千葉雅也のレビュー一覧
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購入済み
面白い!
とても面白かった。対談本なのですらすら読めてしまうのだが、内容は決して軽いものではなくて、いくつも考えさせられる事柄があった。「ちょっとここのところを考えてから次を読もう」と思い、本を閉じて、考えるのだが、「もうちょっと読みたいなあ」と思ってしまい、考え切らずにまた読んでしまう、という本だった。多分、何回も読んでちょっとずつ考えることになると思う。個人的には、千葉雅也さんの、「僕はマイノリティとして、差別されても別のクラスタでありたいと思っています。それに、こっちはこっちで逆に異性愛文化を小バカにしたりするわけだから、それはもうお互い様です。」という発言がリアリティがあっていいなと思った。
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ネタバレ意味が収束しない=無限に多義的であることを意味がある無意味とし、我々は、意味が収束しないものを有限数の意味で解釈しているにすぎない。トマトの見方は、「赤いもの」「野菜」「球に近い」などなど受け取れる意味は無限に存在しているが、一旦トマトとして理解をしている。いわば、赤い野菜をトマトとして認識させるもの、多義的な意味を無意味に切断するもの、それこそを意味がない無意味としよう。千葉はその意味がない無意味が身体であるとする。
この意味が収束しないことはラカン、フロイトの哲学でも語られ、我々人間は物自体、現実界と彼らが呼ぶ認識できない領域があって、それに対する解釈をしているに過ぎない、その解釈が千葉 -
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あえてビジネスライクに、あるいは自己啓発的に、現代思想のエッセンスを切り開くことで、「(同じ日本語でこそあれど交わりが少ない)人文語とビジネス語の断絶を飛び越える」ことに成功している名著。
その意味で特に「第六章.現代思想のつくり方」 は、宝物のような論考。「勉強の哲学」のメイキング本の中で、いずれ制作の哲学を書きたい、という話があったけれど、ある意味「制作の哲学」の一端となっているような論。
企画職はもちろん、日々何かしらの問題に向き合う仕事をしながら暮らすすべての人に活きる一冊。
また、東浩紀の哲学がどのような位置づけにあるのか?についても克明に刻まれていて、勉強になった。
今まで現 -
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この本を読んで思い出した事があります。
もしかしたら何かの偶然で千葉さんや柴田さんの目に止まる事もあるかもしれないとも思い書いておきたいと思いました。またどうか一人でも多くの方の目に止まればなと思っています。
ジェンダーやトランスジェンダーという言葉を聞くようになったのは、2000年の初めの頃でした。
当時、自分はファッション業界で仕事をしていて、ゲイの多いファッション業界とその周辺ではとても身近な話題となっていました。当時のマルタン・マルジェラやジャン・ポール・ゴルチェなど多くのメゾンがコレクションのテーマにしていたシーズンがあった事も記憶にあります。ゴルチエ本人の口から聞いた事も覚 -
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タイトルに惹かれ、昨今の言葉の誤用を嘆いた内容なのかなと軽い気持ちで手に取ったらもっと深く切り込んだ内容でした。
著者の方々やきちんと内容を知らずに購入したので、こちらが不勉強なため中々理解が難しかったです。
漠然と今まで自分の中で考えていたこと、気になっていたことが次のステップに進むようなヒントを貰えた気がします。
昨今蔓延る自己責任論。どうしてこうなってしまったのかピンとくるものがなかったのですが言語が思考に影響しているのではというのは自分の中では今までになかった視点だったのでとても興味深く面白かったです。
お二方の著作を読んだ方がこの対談をより理解できると思うので読む順番大事かもしれ -
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中動態、勉強、コミュニケーション、エビデンス主義などなど、様々なトピックが、「言語」の横軸で横断的に議論されている1冊でした。とくに第3章「「権威主義なき権威」の可能性」が、示唆に富む内容が個人的に多かったです。
現代的なコミュニケーションは、何でも明確に表出することを求める、明るみの規範化が問題となっている。そうではなく、人には「心の闇」が必要である。言語化できないような不合理性があることで、曖昧なかたちのままで自己を認識できたり、どこか他者を信じれたりする。
それに関連して、エビデンス至上主義は、ある種の民主主義の徹底でもあるけれど、全てを明るみにしなければいけないとか、エビデンスだけ -
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勉強あ=自己破壊を通じて自由になること
情報過剰の世の中=勉強のユートピア
立ち止まって考える ことが難しい世の中
深く勉強しない=周りに合わせて生きる=ノリがいい
勉強=ノリが悪くなる、新しいノリに返信する
道具的言語使用
玩具的言語使用
現実は言語というVRデバイスを通して解釈される。
言語自体は非現実的な表現を可能にする=現実のノリから距離を取れる
第二章
ノリの潰し方→ずれる、ずらす→
ボケとツッコミ
言い換えれば、具体と抽象によるジャンプ
アイロニー→抽象、意味を問いすぎて足場を失う(ナンセンス)
ユーモア→具体、風呂敷を広げすぎて意味の飽和
勉強にはやめ時がない→ -
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フォロワーさんとの読書会で課題本になっていた
勉強をするとノリが悪くなる、今まで見えていたものや考えもしなかったことを考えるようになり、それがノリの悪さにつながっていくというものだった。
これについてはたしかに実感があった。偏見や差別的なことはそれが発生する下地や背景、構造を知ってしまうとそれにはノれなくなる。ネットミームなんかはかなりそういう割合が高く、もともとが差別的な意味合いから出発していることが多いために、もはや最初から使わないほうがいいのではないかとすら思う。
ただこうしたノリの悪さを手に入れるということはあらたな自分になることでもあると著者は述べている。
たしかにノリが悪くなり、大 -
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物事をリズムとして捉えること、そして、習慣に似た反復とそれに対して生じる差異、予測誤差という緊張状態が、「不快」であるにも関わらず「快」であり、そうしたリズムが面白いという表現に、なるほどな、と思った。
また、予測誤差がほどほどの範囲に収まっていると「美的」になり、予測誤差が大きくどうなるかわからないという偶発性が強まっていくと「崇高的」になるということ、美と崇高のグラデーションを偶発性の概念を使って整理することや、偶発性にどう向き合うかが人によって異なることがリズムの多様性となり、それが個性的な「センス」として表現されるとまとめるていることにも共感した。
物質とは、作用・反作用が物理法則に従 -
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サラッと読めるアメリカ滞在の紀行文。解説にも書かれているが、小田実や沢木耕太郎などの紀行文で感じられた文化的差異への驚きや体験の濃ゆさは正直に言って感じられない。話してる相手が外国人であるだけで生活自体は東京とほぼ変わらないのではないか。
グローバル化で欧米や日本は文化が平準化されたということなのだろう。それが良いことなのか悪いことなのかは分からないけれど紀行文から受けた血踊るような高揚感は感じられなくなったことは率直に淋しい。
グローバル化だけでなく、デジタル化も進み、SNSも身近になり、より外の文化が身近になり体験もしやすくなったのかもしれないけど、身振り手振りでコミュニケーションをし