曽野綾子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ私の後始末
著:曽野 綾子
ポプラ新書 164
いい人にならず、本音で老いを愉しむ269の極意とあり
世間体を気にして、生きるのではなく、自分に正直に生きる
「今日一日をせいいっぱい生きる」というのがいい
信じる宗教は違えど、兼好法師や親鸞らと同様、彼女も日本の伝統的精神の時の流れの中にいると感じました
また、「いい加減でもいい」、というのもいい
手抜き歓迎、生きぬくためであれば、悪もまたしかり、言葉だけの正義ではなく、人として生きる
気になったのは以下です
■本音こそ人生の歓び
・あとは野となれ、山となれ
・日本人の多くは、性善説である。そのほうがうるわしいことは分かり切っているのだが、私は自分の心を眺めて、昔から性悪説を取ることにしたのである
・どんなに親しくても、しょせんは別の人間です。性格も、考え方も、感性も違うのですから、人を完全に理解できるはずはない。だから、自分のことも、ほんとうに理解してもらえるなどということは不可能だと思い、あきらめています。
・「人は皆平等」などというのはウソっぱちです
「実際に平等である」ということでも、「人は平等になれる」という保証でもありません
・まわりに合わせたがるというのは、一番卑屈な精神のように思えます
付和雷同するという勇気のなさを示していてもっとも魅力がないものに映ります
・人間は一人で生まれて来て、一人で死ぬ
・要するに、どんな死に方でもいいのだ。一生懸命死ぬことである
・驚くべきことに、青春さえも本当に理解できるのは、晩年になってからだということが、私はこの年になって知ったのである
・現世はろくな場所ではない、と思ったおかげで、私はその後、それよりはるかにましな世界を見た。
すべてのものは比較の問題なのだ
・人がするからいい、のではないのである
人がしてもしないし、人がしなくてもする、というのが勇気であり品位である
■ままならぬ状況を生きる
・人生は、何が勝ちで何が負けなのか、その時々にわからないことだらけです
・光を描くには、影を描くより仕方ないんです
光そのものは描けないから
・すべて人生のことは「させられる」と思うから辛かったり惨めになるので、「してみよう」と思うと何でも道楽になる
・人して生きていく以上、自分には、裏表がある、という自覚が必要です
・これだけ、おもしろい人生を送ったのだから、もういつ死んでもいいと思うような心理的決済を常につけておく習慣をつけるといい
・人間は死ぬまでに、いくら年を取っていても、死の前日でも、いつでも生き直すことができる
・手抜きだから続くこともあり、ずるいから追いつめられもせず、怠けの精神が強いからこそ、新しい機械やシステムの開発につながる
■「いい人」を今すぐやめなさい
・世間からどう思われていい
人間は、確実に他人を正しく評価などできないだから
・何でもいいから大勢とはとにかく反対の方角で、しかも少し自分が好きなことができたら、確実に生きられるだろう、と思いますね
・私たちは自分の目に入るすべてのことを、すべて一度は疑うべきです
人を疑う能力がなければ、ほんとうには人を信じることもできません
・人は大体誰もが平凡で、「ろくでなし」で「能なし」である
今までうまくやってきたとすれば、運がよかったか、他人が図らずもかばってくれていたからに過ぎない
・人間関係の普遍的な基本形は、ぎくしゃくしたものなのである
・品を保つということは、一人で人生を戦うことなのだろう
自分を失わずに、誰とでも穏やかに心を開いて会話ができ、相手と同感するところ、拒否すべき点を明確に見極め、その中にあって、決して流されてないことである
その人自身が、川の流れの中に立つ杭のようでなければならない
■あきらめる生き方
・諦めることは成熟に通じる
・求めるより与えることで満たされる
・どのような境遇の中でも、心を開ければ必ず何かしら感動することはある
それを丹念に拾い上げ、味わい、そして多くを望まなければ、これを味わっただけでまあ、生まれないよりはましだった、と思えるものである
・私は何でもすぐ「そんなことでは、人は死なない」と言うのが癖になった
「少しぐらいゴミがあっても死なない」
「少しぐらい食べなくても死なない」
「少しぐらい汚くて死なない」
・不運は簡単にやって来るが、幸運は当てにならない
■自由になるための究極の選択
・最終的な幸せは「考えて行動する」ことにかかっている
・報われなくてもやろう、と思う時に悲惨な現実を超える
・誰かに理解されなかろうと、どんなふうに思われようと、庶民にとっては大したことないんです
自分がいいと信じることを、最終的には静かに命の尽きる時までやる
・片隅に生きるということはほんとうにすばらしいことなのだ
悪の影響は薄まり、思い上がるということなく済み、かつ、基本的な自由を謳歌できる
・したいことをするのが自由ではない
人間としてすべきことをするのが自由なのです
しかもすべきことを、気張ってやるのではなく、普通にさりげなくする
■あるがままのどこが悪い
・神は与えられた以上の能力を要求しない
できる時に励み、できなくなったら祝福に包まれて休めばいい
・たまたま自分が生まれ合わせた時代の、たまたまそこに居合わせた場所で、最善と尽くして生きればいいだけなのである
・どこでも死んでも同じである
故郷で死ねば何かいいことがあるというわけではない
・人生の理解という事を、おそらく、七、八十年かけてもなしえないままに人間は死ぬのである
東大に入るための勉強などというのは、学問でも教養でもない
それは恐らく勉強という名の職人芸なのである
目次
前書き
第1章 本音こそ人生の歓び
第2章 ままならぬ状況を生きる
第3章 「いい人」を今すぐやめなさい
第4章 あきらめる生き方
第5章 自由になるための究極の選択
第6章 あるがままのどこが悪い
出典著作一覧
ISBN:9784591162064
出版社:ポプラ社
判型:新書
ページ数:223ページ
定価:800円(本体)
2019年01月22日第1刷発行 -
Posted by ブクログ
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曽野綾子さんの本読むたびにほんと大好きでファンになる。ほんと会いたいからファンイベやらないかな。書籍サイン会とか。
曽野綾子
東京生れ。1954(昭和29)年聖心女子大学英文科卒業。同年発表の「遠来の客たち」が芥川賞候補となる。『木枯しの庭』『天上の青』『哀歌』『アバノの再会』『二月三十日』などの小説の他、確固たる人間観察に基づく、シリーズ「夜明けの新聞の匂い」などのエッセイも定評を得ている。他に新書『アラブの格言』などがある。1979年ローマ法王よりヴァチカン有功十字勲章を受ける。1993(平成5)年日本藝術院賞・恩賜賞受賞。1995年12月から2005年6月まで日本財団会長。
だから私は昔から、フェミニズムというものにほとんど関心がなかった。もともと違うのだから、補い合えばいいのだ。競い合い同等になる、という発想の方がおかしい。フェミニズムという言葉は女性解放、男女同権主義などと訳されている。しかし、すべての女性が、解放されなければならなかった存在だとは私は思わない。いわゆる形ばかりの解放など全く望んでいなかった人もいるし、封建的家族の中で暮らしていても、男性より偉かった女性の存在は昔からあったのだ。 確かに、農業や漁業に携わる人々の社会では、夫婦に子供が生まれると、男の子は高校にやらないでもないが、女の子にはその必要がないという空気がなくもなかった時代がある。私の父は、東京の下町に生まれたが、次男であった。家業は長男が継ぎ、次男の父が家を出ていく決まりになっていた。それで面白いことに、長男は旧制の中学を出ただけで充分とされたが、次男である父は大学にやってもらえたのである。しかし、兄弟平等などという思想は全くなかったらしく、私から見ると本家の伯父にあたる人はいつもおっとりと床の間の前に座っていたが、次男だった父は、中学生の時から毎日家中のランプのホヤの掃除をするという任務があったという。私は後年、アフリカの田舎の修道院でランプの生活をさせられた時、性懲りもなく、触れてはいけないランプの熱いホヤの部分に手を触れて火傷が絶えなかった。その時、父のこのランプ掃除の話を思い出したものである。
地方の家庭には、そういうわけで高等教育を受けなかった女性がたくさんいた。確かにその人々の一部は、結婚した後も男性と同等の生活をしていたとは思われない。お父ちゃん達は農閑期にバスを連ねて熱海の温泉へ行くが、お母ちゃん達は置いてけぼりだったという時代が長くあったという事を私は知っている。 しかし、そのような不平等を彼女達は賢く楽しんでいた。つまり、煩わしいお父ちゃん達のご飯の支度をしなくていい数日の留守の間は、お母ちゃん達にとってけっこうな休日だったのである。
もっともこの当時聞いた話で私が許せなかったのは、お父ちゃん達は少し体が悪いとすぐに医者に行くくせに、お母ちゃん達が歯が痛いと言っても歯医者にかからせてもらえないというものだった。そんな風にして大切な家族を冷遇して、どういう良い事があるのだろうと私は腹を立てたのである。
一方女性の場合、何が力かというと、育むということだと私は思っている。直接子供を産むという行為もあるが、自分の子供だけでなく、あらゆる生命に対して慈母のような行動を取れることを私は女性の力だと感じている。 何度か書いた事があるのだが、或る時私は、南米のボリビアという国の田舎町で、日本人の神父が手助けしている結核患者の収容施設に行ったことがある。患者達の九割は、本来はアンデスの山地で暮らしていたのだが、働く場所のない山にいてはどうにもならないので、お金欲しさに町へ下りて来た人達である。ところがそこにも、半端な仕事しかなく、それも恒久的に働いて収入があるというものでもない。やがて彼らは安い酒を飲んで、荒れた生活をするようになる。酒を買うので、食べものもまともに買えない。怪し気な街の女と深い関係になり、国元に残してきた家族とは連絡も取れない。もしかしたら字も書けない人たちなのである。無論、ケータイなどというものを持てるはずもない。
五十歳を過ぎてから、私は度々アフリカへ行くようになったが、気楽に知人を誘うこともあった。私は、六十四歳から七十三歳まで会長を務めていた日本財団(当時の日本船舶振興会)の企画で、そうした途上国に行くことも多かったが、外部から自費で参加したいという人を同行させることは拒否しなかった。新聞社やテレビ局だけでなく、私の知人の出版社の編集者を誘うこともあった。 すると主に女性からだが、質問を受けることもあった。「怖くないですか?」「危険はありませんか?」「暑くないですか?」「マラリアはないんですか?」「テロはないんでしょうね?」 答えはほぼ同じようなものであった。「まあ、怖くはないでしょうね」「危険はありますよ」「暑いですよ」「絶対にないとは言えませんね」「テロはねぇ……まあね……」 それらの災害にあまり遭うことはないと思うから、私はこういう旅の企画を立てていたのだ。しかし、全くないとは誰も保証できない。それらの僅かな危険を覚悟し、それに備えるような必要性のある旅だからこそ、私にとっては学ぶことが多かったのである。マスコミ風に言えば、それだからこそ、彼らも他社の記者には書けない記事が書けるはずである。 しかし私の誘った女性たちの多くは、危険を冒すことを嫌がった。
男性でもほとんどのイスラム圏の国ではお酒が飲めない、ということだけで断った人もいた。いや、本音は私と行くのが嫌だったのかもしれないが……。 しかし多くの男性たちは、仕事のためには仕方なく、暑さも食事のまずさも、生活上の不便も耐えしのぶ。それらの代償を払わなければ、何一つ手に入らないことを知っているのである。 私は根っからの男女同権好きである。だから女性にも、この原則を覚悟してほしいのである。
二〇一七年二月、夫が亡くなった。一人暮らしを始めて、まだ一年半ほどしか経っていない。もっとも、私の場合、一人暮らしと言っても、昼は秘書が雑用をしに来てくれ、夕方からはお手伝いの女性とお喋りする時間もある。それから、並べて書くのはいけないのだが、今うちには「直助」と「雪」という牡と牝の猫がいる。私は時々「雪」を抱いて寝ている。「雪」が真夜中近く、私のベッドに勝手に飛び込んで来ると、そのまま眠っているからだ。
私の生涯の道楽は、旅行だった。行った土地について首尾よく作品に書くことになれば「取材旅行」、行ってはみたけれどどうも……ということになれば、遊びだったと思えばいいし、事実私はこの二種類の言い訳を、けっこう上手に、狡く使い分けていた。 私が最も贅沢をしたのはサハラ砂漠の縦断だった。来る日も来る日も何一つ景色に変化がない。そして人家一軒見当たらない。全く水がないから、住んでいる人は一人もいないのだ。そうした文字通りの砂漠を含む三千キロあまりを、四輪駆動の機能を持った車二台で走ったのである。ガソリンスタンドもないから燃料はすべて自分で持っている。燃料が切れれば、最悪の場合、死ぬ他はない。 その話をすると多くの人が、「そんな退屈で危険なドライブをするくらいなら、ヨーロッパ一周をした方がいいじゃない」と言うのである。全くその通りだし、砂漠の縦断は、車輛まで特殊仕様にしなければならなかったから、レンタカーでかなり贅沢にヨーロッパ一周をするより、お金がかかった。 しかし、数百キロの彼方まで、一人として人の住まない空間というものを、我々はなかなか体験できない。人のいない空間の主は、当然人間ではなくなり、昼は風と砂の、夜は星と暗い砂丘の支配する世界になる。これは、それまで私が見たこともないような夢幻的な空間であった。満月の夜、あまりの月の眩しさに、野営をしている私は、航空会社がくれたアイマスクをしなければ眠れなかった。そしてこういう月光を受けて眠る夜を過ごしただけで、私は「生きるに値した人生を生きた」と言えるし、納得して死ねるだろう、と思ったのである。 現世の物質的な贅沢が好きな人は、こんなもののために私が、当時なけなしの貯金をはたいたということが信じられないだろう。 しかし私は、砂漠の夜の途方もない空漠なる地表と、あまりにも壮麗な夜空を見られたことを、この上ない贅沢だと感じたのだ。その手つかずの地球の素顔のために、私は自分の時間と、いささかの危険とお金を捧げても悔いない、と思ったのだ。
私は、大手の種苗屋さんが集めたガーデニング愛好家グループの会員になっているので、年に数回カタログも送られて来るのだが、そこには今年の「新製品」のような頁もある。「今年の新しい種と苗」である。新製品の創出の仕方を私は知らないが、望ましい特性を持った果物や野菜の種をかけ合わせて、新果物や新野菜を創るのだろう。小説を書くのもいいが、新しい野菜を創るのも楽しかっただろうなあ、と私は最近心が揺れている。
つまり大学で英文学などは学ばずに、農学部に行けばよかった、と少し後悔しているのである。学問は、実生活で役に立たないものほどいい、という人もいる。だから小説家になると決めていた私は逆に文学とは関係ないはずの法科に行ってもよかったのだ。小説を書くのにすぐ役に立つと思われる文学部ほど、実は小説の役に立たないものはなかった。皮肉なことに法学部出身者くらいしか読む必要のない特殊な月刊誌には、必ず短篇の種が二つや三つは判例として掲載されているのだ。それで私はその雑誌を取るのをやめた。その雑誌に頼っていると、あまりにも安易に小説を書けそうに思えたからだ。
「犬と飼い主は似ますね。うちの犬は水をひっくり返す。妻もよくバケツをひっくり返すんです。防火用のバケツは一年中同じ所に置いてあるんですけどね」 会ったばかりの人に、こういう他愛のない妻の悪口を言う人ほど、多くの場合、夫婦仲は円満だ。
会話力は、その人が過去どれだけ本を読んだか、いい友人を持っているか、普段の何気ない時でもしっかりと眼を開けて周囲を見ているか、というような姿勢にかかってくる。会話力は、全人生の結果なのだ。だから「付け焼き刃」ではできない。入試と違うのだから、別にそのための努力などしなくていいのだが、普段の生き方は大きく物を言う。 会話力を持つ人は、それだけで自分の他の特徴を消してしまう。その人が善人かどうかも、親戚に実力者がいるかどうかも、問題でなくなる。荒野で堂々と咲くアザミの花がみごとなようなものである。 荒野には風も吹き抜ける。家の中や温室とは違う。足許を野獣や野猫が踏んで通る。冬には雪も積もる土地である。しかしその中でアザミはのびのびと咲くのである。 会話力は、耐える力であり、観察力のたまものでもあろう。その二つの力さえ持っていれば、そしてさらに三つ目のものとして慎ましい気持ちを持って、絶えず周囲から学ぼうとする姿勢を崩さなければ、誰にでも必ず備わる才能のようにも思う。そしてその人の魅力を示す指数は、九割方、会話力にかかっているのである。
私はもう年をとっているし、世間でいう社交のような付き合いをする必要がなくなっているのだが、若い時からかなり人付き合いが悪い人間だった。ほうれん草が嫌いという人がいるように、大した理由もなく、社交というものが好きではなかったのである。
ところで、私の友達は幼稚園時代からの知り合いばかりである。私は幼稚園から大学まで一貫校に通った。受験してみても他所の学校には受からないのは明白だったので、そんな努力もしなかったのである。おかげで青春時代は受験地獄も知らずにのびのびと過ごした。幼稚園時代からの友達というのは、つまり、十七年を共に過ごした人達である。或る時知人の男性に、財界の某有名人の奥さんと私は十七年間同じ学校でしたと言ったら、煩悶したような表情を浮かべて、「とすると、お二人はどこかで留年なさったとか、大学受験に失敗なさったとかそういうことですか?」と言われた。私はその人の計算の素早さに感嘆した。私は単純な足し算でもこんなに早くはできないのである。私が「私達は幼稚園からの同級生なので十七年間です」と言ったら、その人はなるほどと納得してくれた。
私がこの世でかなり嫌いなものの一つが、噂話である。それは九十パーセント以上の確率で、間違った話を伝えているからである。 私は作家になった後、度々インタビューを受けた。初めは有名雑誌の編集者や全国紙の新聞記者が来るのだから、話したことを正しく書いてくれるのだろうと思っていた。ところが、でき上がった記事は実に滅茶苦茶なのである。私は早々にその事実を知ったので「インタビューは、私が喋った部分だけは手を入れる事をご承認くださるならお受けいたします」と言うようになった。予め頼んでおけば、大体の新聞社や雑誌社は今ではこのルールを受け入れてくれる。頭から拒否しているのは日本経済新聞だけだから、私は日経のインタビューは受けない。
私はだいぶ前からアラブ諸国へ出入りしていたので、その時に格言の本を買ってきていて、あまりに面白いので気に入ったところに赤線を引いてあった。改めて読み直さなくても、アラブの人達はつくづく賢いと思う言葉を既に選んであったのである。それを集めて一つ一つの言葉に私が解説を付け加え、感想を述べ、夜になると私がさっさと寝てしまった後で、編集者の女性達が東京の本社とメールでやりとりをして編集をしたのだ。 その格言集の中に、「賢い人は見た事を喋り、愚かな者は聞いた事を喋る」 というのがあって、別にアメリカがサダム・フセインをやっつけるために侵攻した事実とは何の関係もないのだけれど、私はこの格言が面白くてたまらなかった。
学歴もあり賢くて常識のある多くの人達が、この愚か者のやり方で暮らしているのである。「何とかだそうだ」というようなニュースの捉え方は、時間の無駄遣いそのものと言っていい。そしてまた、そのような会話しかしない人達を私達は陰で密かに「放送局」と呼び、用心してその人達には何一つ語らないようにしている。『アラブの格言』に出てくる賢い人達の多くは遊牧民で、大学に行ったわけでもないし、哲学を学んだわけでもないだろう。しかし、彼らは羊を追って、オアシスからオアシスへ荒れ野を移動するうちに、人生の真実というものはいかにして手に入れるべきかという事を知ったに違いない。
私が運転免許を取ったのは、一九五五年(24歳の時)で、当時はもう女性で車を運転するのはごく当たり前になっていた、と私は思っているのだが、夫の美人の従妹などは、ポンティアックなどという大きな外車を運転し、多分嫌がらせだったのだろう、トラックの運転手さんに「おい、ねえちゃん」などと高い窓越しにからかわれて随分不愉快な思いをしたというような話をしていた。その程度に女性ドライバーというものが珍しい時代だったのである。
いつの時代から、女性が結婚しても、子供ができても、世間の中で働く人が増えたということになったか考えてみると、恐らく、戦争が終わって十年ぐらい後のことであろう。
少しキザな言い方になるが、私たちは仕事を通して人生を語り合ったのだ。もちろん大げさな話ではなく、現場に立つことの現実を話し合う時、その方の仕事と私の仕事との接点が、自然な形で結びついたのである。 私の実感ではそういう意味で、男女の差別も職業の貴賤もない。世の中になくていい仕事はないのである。総理大臣は、パン屋さんより通俗的・社会的地位や収入は上かもしれないが、パン屋さんやお米屋さん、さらにお米や小麦を作る人がいなかったら、総理大臣がいないより困る。
私が相手について知りたいのは履歴であって肩書きではなかった。その人自身が、生涯を通して主に関わって来た仕事を通じて身につけた技術や、体験して来た「物語」であった。本職のかたわらお料理もするとか、ピアノを教えているとか、山登りの趣味がある、というような日常的なこともあれば、銀行の業務の実態、土木技術の苦労話、大学の先生の学生に対する見方、などというような人生の断片を、部外者の私にも聞かせてくれるのは、実にありがたいことだった。そういう生活を続けていると、私は自分の人生以外の分野の「物知り」になれた。もちろん本物の体験者ではない。私はたくさんのニュースの背後に関して、少しだけ多く知っていたので、本質を深く味わう事ができるようになっていた。
マリー・アントワネットが権力の最盛期にあった時、小さな幸せを求めて、ヴェルサイユ宮殿の庭に「プチ・トリアノン」と呼ばれる離宮を好んだことは、その表れである。広い王宮は、権力欲に取りつかれた人たちの抗争の場で、温かくこぢんまりとした家族の幸福を支える場ではないのだろう。 スペインのマドリッドの王宮にも、最後に王室一家が立ち去っていく前に、別れを告げたという部屋があった。ガイドが教えてくれたのである。それは決して、大広間ではなかった。この広大な王宮の、どこにこんな小さな部屋が残されていたのかと思うくらいの、小部屋だった。そこで王家の人々は、何を語り合ったのだろう。
世の中には、その人の特性と全く関係ない状態を示すものがいくつかあって、附属的な部分に興味を示す人も多い。相手が、独身か、子持ちか、家族持ちかはまだ興味の対象として許せるとしても、その人の配偶者がどこの学校の出であるか、どういう家庭に育ったかは、その人の資質とは全く関係がない。 それより私にとって興味深いのは、その人が茶の湯が好きか、登山の愛好者か、音楽好きか、というような事である。それらがむしろその人の本質だからである。「お宅は立派なうちにお住みですから」「お宅のお嬢様は秀才だから〇〇大学にいるんですよ」「お宅だからあんな外車に乗れるんですよ。うちは国産車を買うのがやっとのことです」 というような言葉は女性の表現だ。しかし、それほど空虚で嫌らしい言葉はないかもしれない。人を褒めるつもりなら、もっとその人の本質を評価する言葉を使わねばならない。
私には生涯を通して付き合った女性の友達が沢山いる。 学校が小中高大学の一貫校で、しかも一学年一クラスに五十人ぐらいで、満六歳から二十二歳まで同じ友達と学校に通ったのである。 カトリックの信仰をもとに、修道女たちによって作られた学校だったので、当時は「修身」と呼ばれていた道徳の時間とは別に、信仰を教える時間もきっちりと確立されていた。噓をついてはいけません、とか、自分のことは自分でしなさい、とか、いつも神さまの視線の中で生かされています、とかいう程度だったが、幼いうちから人間の自然な本性に対して理想とすべき形があるということを知らされたのはありがたいことだった。そうでなければ、私たちは、無限に「日々と時代に流される生活」をすることになったであろう。
「日本は男女同権です」という日本語が、かなり前から、全く成り立たない社会ではなかったのだ。お父さんが絶対の権限を持っているように見えながら、実はお母さんが家政全体を取り仕切っていたりする例はいくらでもあった。ことに日本の家庭では、主婦が財布の実権を握っている例がほとんどだ。稼いで来るのはお父さんなのに、お父さんはお母さんの顔色を見ながら、小遣いをもらう。不満がないわけでもないだろうが、「致し方ない、まあそんなものか」と納得しているのである。
フェミニズム運動の下に、女性が自分から差別しようとしていることも実に多かった。私は時々、シンポジウムとか講演会に呼び出されることもあったが、その場合にも「女性のための」とか「女性だけの」とかいう制約を自ら作っているグループがちょくちょくあった。そして、「聴衆も女性に限っています」などと思いつきのようなことを言う。その度に、私は頑固に、「そんな差別をするところの講演は引き受けません」と言い張った。今考えると幼稚な抵抗だが、私は当時は本気だった。
最近は、SNSで使われる用語には通じていても、母国語に「達者」ではない人が多いという。手紙一本、日本語で書けない人もいるという。優れた言語の使い手になるには、まずはたくさんの本を読み、日本語でたくさん書くことしかない。
第一は日本には、働くことが義務ではなく、趣味のように楽しいと思っている人が結構いるということである。 たとえば私はごく最近、ハワイにある米軍の中央鑑識所で、一片の骨からこれが誰のものかを科学的に割り出していく特殊な方法を開発された古江忠雄先生のラボラトリーにいたのだが、先生はアメリカ人の職員が帰ってしまったあとでも残って、遺骨を相手に調べものをしていられる。朝鮮戦争、ベトナム戦争だけでなく、また第二次大戦中の戦死者の遺骨もニューギニアなどから蒐集してきて、その骨が誰のものかはっきりと鑑別し、たとえそれがお骨一本でもきちんとお棺に納めて、陸海空三軍の栄誉礼をもって送り返す。死者にたいする愛がなければできない仕事である。 ところが或る日、二世の運転手さんが「残業」を済ませた先生を迎えにきた。「こんなにたくさん働くと、お金ようけもらえるでしょう」 と言う。「いくら働いても同じよ。僕はただ気になっている問題を、なんとかして解決してやろうというのが楽しくて、勝手に残業してるんですよ」 二世さんはどうしてもわからない様子であった。 もちろん、世の中には、決まりだけ働くという人もたくさんいる。教師たちの中にも「人の為に働くということは、つまり資本主義に貢献するだけだ」という考えがあった。 しかし仕事というものは、それがいやいやの任務である場合と、楽しくてやっている場合とでは、その当人の幸福の度合いが全く違う。 仕事は、一部の日本人にとって生きる目的であり、生の実感なのである。
テニスや盆栽作りだけが趣味だなどと決めることはない。とにかく日本人の中には、仕事を楽しみに変え得る才能のある人が至るところにいる。これはよその国にあまり見られない特徴である。
日本人には常に人の立場を思うという習慣が色濃くある。世界中を歩いてみてこの点がないことに、私はいつも新鮮な驚きを覚える。地球上のほとんどの人々は自分を主張するだけだ。自分のことしか考えない人間というのは、つまり幼児性を残している。勿論この手の人は日本にも学歴のあるなしにかかわらずいるが、ほかの国はもっともっとひどい。 -
Posted by ブクログ
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色んな国に旅したいと思ったきっかけが高校生の時に曽野綾子さんが新疆ウイグル自治区とか中国大陸を20日間旅したり、アラブ世界をたくさん旅したりしてるのを読んだことがきっかけだったの思い出した。曽野綾子さんのサイン会とか行きたい。
曽野綾子
東京生れ。1954(昭和29)年聖心女子大学英文科卒業。同年発表の「遠来の客たち」が芥川賞候補となる。『木枯しの庭』『天上の青』『哀歌』『アバノの再会』『二月三十日』などの小説の他、確固たる人間観察に基づく、シリーズ「夜明けの新聞の匂い」などのエッセイも定評を得ている。他に新書『アラブの格言』などがある。1979年ローマ法王よりヴァチカン有功十字勲章を受ける。1993(平成5)年日本藝術院賞・恩賜賞受賞。1995年12月から2005年6月まで日本財団会長。
そのような成長期に、特に勉強が好きでもなく、怠けるのもかなり好きだった私にとっては、好きでもない教科を学ぶことは苦痛だった。しかし私は、好きなことにはのめり込んだ。私の場合、小説家になろうと思ったのが小学校六年生の時だから、それ以来、私は学校の勉強など最低限に 留めてお茶を濁し、暇さえあればいつも何か書いていたのである。
しかしそれだから、武道を習おうとしたことが全く無駄だったのではない。自分にはこんな方法では解決にならない、と思った時、その子は敢然と 苛められ続ける境地に甘んじるようになったりする。しかしそれは、以前と同じ心理で苛められ続けていることではない。すでにその子は別な方途で対処の道を発見したのだ。自分にはどうしてもできないこと、どうしても嫌いなことがある、ということを発見するのは、偉大な幸運なのである。 人はあらゆる場所と状況から学ぶ。積極的に選んで学ぶこともしばしばあるが、いやいややったり、逃げ出したりしたいほど辛い状況の中からも学ぶ。その度に自分の道はこれしかない、という選択が見えてくる。
人は教会からも女郎屋からも学ぶ。激しいスポーツからも怠惰な昼寝の時間からも何かを感じ取る。学校が知識のみを教える場所であり続けたら、むしろ異常なのだ。
私は今「ディスカバリーチャンネル」(一七〇カ国以上で放送されている世界最大のドキュメンタリーチャンネル) というテレビの番組に 淫している。本でだったらわざわざ木星とはいかなる星か、などという知識を得ようと思わないが、「ディスカバリーチャンネル」の番組でやっていると、つい最後まで見て、木星についての知識を得たような気分になってしまう。 しかし人間は、知識だけでは決して人間にならない。学校は学力や知識を身につけると同時に、徳育をするところなのだ。そこが塾と明らかに違う点だろう。
私は、人間の強欲と利己主義を、かなりはっきりと容認している。それが人間の本性だからだ。ものをもらえば百人のうち九十五人くらいが嬉しがることになっているから、贈り物をするという制度が生まれ、 贈賄 とか、汚職とかいう行為にまで発展する。それで当たり前なのだ。
そんな心理的な余裕などあるはずがない、という人のために、少し解説を加えれば、私たち夫婦は共にカトリックであった。人生は「仮の旅路」で間もなく終わる。 位 人臣 を極めても、生涯はぐれもので終わっても、神の眼から見てその生き方に必然さえあれば、それはそれなりに完結した人生であった。よい人にもどこかにおかしなところがあり、悪い人にもどこかにいい香りのする点があるであろう。そういう思いがどこかにあるから、何でも笑えるところがあった。この一瞬が大事なのである。
第一が中国報道の偏向である。中国に関しては少しでも批判的な記事を書いてはいけない、という姿勢がまず前提にあった。毎日だけではない。いわゆる「朝毎読」の三紙に東京新聞などのブロック紙までが同調して、戦争中の大本営発表のような完璧な思想統制記事網が長い年月張りめぐらされたのが実態であった。
中国にはハエがいない、ということになると、中国にだってハエはいる、という文章も拒否されるか、少なくとも敬遠された。「毛沢東の中国は、たくさんの人を粛清し、厳しい思想弾圧をし続けた」ということは、日本のマスコミ人が生命をかけて報道しなければならなかったことではないのか。しかし「朝毎読」の三紙は、決してそのことに触れようともせず、中国礼賛記事を書き続け、中国に 尻尾 を振った。そしてそのことに関して、新聞がその大きな責任を謝罪した記事を私は読んだ覚えもない。
そのような日本人の根性を見据えて、中国は、日本は「押せば引く国」と見るようになったのだろう、と私ならずとも多くの人が思っている。私が中国人でも押せば引く相手なら押すだろう、と思うからだ。だから現在も続いている中国との関係の不愉快な部分を許した「大きな功績」の一部は、新聞社にもあったのである。
第二次世界大戦が帝国主義戦争だということはほんとうだが、戦後教育は、ベルリンの壁崩壊で社会主義がいかに非人間的であったかを有無を言わさず見せつけられるまで、明らかに左翼偏向だった。あれだけの社会主義の悪を新聞はその時点で報道しなかったし、それを反省しないのも、「過去に学ぶことなく、反省もしない傲慢なこの史観が、社会科学として成り立たないことは明らかだ」と、今松氏の言葉をそっくり繰り返すことで説明しなければならない状態である。
私は東京に生まれ、東京に育ち、東京で仕事をし続けた 生粋 の東京人である。戦争中に疎開した十ヵ月を除いて、他の地で暮らしたこともない。その体験から、と限定して、私は東京で生まれた子供たちは、被差別部落の存在というものを知らないし、それ以後も日常の意識にない、と書いた。
その署名原稿を掲載できないと拒否したのは『サンデー毎日』であったのだ。はっきり言っておくが、私は「差別をしよう」とか「差別をして楽しかった」と書いたのではない。私の育った東京という土地には「差別意識が全くと言っていいほどなかった」という意味のことを書いただけなのに、それがいけない、と言うのである。私は原稿の書き直しを命じられたが、私の実体験を毎日新聞の言う通りに直すことはできないので、この連載は打ち切りになった。
すべてとは決して言わないが、私と同じように被差別部落のことに関して体験も知識もなく育った東京人は、私の周囲にいくらでもいる。つまり一年中、ごく自然に部落問題は私たちの日常会話や意識に全くゼロと言っていいほど登場しないのだ。
とにかく東京の日常生活では(他の地方と違って)、そんなことを意識している暇がないのである。東京はまず出稼ぎ人の町だし、徹底した能力主義社会を採用している土地で、出身地や家柄や先祖やそうしたものが意識に上らない個人主義の土地なのである。それにもまた弊害はあるが……。
英国の女王も歴代首相も、イギリスやヨーロッパは大きな貢献をしたと暗に歴史を自負するようなことは言ったが、過去の植民地化を謝罪したことなどない。
毎日新聞社だけではない。誰もが皆謝れない理由があるのだろう。私自身は日本の帝国主義化を謝るような立派な立場にいないが、しいて謝らない理由を考えてみれば、二つある。 第一は、他人の犯した罪は、私のキリスト教解釈では、代わって謝ることはできない、ということである。もしそれができるなら、自分の犯した罪を他人に謝らせることもできることになる。 第二は、完全なる悪も、完全なる善もこの世にはありえない、と考えているからである。植民地化は、今やいかなる角度から考えても望ましいものではない。しかし植民地時代の中にも立派に意味のあるよきことは、部分的に存在したし、植民地を脱した現在のアフリカで、植民地時代にはありえないような残虐が発生していることも事実である。つまりこうなったらすべてがよくて、ああなったらすべてがよくないのだ、という言い方はしてはならないものだ、と思う。
プラス面しか教えないことが人間を幼稚にさせる
「皆いい子」とは何事だろう。最近のDNAの発見は、さまざまな要素を持つ人間がいることを解明した。恐らく今に、殺人を楽しむDNA、残虐さに快感を覚えるDNA、癌のDNA、自閉症のDNA、 詐欺 をするDNA、不妊のDNA、集団を恐れるDNA、高い山に登りたがるDNA、賭け事に夢中になるDNAなどが、続々と解明されるかもしれない。もっと想像すると、だんだんマンガチックになるから 止めるけれど、それらが、「皆いい子」などという言葉の持つノーテンキな 似非 ヒューマニズムとはいかに縁遠い重々しい人間性と結びついているかを感じるだろう。
二〇〇一年の夏、私は 新疆ウイグル自治区というところまで長い気楽な旅をした。何しろ上海空港までは飛行機で着いたのだが、それから二十二日間、一万六千キロに及ぶ中国大陸の旅はすべて列車かバスで移動したのである。二十二日間もの旅と聞いて、まず皆は 呆れ、「そんな長い旅はヒマ人じゃなきゃできないよ」とアイソを尽かし、そのくせ、費用が二十六万円と聞くと、「それならボクも行けばよかったな」と浅ましいものであった。
この旅行の企画者は私の息子で、当時、関西の尼崎にある英知大学という私大で教えていた。彼はこれまでにも研修の目的で、あまり人の行かない土地へ学生を連れて出かけていたそうで、離れて暮らしている私はおぼろげにそういう旅行をしているとは聞いていたのだが、今まであまり実感がなかった。今度誘ってくれたのは、私たち夫婦がもう 僻地 に行ける限度の年齢と思ったのかもしれないし、安いツアーを成立させるための 員数 合わせに使ったのかもしれない。いずれにせよ、私たちにすれば、学生さんたちといっしょの旅行をさせてもらえて、大変楽しかったのである。
息子はそれから少しずつ学生たちの訓練の目的を話した。旅の第一の目的は、当然のことながらその土地を知ることにある。その土地のものを食べるのもその一つの手段だ。だから、学生には自由に 嗜好品 を持ってくることを許していない。
それでも私は息子の言いつけに背いて、少量の違反食品を荷物の中に隠し持った。レトルトのご飯、梅干、インスタント味噌汁、 海苔、 佃煮、などである。私にも言い訳はある。私は別にこれらのものを自分が食べたかったのではない。しかし今まで旅行の途中、 食中りをしたり、肝臓が悪くなったりした人は、現地の食事を全く受けつけなくなるのである。そういう時、少量の日本食で危機が救われることもあり得るかと考えたのである。 しかし旅をしていると、次第に私は息子の意図も、のびやかな学生さんたちの反応も、過不足なく感じられるようになってきた。
オサマのような最高指導者や幹部の暮らしは特別だろう。彼らの潜む 洞窟 や隠れ家には、もちろん発電機によって電気もある。オサマ・ビン・ラディンという人物はけっこうな見栄っぱりだから、革の背表紙をつけた文学書か哲学書の並んだ書棚の前で写真に写るのだ。しかしその本は、全く読まれた形跡がない。私の持っている全集は、巻によっては背表紙の字も消えかかるほど読まれているが、全く開いたことがない巻もある。つまり背表紙の手ずれ方には差異があるのが自然だ。しかしオサマの背後の書架の本はどれもきれいに揃っている。その程度の暮らしが荒野の中でもできるのだ、と彼は示したいのだろう。
今回の研修旅行で、私たちは時々ガソリン・スタンドでトイレを使った。日本では見たこともない凄まじいトイレであった。深い穴が掘ってあって、その上に板が並べてあるだけのものである。だから穴の深さに恐れを抱く人もいるだろうし、中に落とされているものを眼にしなければならないことにたじろぐ人もいるだろう。
昔の中国のトイレは仕切りなし、ドアなしだったのである。それが今では、隣の人との間に腰までの高さの壁が作られているところが多くなった。トイレ専用の手洗いというものは今でもないが、ガソリン・スタンドにはどこかに洗車用の水があるので、私たちはぜいたくにも手を洗えたのである。
私がタリバンの「たった二つ」のぜいたくと思うのは、野外のトイレと、恐らく夏だけに許される満天の星空の下で眠ることである。日本で戸外に寝ようとすれば、夜露が多いから、服も掛物もしとどに濡れて、とても寒くて寝られない。
しかし少なくとも私はまだその手の「自由」を楽しむ境地に達していない。モンゴルの冬は、生のバラの花がそのまま凍るという。そうでなくても、雨が降ったり、風が吹いたりする中で、必ずゲルの外へ出て行ってトイレをしなければならない、ということは、私にとっては自由どころか、一つの大きな心理的負担だ。仮に、携帯便器を使うとしても、それはそれなりに衛生面で抵抗がある。こうした心理的負担を私たちは「不便」というのである。
実にこうした教養人が驚くほど少なくなったのは、皆が本を読まなくなったからなのだ。大人たちが若者と時代に迎合して、今はテレビで充分な知識を得る時代だ、コンピュータゲームをいけないと言うのはものわかりが悪い証拠だ、インターネットとEメールは全く便利でこれを使わなければ人間ではないというのもほんとうだ、などと調子よく 相槌 を打った結果である。つまり大人は子供にそういう形で 迎合 し 媚 を売ったのだ。
インターネットが便利なのはわかる。しかしその知識はまことに 浅薄 な範囲だ。一年経ったら古くなる知識も多い。そうでなければ、せいぜいで百科大事典に書いてある程度の知識だ。誰でもが簡単に手に入れられ、使える程度の知識は、何の特徴にも専門にもならない。もっと下品な言い方をすれば、それに対して世間は特別な対価を払おうとはしないのである。ハッカーの行為は悪いものだが、コンピュータでもハッカーになれるくらいの才能がなければ、専門家ではない。そしてコンピュータに関してそんな特異な才能を持つ人は、世間にほとんどいないのである。
だから私たちは本を読まなければならない。テレビだけではダメなのだぞ、テレビとコンピュータだけで生きていたら、その人は決して指導者にも専門家にもなれないのだぞ、と親も教師も言わなかった責任は大きい。 言わなくてもいいのだ。模範を示す、というやり方がある。しかし今の教師は教師自身が本を読んでいない。忙し過ぎるからだろうと同情はしてはいるが、教師が毎日一言でも、自分が読んだおもしろい本の話をしてやれれば、生徒たちは読書の魅力を察するのである。
その点、科学も、哲学も、文学も、間違いない。どんな本を読んだらいいのでしょう、と聞く人がいるが、本屋でページを 捲ってみて「おや」とか「ふうん」と思う本だったら買えばいいのである。こういう小さな感動を覚えることを「(心の) 琴線 に触れる」と言い、間違いなく人間の心の 所業 である。
今、教師と親ははっきりと「テレビゲームとマンガ本だけじゃバカになる。本を読みなさい。本も読まないようなのは人間じゃない」と言うべき時にきている。読書の時間を作っている学校は、学級が荒れなくなり、子供たちも静寂と沈黙に耐えられるようになっているという。彼らは初めて考え、話す種を持ち、その結果として猿ではなくなるのである。
最近、家庭というものがなくなった。子供は家へ帰っても、アルバイトに出ているお母さんはまだ帰っていなくて、鍵っ子になる。お父さんの帰りも遅い。ご飯の時には、母も子もテレビを見ているから、お互いの会話はない。朝も、子供が一人で起き、何も食べずに出て行く家も多いという。食事にしても、昔は一家が同じものを食べた。朝はご飯に味噌汁、梅干に佃煮。他にチョイスがなかったのである。しかし今の子供たちは、食べたいものがバラバラな上、他の人に合わせる、ということもしない。
お互いに相手の存在を意識して暮らすことは幸福か不幸かと言えば、そのどちらでもある。中国にも、マレーシアにも、インドネシアにも、大家族が一つ屋根の下に暮らす生活がある。私が会ったエジプト人のガイドは自分の家に連れて行ってくれたが(それが噓でなければ) ちょっとしたマンションほどもある集合住宅であった。そこには一族八十人ほどがいっしょに住んでいるという。庭は荒れた公園のようで、子供たちが二十人近く遊んでいた。皆、彼の 甥 や 姪 や 従兄弟 の子供たちである。
イスラム教徒は四人まで妻を持つことができるから、こんな大家族システムでなくても、二十人くらいの家族になることは珍しくない。四人まで妻がいることは社会的にも納得しているはずだが、やはり妻たちは夫がもう一人妻を 娶るとなると決して心中穏やかではないという。イスラムの婦人が不定愁訴で診察を受けにきたので、よくよく聞いてみると「今日は夫の結婚式です」というケースがあった、と日本人の医師が話してくれた。 大勢で暮らせば寂しくない。その代わりに妬み、不満、反感などがいつも家の中に渦巻いている。しかしそういう中で、人は究極の人間学を学ぶだろう。
勉強などというものは、資質を育てるほんの一つの手段でしかないのに、親はそれが全部であるかのように思って、勉強させることにだけ精力を注ぐ。お勉強のためなら、いい部屋を作り、家事の手伝いは一切させず、勉強をしてもらう代わりに子供が欲しいものは見返りに買ってやることになる。子供は親のために勉強してやっている、ということをちゃんと知っているのである。
しかし本来、勉強などというものは恩にきせてやるものではない。望んでさせていただくものである。世界には勉強したくても貧しいので、畑を手伝ったり、羊の番をしなければならない子供たちもたくさんいることを、親も実感しないし、子供に話してもやらないから、子供は自分の置かれているぜいたくな境遇を理解できないのである。
ほんとうは義務どころではない。私は大人の食卓に加えてもらったことで、どれだけ人生を学んだか知れない。耳学問は得になった。ただで、大学の講義以上におもしろい知恵を身につけさせてもらえたのである。
話してくれる人は別に知識人でなくてもいいのだ。いわゆる知的な職場にいる人ではなくても、それゆえにこそ、むしろ重厚な人生を語ってくれることも多い。熊に遭遇したり、 雪崩 に巻き込まれたり、漁に出ていて 時化 に遭ったり、炭焼きの小屋で手伝いをしたりする話は、多くの子供にとって未知の世界だから、胸を 轟かせて聞くはずだ。そしてどこにもおもしろい生活はあるんだなあ、と思う。将来、大学の試験に失敗した時、こういう世界を知っているかどうかだけで、心に受ける圧迫の強さは違ってくるはずだ、と私は思う。世界は広いのだ、と私たちは早くから子供に知らせる義務がある。
今はまだ制約が多くてアパートやマンションで犬や猫を飼えるところが少ないのはかわいそうだが、動物を飼うということは、子供にとっていい刺激である。比べるのもおかしいことだが、昔は子供からみたら弟や妹を飼っていたのである。今は動物にその代役をさせねばならないほど、弟妹の数が少ない。
しかし犬にも猫にもそれなりに三百六十五日、雨が降っても、風が吹いても、してやらねばならないことがある。餌を与えることと、排泄物の掃除と、運動である。それは結構な仕事になる。子供が飼いたいと言い出したペットなら、親は子供に熱があるような日以外、その世話を代わってやってはいけない。生命に対する義務というものは、それほど有無を言わさぬものだ、ということを、身をもって感じさせるためである。
ロボット犬は、百パーセント人間のご都合に合わせられる。電池を切れば、 死骸 のようになる。ほんものの死骸ならほっておけば腐敗するから困るが、電池切れのロボット犬は、押し入れの隅に放り込んでおいても、別に不都合はない。気が向いた時だけかわいがり、面倒になったり飽きたりすれば捨てておけるというご都合主義の産物だから、子供の精神を荒廃させるのである。 最近、同級生の女性を引きずりこんで 同棲 し、面倒になると食事も与えず餓死させて平気だった男とその両親が逮捕された。こうした意識はロボット犬に対する精神の姿勢とそっくりである。
「金を儲けたかったら、本を読め!」
テレビゲームの悪をどうして人々はもっとはっきり言わないのだろう。あれは読書の時間を奪う。何より悪いのは、あそこでは、戦場で弾を撃たれても、生身の自分は決して傷つく心配がないことだ。崖からすべり落ちても、決して死なないことだ。
それともう一つ、私はテレビゲームに使う時間を読書に使った。今では、あまりにも人は精神や魂の肥料である読書をしなくなって、知識も精神もやせ細っているから、私はあえて次のように言いたいのだ。
「金を儲けたかったら、本を読め!」 「出世をしたかったら、本を読め!」 と。 もっともこんな言い方をしたら「下品な言い方ですなあ。しかしそれくらい 直截 に言わないと、世間はわからないかもしれませんなあ」と笑った人はいた。
今日からでも遅くない。自分を伸ばすために読書を始めて、そしていつかそのおかげで人生で「出世」できたと思った人は、私に手紙を書いてほしい。もっともその時、私が生きていたらの話だが……。
今は自分自身が何より大切で、社会も他人もそのことを認めて自分の希望を叶えるべきだ、と信じている子供や大人が珍しくない。こういう利己主義者は、個性が強いように見えるが、実は精神もひ弱で、個性も稀薄な、内容のない人物なのである。たった一人、その人らしい強烈な個性を育てたかったら、逆説めくが、他人の存在の真っ只中に常に自分をさらさなければならない。そしてある程度傷つかなければならない。 満身創痍 の人が強く、味わい深くなるのである。
これは教育がどこの国でも強制的であることを物語っている。モスク(イスラム寺院) で神に礼拝する時以外、イスラム教徒は床に座って頭を下げるということをしないようにしつけられて育つ。だから人間である夫の友達に、唯一神に対するのと同じ型の礼拝をすることなどとんでもないことだ。しかし日本人は誰にでも気安く頭を下げる。隣の人と道で会っても、他人の家で座敷に通されても、とにかく頭を下げて挨拶をする。どちらも強制された教育の結果だ。
私の母が私を道連れに自殺しようとしたのは、私が小学校高学年の時である。私は今でも母が死のうとした理由を正確には言えない。母といえども他人である。しかし母が死ぬほど結婚生活がいやだったということだけは確かであった。
今の私は態度が悪いから、死ななくても、さっさと離婚すればよかったのに、などと思う。父が意地悪をして、離婚すると言えば母に一円のお金もくれない。母は食べられないからガマンして結婚生活を続けていたのだ、といくら説明しても、今の人は「スーパーでバイトしたら?」「生活保護があるじゃないの」と言う。スーパーも生活保護も当時はなかったのである。もっとも当時はあって今はないものに乞食という生き方があった。橋の上や駅の構内に座って、 罐 詰 の空き缶に小銭を恵んでもらう人たちである。
私のほうが明らかに母より強いと思うのは、私は母と違って乞食ができる。母はそんなことをするより死んだほうがましだと思ったのに対して、私はそれを途方もない異常なこととか、みじめなこととか考えないだろう、と思える。 母が自殺を思い留まったのは、私が泣いて「生きていたい」と言ったからである。母は本気で死ぬつもりだったのかどうかもわからない。本気なら、その時までに、刃物で私を刺していたろうとも思うからだ。
犯罪はまだ犯していなくても、根性は確実に曲がっていると思っている。学校の先生でなくてよかった。教会の女性牧師さんでなくてよかった。由緒ある宿屋の 女将 さんでなくてよかった、と思うと、私は運命に感謝せずにいられない。こうした職種は、正しく、穏やかに、円満に、優雅に、何事にも耐えて、心のほころびなど見せてはならない立場である。
その証拠に、私は人を見るとすぐ悪く考える習性が残っていた。穏やかそうな顔をしているけれど、家では厳しい人なのではないだろうか。お金持ちらしいことを言ってはいるけれど、こういう人こそ借金だらけかもしれない。犬を可愛がっていて、犬の話をすると目尻が下がるけれど、世の中には犬には優しくても人には全く優しくない人というのもけっこういるものだ、などと思うのだ。
私は善意に溢れた人を、嫌うと言うより、やがて恐怖を抱くようになった。
結論を先に言わねばならないのだが、私は人の善意や厚意を元にした世間の美談に素直に喜べない性格になっていた。そしてそういう自分の性格に反射的に嫌悪を抱いてもいた。どうして私は偉い人や、心根のいい話にすぐ感心できないのだろう。いや感心しないことはないのだが、反射的にその出来事に含まれる裏の事情や、口には出されなかった部分を考えてしまうと、どうしても 一途 に話に酔うことができないのである。それが子供の時に家庭内で受けた心の傷の後遺症だろう、と自覚しているのである。
つまり私はもの心ついて以来、物事には裏があり、人には陰があると信じ、疑い深く見て、生きてきたのである。しかしその結果は信じがたいことだったが、私は人に裏切られたことがないのである。
仮に私が人からあらぬ疑いを掛けられたとする。釈明の機会を与えられれば、私は一生懸命弁解するだろうが、その機会も与えられないまま、先方が私を悪い奴だと信じたとする。すると私は「ああ、そういうこともあるだろうな」と諦めるのである。諦めることは私の得意中の得意であった。
もっともそんなことを言える大きな理由は、私が神を信じているからである。人にはわかってもらえなくても、神は「隠れたところにあって隠れたものを見ている」のだから、神にさえ知られていれば、それでいいような気もするのである。
私は二十三歳の時から、外国に旅行するようになった。最初の旅の時、東南アジアの某国に行こうとして、最初のつまずきを体験した。東京のその国の大使館は、作家としての私にヴィザを出せるかどうか身上調査をするためだと称して一万二千円を出させた。当時大学卒の初任給は一万円くらいだったから、今のお金の感覚に直せば、二十四万円くらいに当たるかもしれない。 それにもかかわらず、その国の駐日大使館は、その業務を全くやっていなかったことが後で判明したのである。シンガポールのその国の大使館に行けばヴィザを出せるようにしておくと言ったのに、シンガポールでは東京の大使館からは何の書類も廻ってきていない、とけんもほろろであった。つまり東京の大使館の領事部の男が一万二千円を着服したのである。
私はアラブの世界からも人間の生きる厳しい現実世界を教わった。少しくらい噓も裏切りも 詭弁 も 弄しなくては、生きていけない土地なのだ。
相手が、いい人でも正直な人でもないだろう、と反射的に思うことは、日本以外の土地では実に有効な身を守る手段であり、柔軟性でもあった。商売の上でも彼らは、吹っ掛けるだけ吹っ掛ける。それで騙されるほうが悪いのである。相手が騙されたら、吹っ掛けたほうの勝利だからだ。私はまず用心し、初めから相手を部分的にしか信ぜず、したがって裏切られても騙されても怒ることはなくなった。
私は中産階級の、両親が不仲な家庭に生まれた。だから私自身の性格も歪み、愛情がうまく育たない恐れもあった。しかしそうだとしても、それはそれで仕方がないだろう。愛情がうまく育たないのだったら、後から強引に見習って、いささか人為的にでもいいから、一見自然に見える程度に、愛情というものだって無理やりに育てればいいのである。 経済的中産階級というものは、すばらしいものである。それは絶対多数の心情を理解できるという点に偉大な凡庸さを見ているからである。もちろん世の中には、不運な人もいるが、私の感覚では、怠け者と見栄っ張りな人が、やはり貧乏していることが多かったように思う。
ある時、出発前に、自ら希望して加わった人の一人が正直に「僕には貧乏というものがどうしてもわかりません」と言ったことがあった。私はその言葉に好意を抱いたが、正直なところショックも受けた。「王族や、貴族や、富豪の生活はわかりません」というのなら、「そうですね。私も」と素直に同調できるのだが、貧乏がわからないというのは、どういうことだろう。このことについて、私は一つの答えらしいものを持ってはいる。つまりそういう人は、読書の絶対量が足りないのである。自分の専門に関係のある書物は読んでいても、明治以来の内外の文学は読んでいないのである。
小説は 無頼 な作家たちがいい気になって、ただ自分にこういうことがあったらどんなにいいだろうという甘い空想を書いたものだろう、などとバカにしているから、文学によって私たちが知り得た凄まじい現実を知らないのである。こういう人がけっこう東京大学法学部卒だということもある。
その上にあぐらをかくと、作家なら小説だけ書いていればいい、ということになりがちだ。実は小説というものは、けっこうきちんと調べて書くために手間暇をかけているのである。一つの小説を書くと、作家はその主人公の職業についてセミプロくらいの知識は持つほど勉強する。思いつきで書くようなものでは、プロの小説として通用しない。
信仰の領域を離れても、私がこういう 罵倒 を気にしないのは、仮に相手が失礼なことを言ったとしても、それは言われた私の問題というより(それに該当する要素を持ち合わせていることは多いが)、多くの場合、言ったほうの醜さを示すことになるからだ。
気の毒なことに、最近の日本の社会状況では、こんな簡単なことさえできない。テレビのタレントたちの日本語はめちゃくちゃ。代表的な新聞は、天皇皇后両陛下に対してさえ敬語を使用しないことが、あたかも人権と平等の精神を標榜しているかのようなことを言う。そして母親たちは、ほとんど本というものを読まないから、外見はブランドずくめのしゃれたみなりをしていても、喋る言葉は教養のないものになる。とても子供に敬語や謙譲語をしつける能力などない。
私は貧しいがゆえに信じられないほどの破壊的な行為を平気で行なうことができる人のことを、アフリカで散々見聞きした。スラムではレイプがひどく、殺す時にはタイヤを巻きつけるか、 喉 にガソリンを流し込んだ後で火をつける。殺すという行為の残酷さは同じだが、こういう残虐は、娯楽のない貧しさの中で、一つの楽しみとして生まれたのではないかと思うほどだ。
清貧という名のように、すんなりと欲のないままに生きていられるのは、とにかくその日どうやら食べられるものがあり(たとえご飯にメザシだけでも)、雨露を 凌ぐことのできる家に住んでいられるからである。そしてそのような状況を国民に与えられるのは、日本のように恵まれた豊かで自由な国家しかない。貧しい国では、決して清貧などという状態は出現しないものなのだ。
客観性を無視した人々は、しばしば政治や社会について歯切れのいい「反対運動」を展開する。新幹線、高速道路、原発、ダム、空港、老人ホーム、知恵遅れの子供たちの授産所、焼き場、感染症研究所、ゴミ廃棄所、汚水処理場、墓地、食肉処理場、刑務所。こうした施設を嫌い、その建設に絶対反対の運動をする人々は、こうした施設を差別したのである。それらは、学校、銀行、郵便局、警察署、議事堂、総理官邸、裁判所、卸売市場、などと同じ程度に大切なものであろうに。
第一、彼らは民主主義がいいなどとは思っていない。今まで一度も民主主義的な暮らしなどしたことがないのだから、アメリカが民主主義を押しつけようとしたら、拒否するに決まっている。アメリカ人というのは、どこまで自己中心的で、人の心のわからない人々なのか。 イラクに住む人々が理解し、信頼しているのは、族長支配体系だけである。理由は簡単だ。歴史が始まって以来、彼らは族長支配でやってきたからなのだ。確かに時代によって、族長にはいい族長も残忍な族長もいた。しかし族長支配の体系の中で、彼らは守られてきたのだ。解放だの、民主だのと言われるのはありがた迷惑だ。なぜなら、強力な族長の支配の力を奪われれば、彼らはミノムシが、ミノから押し出されて裸になったような状態になるのを知っているからなのだ。
私たちは「人は皆善人」と教えられた幼稚で危険な教育を受けている。「人は皆悪人」と教えられてもやはり片寄った貧しい教育を受けている。「人はさまざま」という教育を受けた時だけ安心していられる、と私は思っている。
私の家は東京の東横線という私鉄の沿線にあるが、
若い時には、まず 寸暇 を惜しんで、自分を複雑な人間に教育する必要があるだろう。充分に読書をして専門的な知識を身につけ、できるだけ多くの人に出会って、現世にはどれだけ変わったものの見方があるかを体験しなければならない。
ニクマレグチを叩けば、電車の中でメールばかりしていて、少しも活字を読まないような男女にろくな未来はないであろう。単純な理由だ。読む人はそれだけ勉強しており、ケータイにしか興味がない人は、それだけ怠けているからである。平等という観念は、誰にでも同じ状態が与えられることではない。努力した人にはそれだけの報いをすることであり、怠けていた人はそれだけ報われないことが平等なのである。
つまりこういうお化け姫は「恥知らず」なのだ。恥知らずは怖い存在だ。人間に恥の感覚がなければ、どんなことでも平気でやることができるからだ。実はたいていの人は電車の中で化粧する女の子の変身の経過を見るのは、むしろ好きで、おもしろいなあ、と思って見ている。車中や人前で化粧するな、と一言も教えられなかった親と学校が本来なら恥じなければならなかったのかもしれない。
料理も一つの人生讚歌の方法だ。神が創り人間が広めた野菜や肉という物質を使って、精神の活動をする人間の肉体を作る。私は世間の人が「噓話を書く仕事だろう」と思っている小説家という職業に就いた。しかし小説は思いつきや妄想で書くのではない。そういう書き方をしていたらすぐにネタは尽きる。小説はおこがましくも、人生を捉えようとするのだ。もちろん分を知っているから、小さな範囲で捉えた人生を描く。だから「大説」とは言わず「小説」なのである。
本を読まず、おかしな記号つきの短文で通信を楽しむケータイで人とつき合ったと思い、テレビゲームの架空世界で冒険をしたような気になる日本人は、どんどん精神の衰弱で病的になり、今にそのか弱い精神のゆえに死ぬだろう。彼らは人生の中に歩みだし、それと格闘する実感も知らず、自分を鍛えることもしなかったからだ。
進歩的な人々が目の敵にする「愛国心」は、私に言わせればそんな深刻な思想ではなく、生きるための鍋釜並みの必需品に過ぎない。 -
Posted by ブクログ
本書は、著者のいろいろな本からさわりの部分だけを集めてきたものであると語っている。
忙しい人が、限りある時間で読書するということは大変なことだとしみじみと思うようになった。
気になった言葉は次の通りです。
・生命を賭けさせられることと、生命を自発的に賭けることとは、全く別ものである。
・人間は常に自分が手にしていない運命の方を明るく考える
・しかし、私は、心のどこかで、「この悲しみの世」ではなく、「生きるに値しない世」であるという実感は抜き難かった。
・この世は楽しいものだというのは、観念論者が植え付けた根拠のない幻である。
・人間の死は、決して一度にやってくるものではない。人間は老いと共に、長い時間をかけて部分的に死に続ける。
・心から、という言葉があり、私はどうもその表現をうさんくさいと思った。
・愛の定義を私はこういう風に考える。その人のために死ねるか、どうか、ということである。
・恋とは客観的な真実ではなく、われわれがどれだけ相手を誤解できるかということだ。
・人生は報いられなくていいということを、徹底してわからせてくれるのが信仰なんです。
・しかし、アウシュビッツでは、かっとなって殺すことは物理的に不可能であった。そこには、綿密で冷静な計算がなされなければ、ことは運ばない。
・人間の行動の動機はすべて、理不尽で愚かなものである。
・世の中には自明の理と思われていることで、意外と徹底していない点がたくさんある。
・親も先生も教えてくれなくても、あらゆることには、二面性があることを知らなければならない
・人間は誰でも、何かを手に入れようと思ったら、その代価を払わなければなりません。
・あらゆる仕事に、徹底的に必要なのは情報というものである。
・もともと人間は他者を理解不能なのだ。
・人を救わなければならない時には、ルールを超える場合が多い。
・世界中のほとんどの国が、「勝てる時は軍隊を、負けそうなときは外交を」と考えるのが原則なのである。
・政治家の使命は、国家安全の保持である。
目次は、以下です。
まえがき
人生に失敗ということはない
生きること
人生に完全はない
人間は運命を選び取ることができるか
この悲しみの世に
死によって人は高められる
よく死ぬことはよく生きること
死を意味あらしめるもの
愛は生命そのものである
その人のために死ねるか
愛される資格
結婚とは、相手の総てをコミで引き受けることである
夫婦は、自分の未知の部分を相手によって発見する
許した時だけ人は本当に愛を自分のものとする
老年は、精神の完成期である
神は私たちひとりひとりの中にいる
神は人間を束縛するのではなく、解放する
信仰は報いられない人生を祝福する
生命に関することは総て神の仕事である
祈りの力
覚えたる罪と覚えざる罪
この世のすべては神の作品である
無力からの出発
強い人、弱い人
愚かで盲目だから可能性を持つ
完全な善人もいない。完全な悪人もいない
悪を認めることによって人間の深さを知る
断念は、敗北ではない。新たな希望である
持てる能力を生かす
足し算の幸福、引き算の不幸
本当の自由を手にするには
苦しみが人間をふくよかにする
貧しさは神からの贈り物である
与える歓び、損のできる強さ
昏いからこそ私たちは勉む
責任をとるのは誰なのか
私は人々の中で生かされる
この世で不用な人は一人もいない
一生はひとと共に始まる
親は子どもにとって土である
生活は自分で選びとるもの
本職と書いてこそ作家、教えてこそ教師である
人間は国家によって生かされもするし、殺されもする
曽野綾子の世界 岡宜子
著作リスト -
Posted by ブクログ
B29の空襲から、コロナの恐怖まで 「死」に直面した時、人は何かを学ぶ とある。
地に足をつけた、著者のひとこと、ひとことは、理屈ではなく、感情であり、考え、経験し、行動をともなった氏の事実なのである。
気になったことは、次です。
・子供の時から、私の中では「世間は予想された筋書き通りにはならない」という思いが人一倍強いように思える。
・つまり世の中が、論理ではなく、予想しがたい現実によって或る決着を見ると、私の本性の一部はいきいきと反応した。
・穏やかな日常より、如何ともしがたい運命の荒波の中に置かれた人間の方が、より明晰な人間らしさを見せるのだ。
・教育というものは、すべて長い時間がかかる。ほとんど一代かかって、体で覚えさせる他はない
・(東京大空襲をしめして)その時すでに、自国の首都が「一夜にして焦土に帰する」攻撃をうけても、日本軍には反撃をする力はなかったのである。
・うっかり真心をこめて或ることに、「仕え」たりすると、それに応えない相手に逆に恨みを持ちそうな気がしたのだ。反対に自分がそのことに真心をこめないと、自分の方が常に負い目をもって暮らす。真心を込めなければ、人を恨むこともない。だから誠実一本槍の人はおっかない、と考えるようになったのだ。
・生きるということは、刻々に自己責任による決定をし続け、しかもそれが決して正しい選択ではなかったことが立証されていたのである。
・人間は、自分の冷静な選択で生き延びているなどとは思わないことだ。思考によって身の安全を図っていることも事実だ。しかし偶然に助けられることもある。
・私は今でも始終、若さを、輝かしさとしてでなく、許しがたい未熟さとして苦々しく考えてしまう。
・私は、「お受験」に強い秀才よりも、その手の動物的感覚をもつ人の方を信用していた。人間はまず生きるのに有能な強い本能をもった動物でなければならない。その上で文字や記号を使った抽象的分野の理解もできることが望ましい。
・ここで問題になるのは、二つの両極である。つまり作られた規則を守る、という人間の姿と、規則を破り、周囲の人間をあざむいて自分の行動を強行するという意欲との、実は双方を兼ね備えて物事は考えられなければならないのが普通である。だから、制度、装置などの外的な装備は、すべてこの二面性に対して有効なものでなければならない。
・若いうちから、私は生涯の予定を立てる癖があった。恐らく予定通りにならないだろうと思いながら、それでも予定を立てるのである。
・私たちの多くは、死を意識せず、死から学ぼうともせず、死ぬまで愛を示すこともなく、死ぬまでの時間を有効に使おうとも考えず生きている。
・私はカトリックの学校に入れられたのだが、その私立学校の偉大さは、子供の頃から私たちに「死」を教えたことであった。
・人生は、無限ではなく、有限である。
・学校など行けなくても、つまりその人は、「文盲」などではなかったうえ、むしろ秀才であった。私が常日頃言っていることだが、学問というものはほとんど独学である、ということを立証してくれているような人柄だった。
・私は、人生が公平であることを信じたことがなかった。
・聖書には「あなたの敵を愛しなさい」とある。私のように「敵は愛せません」と思ってもいいのだ。なぜなら愛というものは、「自然にそうなる感情」ではなく、無理して理性で、そのように感じるべきであるように自分を納得させることなのだと教えらえた時から、私の気持ちは楽になったのである。
・友情の手始めは尊敬である。そのためには、国民一人ひとりが、尊敬に値する人間にならなければならない、ということを意外と忘れられている。
・多くの外国人は、日本人よりももっと不平等に慣れている。
・私は昔から、一つのことに尽くす人の生き方に、深い尊敬を抱いてきた。あの道も、この仕事も、どれもこれも皆やってみて、それなりにうまくこなす人も世間にはいるが、それとは、正反対に、恋なら一人の相手、物でも一つの物に深い愛着を抱いていく心の姿勢に、惹かれ続けるのである。
目次は、以下の通りです。
第1章 コロナという「非日常」
第2章 人生の持ち時間
第3章 家族の体温
第4章 二番手の愉しみ
あとがき -
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本書は、人間関係についての書である。
帯:今すぐ「いい人」をやめなさい。人間関係の煩わしさほど、人生を豊かにするものはない
気になった言葉は次の通りです。
・昔から、私には、奇妙な確信がある。それは、私がこうだと思い込んだことは、実にまちがっていることが多い、ということである。
・「人々の中の私」という位置づけは、他人によって私が生かされており、さぞかし私の存在が他人に迷惑を与えただろうという二つの視点によって支えらえている。
・人間関係のむずかしさは、どのような知恵も、どのような教育でも、解決できるものではない。これだけははっきりしている。
・或る人間にとって、容易に解決されない悩みは人間関係である。
・私は人と付き合うことに、極端にものぐさだった。
・仕事とは、人間と人間との関係において、計画され、果たされるのである。組織的な職場においては、地位が上がるほど、人間関係は複雑に、重いものになっていく。
・他人が自分を理解しないことには、まず、馴れることだと私は考えている。それは、悲しいことだが致し方ない。
・人間関係は、理解より、むしろ誤解の上に安定する。
・自分にもわかりにくい自分の本当の姿を、どうして他人がわかることができよう。
・人間には限度があるのである。相手を理解していない。という自覚さえ持てば、多分その思いは、理解しているという安心よりまさるのである。
・人間嫌いには二種類ある。一つは要するに自己中心的で、他人に興味がない場合である。もう一種類の人間嫌いは、自分と相手の意思の疎通が完全に行われないことに関する不安が、その根底になっている。
・とりつくろっても他人をごまかすことはできない。
・人間は一人で生まれてきて、一人で死ぬ。
・よく生きよく暮らし、みごとに死ぬためには、限りなく自分らしくあらねばならない。それには他人の生き方を、同時に大切に認めなければならない。その苦しい孤独は戦いの一生が、生涯、というものなのである。
・私の見る限り、金もうけは、いかなる手段と方法で達成しようとも、それなりにすさまじい努力がいるように見える。何もしないで金が入ることは、非常に稀である。
・金が少しあった方がいいのは、人間が金から解放されるためなのであって、金に仕えるためではない。
・勝負というものはおもしろいもので、負けがこんでも、勝ち続けていてもやめられない。
・人と人とのつき合いにおいて最も難しいのは、分を守るということである。
・組織に対する愛は、自分の小さなポジションの限界をはっきりと知り、まずそれを完全に果たす、ということで初めのうちは充分なのである。この冷酷さを守れる人だけが、将来そのような冷たさを捨てて、大局を掴まえてその組織をよくすることに力を貸せるのである。まず足下を固めよ、ということである。
・外から強制されるのは賛成できないが、仕事というのは、本来あらゆる情熱を注ぎ込まねば成り立ちえないものなのである。
・自分の人生を走らせるものは、国家権力でもなく、自分を雇っている会社でもない。そんなことを許してはいけないエネルギー源はたった一つ自分の情熱なのである。
・強い人というものは、多分怖さを感じない人のことを指すのではない。怖さに耐える人のことを言うのである。
・ナポレオンもいったそうでありますぞ。「二人の名将より、一人の凡将のほうが強い」と。
・無理している人間は、美しくみえないからである。
・自分の生き方はしたいけれど、頑張って生きたくない時、どうしたらいいだろう。その第一は、人によく思われようと思うことを、あっさりやめてしまうことである。
・よく思われて褒めらなくても、私は私なのである。褒められたからと言って、私の実質に変化があるわけでなく、けなされたからといって、私の本質まで急に悪くなるわけではない。
・人生の大半を過ごす、「仕事をする人間」の時代が、納得いくものかどうかによって、その人の一生の成功か不成功かは決まってくるといえる。
・どんな学者も、芸術家も、実業家も一生にできる仕事の量は限られている。小さく守って、そこを充実させることの方が私は好きである。
・職業は好きでなければならない。これが唯一、最大、第一にして最後の条件である。
・人生の成功のヒケツは、頭がいいことでもない、学歴でもない、器量でもない。むしろウン、ドン、コン(運・鈍・根)なのである。
・考えてみると、世の中の重大なことはすべて一人でしなければならないのである。
・小さなことを疎かにしない
・多少怠け者だったり、無責任だったりする面を持つ人の方が、任務遂行の点では欠ける面もあるが、のんきにやって、長続きする。
・何事もそうだが、人間は捨て身になった時にしか道は開けない。保身の術しか考えていない間には、おもしろい生活は与えらえない。精神を解放して真の自由を手に入れるためには、他人にかげ口をたたかれ、誤解されることも覚悟の上でやらねばならない。
・自分を生かすために、血を流して自分を解放できる人はなかなかいない。しかし、それをしなければ、私はこの世に生きて存在しなかったことに等しいのだ、と私はいつも自分に言い聞かせている。
・「嘘でもいいから、お世辞を言われたらうれしい」というのは、正確ではない。人間は、根も葉もある誉め言葉なら言われたらうれしいのである。
・いかに厚生設備が行き届いている会社であろうと「あなたはこの会社に別にいてもらわなくてもいいですよ」という顔をされたら、誰だってあまり気分よくなかろう。逆につぶれかかっているような会社でも「君が頼りだ。君にいてもらいたい」と言われれば、奮起する人も多いのではないかと思う。
・知ったかぶりよりも、知らない方がいい。
・好奇心のない人は、現実を見る力に欠ける。私はやはり人間にとって好奇心はかなりな重さで必要なものだと思わないわけにはいかない。
・人間のただなかにあって、多かれ少なかれ他の人間に影響され育てられながら、われわれが行き着くところは、「真の人間」を確立することである。つまり損を承知で、自分を他に与えることのできる人になることでもある。
・人間関係は永遠の苦しみであり、最初にして最後の喜びである。どんなにうまく関係を作ろうとしても、私たちは必ず間違いを犯す。
・もし、人間関係に必要な配慮があるとすれば、それは相手に対する謙虚さと、徐々に物事をかえていこうとする気の長さかも知れない。それと私が好きなのは優しさである。
目次は以下です。
まえがき
01 人間を理解する道
02 勝ち気や見栄を捨てれば強くなる
03 自分らしい生き方をする
04 変えられる運命、変えられない運命
05 人生の脇道に迷い込む前に
06 他者を想像する力
07 冷静と情熱の間
08 偽物の強者と偽物の弱者
09 秀才も鈍才も共にいてこそ何事かをなし得る
10 旅は人生に似ている
11 無理をしている人間は美しくない
12 道楽のすすめ
13 成功する人・しない人
14 人生は「完全」に到達しない戦い
15 嘘と社交術
16 精神の自由を獲得するために
17 感謝と評価ができない不幸
18 知ったかぶりよりも、知らない方がいい
19 人間であり続けるための原点
20 「知りたい」と思う気持ちは人間の生命の源
21 「真の人間」は、損を承知で他人に与えることができる -
Posted by ブクログ
帯に、「貧困、争い、災い、そして喜びと誇りが世界には満ち溢れている」
日本人には知らない「世界の真実」とあります。
Voice に掲載されていたエッセイを集めたものです。
氏の期待しないでありのままの人間を見つめる姿が映しだされます。
気になったことばは次の通りです。
・アフリカでまだ大きな問題になっているのは、一夫多妻主義をどうしたらいいか、という女性の関心であり、乳児死亡率をどうやって引き下げるかという医学の問題なのだ。
・(北インドでの熱波について)アスファルトが融けるほどの厚さで、死者のほとんどは「路上生活者」だったのである。彼らは街路で死んで発見されたか、脱水症状と日射病で意識不明で病院に担ぎ込まれてから死亡した。
・外国にいる時、私が愛読するのは、土地の新聞の死亡広告欄である。不動産の売買に関する欄も読まないではないが、死亡欄はほんとうに人生を垣間見させてくれる。
・つまりほんとうは人間というものは誰でも五十歩百歩なのだが、自分の中にある醜い情熱を人が代行してくれると、安心してその人を侮辱することができる。
・治外法権というものはどこにでもあるものである。
・国家も宗教も一枚岩ではない。と考えないと、現実から遊離する。
・私たちの終着というものは、多かれ少なかれ他人からみればおかしなものだからだ。
・人間でも才能というものはすべて偏っているものである。満遍なき才能などというものはつまり才能ではない。
・私が墓地を歩いたり、死亡広告や葬儀の通知を読むのが好きなのは、そこに凝縮された人生を見るからである。
・老人ばかりではない。生きる人の姿勢には大きく分けて二つの生き方がある、と私は良く思うのである。得られなかったものや失ったものだけを数えて落ち込んでいる人と、得られなくても文句は言えないのに幸いにももらったものを大切に数え上げている人、とである。
・どんな人にも得意な分野とそうでないものとがある。初めから不利なことがわかっている分野に出向くことは、最初からプロ意識に欠けている。そういう形での幼稚な男女同権運動は、そろそろ修正されていい頃である。
・いつも言うことなのだが、私は戦争に限らず総ての体験は語り継げない、と思っている。
・人間は、繰り返すのが運命なのだ。先人の犯した愚行を避けることはできそうでできない。
・許しということは、常に現世で最大の困難であり、最大の偉業なのである。
目次は以下です。
自爆
悪夢の結婚式
片隅に生きる
葬式事情
うまい話は怖い話
愛車と共に埋められた男
三歳の記憶
遅まきの青春飛行
三十六年間の旅
首相の息子
殺し屋の本能
勝者が失い、敗者が得た
ヴィクトリア駅
十人の妻たち
歴史の懐に帰る
ブス祭りの女王
少年たちの反乱
弱々しい徳
遺伝子のせい?
ポテトといっしょよ
小説の出番
お化けトラック -
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物語は夫の死の直後から始まる。夫が残しておいたへそくりを何に使おうかと思案しているときに、彼女の目にとまったものは、子猫であった。
子猫はやがて二匹となり、彼女の心の中で、しだいに、家族になっていくのである。
気になったことばは以下です。
・いつも思うことだが、書くのは作家だが、本を創るのは編集者である。作家は人生を切り取って見せることはできるが、その源泉のエネルギーの無言の存在に気づく側は意外なほど少ないように思う。
・自分が育った家では、父が厳しくて心の休まる日もなかったから、今の私の家は、気楽で、楽しくて、あたたかく、おいしいものがあって、失敗を笑いあっている空間にしておきかった。
・とにかく私たちは人間として、この地球上で恵まれた生活をさせてもらえたのだ。生涯にたった一度使うだけの火葬場の時間などに、文句を言える立場にない。
・家庭が奇形だったら、私は平凡な家を愛するようになった。見栄でそうなったのでもない。私は非常識な生き方をしている割には、平凡という状態は、「偉大な安定だ」と心底感じていたからである。
・事実私は、夫の死後ひどく疲れているのを感じた。いくらでも、いつでも眠れる。私は時の癒しというものを信じていたから、眠りによって時間の経過を稼ごうとしたのかもしれない。
・それは配偶者の死後、取り残された者は、一年ぐらい何もしないほうがいいとうことだった。急に転居したり転職したり、株に手を出したり家の修理をしたりするのは一切やめたほうがいい。
・少なくとも、私は現実主義者だった。過去はどうでもいい。未来もよくわからない。しかし今日の現実が易しく感じられればいい。
・(古い道具がたくさん残っていることについて)人だって物だって、「ここまで来るには」時間も手数も、もちろんお金もかかっている。つまり原価は安くないということだ。だから、大切にしっかり使わねばならないということだ。
・(買ってきた新参の猫を、これまでいた猫と引き合わせするとき)私はやれやれである。人生「なあなあ」で通る地点を見つければ、それだけで大成功だ。
・私は人でも、物でも、「完全」であることをあまり望まなかった。完全な人などいたら、多分私はつき合わない。しかし、私だけでなく、欠けているところには味があるとは、多くの人が思うところだろう。
・世の中の書物に書いていないことも、私は、知人に教えてもらいながら生きて来た。
目次は、以下の通りです。
まえがき 人生は喜劇か、それとも悲劇か
第1部 夫の死、それから
最後の日、思い出すこと
私は取り乱さなかった
その日がしあわせであること
いつ捨てても、惜しくない体
慎ましく、変わらぬ日々
人間の運命は予測がつかない
「へそくり」を見つけて
夫へのささやかな仕返し
第2部 新たなる家族の来訪
ペットショップで猫を見かけて
同じ日課で生きる
それぞれの運命を受け入れる
欠けていることこそ、人間の妙味
夫の死後、しつらえたテーブルで
どこで飼うか、という難問
猫たちの上下関係
第3部 人間の器量
早寝早起き、律儀に暮らす
暑さの凌ぎ方に、昔日を思う
バカであることの偉大さ
老年の悲しさとは
「いい人」ほど始末に負えない
寛大さと優しさ
第4部 自分の後始末
私が死んだら、家族はどうなるのか
「死に場所」をどこに見つけるか
「善悪」とは別の気休め
苦悩もまた、人間の資産
魅力的な人生を生きるために
そして死は迫りくる
寄り添って生きるということ
私たちに与えられた使命 -
Posted by ブクログ
夫・三浦朱門と過ごした夫婦の「最後の日々」を描く書です。
気になったことは次です。
・しかし私はその時から、一応覚悟を決めたのである。夫にはできれば死ぬまで自宅で普通の暮らしをしてもらう。そのために私が介護人になる、ということだった。
・高齢の親たちを見るのは私たち夫婦しかない、という事を覚悟していたおかげで、私は高齢者を介護するときに発生するであろう幾つかの困難を予想することができていたのである。
・理想の生活などこの世にあるはずはない、というのが、昔からの私の実感であった。
・「そんなことでは人はしなない、少しぐらい食べなくても死なない。...」運命が私に教えてくれた言葉は数限りない。
・作家の宇野浩二氏が「作家になる資質とは何ですか」トインタビューで聞かれた時、「そりゃ、運、鈍、根さ」と答えられた話に心から共感を覚えていた。作家修行だけではない。どんな道もまさにその通りなのである。
・私は、時々「その仕事をしなさい」と神に命じられているのだ、と思う時がある。
・自分はすべてわかっていると思わないほうがいい、そしてできれば気が長い方がいい。
・つまり、「いい加減」にやっていいのである。いい加減という言葉が、だいたいのところという意味と、まさに適切な量との双方を示すというのは何とも面白いものである。
・耳の聞こえの悪い人は、ぼけも早く来るような気がする。
・「心の貧しい者」という悪訳は、聖書の原本に忠実なのかもしれないが、日本人がいう物質的で人情に欠けた人ではない。この言葉は、ヘブライ語の「アナウィム」という語から出たものだというが、それは虐げられている者、苦しむ者、哀れな者、貧しい者、柔和な者、謙遜な者、弱い者などの意である。つまり「アナウィム」たちは、国家、富、健康、身分などの誇りをすべてはぎとられ、その恩恵を受けず、神だけしか頼るもののなくなった人たちを意味する。
・死という一線を超えるまでは、おそらく長い経過がいる。人間、なかなか死ねるものではない。
・奉仕を意味する「ディアコニア」というギリシャ語の原語を考えれば、もっと厳密な意味をもつ。奉仕とはうんことおしっこの世話をすることなのだ。それ以上は、人に仕えることではない。と私の知人の神父はいった。奉仕というのは、他人に対する行為だが、家族に対していえば「看病」つまり看取りだ。その看取りの基本は、排泄物の世話なのである。
・(臨終にあたって)やってはいけないことが、三つあったように私は記録した。胃瘻(いろう)、気管切開、多量の点滴による延命である。胃瘻は終わりの見えない戦いを開始することになる。気管切開は、最後に家族と語る機能を失わせるので絶対にしてはいけない、と先生は教えてくださった。
・一人息子を手放すの?と人にいわれもしたが、むしろ子離れをしない母になることこそ息子の負担になるだろう、と思えたので、敢えてその道を意識的に選んだ。
・選べるのは、常にあれかこれかのうちの1つだけだ。あるいはいにしえのユダヤ人のように、この世で一つを得たら、必ず、犠牲をささげなければならないと考えていたのかもしれない。
・神父は、人の死は決して生命の消滅ではなく、永遠に向かっての新しい誕生日だということ説教のなかで述べられた。この思想はほんとうはカトリック教徒全員の中にあるもので、死の日は「ディエス・ナターリス(生まれた日)」というラテン語で呼ばれるのである。
目次は、以下です。
まえがき 夫を自宅で介護すると決めたわけ
第1部 変わりゆく夫を引き受ける
わが家の「老人と暮らすルール」
夫の肌着を取り替える
布団が汚れたら、どうするか
八十五歳を過ぎた私の事情
夫の居場所を作る
食事、風呂、睡眠のスケジュール
モノはどんどん捨てればいい
夫が突然倒れた時のこと
よく歩く、薬は控える、医者に頼らない
介護にお金をかけるべきか
「話さない」は危険の兆候
介護にも「冗談」が大切
明け方に起きた軌跡
夫に怒ってしまう理由
散々笑って時には息抜き
「食べたくない」と言われて
老衰との向き合い方
「奉仕」とは排泄物を世話すること
温かい思い出と情けない現実
第2部 看取りと見送りの日々
夫の最期の九日間
ベッドの傍らで私が考えていたこと
戦いが終わった朝
息子夫婦との相談
葬式は誰も知らせずに
お棺を閉じる時の戸惑い
夫の遺品を整理する
変わらないことが夫のためになる
広くなった家をどう使うか
遺されたメモを読み返す
心の平衡を保つために
納骨の時に聞こえた声
「夫が先」でよかった
人が死者に花を供える理由
夫への感謝と私の葛藤
「忘れたくない」と思わない -
Posted by ブクログ
人生を無駄にしないために必要な足場。それが人間の基本であると言っています。
本書の最後のことば 「常時ばかりではなく、非常時にも対応できる人間であるために、その基本となるのは一人ひとりの人生体験しかありません。強烈で濃厚で濃密な体験、それを支える道徳という名の人間性の基本、やはりそれらがその人間を作り上げるのです。」が結論かとおもいます。
気になった言葉は次です。
・私はある皮肉な外国人が「人は皆、その年齢ほどに見える」と言った言葉が好きなんです。つまり年を取れば、人は誰も体験がふえ、精神の内容も豊かにある。ということです。
・足場というか、基本というのは、実に大切なものです。それがないと流されます。流されれば、自分を失いますし、死んでしまうこともあります。
・理想というものは、自分自身の生活と体験によってしかがっちり捕まえることはできませんし、知識だけで人生を渡って行くことは無理な話です。それがわからないと、現実感覚まで狂い始めるでしょう。
・粗末に扱われているものからは、臭気がするんです。
・どんな状況でも自分の頭で考え、想像し、工夫して生きることが人間の基本だと私はずっと思ってきました。
・戦後、日教組が「人間はみな平等」というおかしな平等意識を作り上げましたが、先生と生徒は決して平等ではありません。
・そもそも人間は、「他人は自分を理解してくれない」という覚悟の上に、長い人生を立てていかなくてはならないのです。
・日本の教育は、この「あなた自身の頭で考える」という部分が抜け落ちてしまっているようです。
・人間も世の中も中心となる軸、芯がしっかりしないと、そこから外れているという意識もなくなっていきます。
・世の中の常識というものは、自分があるからこそ認められるのです。自分と常識とが違っていることを十分にわかっているからこそそれに従える。大勢の人が育ことだから価値があって正しいと考えるのは間違っています。
・自分自身の価値観や好みを隠して他人に迎合することに慣れてしまうと、いつまでたっても人として芽が出ないばかりでなく、抑圧された欲望が、奇怪な人間の性格を生むことになります。
・ルールという表面的なことにとらわれると自由を失いますし、なぜそういうことをするかと、尋ねられても、人を納得させる返事はできません。・
・人間の基本から叩いて叩き潰してから、人間としてスタートさせる。それこそが教育を与えられる強みだろうと思いますし、そうでないと修羅場を乗り越える力も、それより以前に、自分で物事を考える習慣も身につきません。
・自分の持って生まれたものが、その目標に適しているかどうか、何より本人が早いうちに気づかなければならないんですけどね。
・労働というのは、プロとアマの2つにはっきりと分けられます。アマは、労働時間でもって労賃を得る人のことで、プロというのは、時間と全く関係がない働き方です。本当のプロの仕事というのは趣味娯楽の領域にあるものだと私は思っています。
・酔狂とは、前後左右も見境いなく、ひたすら、惚れた相手に愚かしく入れあげることですから。
・私はむしろ、へそ曲がりをしていれば食える、と考えるほうです。とにかく、人がいかない方向を選ぶ、他人がやりたがらないことをすれば少しは自分の生きる道があるかもしれない、ということです。
・ユーモアとは人間の真実をとらえた瞬間の笑いであって、人間はあまりに本当のことを言われるとつい笑ってしまうものです。
・真実を見る、というのはまず自分をきっちり見ることです。自分を見つめていればこそユーモアが生まれるのに、そうならないのは幼稚な証拠、つまり真実を見抜く力もないし、人間というものに対するごく一般的な恐れや同感のない証拠です。
・戦後教育は、「生」を唱えるばかりで、人間の「老・病・死」をしっかり見つめることを教えてきませんでした。
・延命ではなく、最後の希望をかなえてあげるのが人間の幸せだと考えていることに、私は心の底から感動しました。
・生きて行く上で困難がない人生なんて、多分この世にはないでしょうから。その困難の中から、生き方を発見し、その困難の意味を見つけるという過程を体験したことは、私にも何度もあります。
・私自身が年を取ってからますますはっきりと、非常時には老いた人間から使い捨てる、広い意味でのトリアージがあっていいとおもうになりました。
・もともと私は自分も他人も信用していないんです。
・人間は、自分が生まれた場所と時間を変えることも、過去まで遡って運命や歴史を変えることもできません。
目次は、以下のとおりです。
はじめに
第1章 人間本来の想像力とは
第2章 「乗り越える力」をつける教育
第3章 ルールより人としての常識
第4章 すべてのことに両面がある
第5章 プロの仕事は道楽と酔狂
第6章 ほんとうの教養
第7章 老・病・死を見すえる
第8章 「人間の基本」に立ち返る -
Posted by ブクログ
女と男に区別はあっても、差別はない。帯には、女も男もなく、人間として「孤高」を愉しむための21話とあります。「身のほど」を知る人こそ厄介な世の中の「骨頂」を味わえるとも。
気になったことばは以下です。
・イジメはなくなることはない、なぜなら、イジメは人間にとって楽しい行為だから。
・でも楽しくてもやってはいけないことが世間にはたくさんある
・男女は対立すべきものではなく、補って存在するものだろう
・この世になくていいものは一つもない。すべて存在するものは良きものである
・或る人間的な魅力(知識、外見、物腰、優しさ、気品)が政治にも外交にも或る力を及ぼすことは大いにあるとおもう。これに加えて最近では徳の力というものも私は感じている。
・勇気の定義はいろいろあるけれど、人とは違う人生を選びます、という意思表示である
・すべてのものには、代償を払わなければならない
・多くの男性たちは、仕事のためには仕方なく、暑さも食事のまずさも、生活上の不便もしのぶ。それらの代償を払わなければ、何一つ手に入らないことを知っているのである。
・世の中は決して理屈通りにはならない。体験は予測を上回る。だからそこで絶望してはならない。安易な夢を持ち続けてはならないということにもなる。
・人間が他人に贈りたいと思うものは、つまりは幸福感なのだ。他人にあげるのだから、その人が必ずそれを喜ぶかどうか保証の限りではない。
・相手には相手の幸福がある、と考えられることは人間だけに許された真の成熟なのである。
・世間で一番理解されやすいのは外見である。
・外見からは見えない力というものは、確かに存在する
・礼儀にかなったふるまいをしている人は、その場であまり目立たない。
・私たちは全世界から学ぶのだが、中でも最も強烈に学ぶのは「人」からである。
・さまざまな体験から、私は長続きする異性関係というものは、相手の立場を侵さないことであるという事を知った。
・アラブの格言に「賢い人は見た事を喋り、愚かな者は聞いた事を喋る」というものがある
・人を誉めるつもりなら、もっとその人の本質を評価する言葉を使わなければならない
・些事は大事の元である。私たちの生活では、些事の一つひとつがこの世で意味のあることだと確認させられる。
・私が親や学校から教えられた最大の教育的習性の一つは、自分が辛いことは他人も辛いだろうと思うことだ。
・陰口はいけない、悪口は面と向かって言え
・人間社会には必ず違った考えをする人がいるから、私達の周囲にはいつも異分子や反対者がいるのが自然なのである。
・社会は雑然としていることが自然である。
・言語というのは「生きもの」的である。私の実感によると、外国人がよその国の言葉を「極める」のは至難の業だ。
・人間社内には、言語という特別で複雑な情報伝達の方法が与えられた。
目次は以下の通りです。
前書き
第1章 人生の深い味
第1話 すべて存在するのは良きものである
第2話 生命を生かし育てる作業は不滅の面白さをもっている
第3話 「選択する勇気」が人生を深く彩る
第4話 代償を払うという覚悟がなければ何一つ手に入れることはできない
第5話 現実をよく眺めることが人生を深く味わうための条件
第6話 「一人で何ができるか」を問うことで生きるに値する人生が見えてくる
第2章 「幸せ」をつくる力
第7話 人が本当に贈りたいと思うものは”幸福感”
第8話 全人生の結果としての「会話力」は耐える力、観察力、学ぶ力のたまものである
第9話 存在の基本は「一人で生きられる」能力にある
第10話 人間関係を楽しみの場としてでなく、苦の糧と思うのは勿体ない
第11話 女も男も深い尊敬がなければ友情は成り立たない
第3章 生きるために必要なこと
第12話 女性が好む電話は90%以上の確率で誤りを含んでいる
第13話 仕事は「深入り」しなければ勿体ない
第14話 属性で人を阪大していると、相手の本質がつかめない
第15話 「一人称」から離れて客観的に世の中を視る
第16話 些事は大事の元であるが故に、決してバカにしてはならない
第4章 女と男は違いがあるから面白い
第17話 女性と男性を同じ基準で比べることは不可能である
第18話 「育メン」に頼りすぎると、種の存続の法則から逸れていく
第19話 「女だから無理」ばほとんどないと思っていい
第20話 女性にまつわるその「常識」は世界では通用しない
第21話 人間だけに与えられた”言葉”を磨かない理由はない -
Posted by ブクログ
大好きな作家、曽野綾子氏が、昨今のコロナ禍でのソーシャル・デスタンスから、距離感を扱ったエッセイです。
さっぱりしていて、感じたことを、感じたままで表現する。そんな小気味よさを持った書でした。
160頁あまりの分量で、読みやすく、分かりやすい。
気になったことは以下です。
・私は、世の中はすべて仮の姿だと信じている。だから、不平等さや区別というものは気にしない。
・何事も「いい加減」でいい。「いい加減」を英語に訳すと、ほどよく適切なという proper と おざなりな という rough といった言葉に分かれる。
・「親のために」と心を込めてはだめ、心をこめずにやるから、長く続くのだ。
・子供への接し方は、「人格を認める」言葉は好きになれない。「存在そのものを許す」ほうがしっくりする。
・私は、「自分は正しい」と思っている人は嫌いである。
・日本の子供たちに決定的に足りないのは、「人を見抜く力」だろう。はじめから人を信じてはいけない。疑ったあとに信じる。それが正しい順番だ。
・小さい嘘はいいが、大きな嘘はだめだ。大きい嘘は、「裏切りの嘘」のことである。
・「世の中は思いどおりにならないもの」というのがわからない人が一番困る。
・本当に譲れないものは何かを考えて、そこから優先順位をつけていくようにしていた。本当に譲れないもの以外は適当に流したほうがいい。
・約束した仕事は、家の都合より優先する。と考える人のことを「プロ」という
・相手の「聖域」には踏み込まない。「秘密の部分を持たせたままでいてあげられる間柄」が本当の親友だ。
・自分が直接聞いた話でも間違いはある。他人か聞いた話ではなおさらである。だから、噂話はしないほうがいい。
・「私のことなんか知りたがる人なんていないのだから、いい気になるな」
・あらゆる人とのつき合いは、それがうまくいかなかったときはには諦めるほうがいい。それがいちばん有効な、人間関係の極意である。
・物事に、善悪の両面があると知ることで、初めて人生には厚みが出る。
・死を意識すると、生涯は限りあるものだとわかってくる。そうすると、人生の一瞬一瞬を大切にしていこうと思えるのである。
・遺品というモノではなく、その人と出会い、その人を知っていたということの感動が真の資産であって、それは心の中にのみある。
・努力さえすればなんとかなるという考えは大間違いだ。努力しなければいけないことは確かだが、どんなに努力をしても、駄目な時もある。
・いざとなったら「盗む」という覚悟
・アフリカでは「死ぬのは他人にまかせて、自分は生きろ」ということから教える。
結論となるのか、終章をかざるのは、次の言葉です。
「人と同じことを求めていては自分の道は見つからない」、人生を左右するものは運命だとますます思うようになった。
世の中には、自分の死に方をあれこれ考えている人がいるが、これほど意味のないことはない。死ぬ前に家をかたづけることはできるかも
しれないが、どんな経緯をたどって死ぬかなど、当人には何ひとつきめることができないからだ。
目次は以下です。
まえがき
第1章 人生百年時代のソーシャル・ディスタンス~距離感の大切さ
第2章 家族はいちばん身近な他人である~家族との距離感
第3章 幸せな結婚生活は奇跡に近い~夫婦の距離
第4章 人づき合いは、「手広く」よりも「手狭に」~友人、知人との距離感
第5章 死は恐れるものではなく学ぶもの~「死」との距離感
第6章 人生は思いどおりにいかないから面白い~「運命」との距離感