ミシェル・ウエルベックのレビュー一覧
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ネタバレ服従
都市生活の複雑さと無気力と孤独と現代の行き過ぎた個人主義を、イスラム教の台頭を混じえて主人公が改宗する物語に回収する
作中でも様々な哲学者や文豪が出てきたが、特にニーチェと結び合わせて作品が動いているように感じた
現代文明は人間が欺瞞で固めた虚偽の姿であること、厳格な階層性社会が芸術の進歩を齎すこと、現在は苦しみでしかなく過去と未来への回想だけが救済であること
ユイスマンスの博士論文で評価された主人公は、フランスの大学で教授を務めていた
性欲の減退と中年男性の孤独感を感じながら、孤独な者同士でまぐわりあう虚しさをも感じていた
ユダヤ人の床上手な愛人が心の支えだったが、徐々にイスラム教の党首が支持率を増加していく政治状況を前に、彼女はイスラエルへ逃亡してしまった
心の支えを失った主人公は、大きな悲しみを感じるわけでもなく、夜の虚しさと生活の味気なさだけを淡々と、政治への不安、インテリ達の表層的なパーティー、尊敬に値する政治に詳しい友人と過ごしていく
内戦を恐れ田舎のホテルに身を固めて避難するも、数ヶ月ぶりに帰宅すると大学はサウジアラビアの出資を受けてイスラム教育に手がけるよう買収されていて、返事をしなかった主人公は毎月50万の年金を保証して解雇された
そして母親は孤独の中で死に、数ヵ月後に再婚した父親も幸福の中で死んだ
ユイスマンスのように1度教会で修道僧の体験をしてみるも、タバコしか吸えない状態と、ユイスマンスのようにロマン主義的でいられない自分とを堪能しただけだった
その後大変名誉な仕事を貰い受け、大学の新しいパーティーに出席し、そこで権力者にユイスマンスの論文を通じて評価され、何度かの会合で大学に戻ること、つまりイスラム教に改宗することを勧められた
晴れて最後に、自由に抗し続けた主人公はイスラム教に改宗し、システムに服従して幸福になった
ユダヤ人の女の子は主人公とは対照的な自覚的な被害者で、主人公は無自覚な加害者
母親は主人公が改宗しなかった場合の孤独、父親は改宗(大きな心がわり)をした場合の主人公として置かれている
会話の中で主人公は、最初から家族制度の希薄さが齎す宙ぶらりんの個人主義には批判的で、現代の西洋的でいきすぎた多様性文化にも反対的、ユダヤ人の女の子の前で家父長制を賞賛する
全ての主張に論理的整合性はあっても、情熱は無い、あるのは燻る嫌悪感
危険を危険と認識せず、声を挙げず、慣性だけが保証する安全に安心する
やっと危険に気づいて行動したかと思えば、周囲は変わっているし、その変化にも無感動に無抵抗に適応する政府の都合の良いように飼いなされた日和見主義
そんな現代インテリの苦しみと醜さを凝縮したような主人公と周囲のフランス人が、最終的には正義不正義に葛藤することなく、実存を求め最後にイスラム教の家父長制や一夫多妻、そして大学教授という名誉に身を沈めて行った
主人公は一度田舎に逃避したり、協会で暇を取ったり、自ら政治的会話により情報を集めたり、苦しみながら自由意志を獲得するために抵抗を試みていたが、それでも決して明確で継続的な抵抗ではなかったことに作品を通して主張されている無気力と自由による逆説的な抑圧を感じた
現代の違和感を感じる過度な"倫理"に釘を打つ、戸塚ヨットスクール大歓喜物の作品だ
共産主義と同じく、イスラム教も世界征服した時に初めて幸福を達成すると言うが本当かな?
この本のおかげでディストリビューティズムにも興味が出たし、イスラム教にも興味が出た
「後期のユイスマンスは退屈になったが、退屈を台座に書くことで読めなくは無い代物にしていた」とでもいうように、この作品も無気力を題材に書くことによって、情緒にかけた部分も魅力の1部に感じた
好奇心が沢山刺激されたいい読書体験 -
Posted by ブクログ
『素粒子』という題名から物理学者の物語かと思って読んだら現代社会の苦悩に苛まれる異父兄弟の物語。と思いきやまさかのSF!フランス文学ならではのエスプリの効いた難解で高尚で迂遠で下品な作品(褒めてます)。
母親を同じくするノーベル賞候補の分子生物学者であるミシェルと小説家崩れである教師のブリュノ。幼き頃に無償の愛情に触れなれなかった二人の屈折した愛への渇望。中盤は特に幼少期の酷い虐めと非モテから性癖の歪んだブリュノの卑猥かつ詳細な性描写にひたすらページを割き、深読みすれば1960-70年代フランスのフリーセックスと個人主義が生み出した歪んだチルドレンたちの姿を描き出す愛国心に基づく自省や問題提起と言えないもない。が、最後の最後でフレデリック・ハプゼジャックが登場してから物語は一遍。『猿の惑星』的読後感。サイエンスフィクション的な高度な構成力もある。いやはやなんともユニークで面白い作品であった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレウエルベックは読んでいるとしんどくなる…笑
自分も老いを感じているからだろう
性行為がなくなると、相手の体が、なんとなく敵対しているものに思えてくる。それがたてる物音、その動き、その匂いが気になるようになる。そして、もはや触れることもできず、交渉を通して聖化することもできない相手の体は、少しずつわずらわしいものになっていく。残念ながら、周知の通りだ。エロチシズムの消失にはもれなく愛情の消失がついてくる。純化された関係なんて存在しない。高度な魂の結びつきなんて存在しない。それらしきもの、それをそれをほのめかすようなものすら存在しない。肉体的な愛が消えたとき、すべてが消える。毎日が陰鬱で平板な苛立ちの連続になる。しかも肉体的な愛に、ぼくはほとんど幻想を抱いていない。「若さ」「美」「力」肉体的な愛の基準というのは、ナチズムの基準とまったく同じだ。ようするに、僕は途方に暮れていた。(p.79-80)
奇妙な物語だった。悲痛な、胸の引き裂かれるような物語だったね、かわいい君(マ・べル)。…つまり僕の中のなにかは常に、自分がついには愛に出会うことを知っていた(ここで言う愛とは、相思相愛のことである。唯一、価値があり、唯一、人を実際にそれまでとはちがう認識の次元、つまり個体性がひび割れ、世界の状況がちがって見える次元に導くことのできる、唯一、継続してもよいことになっている愛だ)。(p.189)
愛は人間を弱くする。そしてふたりのうちの弱者が、もう一方によって虐げられ、苛まれ、ついには命を奪われる。虐げ、苛め、命を奪うほうには、悪気はない。そういう嗜好もない。あるのは完全なる無関心だけだ。これが、人が通常、愛と呼んでいるものだ。…
そして僕は事実を受け入れはじめた。エステルが強者なのだ。そして僕にはもう自分の人生をどうすることもできない。(p.206-7)
束縛のない愛があるとすれば、それは人が悦楽に溢れた環境で、あらゆる恐れ、とりわけ、打ち捨てられる恐れや、死に対する恐れから解放された場合だけだろう。少なくとも永遠という条件が満たされていなければいけない、それ以外にはありえないと思う。つまり、そんな条件は実現されていない。(p.219-20)
皮肉や、諧謔、ユーモアはいずれ廃れる運命なのだ。なぜなら来るべき世界は幸せの世界であり、もはやその世界には、それらの居場所はないからだ。…
そしてこの世界ではじめて、終わりのない愛を実現するかもしれない。倦怠が、愛を終わらせることはない。というか、そうした倦怠を生むのは、焦燥、肉体の焦燥なのだ。肉体は、いずれ死ぬ運命を自覚して焦り、生きたいと焦り、猶予のあるかぎりいかなるチャンスも逃したくない、いかなる可能性も逃したくないと焦り、老い先短い、落ち目の、しょぼくれた人生をめいっぱい利用したいと焦り、それなのに、人がみな、老い先短い、落ち目の、しょぼくれた存在に思えて、誰も愛することができずに、また焦るのである。(p.336)
僕らの肉体にはまったくなんの繋がりもない。僕らは同じ苦痛を味わうことも、同じ悦びを味わうこともできない。僕らは完全に別個の存在だ。(p.373)
僕は、驚愕と嫌悪とともに気づいてしまった。僕は、それでもあいかわらず(とはいえこれは純粋に理論としての話であって、自分に関してはすべてが終わってしまったのはよくわかっている。僕は残ったツキを無駄に使い果たしたのだ。僕はいままさに旅立ちのときにある。終止符を打ち、結論を出さなければならないときに来ている)、とにかくそれでも僕はあいかわらず心の底で、そしてあらゆる明証に反して、愛を信じているのだった。(p.442)
愛は個人の自由や、自立の中には存在しない。あるとすれば虚構である。思いつくかぎり最も見え透いた虚構のひとつだ。愛は、無への、融合への、自己消滅への欲求の中にしかない。かつて誰かが言った大洋の感覚のようなものの中にしかないのだ。(p.461-2) -
Posted by ブクログ
ミシェル・ウエルベックの二巻本の最新長編小説、ということでずいぶんと期待をもって読んだ。以下、おおいにネタバレがあるのでまだ読んでいない人は注意してほしい。
小説の途中までは、経済・財務大臣の腹心の高級官僚である主人公ポールを中心に、フランス大統領選を控えた選挙戦略、政府へのサイバー攻撃、父親の脳卒中とケアの問題、妹弟とくに弟夫婦との関係とそれを発端としたスキャンダルと実弟の自死、妹のキリスト教と妻の新興宗教、年を経た夫婦の関係、と何本もの糸を張って物語を紡いでいった。小説の終盤にかけてこれらの仕掛けをどうやって回収していくのか、と楽しみにしていた矢先に、ポールの悪性の口腔癌が発覚する。その後はほぼ仕掛けはそのままに、ポールの予後は思わしくなくなり、もうすぐ死を迎えるところで小説は終わる。数々の設定は宙吊りにされたままだ。思うに、それらは宙吊りにされるために書かれたのだと合点した。どうしたところで、死がこのようにすべてを無に帰すように終わらせるのだ、と示すために。おそらくは、小説の最後に置かれたのは妻との絆と妻の信仰だが、それが最後に置かれた意味はあるだろう。そのとき何を思うことが可能なのかと。
ウエルベックは小説世界の中で積み上げてきたものを壊してしまうことで、死の暴力を書こうとしたのだろう。『滅ぼす』というタイトルに込めた意味もおそらくはそこにある。もちろん、それはひとつの読み方でしかないのだけれど、剥き出しの「死」こそがこの小説のテーマなのだ。読者としてはせっかくの物語のかたを付けてもらいたかったという思いは残るが、それも含めてウエルベックの狙いだと思うこととしよう。
死に方に関して言えば、小説の中で出てきた数々の死 ― 実父の脳卒中(植物状態で生きているが)、ポールと実弟のオーレリアン、ポールの妻プリュダンスの母の交通事故死 ― を比べると、やはりポールのように癌で死にたいと思うのだ。自分が死にゆきものであり、およそいつごろ死ぬのかを知りつつ最後を迎えたいと強く思う。老衰の前に病によって強制的に死にゆくポールをウエルベックはひとつの理想とみているのかもしれない。そうでないかもしれないけど。 -
Posted by ブクログ
この手の穏やかながら深い波のある小説を久々に読んだ。
主人公は徹底的に世の中を俯瞰した風に見て、あらゆる人間を小馬鹿にしているように見えつつ、自身の欲求に素直な、所謂普通のやつ。
ヴァレリーという20代の女っぷりのいいキャリアウーマンというザ21世紀の女性と一緒にいることで幸せ全開。
性産業をビジネスチャンスと捉え邁進するところに、金儲けだけではなく、西洋人の欲求追求の姿勢(西洋人は資本主義社会にいて、物質的幸福を追求する一方、彼らだけで性の満足を得られなくなっている。ある意味それは非文明国よりも哀しいことでもある。だからアジアで自身の性を解放する旅行には着実なニーズがある。)を深く見据えている。視点としてとても面白い。宗教的観点や道徳の問題ももちろん上がるが、そこはあんまり気にしない姿勢がこの物語の邁進力を上げていて面白い。
終盤のこれからタイでの2人の生活(資本主義的ではなく、2人で退屈な島で幸福に暮らすというあまりにも面白くない幸福)を選んだ末の事件はあまりにもドラマ的だ。9.11の預言だなどと言われているが、実際に性産業をビジネスにした彼らへの天罰というメッセージとして作者がこの構成にしたのではあまりにも面白くない。俗っぽい見方だが、「人間は何かを諦めて何かを楽に得ようとすると、かえって全てを失ってしまうことがある」ということではないか。
彼らの性への貪欲さとそれを受けて必死こいてビジネスにするリスキーな生き方をより輝かせたかったのか。非常に面白い物語だった。 -
Posted by ブクログ
人と感想を話すことって大事だなーと思う
特に本の入り口が、「人からお勧めされた」時は感想を必須で誰かと話さないと自分の中にモヤモヤが残ってしまう。
これ面白いね!だけじゃなくて、これ気持ち悪いね、、って時は特にそう。
ウェルベックはめちゃくちゃハードル上げられた本だった。でも、2005年にこれが出てきたのが凄いことだなって思うだけで、本当に深いことを語っているのか?となってしまった。
中年男性のセックスに焦点を当てすぎているし、その描写が無理だったとかではないんだけど、シンプルにもっと短くその惨めさを描くことはできたんじゃないかと思う。描きたいことに対して冗長だと思ったんだ。あでも「人生紀」というコンセプトだからそれは違うのか。
だとしたら評価めちゃくちゃに変わるかもしれない。人生紀がそう言うしょうもない冗長なことを書いて本当に大事なことは一瞬の煌めきを残して、その煌めきが他の人を狂わして、素敵だ!!!!
大好きになった今。
「愛」とか「社会」とか「孤独」とかじゃない。そんな壮大なテーマじゃない、1人のすぐそばに生きている人間にフォーカスを当てれば無限に出てくるものだ。
街を観察しているときにたまに感じるあの「光」の感覚だ。
じゃあキリスト教やんけ!と思ったけど、そうじゃなかった。それはキリスト教が、キリスト教以前から大事なことを自分たちの教義に入れているだけか。
そういう構造にもたまに騙されそうになるな。
早くのさちゃんの意見が聞きたいな〜 -
Posted by ブクログ
物語後半で展開されるのは人生の不条理劇。解明しようとしてたサイバーテロ攻撃も父が残した謎も大統領選もこれ以上進展がのぞめない。なぜならポールは口腔癌によって「滅ぼされる」から。
自分はまだ重い病気に罹ったことがないから、癌の告知、治療の選択、家族へ知らせる過程等をポールと共に追体験した。嘘つくまではいかないが言うべきことを妻に言わなかったりセカンドオピニオン受けて治療法を天秤にかけたりと、細部にリアリティがあってこんな感じなのかーとしみじみ思った。
やっぱり、妻であるプリュダンスとパートナー関係が修復できてるのが今までのウエルベック作品と異質だと思う。
知人とも話したけど、ウエルベック年々作風丸くなっていってるよね????昔はもっと露悪的だったよ