千葉雅也のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
【感想要約】
複雑な現実を単純化せず捉える視点に強く共感し、自身の歴史学的関心とも通じると感じた。入門書としての整理の巧みさにも感銘を受けた。今後は批判的議論も含めより現代思想への理解を深めたい。
【内容】
近代哲学(理性・主体・普遍的真理を重視する思考枠組み)に対する批判的再検討として20世紀にフランスで発展した「現代思想」を、デリダ、ドゥルーズ、フーコーの思想を中心に解説する。その後現代思想誕生の理論的基盤となったニーチェ、フロイト、マルクスの思想を紹介し、その後精神分析を言語構造の観点から再解釈したラカンの思想やポスト現代思想の動向についても解説する。主要な3人の思想は以下の通り整理される。
1.デリダは、言語や概念が固定的意味を持つという前提を批判し、意味が差異の連鎖の中で絶えず遅延し続けることを示すことで、二項対立的思考の不安定さを明らかにした(構造の脱構築)。
2.ドゥルーズは、同一性や体系性を基準とする存在理解を退け、差異や生成変化そのものを肯定する存在論を提示し、既存の秩序から逸脱する創造的運動を「逃走線」として捉えた(存在の脱構築)。
3.フーコーは、知識と権力が相互に結びつきながら主体や社会制度を形成する過程を分析し、近代社会が人間をどのように「作り上げてきたか」を歴史的に明らかにした(社会の脱構築)。
上述の思想に共通する現代思想の根幹は、絶対的な「真理」や「本質」の存在を疑い、「世の中には単純化したら台無しになってしまうリアリティがあり、それを尊重する必要がある」という価値観である。
【感想】
「この世界の複雑さをありのままに受け入れることが重要」という私の以前からの個人的信条を、より膨らませ精緻化した上で言語化してくれた様な思いがあり、大変納得性のある内容だった(この歳まで現代思想を知らずにいたことが不勉強であり恥ずかしいことだが…)。今思えば、歴史学における単純化された従来説から脱却しより複雑な過程をありのままに受け入れることで新説を発見する取り組みは、現代思想的なアプローチに由来するものである様に思われた。
本書が私にとって非常にすんなりと受け入れられたのは、もちろんその内容への共感もあるが、本書が入門書として優れていることにもあると思う。このように過度に単純化せずにエッセンスを吸い上げ再構成するには、これらの思想への深い理解と初学者目線の理解が不可欠である。この難題を見事に一冊に仕上げた著者には脱帽するばかりである。
本書の意図は入門にあるため、興味を持った私としてはこれを機に現代思想への理解を深めるため読書を深めたいと思った。一方で私としては納得性のあった現代思想の脱構造主義だが、世間を見ると反発する意見も多くあるように思われたため、そのような意見も読んでみたいと思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ店頭で比較的読みやすそうだなと思い購入。
まさか、センスの哲学の千葉雅也さんの著書とは知らず。
以下学習メモ
[導入]
・ポスト構造主義は1960年代のフランスで流行った構造主義のあとの思想。構造主義は物事を枠として捉える(コンテンツのストーリーを大局的にみる)ことに対して、そこの根底にある二項対立の枠を一旦留保する(=脱構築)ことが構造主義に対抗する考え方。
→二項対立は暗にどちらかが優れているというポジショントークに近い部分があるが、自然⇔文化のように物事のコンテクストで評価が変わるものもあるから、一概に白黒つけなくていいんじゃない?ということ。秩序への逸脱でもあり、それはモダニズムとも通じる。
✅白黒ハッキリしないことへの美学
[デリダ]
話し言葉(パロール)と書き言葉(エクリチュール)の対比
・エクリチュールは仮固定的なもので、コンテクストで捉え方が変わる、パロールは一義的。そしてパロールが直接的、エクリチュールは間接的。
[ドゥルーズ]
差異とは比較対象であるA,Bがそれぞれの同一性の距離を指すと思われるが、彼は凝り固まった同一性がA,Bにあるのではなく、互いに軸を持って左右に揺れ動いている(仮固定的、準安定状態)と説いた。
→人の心も軸はあるが、その時々で感受が異なるのも、この揺れ動く同一性と同じ考えでは?
✅人の同一性は揺れ動くものであり、あまり「私は〜というもの」と自身の同一性について定義しすぎないことが大事。
[フーコー]
脱構築の思想を社会に適用。支配者と非支配者の関係は一見支配者優位に見えるが実際は下の権力者が上のものを支えるという循環構造があるて指摘。
社会のカテゴライズには二項対立的な考えが潜み、その時マジョリティな優位者によって劣位者を定義している。
→むかしは「変な子」だったものが、発達障害というラベルを貼られ、マイノリティとして枠付けされたこととか。元々の曖昧な秩序機構でも良かったのでは?という指摘 -
Posted by ブクログ
意見や世論はできあがったものとしては存在していない。
作り上げていくもの。
アレントは完成された自由を求める。
革命は漸進的にしかなりえない。
國分
哲学において大切なのは真理じゃなくて、問題とそれに応える概念
ex 依存症患者との出会いで中動態という答えを見つけたように
●教育は中動態的であるべき
プロセスを見せる
悩み続ける
すべてがコミュニケーションに支配されて、すべての手段が交換可能、変換可能になっている。
ね。プロジェクトと言えば、何と言ってもハイデガーですね。ハイデガーは「投企」という言葉を使って、人間をプロジェクトする存在として捉えました。
↓
確かに人間はプロジェクトする存在だけれども、その中には中動態的な喜びがあり、そして勉強はその中でも格別の喜びを与えてくれる中動態的な営みで
アイロニーよりもユーモア
教師のとても大事な機能というのは、孤独な時間がなければ人は何かを成し遂げることはできないと教えること
ドゥルーズ
権威主義でない権威
= 選択の余地があるけれども、服従する。
歴史は、勉強しないと認識できない。
仮説は物語
言語を学ぶことは生成変化すること
半他者に私淑する
広さと深さ
周りの声を聞いて自身の規範を内省する
優れた教師とは、「私のようにやりなさい」じゃなくて「私と一緒にやりなさい」と言う者だという
コミュニケーションではなくて、一緒に主体形成することが大切だと思うし、教育はそういうものではないか。
ポスト・デモクラシーの問題として。特異性に反応する、原理なき判断。
エビデンス主義への抗い
二一世紀にもし言語の弱体化が起きているんだとすると、それは二〇世紀的な人文学のモデルとは違うものに移ろうとしていることになります。
●つまり言語というのは、直接的満足の延期であり、もっと簡単に言うと我慢なんですよ。
現代社会では我慢を強いられる状況が減ってきていて、即座に快楽が得られるようになっている。つまり言葉を連ねることによって、直接的満足を我慢することをしなくなっているわけです。
欲望(挟まれること)と快楽(達すること)の違い
ドゥルーズ
今日の民主主義においては、努力によって弁証法的苦難を乗り越えて出現するようなヒーローを抹消することこそが民主主義になるわけです。
シュミット的な理論の克服
敵味方論
レスネス
自分を少なくすることで関わる
遊戯的な政治
人は必ず何かを使用することで主体化していってるはずですね。そのことが認められれば、自分が主体化するときに「使用」した他者や物に対する敬意やそれを慈しむ心も出てくる。
→ものを大事にすること
支配ではなく使用
オカルトとエビデンス
インピュタビリティ(他責)と
レスポンシビリティ(内初
ジャスティスは時間がかかる
コレクトネスはすぐ判断できる
「正義とは法外なもの」
★原爆も言葉から生まれた
「これは善ではない。だが、より大きな悪を防ぐための選択だ」
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Posted by ブクログ
人間は安定を求めている。
想定通りに進むことを期待し、そこに安らぎを感じる。
その一方で反復だけではつまらない側面もあり、一定の予想外・サプライズを求めるのである。
わざわざお化け屋敷やジェットコースターに乗り意図的なストレスを楽しむのが人間なのである。
サプライズは楽しみに繋がるもの、そうじゃ無いものの両方がある。
その違いは安全が確保出来ている、かつ、そのパターンを一定認識できているもの、であるかどうかだと考えられる。
つまり予想を裏切る特定のパターンを作り出すことで、相手に楽しい/面白い、と感じてもらえるのである。
会話の中でギャグを言う/茶化し合う、という行動も、互いに一定の信頼関係がある前提で「普通とは異なること」を言う/行うことで楽しさを感じている行動であると言える。
人間は信頼を基盤にストレス・刺激を感じることで楽しむ生き物であると言える。
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哲学というものについて、これまでなんとなく興味はあったけど哲学書を読むというところには至らなかった。
これは哲学書なのか、と言われたらどうなのかはわからないが、哲学者が書いた本なのできっとそうなのだろう。
千葉雅也さんを知ったのは坂口恭平さんとの対談をyoutubeで見てから。何度も書籍は書店で見かけていたが、難しそうだと敬遠していた。
この本で語られる、「勉強とは自己破壊である」という事について、深く納得させられた。
自分も数年前に断酒をし、たくさん本を読むようになった。
それによって、今まとは明らかに違う自分になっていった。そして、それに伴う寂しさがあった。
これについてモヤモヤしていたが、物凄くシンプルに「ノリ」が変わったからだと言われて腑に落ちた。
勉強し、新たな知識を得ることで今までの自分が破壊され、新たなノリが自分の中で生まれ、今まで乗っていたものにノレなくなる。
こんなにもシンプルな事が深く深く解説されていた。
これを機に他の哲学書を読んだり哲学史について学び始めた。
また自分の中の「ノリ」が更新されているのを実感している。 -
Posted by ブクログ
大学生の時、留学も視野に入れて、というより日本語の哲学研究書があまりにも難しくて、よくPodcastを聞いていた。それはナイジェル・ウォーバートンのPhilosophy Bites(哲学の齧り)であった。ひとつ15分ほどの番組で、ある主題についてウォーバートンのインタビューで第一人者が最前線の研究を語りながら聞き手を案内する充実した内容で、いまも続いている。本書は編者あとがきで言及されているように、その日本語版といった趣のある哲学史入門である。
本書のインタビュー形式であるからこその臨場感は、全ての読者を哲学史のいわば「急所」へと招くものである。従来の哲学入門や哲学史入門で、わかるようなわからないようなつかみどころのない思いをしたことはないだろうか。本書はそういった人に向けて書かれている。研究書をいきなり読んでもなかなか見えてこない隙間が実に手際よく埋められていくのが壮快な一冊である。
開口を飾る千葉雅也氏の哲学史を学ぶことについてのインタビューでは、哲学史を学ぶことが哲学そのものであることがありありと語られる。古代をめぐる納富信留氏との対話では、氏の著書で語られるところの「不知の自覚」「ソフィストとは何者か」、そしてパルメニデスの衝撃がこれ以上なくくっきりと提示される。中世の山内志朗氏との回では、この時代について懐かれがちなわかりにくさが、実に明快な仕方で解きほぐされていく。そして最後に控えているルネサンスについての伊藤博明氏との回では、中世同様に等閑視されがちなこの時代を代表する人々が、如何に幅広い関心のもとに思索を重ね、それが陰に陽に私たちの思想的風景に影響を及ぼしているのかをうかがわせる。
全編を通して実に生き生きと語られる哲学史は、読者が知りたいことを聞いてくれる編者である斎藤哲也氏の軽妙な問いかけによって立体的なものとなっている。「無知の知」という言葉の誤解を解くなかで語られる無知(アマティア)が思いこみであるという指摘は核心を突くものである。また、中世においてアラビア経由で現存のアリストテレス著作の大半が西洋に受け入れられ、そしてルネサンスにビザンツ経由でプラトンの全体像が受容される過程などは、読者がまさに知りたいことであろう。しかし、その全体像として受け入れられたものからこぼれているもの(例えば詩学や政治学)が後に、さらに現代の解釈学へと繋がっていくことをも予想させる。
ここまで読んでくださった読者は、それでは哲学に既に関心がある人のための本であるかと思ってしまうかもしれない。しかし、Philosophy Bitesがそうであったように、ここで語られる哲学史は哲学そのものが何であるかを時代時代に明らかにするものであるので、純粋に哲学入門としてもおすすめできるのである。実に痒いところに手が届く、画期的な哲学(史)入門である。 -
Posted by ブクログ
日頃から漠然と感じていたことを見事に言語化してくれている名著。
人は生まれ育つ過程で、特定の、少ないものに固着して視野が狭くなる=あまり他のものに興味を広げず、ある範囲内で満足するようになってしまう。そこから脱するために(つまりは逆張り)自分はジャンルフリーに音楽を聞き、映画を観て、時にこうして本を読んでいることにふと気がついた。(逆張り、と安易に書いたものの、ただわけもなく「逆」だからそうしているわけではなく、そうするのが好きなだけであるが。)
以前、サークルの後輩と「未知の音楽を聞くのって、なんでこんなに面白いのにそうしない人が多いのだろう」という話をしたが、その答えはこの本の中にあった。不安なのだ。「文化資本の形成とは、多様なものに触れるときの不安を緩和し、不安を面白さに変換する回路を作ることである」。自分にそれを教えてくれたのは椎名林檎だったな。「不快を快に変換するマゾヒズム」。現代美術だとか、アンビエントだとか、はっきり言ってしまえば意味不明で、退屈とすらいえそうなものを好むのは「痛気持ちよさ」を求めてしまうゆえらしい。
とかく、ここにすべてを書こうとすると卒論くらい長くなってしまいそうだから、ぼちぼちにする。僕は海が嫌いだ。例えば、電車の窓から海が見える。ゾッとする。それはあまりにも大きい。人間のフレーム=秩序には収まりきらないエネルギーをもっている。怖い。だから嫌い。でも同時に、黒黒しいあの塊に惹かれてしまう自分もいる(=「死への欲動」)。そういう秩序からの「逸脱」ってのは、どうしてこうも魅力的なのか。「足るを知る」より「不足を知る」=「引き算」をする=「諦める」ということを、この本は教えてくれる。シュールをシュールのまま受け止めてくれるのがカルチャーなんだ。僕はいつもそう思う。