内山節のレビュー一覧
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そう言えば最近キツネにだまされなくなったよね(昔はちょいちょいだまされてたみたいな言い方!)
びっくりしました
民俗学の本だと思って読んだら哲学の本でした
最終的に歴史とは何かみたいな考察にも行く
まぁ、民俗学的要素も多分にあったけども
そしてもっとびっくりしたのはクマさんも読んでたってこと
うん、このタイトルは惹かれるよね
クマさんの場合ワンチャンだましてた側の可能性も…(ないわ!)
筆者によると、1965年頃を境に「キツネにだまされた」という話が消滅したというのです
そしてそれは様々な理由により、人間が「キツネにだまされる能力を失ってしまったから」なのだそう
まるでだまされる方が優れて -
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「かつてキツネは本当に騙していたのかどうか」は論証しようがなく、また論証の対象ではないとして、「どうして『キツネに騙された』という話が聞かれなくなったか」だけを論点に絞って筆を進めているのが面白い視点だった。科学的方法だけではつかみとれない真理というものがある、という主張を立脚点にしている。
高度経済成長期真っ盛りの1965年を境にどうしてキツネ(やタヌキ等の山の獣)に人間が騙される話を聞かなくなったか、そこにはいくつかの社会の変化、価値観の変化が要因としてある…と多くのページを割いて説明してくれている。それ自体は分かりやすい説明で説得力もあったのだけど、帯やまえがきで「ターニングポイントは1 -
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ふと思い立って、教養文庫コラボのフェア冊子を読んだ。ここ数年、入手はすれども通読せず状態で、何となく取っつきがたいイメージってだけで敬遠していたんだけど、ちゃんと読んでみると、なんとまあ、結構魅力的な作品が多いこと。そんなに難解な感じでもなく、それならってことでピックアップしたものをなるたけゲット。実際読んでみた感触も、モノによっては新書の方がハードルが高いくらいかも。前置きが長くなったけど、要は難なく通読可能だった、ということ。で、本作。哲学の変遷をたどりつつ、自身の哲学論も順次開陳されるという、なかなかの読み応え。哲学史を学ぶというより、その活かし方を習得するための一冊かな。
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ネタバレ資本主義の原理では自滅する運命にある。富が集中すると市場は縮小し、悪辣な経営が資本主義的な動きを拡大し、拝金主義が広がることで社会が荒廃する、ため。
資本主義の対抗勢力が存在することで、資本主義を修正して延命した。
同じ小売業でも、拡大を目指すスーパーやコンビニと、生業として行う個人商店の2種類が併存する。職人の延長としての経営は存在している。
自営業は労働時間の計算はしない。働き方改革=効率的でだらだらしない仕事の方法、とは相いれない。
菜種油は天ぷら油から行燈の灯りまで使える上にカスを肥料として使える。=農業の商品化の始まり。今は農業も単品大量生産で商品生産に組み込まれている。
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地元の定有堂書店で購入。
読み始めてから期間経ったので例の如く前半の記憶は曖昧。南無。
眉唾トンデモ本かと思ったら、
歴史哲学本でした。
キツネが馴染みづらいなら、
ガンニバルはなぜ都市部では成立しないのか?
と言い換えてもいい。
ガンニバル一巻しか読んでないので見当違いかもしれないけどまぁそこはそれ。。。
結論から言うと、
高度経済成長期に入った65年らへんから西洋思想が流入し、日本全土に伝播。
日本古来の思想、仏教をベースにした土地土地にカスタマイズされた民間信仰、自然と一体化していたクローズドコミュニティの共通思想が廃れていき、キツネに化かされることもなくなった。
ということで -
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ネタバレ『国語教育は文学をどう扱ってきたのか」という本で、いわゆる「キツネ読本」が定番教材として扱われている背景に、ごんぎつねの話が昔と今では違ったという話があった。その話は面白いけど、そこで、なぜ変わったのか、それは「生命性の歴史の衰退」、という話が出てきて、その部分がよく分からなかった。そして、その引用文献になっていたのがこの新書だったので、読んでみよう、という。さらにこの著者は、高校教材としての評論文の定番の著者ということだから、なおさら興味が湧き、読んでみた。
分量はそんなにないが、読みごたえがある。というか、『国語教育は~』で指摘されているように、著者独自の視点で事象を切り取り、「歴史と -
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【背景】
①なぜ読むか
日本人の意識から、妖怪なども消えていることを不思議に思っていた。その疑問に関連すると思い本書を手に取った。
②何を得たいか
狐に騙されなくなった背景や、その結果を学びたい。
③読後の目標
抽象化して、日本人の心と科学、自然との関係について考察する。
【著者】内山節(哲学者)
【出版社】講談社現代新書
【重要語句】
1965年、オオサキ、キツネ、高度経済成長、科学的真理、想像力、霊、自然、仏教、知性の歴史、身体性の歴史、生命性の歴史
【要約】
説1 「高度経済成長期の人間の変化」
説2 「科学の時代における人間の変化」
説3 「情報・コミュニケーションの変化」
説4 「進 -
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1965年付近を境として日本からキツネにだまされる話が身近になくなった。という命題を立てその原因を考察する。それなりに面白く読める本ではある。
1965年を境にして、身体性や生命性と結びついてとらえられてきた歴史が衰弱した。その結果、知性によってとらえられた歴史が肥大化した。広大な歴史が見えない歴史になっていった。
話には納得できるものの、何となく違和感を感じるのは、元々が都会の生まれで著者の描く歴史が元々自分たちのものではない。自分たちの感じてきた歴史が否定的に語られるとことが釈然としないのである。
キツネにだまされる日本人が本来の日本人であったというような語り口がハナに付くのかもしれないの -
Posted by ブクログ
それほどおもしろい内容ではなかった。
p.68にあるような情報の価値基準についての筆者の考え方こそが、p.110で述べるような、いわゆる「専門家」を作ったのではないか。現代では、情報はブラックボックス化しがちである。それは悪意ある隠蔽であるかもしれないが、たんに市民の怠慢であることも往々にしてあるだろう。「専門家」からの「暴力」に対抗するには、「餅は餅屋」という考え方を改める必要があるのだろう。
本書の称賛すべき点は、「放射性物質に関しては、論理的に『風評被害』は存在しないと考えた方がよいと私は思っている。」(p.55)と震災数ヵ月後に表明したことではないかと思う。