辻田真佐憲のレビュー一覧
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デタラメの代名詞とも言われる「大本営発表」。
近現代史研究者の辻田氏はこの大本営発表にスポットを当て、その始まり(1937年の日中戦争時)から、最後(第二次大戦終了時)までを追いかける。
最初はデタラメとは言えず、そこそこ正確に戦況を伝えていた大本営発表が、一体いつ頃から綻び始めるのか。勿論、日本の劣勢を隠すためではあるのだが、なぜ当時のマスコミはその発表に隠された大きな嘘をそのまま報道したのか。
そこには陸海軍の対立と、国とマスコミの間の対立と癒着が深く関係していたことを丁寧に掘り起こしている。
戦時統制で新聞に使う紙が統制の対象になり、群に逆らえば新聞が印刷出来なくなると言う国に急所を掴まれた状態の新聞社。関係構築のために軍の報道部門を接待する新聞社。本来は権力の監視者であるべきマスコミと軍の緊張関係が崩れ、大本営発表を無批判に流し続けたことが大本営をデタラメなものにした背景の一つだと辻田氏は述べる。
この軍と新聞社の関係には既視感がある。
放送法を倫理(努力目標)ではなく法規であると解釈を変えて違反した社は停波の罰則を課すと政府から脅されたテレビ局。政権に批判的とされた番組キャスターやコメンテーターを降板させたテレビ局。
今の状況と恐ろしいほど似ている。
既に一部のマスコミは国民の信頼を失いつつあるし、メディアの中立性と、権力の監視という公益性を無視して政府がメディアに介入し、メディアを変えるべきだという本末転倒な主張まで出始めている。
本書はまさに今に対する警鐘だと感じる。 -
Posted by ブクログ
大本営発表の変遷とその背景を網羅的に辿る名著。太平洋戦争の変遷も同時に辿れる。史実と筆者の評価が絶妙なバランスで混ぜられており、学びと面白さが両立している。
空母にして73隻もの戦果報告の改竄は呆れるばかりだが、一度ついた嘘の辻褄が合わなくなって嘘をつき続けることしかできなくなった陸海軍の悲哀たるや。
国民を騙すこと自体が大きな罪だが、戦果の誤認や改竄が誤った戦略を生んだことも特筆すべき事態。
現代はメディアの質と、メディアの独立性で揺れ動いているところかなと思うが、少なくとも、くれぐれも報道機関と政府は適切な緊張感を保ってほしいと願うばかりである。 -
購入済み
人は歴史に学べない?
ここ最近の報道をみていて、政治家の明らか
な嘘などが、なぜ無批判にメディアで垂れ流
されるのか疑問に思いつつ再読。
結局気分は暗澹とするばかりだが、だからこそ
一つ一つの事例を現代に照らし合わせて読めた。
結局、人はたとえ「悪い見本(この場合は過去
の大本営発表)」から、何も学べないのかな? -
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読んだ
自衛隊の勧誘ポスターがアニメ絵なのが楽しいプロパガンダの典型例、って話に納得
ちゃんと読書メモ取りながら読み返したい。
大塚英志著『大政翼賛会のメディアミックス』を読んでるところなんだけど、この『楽しいプロパガンダ』に通じるところがある気がする。
『楽しいプロパガンダ』では戦前日本の楽しいプロパガンダ、そんなに大成功というわけでもなく模索してた、みたいな描かれ方だったと思うんだよね。
ただ『大政翼賛会のメディアミックス』では、戦前の日本の市民向け楽しいプロパガンダが割と成功していたという視点で取り上げられてるので比較すると面白い。
戦後、世界に先立ち作られた、日本のエンタメの「メディアミックス」という方法論は、既に戦前、大政翼賛会によってその雛形が作られていた、って話とかが書かれている。
かえって、本書『楽しいプロパガンダ』で書かれてたように、過小評価している方が危険だと思う。
スベってる楽しいプロパガンダを指差して笑ってる間に、実はもう別の楽しいプロパガンダ取り込まれてた、って可能性は大いにあるよ。愚かな民衆でありたくないね…。
今の安倍政権も、芸能人とかインスタとか使った『楽しいプロパガンダ』大好きだしね。
星野源の「うちで踊ろう」と安倍晋三のコラボ、みたいにあからさまにスベってるのもあるけど、その影で成功してる楽しいプロパガンダもあるじゃん??
河野太郎のツイッター戦略とかね。麻生太郎もローゼン大臣てネタ化・キャラ化されて以降やたらとオタク層からの支持が高いし、小池百合子も「密です」がネタにされてることを上手く利用して市民からの好感度を上げてるし。
自衛隊と艦これコラボの例もあるし、そう考えるとオタク層って「楽しいプロパガンダ」への脆弱性が高いよな。「二次元と現実の区別はついてる」って自認してるくせに、表現が現実にもたらす影響について全然考えようとせず、指摘されたら逆ギレしてるような層だから、カモにするにはもってこい。権威に弱く、弱いものいじめは好きなので大変都合の良い自警団になってくれる。
オタクカルチャーに染まって思春期を生きてきたけど、一度気づいてしまったらもう批判的な目で見るのを止められないな -
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文部省(文部科学省)とそれが追い求めた「理想の日本人像」を通じて、明治維新以来約150年の日本の教育史を明らかにすることを試みている。
教育という(著者の)価値観が入り込みやすいテーマについて、非常にバランスよく叙述されていて、客観的に日本の教育史を振り返り、今後の教育について考えるのにちょうどよい本だと感じた。
日本の近現代の「理想の日本人像」をめぐる歴史においては、普遍主義と共同体主義の相克と調和が常に問題となってきたということがよく理解できた。凡庸な結論ではあるが、著者も指摘するように、「理想の日本人像」の(とりあえずの)正解は、普遍主義と共同体主義のいずれに偏ることもなくその中庸にあるのだろう。「理想の日本人像」という概念の限界も自覚しつつ、それを安全装置として利用せよ、という著者の提言にも共感した。 -
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小学校から高校まで、入学式や卒業式で歌って来た「君が代」。
実は1999年の「国旗国歌法」制定まで、正式には国歌でなかった
ことを知ったのは成人してからだった。
ただ、この「国旗国歌法」に関しては例の日本会議が動いている
ので若干、複雑な思いはあるんだが。
式典では必ず「国歌斉唱」と言われるのだから、そりゃ無条件で
国歌だと思うわ。
「君が代」に賛否両論があることは中学生頃に気がついた。しかし、
私自身は別に反発することもなく歌っていた。だって、誰も国歌と
決まっているのではないと教えてくれなかったのだもの。
「君が代」はいつ生まれ、歌詞にはどんな意味があり、歴史的には
どのように扱われて来たのか。国歌であるのに私たちはあまりにも
知らな過ぎるのではないか。
本書はタイトルこそ微妙だが、「君が代」誕生のきっかけから曲の
変遷、「君が代」に替わる新たな国歌を生み出す試み等、多くの
研究書にあたり、丁寧な考察をした良書だ。
明治2年の英国王子の来日に伴い、英国側から「日本国家はいか
なるものでよろしいか」と問われた。慌てたのは明治政府。
「え?国歌?国の歌?そんなのないよ。どうしよう」となったところで、
誰かが古歌である「君が代」の歌詞を持ち出し、英国の軍楽隊長が
作曲して即席の国歌「君が代」が出来上がった。
しかし、曲の方は後に改変されおり今、私たちが知っている「君が代」
は試行錯誤の末に出来上がった曲である。
こういうのさ、学校で教えてよ。自分たちの国歌として法整備された
のであれば尚更だよ。海外では自国の国歌の意味などを学校で
教えているところもあるらしいのだから。
国旗「日の丸」以上に物議を醸すことの多い「君が代」について、何も
知らずに「日本人なら歌いなさい」と強制されても反発を招くだけだと
著者は言う。
あったよね、大阪だっけ?卒業式だか、入学式だかで教職員がきちん
と歌っているか口元チェックをチェックしていたなんてくだらないわ。
ならばどうしたら問題を解決出来るのか。「歌う国家」ではなく「聴く国歌」
として位置させればいいのではないか。そうすれば、イデオロギーの対立
の火種としても小さくなるのではないか。
これ、いいかもしれないね。本書でも書かれているけれど、テレビ画面を
通じてスポーツ選手が歌っていたかどうかがネットで騒がれるようなこと
もなくなるんじゃないか。
右にも左にも寄らない著者のバランス感覚が素晴らしい。尚、入学式など
で国歌斉唱するのは日本のほか、中国と韓国だけらしい。ネトウヨの皆様
が敵視する国と一緒なんだね。 -
Posted by ブクログ
・大本営発表とは、日中戦争〜太平洋戦争にかけて軍部から発表されていた戦果報告のこと。
・今やデタラメな発表の代名詞として使われる「大本営発表」。これが実際どれだけデタラメだったか、何故そうなったか、そして教訓について詳細に、かつ分かりやすく書いた本。右寄りでも左寄りでも無くフラットなのがいい。
・これを読んで何故日本が負けたかと、今日本の製造業がダメになってるのか、凄く近いのではと感じた。
・勝ってる時は、正しい報告をすりゃ良かった。しかし、戦局が変わってから、戦意高揚という大義名分の元、水増ししたりしていた。後で帳尻合わせすればいいやと思っていたところもある。
・ベテランの兵士が次々戦死した結果、戦地から上がってくる情報の信憑性が悪くなった。煙があがっただけなのに沈没させた、など。それを現地で戦っている人間からの情報を訂正するとは何事か、という謎理論で修正しなかった。
・海軍と陸軍が完全に縦割りで、報道部も完全に分かれていた。互いのメンツを立てることに終始した結果、過剰な報告をしまくった。このままではヤバイと統合されたのは何と1945年。これでは救えない。
・結局、自分達が作った偽情報に惑わされて有用な作戦が立てられなくなってしまった。
・どっかの会社で聞いた話に近いな... -
Posted by ブクログ
ネタバレこの本は以下のようにして筆を擱いている。
「大本営発表はメディア史の反面教師として、今なお色あせていないのである。」
これは報道をするマスコミ側の問題だけでは無く、報道を受ける我々一般市民が注意しておかなければいけない内容である。必読。
「大本営発表」という響きには「大上段からの大嘘」というイメージが付いて回るのだが、そのイメージは誤っていないことが分かる。ただし当初(日中戦争時、及び太平洋戦争開戦後しばらく)はまだ正確な報道であったとのこと。
そして、なぜ「大本営発表」が捏造だらけの発表になったのか、なのだが、現在の日本国政府と同じく「情報の軽視」が大きいようだ。相手の損害状況は攻撃隊からの報告に依存するわけだが、その報告の正確度よりも「命を賭して闘ってきた兵士の報告は絶対」との感情論が先行していたため、必然的に成果が大きくなった。そして損害は小さく表現される。
また、作戦部と情報部との間の不仲など縦割りの影響を受けるため、大本営発表の内容は妥協的な内容に落ち着くことになることが多かった。
さらには、ラジオというメディアを利用するために、発表に修飾語がたくさん付くようになったことも、状況悪化を誤魔化す要因となった。
「大本営発表」が官僚の作文になっていき、撤退が「転進」、全滅が「玉砕」と美化されていく。本土空襲では、焼け野原になっても「相当の被害」が最大限の表現であり、「被害に関しては目下尚調査中」としたまま結果が公表されないことも増えた。
終戦直前、すでにポツダム宣言の受諾が決定された後の1945年8月12日、陸軍の戦争継続派がニセの大本営発表で徹底抗戦を訴えようとした。のだが、記者たちが「いつもの大本営発表と違う」ことに気付いて、政府筋に確認した。捏造であると判明したため、この大本営発表は全国には発表されずに済んだ。
この最後だけは報道機関のチェックが働いたわけだが、通常は発表がそのまま報道される、つまり軍部と報道とが一体となっていたため、軍部は思い通りに報道させることが出来ていた。
翻って現代の政府発表と報道機関との関係はどうか。情報が制限されていた福島第一原発に関する報道、放送法の公正中立規定を努力義務から法規として解釈し停波がありうると発言した総務大臣、安倍政権の言うことに反することは出来ないという現NHK会長(ただし来年1月には退任決定)。
政府と報道が癒着して、健全な報道が出来るわけがない。報道そのままを鵜呑みにするのでは無く、その背景を考えつつ報道を聞く必要がある、そのことに改めて気付かされる本であった。