松尾豊のレビュー一覧
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人口知能(AI)とは何たるものなのか、ATの歴史を深く知ることができた。
印象深かったのは
人口知能は生命を持たないために自らを増やしたり保存したりしたい欲は生まれないので、人間界を征服することは現時点ではありえないという著者の言葉だ。 人間が意図的にそうしようとしても諸々の理由で実現性は非常に乏しい ということ。
ターミネーターのような映画を観ていて、いつかはAIに征服される未来が実現されるのではないかと思っていたので納得したと同時に、ホッとした。
が、自分含め多くの人間がAIを悪用したならば世の中恐ろしいことになりかねない。 AIと上手く共存したいものである。 -
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人工知能は人間を超えるか
著:松尾 豊
時代は変わった。
世の中は、人工知能ブームに差し掛かっている。ネットのニュースにも、新聞や雑誌、テレビにも、人工知能という言葉が躍っている。人工知能研究者にとってはうれしい春の到来であると同時に、憂鬱の種でもある暗くて長い冬の時代も思い起させる。
三たびめぐってきた人工知能の春の訪れにあたり、同じ過ちを繰り返していけない。実力を超えた期待には、いかなるときも伸長であらねばならない。世間が技術の可能性と限界を理解せず、ただやみくもに称賛することはとても怖い。
冬の時代を耐えてきた研究者の努力があるから、いまがある。本書の目的は、人工知能の現在の実力、現在の状況、そしてその可能性の理解を読者に促すことである。構成は以下8章から成る。
①広がる人口知能 人口知能は人類を滅ぼすか
②人口知能とは何か 専門家と世間に認識のズレ
③推論と探索の時代 第一次AIブーム
④知識を入れると賢くなる 第2次AIブーム
⑤機械学習の静かな広がり 第3次AIブーム①
⑥静寂を破るディープラーニング 第3次AIブーム②
⑦人口知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの
⑧変わりゆく世界 産業・社会への影響と戦略
2015年3月に発刊された本書。10年以上に記された本書。数か月、数日で目まぐるしく変わるAIの業界においても、陳腐かすることなく、今でも今だからこそ読めば本質的な理解が進むことも多い。
冬の時代しかり、AIの変遷から現状と課題や未来の整理を行う中では、多くのAI関連の資格の教科書の素となっているような、メソッドがたくさん詰まっている。
AIを便利なツールとして活用する他に、使い方を間違えるととんでもないことになるというような、一部の方の杞憂として捉えられてきたようなこと今、現実になっている。
人工知能は今や人間のコントロールが効かなくなる領域に踏み出そうとしている。シンギュラリティは夢の話でもない。
しかし、並行して考えられてきたAIとの関係性は人類VSAIと言った枠組みではなく、あくまで共存、使うのは人類。責任も人類。多くの整理が進みつつある。
AIの進化、普及が人類にとってマイナスかどうかという点は、全体最適や長期的な視点等で評価は変わる。誰しもにメリットをもたらしながら育っていくというのは、過去も今もこれからも考えにくい。
大切なことは、わからないからといって目を背けないこと。
国が自治体が会社が・・といった形ではなく、自分としてどうかかわり、どう使っていくかをイメージしながら取り入れる中で、確実にAIは自身の武器にも盾にも良いパートナーにも成り得る。 -
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AIが優秀な相方として、情報収集/比較/提案をしてくれる中、人間としての付加価値は高度な論点設定力とボス力である。
要は事業責任者として、問いを定め、やることを決め、周りを巻き込み実現し、最後は責任をとることに収斂する。感情を動かす、つまり可愛がられて人で買ってもらうことがより人間として大事になってくる。
逆スマイルカーブが分かりやすい表現だ。
付け焼き刃的な汎用性は意味をなさず、現場で培う実践知が非常に大事になってくるところにコンサル業として危機感を感じつつ、やはり目先の分かりやすいスキルに飛び付かず、泥臭く積み上げることがより人間としての深みが出るんだと思う。 -
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ネタバレ■プロンプトカ=問う力、対話力が武器になる、しかも
AX時代において、意思決定プロセス上の最も重要な能力は、「プロンプト力」である。ブロンプトとは、AIに与える“指令文”だが、これは単なる命令ではなく、問いの構造設計そのものである。
・どんな切り口で情報を整理させるか?
・何を前提に答えさせるか?
・どのレベルの抽象度で出力させるか?
これらは単なるスキルではない。思考能力と構造化力の複合体だ。つまり、「良いブロンプトが書ける人材」とは、「本質的な問いを定義できる人間」であり、経営であれば「経営の設計図を描ける人間」である。
一時期、もっとユーザーサイドのテクニック的な意味でプロンプトエンジニアリング(AIに与える指示文を設計・調整する技術)というスキルが注目された。モデルの一般的な性能(たとえば論理処理)を上げるプロンプトテクニック、たとえば、thinkcarefully と入れると軒並み性能が上がるといった話である。要はAIの生産性はプロンプトの質に規定されるということだが、その後、AI自身がどんどん進化し、ユーザー側のプロンプトの巧拙はあまり重要ではなくなっている。AI自身の推論力、理解力が向上し、質問の多少の論理的巧拙や質問の曖昧さは補ってくれるようになったからだ。
しかもAIアシスタント、さらにはAIエージェントといった自律的なサービス機能まで登場し、AI自身が自問自答しながら目的に向かって思考作業を進めていくようになっている。そうなると、使う側が真に求められる価値ある問い、差がつく問いは、当該問題領域におけるより本質的な問いとなってくる。そもそもなんのためにAIに問うのか、その目的設定こそが問いの本質であり、問いの構造設計思想となる。経営のドメインでAIを使う場合、経営力のある人材、すなわち経営に関する思考能力と構造化力のある人材こそがより良い問いを立てられるということだ。
結局、ユーザーテクニックレベルでのプロンプトエンジニアリングの重要性は減少し、 むしろAIやAIエージェントの内部機能に内在化、組み込み化、高度化されていく。
その意味でプロンプトエンジニアリングの重要性は引き続き存在するが、それが進むほど人間様の方ではもっと高次元、メタなレベルで意味のある問い、自然言語で本質的な問いを立てる能力が重要となる。
本質的な問いにあらかじめ答えはない。AIは正解を知っているのでそれを効率的に引き出すためにプロンプトテクニックが必要だ、という発想自体が無意味になってくる。
むしろ本質的な問いに対する答えを創出するための対話の相手としてのAIの役割が重要になってくる。本質的な問いはすなわち創造的な問いであり、人間として真に価値のあるAIの使い方は対話的になっていく。実は相手がAIか人間かに関係ないのだが、問う力は対話する力でもあるのだ。そしてエージェント機能を持ったAIに対しては指示する力へと発展する。
言い換えれば世の中の既存の与件、産業の与件、会社の与件、部門の与件を疑い、それらの与件はそもそもなんで存在するのか、その理由や背景は今でも有効か、観察の視座を上げ、思考の抽象度、普遍度を上げられないと本質的な問いは立てられないし、真に創造的な対話はできない。
裏返して言えば、それ以外の事柄の多くはAIにやってもらった方がいい。そこで私たちは世の中のデスクワーク仕事、知的生産活動ということになっていた仕事の多く、いわゆるスタッフ仕事の多くは人間自身でやる必要性はないことに気付く。結局、仕事は「決めること」「実行すること(させること)」その「結果責任を引き受けること」の三つに収れんし、それ以外の仕事、たとえば決めるために組織の中で人間がやってきた膨大な量の仕事の多くはAIに代替され価値を持たなくなる。 -
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ビジネスの巨匠 冨山氏、テクノロジーの巨匠 松尾氏がタッグを組んだ、最強の「AI時代のビジネス書」。産業革命に匹敵するAXの破壊力、それがビジネス、人材市場に与える影響を、まざまざと見せつけられる。
AIによって二次情報はコモディティ化され、いかに一次情報を収集・分析し、トップがいかに判断・決断を下すか。この川上・川下の両極端が価値を持ち(スマイルカーブ)、いかに意識・スキル・ワークをシフトできるかが、今後の労働者の戦略上の論点となる。
AX時代に「日本的すり合わせ文化」が相対的に有利となること、さらにホワイトカラーを多く抱えた大企業より「中堅中小・ローカル」に勝ち目があることも、主張として面白味があった。 -
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「生成AIで世界はこう変わる」(2024)を先に読んだほうがよかったかも。この本の出版当時(2015年)は「2030年には生成AIが秘書、教育、ホワイトカラー支援へ」使用されるようになる未来を予測していたが、それがChatGPTの登場で7、8年早まった感。
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・人間の脳内で起きていることも電気信号の伝達なんだから、人間の知能がプログラムで実現できないはずはない
・人間が知識として教えるのではなくコンピュータが自ら特徴量や概念を獲得するディープラーニングでは、コンピュータが作り出した概念は人間の持つ概念とは違うかもしれない=コンピュータの知能
・人工知能の壁は「特徴量の獲得」だった、人が教えるのは限界、階層を増やすと教師ありインプットの影響が下層では薄まってしまって思う結果が出ない
・ノイズデータを入れてデータを増やすアプローチがブレイクスルー、わざとデータを欠落させ存在しない部分をも推測できるようにより堅固な特徴量を求めさせる
・入力層と出力層を同じにして、中間層でそれぞれの共通項「特徴量」を探させる→それと答えが合っているかをチェックさせる(教師なし)→ それを用いて更に高次の特徴量を取り出す…の繰り返し→その特徴量にラベルを与えるのは人間(教師あり)
・シンギュラリティ、ある時点で爆発的に成長が加速する
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ヤン・ルカン氏の大著
以下メモ
還元主義的モデルでは対応できない複雑な集合的現象の予測は現象学的モデルであるNNが得意とする。ここでいう、還元主義的モデルとは、こういう方程式で支配されて、この環境ではこの影響をこのくらい受けるから、こうなるだろうと予測する方法。ロケットの弾道予測とか、天気予報とか。現象学的モデルは、都市の消費電力の予測とか、薬に対する反応とか、色んなデータを観測して、それらの変数に対する影響度合いを起こったこと(現象)から予測するモデル。
自己教師あり学習による世界モデルの獲得が必要
知能は教科学習のみで達成されるものではなく、自己教師あり学習、教師あり学習、教科学習の3段必要である。
「AIはブラックボックス」と言われるが、それは誤解だ。ニューラルネットは解析可能で、秘密の部分はない。確かに複雑だが、人間の判断も完全に説明できるわけではない。医者やパイロットの脳の働きを知らずとも信頼するのに、なぜAIにだけ過剰な説明を求めるのか?さらに、医薬品の作用機序が不明でも使われるように、AIも試験を経れば利用可能だ。特に金融や行政では、判断の根拠を示し、改善策を提示する仕組みを整えればよい。それが本質的な透明性だ。
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ネタバレ率直に学びが大きい本であった。
ディープラーニングによる特徴表現学習がきっかけとなって、今利用している人工知能の大きな進歩がある、といった話が興味深かった。なるほどとなった。現在多くの人が利用しているchatGPT等の生成AIも根本的なロジックは本書の内容が元になっているわけで、仕組みがわかって面白い。
長期的に代替される仕事、については自身も同じことを考えている。決断をして責任を取るということと、人と関わる、という2種が今後重要になって行くと思う。
本書の発行から10年が経ったが、ソフト面は生成AI等、本書の時点より大きく進歩している一方、ハード面の進化が追いついていないと感じた。測定機器の需要とかが今後伸びるのかなーとか思った。
本書で警鐘を鳴らしている、データを持っている組織ほど有利という状況に、現在なってしまった。。 -
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因果推論ができるようになるのが子供の頃からというのが重要。ある日突然自由意志をもらって喜ぶのはおかしいから。これは私の敬愛する哲学者の永井均さんの例。僕たちはいつ自由意志をもらったかわからないところで自由意志を得ている。
三段のはしご。観察、行動、反事実であるが、反事実の段階で、善悪がわかっても遅い。おそらく観察段階で、単なるA.I.兵器として使われるだけだ。でも、三段のはしごに分類したことはある程度成功している。
因果ダイアグラムのように視覚化されると、たいへんわかりやすくなる。ただ実践して使えるかと言われれば首を横に振るだけだ。ただ少し図を変形することによって意味合いが変わってくるのは感慨深いものがあった。
A.I.の内容が透明になることを望んでいるようだが、そして、それは強いA.I.を目指しているのだろうが、それは全くどうでもいいことのように思われる。そのA.I.が因果推論をしないならばという条件をつけてのことだが。
どうしても最後のA.I.のところばかり集中して考えてしまう。でも、因果関係を科学の言葉に翻訳した功績は大いに認めてよいと思う。
古代の人は確率に弱かったが、因果推論には強かったと思われる。それは今の現状にも言えること。 -
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世界屈指の人工知能科学者が因果推論について、過去の事例や著者自身の経験・研究をもとに解説している。そもそも因果推論とはなにをすることか、人工知能の科学者がどうして因果推論について研究することになったのか、因果推論を蔑ろにしていた統計学者などの歴史、一貫して重要性を主張していた因果ダイアグラムの解説などさまざまなことが学べる。
私自身、計量経済学を中心にデータ分析を学んでいたこともあり、もともと因果推論には関心があった。本書でも述べられていたが、伝統的に?計量経済学のほとんどの教科書では因果ダイアグラムを使われることがなかった。しかし、因果ダイアグラムを駆使することで、交絡・コライダー・媒介などを明確にできることが説明されていた。このことは非常にまなびになった。あの有名なモンティ・ホール問題も因果ダイアグラムで解説されている。
データのみから情報を得るだけでは因果推論はてきない(因果のはしご一段目)。介入や反事実(因果のはしごの二段目、三段目)を扱うには、推論したい事象の分野についてよく考察できるだけの知識や経験が必要だと実感した。なお、観察データから純粋な効果(本書ではdo演算子が式にある問題)を推定できる方法も本書では解説されている(フロントドア調整など)が、これらもそれぞれの因果の向きや理屈を理解していないといけない。
本書では因果推論をうまく扱えなかったがために間違った道に進み、多くの失敗(たばこや壊血病など)をしてきたことが紹介されている。私自身、本書の内容についてまだまだ理解不足なことばかりであるが、因果推論の考え方で正しい道の方向に向いていきたいと思った。