佐野洋子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ100万回生きた猫。
有名作で名前と何となくストーリーを知っている程度でした。
ただ何度も生き返った猫が満足して生き返らなくなっただけでしょ、と思っていたのですが…
この本を読んだのは独身だった時と子どもが産まれてからの2回です。
そして今回は子供が産まれて読み聞かせをしてから感想を書いています。
今まで家庭環境も悪く親なりにいろいろやってくれたけど大きな感謝もなく親がやってくれた事より自分で努力して今の地位を獲得したと思っていました。
どこか冷めていて努力しない人を下に見ていた私が結婚し子供を産んでこれを読むと自分の人生と重なり何だか涙が出てきてしまいました。
特に猫が100万回生きたと繰り返し訴えるのをやめた場面。あれは子供ができて自分の地位や経歴など何でもよくてただ家族が穏やかに暮らせればいいと思えるようになったからこそ響くものがありました。
絵本は子供のうちはどんな気持ちで親が読んでくれたかわからないものですが、自分が子を持つとまた違った気持ちで読むことがそんな所がいいです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ佐野洋子さんが母親を振り返り、振り返り、精算していくエッセイ。
適当に読むのが悪い気がして、静かな部屋で何日かかけて読んだ。人の大切な人生は雑に読んではいけない気がするし。すごく傷ついてきた人の深い揺れ動きみたいなものが漂い続けている。
自分しか覚えてない幼い頃に亡くなった弟、病気で亡くなった兄のこと。その時の父親や母親の反応。
人ってちょっとした過去のことをこうやって覚えているもんだな、と思う。
母親の虐待、絶対に泣かなかった佐野さん。7人いた兄弟が3人まで減っていたこと。
いやまて、これエッセイの体をとった暴露療法では…?
途中ではたと気づいた。カウンセリングルームで似たような書き出しをさせられた事がある。
佐野さんはこの本を通して、過去のつぶさな記憶、傷つき、けれど良かったことも淡々と、切々と思い出している。
いくら時代があるとはいえ明らかに虐待と、家族関係、それにまつわる深い傷つきの記録だ。
1話1話の最後に一節、現在の認知症をもった母親の今のやり取りが挟まれる。過去の思い出と現在と。母親と自分とを許していく過程を踏んでいる。
段々と曖昧になっていく今どこの話をしているのか、というふわふわした感じが後半になるにつれ自然と増えていくのは記憶を忘れていくことが後半テーマにすり変わっているからだろう。
読んでよかった、という気持ちと、これいくらなんでも人が読んでいいやつなのかなぁという複雑さと、これ書くの本当に大変だったろうなぁー……という苦いような感覚と。
読後、気になって確認したところ、作中お母様が亡くなられた同年に佐野さんは別のエッセイのなかでご病気で余命宣告をうけていた。それから2年して出た本がこの「シズコさん」。で、本がでた更に2年後に亡くなっている。
wikiでみた時系列をなぞってみるだけでも、覚悟して書いたんだなぁ、と思う。wikiをみたあと何回も最後のページを眺めてしまった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ普通に生きてきてこの絵本に触れない人生って
無理なんじゃないか?
と思うくらい、昔から愛されていて定番の絵本になっていますよね!
わたしも子供の頃に読んでいます。
自分で読んだのか、読んでもらったのかは
覚えていませんが。
大人になってから改めて読み返し、
読書会でこの本を囲み、友人たちと語り合いました(笑)
もうね。
絵本作家さんってすごい!!
こんなに短い文章なのに詰まってる意味合いが無限!笑。
100万回生きたねこは、100万回の人生で1回も泣かなかった。
101万回目(かな?)の人生でしろねこに出会い、
しろねこを失って初めて泣く。
このシーン「くろねこは100万回泣きました」(ニュアンス)という文章があり
もしかして今までの100万回の人生を思い返して泣いているのでは?
という可能性にたどり着き、鳥肌が立ちました。
なぜねこは100万回も生き返ったのか?
神様はくろねこに100万回の人生の中で「気づいてほしいこと」があったのかな?って思います。
それが大切な人(存在)を失うと悲しいんだよ。
ってことが1つあるのかな。
100万回の人生、くろねこは王様も船乗りも泥棒もおばあさんも女の子も大嫌いだった(笑)
でもくろねこが死んだら、みんな泣いてくれた。
100万回の人生、くろねこは飼い主のための人生を生きて(大嫌いと言いながら飼い主思いw)
101万回目は野良猫で自分のための人生だった。
自分のための人生も良いもんだよ~と、
神様は言いたかったのかもしれない。
そんな長々とした妄想を繰り広げました(笑)
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Posted by ブクログ
「100分de名著」をきっかけに再読。番組での多部未華子さんの朗読がすてきでした。
ひとつの出会いが百万回の生を凌駕する物語。初読はかなり昔だけど、もう子供ではなかったはず。既に「永遠の名作」「究極のラブストーリー」みたいな位置づけにあって、ひねくれものの自分は、恋愛至上っぽい展開がなんとなく苦手だなあと思ったりしました。
改めて読むと、そもそも「出会い」にたどり着くまでの設定が理不尽、不条理そのもの。読む側は「そういうもの」としてなんとなく読んでしまうこともできる。でも「そういうもの」を創り出す側は違う。底知れない隔たりと、そして、その深みを見つめる「100分de」の解説が印象的でした。
とらねことしろねこの幸福を描くおだやかさもなんだか儚く思えて、ずっと哀しみを覚えながら読み通しました。
ずっと満たされず、ようやく得たしあわせは永遠に続かない。もう次の生も、何の約束も残されずにおしまい。
だからこそ、だれもが何度も読み返したくなるのかな。
なーんて
ちゃんとした解説を読んでしまったのでそれらしく考えたくなってしまいますが、それよりも、この絵本を見たまま素直に受けとめて、言葉にならない部分で愛せる人生をやってみたかったなあ… -
Posted by ブクログ
“100万回生きた”ということは、“100万回死んだ”ということなんだよなあ。人生は1回きりだと思っているので、タイトルを見て不思議でした。
前半はなんだかとっても寂しいです。このねこ、自分の人生を生きていない感じ。“ねこは しぬのなんへいき”という言葉がグサリときました。
後半、“100万回生きたねこ”の人生、明るくなります。誰でもない自分の人生を生き、自分よりも大好きな愛すべき対象に出逢えたから。不満だらけだったねこが、自分の人生を生ききって本当に良かった。
読み終えて、ちょっぴりの悲しさと安心感がありました。この絵本を読むのは2度目ですが、また最後に不思議な感じが残りました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ愛さなければ、喪失の痛みも感じ得ない。
悲しみの源泉は愛である。
その痛みは命をなめ取るように削り去っていく。
王さまも、船のりも、手品つかいも、どろぼうも、おばあさんも、子どもも、ねこを愛したがゆえに一日じゅうないた。
白いねこの死は、100万回生きたねこにとって初めての愛の喪失で、これまで1回もなかなかったねこが100万回もないて、ねこの「一生」ぶんをないて、涙が尽きてはじめて「命」も尽きたのだろうかと思う。
ねこにとって一番苦しかったのはこの生だったが、一番幸せだったのもこの生だった。
実りのある生というのは、何かを愛した生なんだろう。
愛するのは未来の傷を背負うこと。それでも何かを愛してみたいと思える、すてきな作品。