(ひいては寺山さん)が自分に向いているかどうか、分かれるでしょう。
途中途中に詩や歌謡曲の歌詞を織り交ぜてくれる事で、つい感傷に浸ってしまいました。心に残る、ついメモを取りたくなる言葉が多いです。
売ったり手放したりせずに一冊、いつでも読めるところに置いておきたい本。人生の指南書の一つですね。
この本の中で一番好きな章は自殺学入門ですね
自殺とは死への純粋な憧れからの行動であり、何か生きてる上で足りないものがちょっとでもあればそれは他殺や病死になってしまうので自殺ではなくなる・・・とは、とても納得。今まで言いたいけど語彙力とイマジンが足りなくて手が届かなかった所に、やっと届いたという感じ。
この自殺論を理解したところで、「女がよく口にする”死にたい”はバカンスに行きたいと同義」という言葉を見たときの納得感にも説明がつきました。
大半が生の様々な苦しみから逃避したいというだけのものであり、実際に自殺したいという意味ではなく、ただ逃避したいという意味しか持たない、という風に。
何かからの逃げは他殺や病死と等しいのですね。”自殺”とは尊くあるべきものなのだと、そういう死生観がとても私のそれと重なり、快感のような物を覚えました。
丁度読む直前にTwitterで「スイスで70万円で安楽死させてくれる」という話を知り、安楽死が金で買える時代になったとは、人類は進歩したものだなあ…と思ったところで、検索から飛んできた人から「70万円は高すぎる」と絡まれ、私は「リーズナブルな安楽死というのはあまりにチープすぎる考え方ではないだろうか、死に価値を見出す人間ならば、ある意味金銭というそれなりの努力がひとつのハードルであっても良いことなののでは」と返したのですが、私の考え方は死の尊厳を重んじた正しい”自殺”の手段としてのものであり、向こうは社会的弱者に対する国家的サポート…という考え方をしていたので、話が噛み合いませんでしたね。
まあそれはそれとして、現段階では実際我が国においての倫理感の展望が初めの一歩すら踏めていない状況なので、数段も先の話なのではなかろうか…ということで話をまとめてしまいましたが…
長くなりましたが、そんなやり取りの直後に自殺学入門の頁を読んだので、より感動を呼びましたね。
さて、心に残ったさまざまなお話や言葉をメモがてらコメントがてら、続けていきます。
●「その時代の少年犯罪こそが、その時代の国家犯罪の反映だと思われる」
ーーー学校教育への造反、あらゆる既成概念への造反がやがて国家という概念への疑いにたどりつく……とのこと。
酒鬼薔薇事件や、LINEリンチ事件など、ちょっと考えさせられました。
●「印刷機械は実は詩人に猿ぐつわをはめるためのものだったのである。」
ーーー目から鱗です。もっと詩人はもっと様々な表現手段のある「肉声」で、受け取り手との「対話」があるべきなのだということです。
詩人だけでなく、インターネット、携帯端末が発達して何をするにも肉声である必要が無くなって来ている現代においては、我々にも当てはまる事でしょう。
●「親は本来的には、子を所有しようとするエゴイズムと幸福観とを重複させ、正当化する理念しか持っていない場合が多い。親の思想というのは、いわば「子守唄の思想」であって、醒めようとする子供を、家庭の和という眠りにおとしこもうとする考えに貫かれている場合が多いのである。家庭だけを核として考えると、「親と話しあう時間」の量が問題になるかも知れないが、彼らは「仲間と話しあう時間」を十分に持っていた。むしろ重要なのはそのことではなかったろうか。なぜなら、従来の模範少年たちは親とばかり話しあっていて、仲間と話しあう時間が少なすぎたために「親の作りたいような型」にスッポリはまった成長のしかたしかできなかった……と考えられていたからである。」
―ーーここまで(本書の終盤でした)読んで、現状の自分を反省し、やっと本書のタイトルの意味がわかってきたところでした。
寺山さんは一点豪華主義の視点からロックの考え方(退屈や模範や教育から抜け出す反骨精神)を持つ人であると私は理解しています。
現状への満足、平均化、停滞、「あした何が起こるかわかっている、何のために生きているかわからなくなってしまう」状況に落ち込むこと、新鮮さを感じられない感受性しか持たないでいることはダメなのだ……ということを学びました。
そして、カレー人間とラーメン人間の例え話から始まる、自宅カレー人間は家庭の味だから現状維持型の保守派、ラーメン人間は街の味だから欲求不満型の革新派が多く、カレーは家庭の幸福のシンボルでホワイトカラーの典型であり、ラーメン人間は何時も少し貧しく階級的な不満が付き纏う……しかし、ハングリー精神を持ち合わせているという話。
この、2つの価値観と幸福論を照らし合わせて総括するとつまりは、「現状に満足する人間に想像力の創造などはできない」。
本書終盤の「子守唄の思想」もそうでした。そこまで「ウウム・・・」と色々と考えさせられながら読んでみて、現状の自分と照らし合わせて実感として理解したとき、カレー人間とラーメン人間の話の終わりに唐突に降ってきた言葉「幸福とは幸福をさがすことである(ジュール・ルナアル)」の言葉に帰ってくるのか、と、感動しました。
●「歌謡曲人間は、つよい人間である。すぐ消えてなくなる歌の文句を拠りどころにして、にっこり笑って七人の敵に立ち向かっているような男でなければ、時代の変革への参与など、とてもできるものではない。だからこそ、わたしは日本人一億総「歌謡曲人間化」をすすめたいと思うのである。」
ーーー本書の一番最後の言葉です。そう言うだけありやはりこの本でも、歌謡曲の歌詞が随所で散りばめられています。
中でも私は「人に好かれていい子になって 落ちて行くときゃ一人じゃないか(畠山みどり 出世街道)」、「どうせあたしをだますなら 死ぬまでだましてほしかった(西田佐知子)」・・・が好きです。
現代であれば、口ずさむだけでなく、ブログやツイッターに歌詞を呟く事も「歌謡曲人間」に含まれるのでしょう。
瞬間瞬間に歌の文句を心の拠り所にしている人間は強い。この考え方には目から鱗でした。そういえば、心当たりがあるような気もしますし。私も歌詞に頼っているところがありますので…
本書の裏表紙に「あなたの人生は退屈ですか。どこか遠くに行きたいと思いますか。あなたの人生に必要なものは想像力だ。一点豪華主義的なイマジネーションこそが現実を覆す。書を捨てよ、町へ出よう」
というような事が書いてありますが、そのとおりだ・・・と、このレビューを書きながら思いました。笑
つい、長くなってしまいましたが。そういう本です。
さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう。
はるかなるかな地の果てに 咲いてる花は何だろう