内山節のレビュー一覧

  • 山里の釣りから
    ここには内山節の原風景がある、と思う。
    釣りをしに山里に入り、里の人々と交歓しながら釣りと自然との関わりを学ぶ。
    釣りをするということは、魚の習性を知ることであり、川と山と季節を知ることであり、自らの心身を練磨することでもある。
    内山の労働哲学と自然哲学の源を生き生きと見せてくれる好著。
  • 労働過程論ノート
    弱冠26歳で、すでに内山節は内山節であったということを、鮮烈に印象づけるデビュー作。
    資本主義というシステムを労働者の外なる経済構造としてその論理と法則を解明したマルクスの資本論に依拠しながら、主体としての労働者を核に資本主義システムとは何なのかを明らかにしようとする試み。
    そのために内山が着目する...続きを読む
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
    かつての日本にありふれていたキツネにだまされるという話が1965年頃を境に発生しなくなったということに著者は着目する。そこから1965年の革命とは何だったかを論じる。
    なぜ人はこの頃からキツネにだまされなくなったのか。
    様々な人々からの聞き書きの体裁をとりながら著者は6つプラス2つの仮説を提示する。...続きを読む
  • 自然と人間の哲学
    内山は、人間が人間になった本質的な契機を労働であるとする。ここで労働とは広い意味で用いられており、人間の自然への働きかけの全体を意味する。
    動物と異なり人間は、自然を改変し、また自然によって変容していく。
    したがって自然と人間との交通のあり方が変われば、自然が変わり、人間も変わる。
    近代以降、貨幣経...続きを読む
  • 内山節と語る未来社会のデザイン3 新しい共同体の思想とは
    現在の日本では、過去から伝わってきたものを守ろうとすると、むしろ変革を志さねばならないという逆説。(たとえば保守とされてきた自民党が新自由主義を導入して日本をここまで変わり果てた姿にしたのだから)

    伝統回帰ということの本当の意味を、山村での暮らし、自然と農業に親しむ生活実感から、身体レベルで腑に落...続きを読む
  • 哲学の冒険
    哲学をほとんど知らない自分でも理解しやすい内容だった。以下は読書メモ。

    エピクロス
    ・哲学を学ぶのに年齢は関係ない。
    ・なぜ哲学を学ぶのか。それは、未来を恐れないため。人間が美しく生きるため。

    三木清
    ・人間は環境によって考え方が決まる。
    ・未来の自分は現在の自分の延長線上。

    小さなことを気に...続きを読む
  • 内山節と語る未来社会のデザイン3 新しい共同体の思想とは
    西洋と東洋思想の比較をしながら、共同体に対する姿勢を論じる。

    西洋では実体を軸にして、東洋(主として仏教)では、関係を軸としているよう。
    例えば、死者がいるかいないかであれば、西洋では死者の魂というのが現実にあるかないかという論になるが、東洋では関係に主を置くので、いると思えば、いるというスタンス...続きを読む
  • 哲学の冒険
    『哲学』と『冒険』の二つの言葉が一緒になっていることに少し興味を持ち購入。父親と少年の会話が凄く分かりやすく、引き込まれる様に一気に読み終わる。
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
    とても面白かった。
    20世紀終盤に生まれた私は、キツネなんかについぞ騙されたことはない。しかし読んでみると、騙されたことがないということもまた寂しいというか面白くないというか、「深みのある」いのちの在り方ではないことを痛感させられた。

    1965年を境にキツネに騙されなくなっていった日本人。問題は人...続きを読む
  • 時間についての十二章
    時間がまさに主体と他者との関係そのものである

    商品として流通していながら、純粋に商品になりきらぬ「過渡的商品」がいくらでもあった

    使用価値を交通概念、関係概念として把握するという試みである。労働生産物のなかに使用価値という固有の概念は存在しないと私は考えた。それは交通のなかでのみみあらわれてくる...続きを読む
  • 子どもたちの時間
    人間の成長の過程は、関係の拡大なのである。そのなかには文字との関係や本との関係も含まれる。なぜなら文字や本をとおして、直接関わっていない世界と関係をもったり、自分が関わっている関係の世界を改めてとらえなおすことができるからである。

    だからもしも成長とか教育とかいう言葉を使うのなら、それは子どもたち...続きを読む
  • 内山節と読む 世界と日本の古典50冊
    父:アップすればまた自慢話みたいになって、ひんしゅくを買うだけだから、やめた方がいいと思うけどな・・・

    私:・・・だって、そんなこと言ったって、何か書けば正直に全部さらけ出すのが私の性分だから、しょうがないじゃない!

    それはともかく・・・

    内山節は、わが三浦雅士もそうですが、私が好んで注目して...続きを読む
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
    自然とともに、自然を恐れ敬いながら生きてきた日本人が、何故自然を自己の利益のための道具としてしか見られたくなってしまったのか…。そんな問いに本書は答えてくれる。

    地球の資源は人間のためだけにあるように考える人が大多数を占め、そして自然を支配することを続ければ、詰まる所、自分の首を絞めることになるこ...続きを読む
  • 半市場経済 成長だけでない「共創社会」の時代
    今日、世間では、コミュニティビジネス、ソーシャルビジネス、里山資本主義などなど、社会的な課題解決の対処の仕方として色々なアプローチがあり、それぞれに一応納得できるような提案がなされている。
    この本は、「半市場経済」という概念を提起し、序章にあるのだが、ひとつの時代の終わり、前提が崩れた、神話の終焉、...続きを読む
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
    いやぁおもしろかった!
    著者の内山節氏の講演会に行きたくなった。

    後半のベルクソンらの知性の話や歴史哲学もおもしろかったけれど、私には前半部分がたまらなくおもしろかった。
    以下おもしろかったこと。

    1.なんといっても問いの立て方が最高!
    「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」 これは「さ...続きを読む
  • 半市場経済 成長だけでない「共創社会」の時代
    社会企業が共同体として市場経済の外縁を彩り始めた。この新たな半市場経済という潮流がいったいどこに向かうのかは、語られていないが、これによって人としての幸福を感じる従業員のいる企業が成り立っている現状を伝えている。
    ここに弁証法的止揚の視点で語るのであれば、市場経済と半市場経済が互いに折り合いをつけて...続きを読む
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
    1965年頃を境に日本人は身体性、生命性によって再生される広大な歴史が見えなくなってしまったそうである。道理でなんとなく落ち着かず不安が多く暮らしづらいはずである。すごく納得した。とてもいい本だと思う。

    Mahalo
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
    おもしろい題名である。読者の好奇心に訴えかけてくるものがある。そういえば最近は聞かなくなったな、とあらためて思った。一昔前までは、そういう話はそこここで聞かされたものだ。まだ、キツネの出そうな野原や峠道が当たり前のように残っていた。

    小さい頃、墓地に続く竹藪の中を通り、小川に出る坂道があった。釣り...続きを読む
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
    失われたキツネへのノスタルジックな民俗蒐集、ではありません。
    日本において、「キツネに化かされる」という話が1965年辺りを境に途絶えた(もちろん地域差はあるでしょうが)ということがあったようです。
    それについて、果たして一体日本人が何を喪ったことを示しているのか、筆者は考察と思いを巡らしています。...続きを読む
  • 文明の災禍
    震災後失われたものはなんだったのか。それは「未来の時間」である。原発事故は我々に現代文明が生み出した大きな矛盾を突きつけている。どうやって新しい思想を打ち立て、生きていくのか。厳しい問いがすべての人に投げかけられている。