千葉雅也のレビュー一覧
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ネタバレ長らく積読の状態で読めていなかった、千葉雅也さんの小説デビュー作『デッドライン』を読んだ。ページをめくり始めてから、最後まで止まらなくなる。こうした小説に出会える機会は年々減っているから、初めて読書の悦びに目覚めた中学生の頃を思い出して嬉しくなる。ありていに言ってしまえば、全ての私小説は当人にしか書けない。それは当たり前にしても、『ライティングの哲学』などでも披瀝されていたように、“書く”ことを“書く”ことのメタ的な次元で実践してきた千葉さんだからこそのスタイルが、物語の形で表現されていたのは瞠目した。散文的でありながら、真正面の哲学が文学と絡み合うように、溶け合っている。思想と文学の両方を愛
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20世紀の哲学は、言語論的転回ということだったんだけど、その「言語」が消滅しているという。ならば、21世紀の哲学はどうなのか?
みたいな問いがあるのだが、直接的にそれを考えるというより、SNS、ポピュリズム、コロナなどなど、今起きていることを例にしながら、ぐるぐると周りながら、その問題に近づいていく感じ。
もちろん、答えはないのだけど。
言葉の力をもう一度取り戻すこと。それは、一種の貴族的、権威的なものの復活なのかもしれない。
そして、しばしば思考のプロセスのなかで参照されるのが、アレント。國分さんは、フランス現代思想を踏まえつつ、スピノザの研究を起点にさまざまな思考を展開されているの -
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ネタバレ今をときめく國分さんと千葉さんの過去からの対談をまとめた本。ご本人たちも述べられていたが、別々に企画されたとは思えないほどに一貫性のある対話になっている。後から編集したこともあるだろうけど、筋は通っている。
そこで語られているのは、エビデンス主義というか、責任と主体の問題というか、言語なき透明なコミュニケーションの問題というか、抽象的な個人を想定した上でのコミュニケーション、責任の問題なのだと思う。要はそんな個人であり続けることができる人はいない、極めて少ないにもかかわらず、そんな個人であることが要請され続けているということ。
そんな状況を脱するために複数の時間性の確保とか、文学的な言説とかの -
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アラン・バディウはドゥルーズの思想に潜在的な全体性の肯定を見いだし、そこにファシズムの危険性が伏在していると批判しました。著者はこうしたドゥルーズ像に抗して、「接続する」ドゥルーズと対置される「切断する」ドゥルーズ像をえがき出し、とくにそれが存在論においてドゥルーズ以後のメイヤスーやマラブーといった哲学者たちの思想とのつながりが見られることを明らかにしています。
前半では、ヒュームやベルクソン、ニーチェといった哲学者たちをドゥルーズがどのように読み解いたのかを明らかにしています。とくにヒュームをめぐる議論では、カントの超越論哲学からヒュームへと引き返すことで一元化に抗する個体化の原理の意義を -
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千葉雅也(1978年~)氏は、フランス現代哲学及び表象文化論を専門とする、立命館大学大学院教授で、2013年に発表したデビュー作の本書で表象文化論学会賞を受賞した、現在注目される現代思想家のひとり。
本書は、難解な哲学書ながらベストセラーとなったことは有名。単行本の帯には、1980年代のニューアカ・ブーム時のベストセラー『構造と力』の浅田彰と、1998年に『存在論的、郵便的』で注目された東浩紀が推薦文を寄せている。
私は、千葉氏と同じ高校出身ということもあり、本書もいつか読んでみたいと思いつつ、ドゥルーズはじめ現代思想に関する予備知識なしには、正直全く歯が立たず、今般、文庫版(2017年)に収 -
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千葉雅也(1978年~)は、フランス現代哲学及び表象文化論を専門とする、立命館大学大学院教授で、2013年に発表したデビュー作『動きすぎてはいけない―ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』で表象文化論学会賞を受賞した、現在注目される現代思想家のひとり。
本書は、2014年に単行本で出版された『別のしかたで~ツイッター哲学』の新版で、元版に含まれていた2009~2014年のツイートに、2019年までのツイートを加え、内容と配列を修正したものである。元版は、配列のせいか、正直なところ雑然とした印象が拭えなかったのだが、新版は、章立てになっていて、とても読み易くなっている。
著者は、「ツイッター哲学」と -
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「私は この小説を書くときに、読んでくださる人が小学六年生までの漢字を読む力があれば読んでもらえるものと思ってこの作品を書き始めました」
と「氷点」を書いた三浦綾子さんがいってらっしゃいました。
この本の中で出張授業をされる先生たちは
もちろん、その道のプロフェッショナルの方たちです
そして、聴いている対象者たちは 中学生、高校生たち
その語り口が そのまま 一冊の本にまとめられました
その「語り口」を読んでいて
冒頭の三浦綾子さんの言葉を思い起こしたのです
本当の専門家は
ただ感心させるだけでなく
それなら 僕も(私も) 何かやってみよう
そんな気にさせてくれる方なのです -
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何とも言えない含みのあるタイトル。だからこそ期待してしまうのです。この本には一体何が書いてあるんだろう?と。
ドゥルーズといえば、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』の結論でも言及されていた思想家であり、「待ち構える」という彼の人生観が私にはとても深く刺さりました。
『動きすぎてはいけない』は、千葉雅也さんの博士論文を改稿して出版されたというだけあって、求められる基礎知識のレベルの高さや、難解な表現の連続で、読みきるにはそれなりの忍耐が必要でした。。。
1回読んだだけでは断じて理解したとは言えませんが、千葉さんがドゥルーズを独自の視点で読み解き、過剰につながろうとするだけではなく、非意味 -
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「センスとは何ぞや?」という疑問を解決するために読んでみました。
一般的に言う“センスがいい”とは、どういう状態なのか。
読んでみて、その答えがなんとなく見えてきた気がします。
ただ、これはあくまで私の感覚ですが、この一冊を読んだだけで「自分のセンス」が突然見つかるわけではないと思うんです。
付録の「芸術と生活をつなぐワーク」を日常に取り入れ、少しずつキャパを広げていった先に、ようやく輪郭が見えてくるものなのでは? そんなふうに感じました。
そもそも“センスがいい”とはどういう状態なのか。
抽象的ではありますが、私はここが肝だと思っています。
作中に出てくるこの言葉――
「差異とは予測 -
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私は本書の著者の千葉雅也さんと完全に同世代の人間である。哲学こそ専攻しなかったが、文化人類学の流れで相対主義や構造主義を学んだ。それ以前の時代ほどではないにせよ、ポスト・モダニズムについての議論は、当時まだとても盛んに交わされていたように思う。私は考古学で大学院に進んだが、文化人類学の院生から相対主義がいかにマズイかという議論を吹っかけられて閉口した記憶がある。
そんなわけで、少し懐かしく思いつつ、本書を読んだ。あらためて、現代思想の大まかなところが整理できて有用だった。とはいえ、わかりやすい語り口だが、やはり私が専門に学んだことがないので、所々理解できない箇所が出てくる。後半部分のフーコー -
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書名からは気がつかなかったが、芸術論(特に美術論)の入門書というべき本。「センスが良い、悪い」などの表現は通常の会話で良く使われるが、ではそのセンスとは何なのか?辞書の説明、「意味」「感覚」「判断力・分別」から始まり、センスが悪いとはほとんど人格の否定であり、悪いではなく、「センスを自覚していない」というべきという主張から前半が始まるような気がする。単に感覚的なファッション・センスといった意味ではなく、先天的な生まれつきという意味を含んだ非常に重い言葉なのだ。そして、センスの本質はリズムであり、美術も、音楽も、また文学もリズム!との後半。これは確かに頷ける。ChatGPTはこちらの問いかけの本