あらすじ
いまどき「天下り」スキャンダルで、事務次官までも辞任した文部科学省。戦前は内務省文部局、戦中は陸軍省文部局、戦後も自民党文教局、日経連教育局などと揶揄され続け、つねに「三流官庁」視されてきた。
しかし、侮ってはいけない。文部省はこの150年間、「理想の日本人像」を探求するという、国家にとってもっとも重要な使命を担ってきたのである。明治維新後は「独立独歩で生きてゆく個人」、昭和に入ると「天皇に奉仕する臣民」、敗戦直後は「平和と民主主義の担い手」、そして高度成長時代には「熱心に働く企業戦士」――すべてに文部省は関与してきた。
そして、グローバリズムとナショナリズムが相克する今、ふたたび「理想の日本人像」とは何かを求める機運が高まっている。気鋭の近現代史研究者である筆者が、イデオロギーによる空理空論を排し、文部省の真の姿に迫った傑作!
【目次】
第一章 文部省の誕生と理想の百家争鳴(一八六八~一八九一年)
――「学制前文」から「教育勅語」まで
第二章 転落する文部省、動揺する「教育勅語」(一八九二~一九二六年)
――「戊申詔書」から「国民精神作興詔書」まで
第三章 思想官庁の反撃と蹉跌(一九二六~一九四五年)
――『国体の本義』から『臣民の道』まで
第四章 文部省の独立と高すぎた理想(一九四五~一九五五年)
――「教育基本法」から「国民実践要領」まで
第五章 企業戦士育成の光と影(一九五六~一九九〇年)
――「期待される人間像」から「臨教審答申」まで
第六章 グローバリズムとナショナリズムの狭間で(一九九一~二〇一七年)
――「教育改革国民会議報告」から「改正教育基本法」まで
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Posted by ブクログ
文部省の掲げる「理想の日本人像」の移り変わりを通じて、文部省の歴史を分析。 時代によって理想の日本人像に変遷はあるも、その軸には、グローバリズムとナショナリズムの二つがあったようである。グローバリズムの名の下に、競争を煽り、階層化が進めば、それはナショナリズムの同胞意識でフォローできるかもしれない。ナショナリズムの自国中心主義は、グローバリズムの経済的合理性で抑制できるかもしれない。 ナショナリズムとグローバリズムをどのように調和させていくかが、「理想の日本人像」を考える上での軸になっていくだろう。
Posted by ブクログ
どういう教育をするか、ってその時の政治動向や思想のトレンドとかに大きく左右されるわけね……
まさかゆとり教育にそういう意味もあったなんて
もし希望通りMETI入ったとしても教育改革なんてできそうにないですね
Posted by ブクログ
文部省の研究「理想の日本人像」を求めた百五十年。辻田真佐憲先生の著書。現代の文部科学省はモリカケ問題に収賄問題、裏口入学問題と不祥事だらけ。教育に心血を注いで大変な努力をしてきたかつての文部省の職員の人たちが現在の文部科学省の不祥事を見たらどう思うのでしょう。
Posted by ブクログ
文部省(文部科学省)とそれが追い求めた「理想の日本人像」を通じて、明治維新以来約150年の日本の教育史を明らかにすることを試みている。
教育という(著者の)価値観が入り込みやすいテーマについて、非常にバランスよく叙述されていて、客観的に日本の教育史を振り返り、今後の教育について考えるのにちょうどよい本だと感じた。
日本の近現代の「理想の日本人像」をめぐる歴史においては、普遍主義と共同体主義の相克と調和が常に問題となってきたということがよく理解できた。凡庸な結論ではあるが、著者も指摘するように、「理想の日本人像」の(とりあえずの)正解は、普遍主義と共同体主義のいずれに偏ることもなくその中庸にあるのだろう。「理想の日本人像」という概念の限界も自覚しつつ、それを安全装置として利用せよ、という著者の提言にも共感した。
Posted by ブクログ
目標設定好きは、日本人の習癖かもしれないけど、
「理想の日本人像」を官僚が決めるのは違和感があるし、
それを目指して頑張ろう、なんて人が居たら気持ち悪い
と思って読んでいたら、最後に
「理想の日本人像」を安全装置として利用せよと
著者が書いていて
なるほどなぁ、そんな考え方も有るのかと納得した
Posted by ブクログ
理想の日本人像なんて、時の権力者が自分が御しやすい国民を作るために定めるものなのだなと思った。しかし、それはあくまで過去のものであり、今は「理想の日本人像」ではなく、「理想の世界人像と、その中の日本人像」を考えないといけないのではないかな。
しかし、1890年台の西園寺公望の考えには恐れ入った。
①科学教育を重視すべきこと
②英語を普及すべきこと
③女子教育を振興すべきこと
④修身における「理想の日本人像」を転換すべきこと
→従順な忠臣タイプではなく、逆境に功を奏する両親タイプを理想とすべき
いやぁ、すごい。今も全然できてない。この考えが普及してたら、今とは全然違った日本になっていただろうね。
Posted by ブクログ
明治から現代まで、「学制」から「改正教育基本法」まで、文部省(文部科学省)の150年の歴史を「理想の日本人像」を軸に一気に通観できるという意味ですぐれた概説書である。文部省の思い描く「理想の日本人像」は普遍主義と共同体主義の間を常に揺れ動いてきた。「教育勅語」ですら常に「第二の教育勅語」が模索されてきたのであって、そうした意味で侵すべからざるものではなかった。
150年の歴史をコンパクトな新書で追っているので、やや物足りない部分もあるが、イデオロギーに偏らずバランス良く叙述されているように思う。
Posted by ブクログ
P.48 教育勅語はどうとでも解釈できる
ヤヌスのような両面性
×儒教的な道徳を普及
○利用しながら近代国家の国民道徳に結びつける
啓蒙主義「学制」「自由教育令」
儒教主義「教学聖旨」福岡文政
国家主義 森文政
国体主義「教育勅語」
普遍主義(欧化主義、啓蒙主義)が共同体主義(儒学「我国固有の倫理」「国体の精華」)によって徐々に修正
→「教育勅語」は普遍的かつ絶対的でなかった。が天皇の言葉である以上、一切の批判を許さない神聖不可侵な性格を持っていた
大国化と文部省の没落
西園寺公望の世界主義
国定教科書
P.79 社会教育
国家主義的な「国民精神作興詔書」
Posted by ブクログ
【期待したもの】
・
※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
・文科省がどんなことを考えてるのか分かれば。
【ノート】
・結果として期待したものとは違った。「理想の日本人」を補助線として通史的に研究してるのだが、その補助線が自分の期待とは違ったということ。
・ただ、三浦朱門のゆとり教育に関しての発言は面白かった。「要はエリート教育だが、そういうわけにも行かなかった」という、底上げの議論があった。
【目次】
Posted by ブクログ
意外と分かりやすい。
文部省って「理想の日本人像」を追求していたのかぁ。最近の施策からはまったく感じられないけど。
近代国民国家を支える「国民に求められる資質とは何か」ってことなんだろうけど、国家ありきで国民を規定しようとしていたわけだ。それが正しいかどうかは別として、明治の初期は開明的だったのに、日清、日露を経て、求める日本人像がリベラルから国家主義的に変わっていったのが寂しい。その過程で、そも「国体」なんてなかったこと。政府の都合に合わせて国体を定義したことが示される。
それにしても、文部省って最初から三流官庁って言われてたんだなぁ。