ミシェル・ウエルベックのレビュー一覧
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なんと文庫化していたので美容院の暇つぶしのために買って一気読み。フランスがイスラム政権の党に取られて徐々にイスラムに傾き、、、とのあらすじ、ふとした出来事をきっかけにじわじわと世界が変わっていく様、2021年に読むとなんとまぁ皮肉に思える。
スジとは別に本の全体に流れる強烈な差別意識というか、まぁはっきり言って相当きついセクシズム描写はまさかウェルベック本人無意識に書いてるわけでなく、この本の筋を浮き立たせるために意識的に使っているのだろう。というかそう思いたい。
それ以外にも、本から距離を取って読める人でないと危険な本になってしまう。それだけの求心力というかカリスマを発する本で、ウェルベックすげーなー -
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『闘争領域の拡大』に次ぐウエルベックの二作目。フランスでベストセラーになったらしい。
ウエルベックは博識な作家だが、本書もごたぶんにもれず数学、分子生物学、はては哲学まで盛り込まれていた。ド文系な自分にはさっぱり理解できなかった箇所も多かった。難しすぎる小説ははっきり言って苦手だ。
性欲に囚われた国語教師の兄ブリュノと、天才分子生物学者である弟ミシェル。この異父兄弟を主人公としてその一生が描かれる。前半の幼少期の話は好きだったが、後半になるにつれわけがわからなくなり、あまり物語に入ってゆけなくなった。
ブリュノは性欲をこじらせたまま大人になり、ニューエイジ風のキャンプに参加したり、乱交専門のナイトクラブに参加したりと性欲を満たす機会を日夜探している。小説全体を通しても彼の異常な性欲が際立つ内容で、彼があの手この手を使って一物をしごく姿が印象的だった。ブリュノが描き出しているのは『闘争領域の拡大』でも描かれていたような、典型的なルーザー。ウエルベック的な主人公といえる。だけどそこまでの性に対する倒錯した欲望は私は持ち合わせないので、読んでてふーんそうですかというような感じになった。あと時折ミシェルとブリュノの会話があったが、これもなにかぎこちなく、風景描写も取って付けたような感じで、いかにも小説としての体を整えるためという感じがした。
弟ミシェルは兄ブリュノとは対照的で天才なのだが、無性欲、不感症で、そのこと自体についても本人は無関心だ。興味があるのは彼の学術分野のことだけ。ミシェルにもブリュノにも共通しているのは二人とも無目的に生きていることだろうか。誰にも生きる意味などわからないものだろうが、素粒子に登場する人物たちは皆さまよい、傷つき、他者を理解しようとするも満たされることがない。
それにしても作家によって小説ってこんなに違う顔を見せるんだなと感心する。村上春樹からは温かみ、ジョン・アーヴィングからは力強さを感じるが、ウエルベックに関して言えば、鋭いカミソリのような感じを受ける。時代を抉り取って描写する鋭さとでも言ったらいいだろうか。ウエルベックの小説は難しいが狙いがはっきりしているように感じた。 -
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ネタバレ現代フランスの作家ミッシェル・ウエルベック(1958-)の第一作品、1994年。資本主義的な「自由」が到り着いている地点を描く。
資本主義社会では、すべてが同一平面上に並置させられてしまう。すべてがフラット化してしまう。超越的なものが引きずりおろされてしまう。即物的無価値(金、力、快感、効用)へと還元されてしまう。世界がひとつの巨大な商品陳列棚、ランチプレートに成り下がってしまう。則ち、一切のものが貨幣という統一の尺度で比較され計量化される商品と化す。コミュニケーションは互いに商品ラベルと値札を貼り付け合うだけ。外部はありふれた商品として内部に繰り込まれ、消費されるだけ。一切の出口は予め塞がれている。
「生」の在りようが「自由」の追求にあるとする。資本主義社会において、「自由」とは「資源を選択する自由」である。しかし、「資源の有限性・希少性」ゆえに、「資源を選択する自由」は「資源を獲得する競争」として現実化する。こうして、「自由」は「自由競争」へと転化する。則ち、「生」のあらゆる局面において「自由」を追求するということは、「生」のあらゆる局面において「自由競争」に晒されることを意味する。つまり、「自由」の追求は、不断の「闘争領域の拡大」として現実化する。「絶対的窮乏化」が、経済的な自由競争(物質的資源の獲得)だけでなく、性愛の自由競争(性的資源の獲得)の局面においても引き起こされることになる。
こうした云わばありふれた地獄の、その出口の無さを、この作品は描いている。
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自分がいつか感じていたような焦燥、嫉妬、絶望、倦怠の言葉が見つかる。
「しかし、なにをしたところで本当の逃げ道にはならない。次第に、どうしようもない孤独、すべてが空っぽであるという感覚、自分の実存が辛く決定的な破滅に近づいている予感が重なり合い、現実の苦悩に落ち込むことが多くなる」(p17)。
「要するにあらゆる逃げ道が塞がれていた。彼女にできることは、黙って臍を噬みながら、他の娘たちが解放されていくのを見ていることだけ。少年たちが他の娘たちの周りで蟹のようにひしめき合うのを眺めることだけ。他人のあいだに関係が結ばれ、ことが行われ、オルガスムが広がっていくのを感知することだけ。他人が悦びを誇示する傍らで自分が静かに崩壊していくのを徹底的に味わうことだけ」(p114)。
「その気になれば、毎週だって女は買えるだろう。[略]。でも同じことをただでやれる男もいるんだぜ。しかもそっちには愛までついている」(p125)。
「君はいつまでも青春時代の恋愛を知らない、いってみれば孤児だ。[略]。君には救済も、解放もない」(p149)。
「僕はがむしゃらに、うろうろと歩きまわる。いてもたってもいられない。しかしなにもできない。なにをやっても失敗する気がする。失敗。失敗だらけ。自殺だけが遠く埒外できらめいている」(p169)。
「僕は裂け目の中心にいる。自分の肌を境界のように感じる。そして外部の世界を壊滅的な圧力のように感じる。分離はすみずみまで行き届いたようだ。このさき、僕は自分という檻の囚人だ。崇高な融合なんて起こらない。生存の目的は達せられなかった」(p202)。
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ところで、とかく日本では文学研究や社会学などでしか顧みられることが稀なフロイト精神分析は、どうやらフランスの一般的な社会の中に根を下ろしているような描写があるのだが、それはどのように位置づけられているのか。 -
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ウェルベックの作品は和訳も多く出版されていて、かねてより興味を持っていました。フィクションですが、フランスの政治や社会情勢については、かなり現実を反映しており、実在の政治家も登場します。ここに描かれるのは、イスラム政党のフランスでの台頭ですが、ウェルベックが描きたかったのは、「ヨーロッパの自死」ではなかったかと思います。
西欧文明が、キリスト教支配の頚城から逃れ、理性・啓蒙主義を軸に文明の発展を図ってきたものの、アナーキズムとニヒリズムが社会と精神の停滞を招き、この小説の舞台である近未来のフランスで、イスラームの信じる神とその世界観に「服従」していく。ウェルベックは、フランスが精神のバックボーンを喪失し、方向性を見失っていると考えているのでしょうか?
作中には、大学教授である主人公にウェルベックがこう語らせています。「希望が無くなったとき人々に残されているのは、読書だと信じるべきなのだろう」
フランス経済の低迷の中で、出版業界は比較的業容が良い状態を踏まえての言葉ではあるものの、読書が人にとって救いとなることがあることは事実ではないでしょうか。 -
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フランスを代表するベストセラー作家であるミシェル・ウエルベックのデビュー作。フランス現代思想のような衒学的なタイトルであるが、その意味するところはシンプルであり、痛切なものだ。
近代の資本主義は、企業やそこで働く個人を市場という絶え間ない闘争領域に追い込んでいく。最初は生産・販売などの経済的活動が闘争領域で繰り広げられたが、止む事のない資本の自己増殖能力は徐々に闘争領域を拡大させていく。その結果、恋愛そしてセックスまでもが闘争領域に飲み込まれていく。
身の回りを見渡してみれば良い。良いセックスができる人間はますますそのチャンスを増大させる一方で、そうした機会が与えらない人間はますますそのチャンスを逃していき、格差が増大していく。
常に現代社会の残酷な一面を切り取り、小説という形態にテーマを昇華させ見事な作品に仕立て上げるウエルベックの方法論はデビュー作からして確立されていた。そうしたことを感じた一冊。 -
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やっと読み終わったー。がんばった。
最初はSFと思っていたのです。ネオヒューマンがいかな人生を送っているのかという興味から購入したのです。でも実際は、ネオヒューマンに至る新興宗教に肉薄した皮肉を扱うコメディアンの人生記に対して、ネオヒューマンたるが為にその人生記につけた未来人の注釈を読む物語だった。
ゆえにネオヒューマンの生態というより、コメディアンの皮肉、人生や戦争、なにより老いと性生活への皮肉と批評がメイン。この辺は読み手の読み間違いもあるのでなんとも言えない。
ただ主人公は本文中で指摘されてるとおり、感性が特別豊かなわけではない。ただただ正直なんだ。この世の欺瞞に対して。そうしてその欺瞞へ率直に切り込む語り口はなかなか得難い。パッと見セックスだのフェラチオだの言ってるだけでなんだこいつってなるけども。
その実人間の根元にある愛への飢え、その飢えがなくなったネオヒューマンの一人の末路など、読みごたえはある一冊ではあった。 -
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往来堂書店「D坂文庫2015冬」から。選んだ理由は選者の「日本にこんな意地悪な小説家は絶対いない!」というコメント。
さして取り柄のない仏人公務員ミシェルは、親の遺産でタイ行きのパッケージ・ツアーに参加し、少女を買う。そして、周囲のひんしゅくを買いつつ、そのツアーで知り合ったヴァレリーと恋に落ちる。帰国後はヴァレリーと一緒に彼女が勤める旅行会社で売春ツアーを企画するが、最後は…。
この小説の中でミシェルとヴァレリーは、もう数えきれないくらいセックスをして、その度にミシェルは西洋の性の退廃を、ひいては西洋文明の没落を嘆く。
少々乱暴なつかみ方ではあるけれど、西洋の高度資本主義への批判・警告を性を通して描いた、と言えるのかもしれない。
とは言え、この表現の仕方に読者はどこまでリアリティを覚えるんだろう。この小説にリアリティを感じる人は、この作家にのめり込むだろうし、反対にリアリティをまったく感じない人は、もうこの作家の作品を手にすることはないのだろう。もっとも、リアリティ云々の前に、官能小説とも言える性描写に辟易として、本書を投げ出す人も決して少なくないとは思うけれど。 -
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これがウェルベックのデビュー作らしい。テーマというか作者の姿勢は本当に一貫していて清々しさすら感じる。これと後の作品を比べると(全部読んではいないが)、変えていっているのは読者層を広く取り込むための工夫の部分だろうか。遡ってデビュー作が文庫化されるくらいなのだから、その努力は上々の成果を上げている。この作品自体は、面白いのだけど、まあウェルベックの作品として一番に薦めることはないかなという感じ。
最後はあの後、自殺したのかな?してないのかな?どちらもあり得ると思うが…。雄大な自然の中にいてもむしろ虚無感を感じるというのは自分にも覚えがある。個人というものの枠組が根源的には「死によって世界から分離されるもの」として規定されており、その前提のもとに社会が運営されているのだから、冷静に考えるとなかなかぞっとする。人は繋がりが完全に絶たれることに耐えられないにも関わらず、それを社会全体が奨励している。可能性のなくなった人は死んでいく。人間は一体なにがしたいんだ、とは思う。 -
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ウェルベックの原点。
資本主義社会では、誰もが財を成す権利を持ち、それを行使するか否かを決める自由を手にしていると幻想している。
けれど、それは当然「誰もが」であるはずはなく、このシステム下においては性愛でさえ、持てる者だけが享受し、持たざる者はどれほど足掻こうとも除外されてしまう。
主人公と正反対で、外交的かつ情に厚いビジネスパートナーのティスラン。
彼の頭の中は常時と言っていいほど、女性のことが占められていて、自分が愛した女性に無償で愛されることの自由と格闘している。
けれど残念なことに、彼の容姿やセンスは女性を惹きつけるどころか、遠巻きに嘲笑を浴びるほどだ。
『性的行動はひとつの社会階級システムである』
それは金銭とは別の、勝者と敗者を生産するシステムであった。
ティスランを見ながら、主人公は自分が大量の愛を与えたかつての恋人ヴェロニクを思い出す。
彼女は鬱病を患い堕落していき、主人公は注いだ愛情をただの浪費だと考えるようになる。
主人公とティスランは、この闘いに何らかの勝利をもたらそうと画策するのだが……。
ウェルベックが、日本のオタク文化を見たら、賞賛するだろうか、罵倒するだろうか。
二次元の中に理想の女性を描き、彼女との擬似恋愛に満たされる、第三次産業が起こした革命(笑)
ただ、まあ、結局のところ、ティスランも主人公も、自らの勝手な欲望を、都合よく消費出来る女性を求めているだけなのでは。
そこに時間もお金もかけないことを望むのは、最早恋愛の神聖視ではない。 -
Posted by ブクログ
2022年のフランスでイスラム主義政党が国政を掌握するという、一見あり得ないだろうそんな事、と思いがちだけど、よく考えるとあり得なくもないのか実は、と思ってしまう、現在のフランス及びヨーロッパ諸国の激動を描いた作品でした。
著者はこの本の中で、ヨーロッパは資本主義を推し進める中でヨーロッパの良さを自ら放棄してヨーロッパを自殺に追い込んでいる、そしていまそこに残っているのは疲弊だけだ、と語っています。
そのヨーロッパの大国フランスで行われる2022年の大統領選で、移民の完全排除を掲げ内向きなフランスを目指す極右政党と、穏健派のイスラム主義政党との一騎打ちとなり、疲弊した国民がイスラム主義政党を勝たせてしまいます。
すると何が起きたか?
学校や企業から女性の姿がなくなります。女性は街を歩くときにイスラム教の伝統的な衣装を身にまとい肌の露出が一切なくなります。一夫多妻制が認められます(認められるどころか、世の中の人口構造に着目した場合、一夫多妻制により弱い雄が自然淘汰されることがイスラム教の摂理に基づく自然な結論だとされています)。
そして恐ろしいのが、既存のシステムに疲弊していたフランス国民は女性も男性もこのイスラム政権が繰り出す政策に次第に順応していき、主人公のフランソワを含め多くの人がイスラム教に改宗し、イスラム政権の下で新たな社会活動を築こうとしていく点です。著書のタイトル通りまさに「服従」です。
この本は2015年に刊行されたものですが、著者はこの本の中でEUの崩壊について言及しています。EUからの離脱を模索する国が現われたり、それとは逆にEUに取り入ろうとするイスラム系国家の台頭に触れていて、2016年のイギリスのEU離脱の決定を予言しているかのような内容で、恐ろしくも読み応えのある作品でした。