内山節のレビュー一覧

  • 哲学の冒険
    分野、趣味、関心事、主義主張に関係なく、皆さんに一度は読んでいただきたい本です。

    皆さんの当たり前が、近代に飲まれているかもしれない。

    私達の行為を凄く「みじめ」に感じてしまうかもしれない。

    私達はどう生きるべきか?
  • 戦後思想の旅から
    戦後の変革による思想の変遷がまとめられている。特に社会主義の説明は非常にわかりやすい。
    現代でも多くの人が抱き社会的な問題として指摘される空虚さや孤独の問題が、すでに1960年代から議論が始まっていた問題だったとは。
    結局、世界はこれらの問題に対する明確な対処ができないまま、今日を迎えているというこ...続きを読む
  • 哲学の冒険
    分かりやすく物語風に書かれた作品。哲学に関する本としては取っ掛かりやすく親しみやすい作品だった。
    哲学史をたどりながら自分の哲学を拡げていく話なので一方的な持論展開でなく、自身の整理にもなる。個人的には、自分の大好きな漫画『進撃の巨人』に通ずるところが沢山あり非常に面白かった。
    とりあえず、哲学は美...続きを読む
  • 修験道という生き方(新潮選書)
    太古から受け継がれてきた信仰を生み出した風土と結ばれて、日本の大乗仏教は成立する。
    仏教に共通するものがあるとすれば、「自己否定」というところでしょう。
    自分はどうでもいい存在として生きていることに気づき、そのような存在の在り方を楽しむ。
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
    日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか。前半部は上野村をはじめとした自然に思いを馳せる程度だったが、中盤部以降、今まで自分が触れることのなかった思考体系をなぞり、脳が興奮した。今まで触れることはなかったけれど、でも感覚的に理解できる思考体系で、自分の中からスルスルと何かが引き出された、そんな気分...続きを読む
  • 新・幸福論―「近現代」の次に来るもの―
    すべてが遠くなっている感覚・・自分事でなくなっている感覚。それはわかる気がする。普段食べている食べ物も、誰から・どこから来ているか知らないし、家もどこから来たものなのかわからない。目の前にあるけど、その先が見えないものに囲まれて。社会のシステムも、その先のつながりがわからない、ただ搾取されるだけ・・...続きを読む
  • 哲学の冒険
    中学生にも読みうるように、という条件のもとで、哲学史に題材を取りながら著者が自らの問題意識を語った哲学への案内。
    自分の手で働いて生きる者のための哲学、と著者は自ら謳っている。
    生きることの意味を明らかにすることは、働くことの意味を明らかにすることに他ならない。働くことの意味が決定的に損なわれた近代...続きを読む
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
    内山節氏の文章は身近な問題を哲学的に説明してくれてわかりやすい。
    この本を読んだきっかけは「おこんじょうるり」を読んだからだ。イタコのばば様とキツネのおこんの心の交流のおかしくも悲しい物語だ。
    我々日本人は昔話を読んで育ってくる中で、人と動物が心を通じ合わせたり喧嘩したりという、日常生活を共にするの...続きを読む
  • 内山節と語る未来社会のデザイン3 新しい共同体の思想とは
    「共同体」という日本語は、明治時代になってから生まれた言葉だ。

    この共同体なるものの基盤として、華厳経は「人間関係」を挙げている。大乗仏教ではそもそも自己も、真理も「空」だとされている。つまり、私たちが見ている現象には全て実体がなく、関係に本質を見出しているためである。関係自体も実体があるわけでは...続きを読む
  • 内山節と語る未来社会のデザイン2 資本主義を乗りこえる
    ポランニーが主張するように「共同体の慣習」によって地域内経済は等価交換ではない。これは地域外経済にも作用する(p.19)。しかし、資本主義化の過程で、様々なものがシステム化していくなかで、この共同体的慣習による経済への作用は効果を薄めていく。

    資本主義の原理として、「カネがカネを殖やす」ことが目的...続きを読む
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
    「現代人」の視点から眺める景色は合理的思考や科学的思考によっては知覚されないナニカを排除する。
    歴史も同様に意味を与えられない出来事を排除して直線的に「歴史」を作り出す。
    意味を超えてそこに存在したナニカを知覚できなくなったことにより「キツネにだまされる」ことができなくなってしまったのではないだろう...続きを読む
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
    ○目次
    まえがき
    第1章:キツネと人
    第2章:1965年の革命
    第3章:キツネにだまされる能力
    第4章:歴史と「みえない歴史」
    第5章:歴史哲学とキツネの物語
    第6章:人はなげキツネにだまされなくなったのか
    あとがき

    ○感想
    本書のタイトル「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」という命題か...続きを読む
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
    「日本人はなぜキツネに騙されなくなったのか?」という問いを発端に、自然に対する日本人の精神的変化を考察する一冊。一年の半分を群馬県の山村で生活する著者の経験をまじえながら、歴史の本質に迫る議論が展開されている。
    本書によれば、日本の伝統的社会では自然と人間の関係において「知性・身体性・生命性」それぞ...続きを読む
  • 修験道という生き方(新潮選書)
    修験のお坊様2人と内山節の鼎談。修験の歴史とかも。女性受け入れをどうするのかとか、今どきの話も出てくる。縄文的なものとしての修験というのは最近の流行りなのかな。
  • 修験道という生き方(新潮選書)
    お恥ずかしながら修験道なるもの、開祖らしき人物がその大昔にいるような「宗教」だとは露知らず、土着的な自然信仰かと無知にも程がある理解でした。
    ということで最初から結構面白く読めました。
    内容としては日本独特の感性からくる信仰についていろいろ思い巡らすということでしたが、当方としては、ケルト然り、地域...続きを読む
  • 哲学の冒険
    人間の生きる意味は人間の歴史に参加すること
    すなわち何かを生み出すこと
    本来の労働とは何かを生み出すことそのものだった
    産業革命以降人間の労働は歯車になった
    その中で生きる意味を見失っている

    哲学とは今の人生と理想の人生のギャップを
    埋めるための精神的活動
    理想を描くのが難しい社会になっている
    ...続きを読む
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
     日本では、1965年を境にキツネに騙された、という人がいなくなったのだそうだ。
     それはなぜか?
     私が最初に思ったのはテレビ放映が始まり、情報が人づてではなくなったからとかそういうこと。
     この新書では、誰もが思うような理由や、その観点はなかったが納得という理由、さらにそれらを組み合わせて見せて...続きを読む
  • 文明の災禍
    某所読書会の課題図書.気になる言葉が頻出.供養(p15),大量の情報を受け取ると,不思議なことに私たちの判断能力を弱体化させる(p62),確かなもの,確かな実体は私たちにはとらえられないものとして存在しているのだろうか(p83),人間の営みが未来の時間を破壊した(p101),創造なき破壊(102),...続きを読む
  • 半市場経済 成長だけでない「共創社会」の時代
    好き嫌いがそこそこ分かれそうな内容です。非現実的・理想論と評価される可能性は高いかも。

    要点は市場の発達により社会と乖離した市場経済になんとか社会性(人々の生活的な価値のことだと思う)を取り戻していく時代になってきたのではないか、という主張。

    課題解決の効率化のためにある程度レイヤーを制限せざる...続きを読む
  • 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
    震災前のうっちーの著作を読んだのは初めてかも。
    日本人の身体性、生命性、知性の歴史の物語でした。
    「感想」を述べるには自分の中で諒解していないことが多くってそこまでには至っていないのだけれど、
    これまで言葉にできていなかった『何か』を説明してくれているような気がした。
    伊坂幸太郎が「人生は要約できな...続きを読む