千葉雅也のレビュー一覧
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「デッドライン」「オーバーヒート」と進み、今回は主人公が高校生。「デッドライン」で孵化しかけて、「オーバーヒート」で蝶々になって、この「エレクトリック」はさなぎという感じ。高校生なので家族と住んでいて、そのかかわりを丁寧に描く。最後には自らを目覚めつつある性への扉に近づく。
舞台は宇都宮。雷都に雷様、なじみのある土地なので、主人公の鉄道沿線の家とか、最後の繁華街の描写は、あそこらへんなのか?などと想像してしまった。また主人公の家は街の中心部からは少し離れていて、中心部に行くことを「街へ行く」といっているのは、同じだなあ、などと思った。
2023.5.31発売
「新潮」2023.2月号掲載 -
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まずはじめに否定しておきたいのだが、この作品の紹介で、男性同性愛者と知り合う(かもしれない)男子高校生、という記述があり、この作品はその様な事象を主な題材とした作品なのか?、と捉えてしまいそうになるが、それは作中の主人公の好奇心の一端であり、決してそれが主題では無い。
主題、と言うか時代背景、は1995年という極めてピンポイントな「年」である。この「年」を通過した者なら誰もが実感するように、年初から立て続けに大地震、テロ事件、が起き、そして何よりWindows95が世界中で発売されて一部の者はその「世界中」と繋がりうる「インターネット」の可能性に大いに心震わせた「年」である。
主人公の多感 -
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ネタバレ哲学がエンタメとなって、元々哲学に関心のなかった層にも手の届くところまで降りてきた、というイメージを持った。國分功一郎さんの本が話題になったりと、最近フランスの現代思想の流行を感じるが、少しでも齧ったことのある人は楽しめる作品になっていると思う。
主人公は同性愛者の院生で、ドゥルーズの生成変化について修論で書くことになる。ドゥルーズ+ガタリの『千のプラトー』には、人間、男性、支配者→動物、女性、支配からの逃走という生成変化について語られている(らしい。未読で、本書に出てきた内容をうろ覚えのまま書いているのでご参考までに)
「ドゥルーズは、生成変化を言祝いだわけです」という先生の言葉が印象的。 -
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正直な感想は序盤は退屈かつ、時系列が複雑な場面転換についていけず読みづらかった。
しかし、最後まで読むと、序盤〜中盤までのつかみどころのない話が意味を持つ。
繰り返して読みたい作品のひとつになった。
はっきりとした起承転結があるわけではないので、他の感想でもあるように退屈と感じるかもしれない。王道の小説(事件があってそれを解決するような)が好きな人には向かない作品だなとは思う。
裕福な家庭の〇〇(主人公)が大学院で修論を書きながら、大学院の友人たちとの交流やハッテン場で相手を探し行為をいたすのはとても詳細だが淡々としていて、失礼ながら「THE自堕落な生活」。
その中で、フランス思想や荘子など -
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ネタバレ長らく積読の状態で読めていなかった、千葉雅也さんの小説デビュー作『デッドライン』を読んだ。ページをめくり始めてから、最後まで止まらなくなる。こうした小説に出会える機会は年々減っているから、初めて読書の悦びに目覚めた中学生の頃を思い出して嬉しくなる。ありていに言ってしまえば、全ての私小説は当人にしか書けない。それは当たり前にしても、『ライティングの哲学』などでも披瀝されていたように、“書く”ことを“書く”ことのメタ的な次元で実践してきた千葉さんだからこそのスタイルが、物語の形で表現されていたのは瞠目した。散文的でありながら、真正面の哲学が文学と絡み合うように、溶け合っている。思想と文学の両方を愛
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20世紀の哲学は、言語論的転回ということだったんだけど、その「言語」が消滅しているという。ならば、21世紀の哲学はどうなのか?
みたいな問いがあるのだが、直接的にそれを考えるというより、SNS、ポピュリズム、コロナなどなど、今起きていることを例にしながら、ぐるぐると周りながら、その問題に近づいていく感じ。
もちろん、答えはないのだけど。
言葉の力をもう一度取り戻すこと。それは、一種の貴族的、権威的なものの復活なのかもしれない。
そして、しばしば思考のプロセスのなかで参照されるのが、アレント。國分さんは、フランス現代思想を踏まえつつ、スピノザの研究を起点にさまざまな思考を展開されているの -
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『暇と退屈の倫理学』の國分氏と、『勉強の哲学』の千葉氏の対談。大学院の先輩後輩なのだと知る。
LINEのスタンプの話があって。
言葉を交わすことから、視覚的な情報の一コマにまで簡略化されたやり方で事足りるようになった。
紡ぐものには、意趣や考えの余地があるけれど、スマホは言葉を〝予測〟さえしてくれる。
ガラケー時代には絵文字一つで送ることに難を示したり、感情を読み取りきれない距離があったはず。
私がスタンプだけのやり取りに抵抗があるのは、ある意味当然だったのだなぁ。
以下、印象に残った箇所の引用。
大きく三つが自分の気になっているポイントらしいと分かった。
中動態的な教育の在り方のこと