【感想・ネタバレ】地球の片隅の物語のレビュー

あらすじ

世界には、いろいろな人といろいろな国がある。だから、おもしろく事は動いていく――これまで世界中を探訪してきた著者の実感である。異国の地で直面するカルチャー・ギャップのなかには、人の話だけでなく、それぞれの土地で読む新聞のニュースもある。外国の新聞の三面記事には、日本では絶対に読めないような話が出ており、その「楽しさと感動」は著者にとってやめられないのだという。本書は、90年代中ごろより、東南アジアの街角からアフリカ大陸の果てまで、著者が各地を訪れた際に現地の新聞の片隅で見つけた「小さなドラマの大きな真実」をのびやかに綴ったエッセイ集だ。誰もが「平和」や「自由」や「善意」をよきものとして望んでいるという、日本人の無邪気な価値観を鮮やかに裏切ってくれる。また、こう感じる読者もいるだろう。ここ十数年で世界は変化したというものの、「貧困、争い、災い、そして喜びと誇りが世界には満ち溢れている」と。

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Posted by ブクログ

帯に、「貧困、争い、災い、そして喜びと誇りが世界には満ち溢れている」
日本人には知らない「世界の真実」とあります。

Voice に掲載されていたエッセイを集めたものです。
氏の期待しないでありのままの人間を見つめる姿が映しだされます。

気になったことばは次の通りです。

・アフリカでまだ大きな問題になっているのは、一夫多妻主義をどうしたらいいか、という女性の関心であり、乳児死亡率をどうやって引き下げるかという医学の問題なのだ。
・(北インドでの熱波について)アスファルトが融けるほどの厚さで、死者のほとんどは「路上生活者」だったのである。彼らは街路で死んで発見されたか、脱水症状と日射病で意識不明で病院に担ぎ込まれてから死亡した。
・外国にいる時、私が愛読するのは、土地の新聞の死亡広告欄である。不動産の売買に関する欄も読まないではないが、死亡欄はほんとうに人生を垣間見させてくれる。
・つまりほんとうは人間というものは誰でも五十歩百歩なのだが、自分の中にある醜い情熱を人が代行してくれると、安心してその人を侮辱することができる。
・治外法権というものはどこにでもあるものである。
・国家も宗教も一枚岩ではない。と考えないと、現実から遊離する。
・私たちの終着というものは、多かれ少なかれ他人からみればおかしなものだからだ。
・人間でも才能というものはすべて偏っているものである。満遍なき才能などというものはつまり才能ではない。
・私が墓地を歩いたり、死亡広告や葬儀の通知を読むのが好きなのは、そこに凝縮された人生を見るからである。
・老人ばかりではない。生きる人の姿勢には大きく分けて二つの生き方がある、と私は良く思うのである。得られなかったものや失ったものだけを数えて落ち込んでいる人と、得られなくても文句は言えないのに幸いにももらったものを大切に数え上げている人、とである。
・どんな人にも得意な分野とそうでないものとがある。初めから不利なことがわかっている分野に出向くことは、最初からプロ意識に欠けている。そういう形での幼稚な男女同権運動は、そろそろ修正されていい頃である。
・いつも言うことなのだが、私は戦争に限らず総ての体験は語り継げない、と思っている。
・人間は、繰り返すのが運命なのだ。先人の犯した愚行を避けることはできそうでできない。
・許しということは、常に現世で最大の困難であり、最大の偉業なのである。

目次は以下です。

自爆
悪夢の結婚式
片隅に生きる
葬式事情
うまい話は怖い話
愛車と共に埋められた男
三歳の記憶
遅まきの青春飛行
三十六年間の旅
首相の息子
殺し屋の本能
勝者が失い、敗者が得た
ヴィクトリア駅
十人の妻たち
歴史の懐に帰る
ブス祭りの女王
少年たちの反乱
弱々しい徳
遺伝子のせい?
ポテトといっしょよ
小説の出番
お化けトラック

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2022年09月13日

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