内山節のレビュー一覧
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かつての日本にありふれていたキツネにだまされるという話が1965年頃を境に発生しなくなったということに著者は着目する。そこから1965年の革命とは何だったかを論じる。
なぜ人はこの頃からキツネにだまされなくなったのか。
様々な人々からの聞き書きの体裁をとりながら著者は6つプラス2つの仮説を提示する。...続きを読むPosted by ブクログ -
現在の日本では、過去から伝わってきたものを守ろうとすると、むしろ変革を志さねばならないという逆説。(たとえば保守とされてきた自民党が新自由主義を導入して日本をここまで変わり果てた姿にしたのだから)
伝統回帰ということの本当の意味を、山村での暮らし、自然と農業に親しむ生活実感から、身体レベルで腑に落...続きを読むPosted by ブクログ -
西洋と東洋思想の比較をしながら、共同体に対する姿勢を論じる。
西洋では実体を軸にして、東洋(主として仏教)では、関係を軸としているよう。
例えば、死者がいるかいないかであれば、西洋では死者の魂というのが現実にあるかないかという論になるが、東洋では関係に主を置くので、いると思えば、いるというスタンス...続きを読むPosted by ブクログ -
とても面白かった。
20世紀終盤に生まれた私は、キツネなんかについぞ騙されたことはない。しかし読んでみると、騙されたことがないということもまた寂しいというか面白くないというか、「深みのある」いのちの在り方ではないことを痛感させられた。
1965年を境にキツネに騙されなくなっていった日本人。問題は人...続きを読むPosted by ブクログ -
時間がまさに主体と他者との関係そのものである
商品として流通していながら、純粋に商品になりきらぬ「過渡的商品」がいくらでもあった
使用価値を交通概念、関係概念として把握するという試みである。労働生産物のなかに使用価値という固有の概念は存在しないと私は考えた。それは交通のなかでのみみあらわれてくる...続きを読むPosted by ブクログ -
父:アップすればまた自慢話みたいになって、ひんしゅくを買うだけだから、やめた方がいいと思うけどな・・・
私:・・・だって、そんなこと言ったって、何か書けば正直に全部さらけ出すのが私の性分だから、しょうがないじゃない!
それはともかく・・・
内山節は、わが三浦雅士もそうですが、私が好んで注目して...続きを読むPosted by ブクログ -
自然とともに、自然を恐れ敬いながら生きてきた日本人が、何故自然を自己の利益のための道具としてしか見られたくなってしまったのか…。そんな問いに本書は答えてくれる。
地球の資源は人間のためだけにあるように考える人が大多数を占め、そして自然を支配することを続ければ、詰まる所、自分の首を絞めることになるこ...続きを読むPosted by ブクログ -
今日、世間では、コミュニティビジネス、ソーシャルビジネス、里山資本主義などなど、社会的な課題解決の対処の仕方として色々なアプローチがあり、それぞれに一応納得できるような提案がなされている。
この本は、「半市場経済」という概念を提起し、序章にあるのだが、ひとつの時代の終わり、前提が崩れた、神話の終焉、...続きを読むPosted by ブクログ -
いやぁおもしろかった!
著者の内山節氏の講演会に行きたくなった。
後半のベルクソンらの知性の話や歴史哲学もおもしろかったけれど、私には前半部分がたまらなくおもしろかった。
以下おもしろかったこと。
1.なんといっても問いの立て方が最高!
「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」 これは「さ...続きを読むPosted by ブクログ -
社会企業が共同体として市場経済の外縁を彩り始めた。この新たな半市場経済という潮流がいったいどこに向かうのかは、語られていないが、これによって人としての幸福を感じる従業員のいる企業が成り立っている現状を伝えている。
ここに弁証法的止揚の視点で語るのであれば、市場経済と半市場経済が互いに折り合いをつけて...続きを読むPosted by ブクログ -
1965年頃を境に日本人は身体性、生命性によって再生される広大な歴史が見えなくなってしまったそうである。道理でなんとなく落ち着かず不安が多く暮らしづらいはずである。すごく納得した。とてもいい本だと思う。
MahaloPosted by ブクログ -
おもしろい題名である。読者の好奇心に訴えかけてくるものがある。そういえば最近は聞かなくなったな、とあらためて思った。一昔前までは、そういう話はそこここで聞かされたものだ。まだ、キツネの出そうな野原や峠道が当たり前のように残っていた。
小さい頃、墓地に続く竹藪の中を通り、小川に出る坂道があった。釣り...続きを読むPosted by ブクログ -
失われたキツネへのノスタルジックな民俗蒐集、ではありません。
日本において、「キツネに化かされる」という話が1965年辺りを境に途絶えた(もちろん地域差はあるでしょうが)ということがあったようです。
それについて、果たして一体日本人が何を喪ったことを示しているのか、筆者は考察と思いを巡らしています。...続きを読むPosted by ブクログ