あらすじ
なみだは にんげんのつくることのできる 一ばん小さな 海です(「一ばんみじかい抒情詩」)少女の心と瞳がとらえた愛のイメージを、詩人・寺山修司が豊かな感性と華麗なレトリックで織りなすオリジナル詩集。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
「海」 の章が好きすぎる。「海を知らぬ少女の前に……」の1句は中学の教科書に載っていて、当時衝撃だった。その句が入ってるならと思ってこの本を買ったけれど、詩の一つ一つに対し、この句に出会った時みたいにドキドキした。晴れた海岸沿いの草原で海をぼーっと見ていると、変にドキドキしてしまって家に帰っても海のことを考えてたりする、その感覚を彼の言葉で体が思い出した。何度も読み返しています。
Posted by ブクログ
数年前、インターネットの海で初めて見た「階段」という詩がとても好きになって、以来ずっと大切にしていたのです。
初めて見てからほんの数週間ほど前まで、きっとわたしの知らないどなたかが書いた詩なのだろうと思っていましたが、何故だか突然誰が書いたのか?もし手に入るなら手元に置きたいと思いついて、インターネットで調べました。
寺山修司の本は2冊持っていましたが、詩集は持っていなかったし、作詩をしていたことも知らなかったのですが、手に入るということが嬉しくて早速本屋さんで買いました。
いま読んでもとってもとっても素敵ですが、何年も前、もっと自分の感性が定まっていない、まだ構成中のふらふらした頃に出会いたかったと思いました。
この詩集が自分の感性を構成する部品のひとつになってほしかった・・。
でも「階段」に惹かれたわたしはこの詩集を好きになるような感性を持っていたようで、海も天文学も少女も宝石も猫も好きです。
びっくりするぐらいわたしの好きなものがたくさん詰まっていて、ぜんぶの言葉を覚えておきたいぐらいです。
人は誰しも自分が好きなものを敏感に察知するアンテナを持っていて、びびっと反応するとふらふら~と惹きつけられてしまうのかもしれない・・。
寺山修司ってよく聞く人だけど、2冊本を読んだけど、あんまりよくわからない、いったい何なんだろう?と思っていましたが、ちょっと距離が縮まった気がします。
Posted by ブクログ
初めて読んだ寺山修二の本が「家出のすすめ」だったせいだろうか。
あれから彼のどの著書を読んでも、寺山修二に対するイメージは「家出少年」のまま変わることがなかった。「身捨つるほどの祖国はありや」と彼が詠んだ歌があまりにもインパクトが強かったせいもある。
だがこの本を読むことにより、また一つ別のイメージも定着することになる。
どこかテネシーウイリアムズの戯曲「ガラスの動物園」の主人公の少年を思わせるような、センチメンタルで繊細な少年である。
この詩集は、今にも壊れそうな美しい硝子細工のような心を持った少年の、アイロニーに満ちた叙情詩である。
「ヒスイ」という一編の詩がある。
「だがヒスイは買うにはあまりにも
高価すぎて
ぼくはあまりにも
貧しかった
だからこそぼくは歌ったのだ
せめて言葉の宝石で
二人の一日を
かざるために」
寺山修二は言葉こそが唯一無二の宝石になりうると信じていた一人なのかもしれない。全編に、宝石のような言葉が散りばめられてある。
手のひらに宝石を
それは君がくれた、たったひとつの言葉
エメラルドのラブレター
Posted by ブクログ
大変、美しい詩集でした。
この詩集を読むまで、はっきりいって私は詩に興味がなかったのですが、この詩集が持つスケールの大きさ、瑞々しさ、優しさ、美しさに心惹かれて、少しだけ詩を読むようになりました。
Posted by ブクログ
現実と非現実の狭間が不明瞭でかつ、不明確であるがゆえに無限の事象を目の当たりに出くわしてしまう詩集作品。奇才ならではの視点に圧巻、この人の目となりたかった。
Posted by ブクログ
これもまた読み応えのある詩集でした。
寺山修司って方は、すごい才能の持ち主だったってことが
たった一冊のこの詩集で、誰にでも難なくわかるのです。
難しい言葉はありません。
誰もが奥底に潜ませる匣に持っているような
さみしさや悲しみ。
追っても戻らぬ大事にしていたなにか。
今、夜の隅から捧げたくなるような愛の言葉とか
冬の海と空の風景とか
巴里のあやしげな裏町やサーカスや
良くできた機械人形に眩惑されるような
取り返しのつかない酩酊感があるだけです。
おそらく私もあなたも、よく見知っているはずです。
扉を開けて、無垢で凶暴で、切なかった頃に
出会いにいらしてください。
お勧めです。
Posted by ブクログ
物事を、うまく例えるなぁと。
目から入って、口から出る。
その間は物理的には10cmくらいなんだけど、
その間にうまく編集されている。
そんな人になりたい。
余白の使い方。
相手の心に絵を描かせる方法。
Posted by ブクログ
中学1年の時に出会った本です。
どっぷりと はまって
抜けられないまま20年経ちます。
表紙は、以前の林静一さんのものを
持っていますが、そちらの方が好きです。
Posted by ブクログ
言葉遊びが上手だなんて、詩人にとっては当然のことなのかな。普段ほとんど詩にふれないからほんとうに直感的でふんわりとした感想になるけれど、言葉と戯れている感じがして面白かった。海は涙でできているかもね。
Posted by ブクログ
初めて読んだのに懐かしい感覚になった。少女への解像度が高い。あどけなさも無邪気さも妖艶さもみずみずしさも痛々しさも、全て数行の文章に、文字に閉じ込めてる。お気に入り書籍。
Posted by ブクログ
愛ってなんだろう。
死ってなんだろう。
考えても考えてもキリがない。
だけど、考えなくては前に進めない時がある。
それを教えてくれる指南書のように感じる。
溢れる想いを、どこへやったらいいか。
道に迷った時、どこを目指したらいいか。
悲しみに暮れる時、どこに愛を示すか。
詩というものをあまり読まないけれど、感じる、感じ取るという意味では改めて寺山修司さん(『書を捨てよ、町へ出よう』ぶりに読んだ)のすごさを知った。
Posted by ブクログ
どきりとさせられる言葉が随所にみられ、瑞々しい感性にも触れられた。「そう 恋のまたの名はおばけだよ」などなど思春期に読んでいたらもっともっと心にきたであろう。でも読めて良かった。次は音読したい。
Posted by ブクログ
愛や恋、海などを題材にした詩が多いのが印象的である。他にも短い物語なども見られる。
詩人の表現力の高さには驚かされるばかりである。身近な題材であるが、それをとことん追究する様子は一種の哲学のように思える。
Posted by ブクログ
一度だけ読んだ詩集ですが、さらっと読んでいるだけだと、文字から得られるビジュアル的な印象が強かった。
ハッとするような表現ももちろんありました。
ロマンティックだけど、背徳的な印象も受ける。
Posted by ブクログ
優しい文章の中に、ちょっぴり毒が盛り込まれている詩集。
時間を置いてから読み直すと、また別の発見があるような味わい深さがある。 これからも本棚に飾りたい。
Posted by ブクログ
半分愛してください
のこりの半分で
だまって海を見ていたいのです
童話的な美しさを持つ世界観の中にも、憂愁や残酷性が見え隠れするところがとても魅惑的。
Posted by ブクログ
修司がさみしがりやできゅんとした
「童話なんかでごまかされるもんか!
夢なんかじゃない
本当に抱いてくれる
男がほしい
王子さまなんかじゃなくていい
やさしい人なら誰でも」
「片想いはレコードでいえば、裏面の曲のようなものです。
どんなに一生懸命唄っていても、相手にはその声がきこえない。」
「なみだは
にんげんのつくることのできる
一ばん小さな
海です」
くるしいなぁ
Posted by ブクログ
これは難解でした…でもわからないのに嫌じゃないというか、そんな心地良さがありました
色んな意味で寺山修司が「言葉の魔術師」と評される所以がわかる一冊。
Posted by ブクログ
1回読んだだけでは、恐らくその良さを深く理解できていないと思う。何回も読み返して、たった1つでも自分の心にスッと落ちてくるような詩があればそれでも十分なのではないか。
Posted by ブクログ
途中です。
こわい。不気味。
おもってたのと、、、違うんたけど。
思ってたのは、ふわふわのお砂糖のような可愛さやせつなく甘酸っぱい青春のヒトコマ。
男性が少女に抱く幻想をとことんなりきって自由に描いた女の子らしい女の子。
トイレに行くたび少しずつ読んでいる。
短時間だけど一瞬でこの世界に飛び立てる、というか、飛び込んでしまう。
短い言葉だけど、頭の中にイメージが鮮明に湧く。
すごい。
でも、こわい。不気味。残酷。
何か心を動かされることもなくはっとすることもなく、全ては完全なるフィクションで世界に浸るためだけのもののように感じる。
実益がない感じが私にはするのだが、それこそが、文学性なのか。
よく分からないけれど、まだ何かに期待しながら、違う本と取り替えることもなくトイレに行くたび、読み続ける。