西村ツチカのレビュー一覧
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子供達の自然への目線や感性は本当に凄い
拾ってきたどんぐりをいつまでも触ってる
蠢くアリンコたちをしゃがみ込んでいつまでも眺めていられる
掃除されず、ついにミイラ化した黄金虫が片隅に落ちてる通路を通るたびに「いるねぇ〜」って毎回新鮮
センス・オブ・ワンダー
この本は、著者であるレイチェル・カーソンが
彼女の甥っ子ロジャーに自然のセンス・オブ・ワンダーを伝えるエッセー
私は逆に3歳の男の子にその感覚をいつも思い出させてもらってます
そんな私がレイチェルさんから学んだこと
自然に熱中している時間を尊重して
大人の都合じゃなく
その時に得られる尊さを優先する
カッパを着て長靴履いて
雨の日に外の景色を見に出かけたり
月や星を見に夜お散歩してみよう
虫や鳥の声を聞いて
良い声だねって一緒に楽しもう
自然の面白さ 不思議さ 素敵さを
一緒に感じていこう
お月様を双眼鏡で眺めるレイチェルさんのアイデア
素敵!
同時に収録されている
訳者森田真生さんの
「僕たちのセンス・オブ・ワンダー」は
私が感じたこのワクワク感を理性的に語ってくれています
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15歳のシャールは、「食死病」にかかって死んだ父親の跡を継ぎ、レストランの料理長となる。そんなシャールがレストランに呼んだのが、貧困街に住む「天才」アズレだった。
アズレが作る魔法のような料理に胸が高鳴ったり、「天才」の隣で過ごすシャールの苦悩と優しさが痛いくらいに伝わってきたり…。関係の崩壊と修復を描くストーリーにもぐいぐい引き込まれて、少しずつ読んでいくつもりだったのに、一晩で一気読みした。
物語のラストはびっくりする展開だったけど、心が温まる、希望に満ちた終わり方で好き。すばらしかった。幸せ。
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まず、ピースープを口に入れて感じたのは、途方もない安らぎだった。
舌の上からなにかが電気のようにかけめぐって、血管をとおって、一気に足の裏まで、体のすみずみまで知らせていった。この味を。このぬくもりを。このよろこびを。p93 -
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レイチェル・カーソンの遺作『センス・オブ・ワンダー』と、そのバトンを引き継いだ森田真生の『僕たちの「センス・オブ・ワンダー」』を一冊にまとめた本。西村ツチカの装画と挿画がワンダーな感覚をより刺激してくれる。
カーソンさんの文章が素晴らしいのはもちろんだが、森田さんの翻訳と文章も更に素晴らしくて、子どもたちとのやりとりは、まさにカーソンさんの物語の続きとなっていると思う。子どもから学ぶことはとても多い。何より、楽しむのに理屈や知識はいらないのだと改めて教えてもらえて嬉しくなった。
「センス・オブ・ワンダー」を忘れないためにも、近くに置いておきたくなる本だ。
全体的には生の根源的な喜びを書きながら、「結び」として人類が直面している問題についても(レイチェル・カーソン『沈黙の春』を引用しながら)考えを伸ばしている。
人間は地球の癌なのだろうかなどと悲観してしまう私だったが、あとがきに書かれたこの本に込められた森田さんの想いに背筋が伸びる。大人がしっかりせねば!
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ネタバレ「沈黙の春」で農薬に含まれる化学物質が自然に与える影響を指摘したレイチェル・カーソン。一歳の甥のロジャーを抱いて海鳴りに包まれ「感じること」の大切さを訴える。著者は言う。多くの親御さんが「自然の素晴らしさを教えてあげたいけれどそんな知識もない」と尻込みする。人間の「知識」など「感じること」に比べたらごくごくわずかな、些細なものに過ぎません。ただ子供と一緒に、自然の不思議さを「感じ」て下さい、と。しかし著者は途中で亡くなり半分は訳者・森田真生氏のエッセイ。(2024/07/12記)
カーソンのパートは一歳八か月の甥のロジャーを毛布にくるんで、彼女が嵐の夜に彼を抱いて海辺に降りていくシーンから始まる。雨が降りしきって二人を濡らす。嵐の海は波音を轟かせる。腕の中に感じる確かな命を抱いてカーソンは、自然の咆哮の中に包まれていた。そこでカーソンは腕の中の小さな命と、自分を飲み込みかねない嵐の海という大きな命の二つを全身で感じていた。
森田氏のパートも同じこの「ミクロとマクロの共通点」を、虫やカエルに目を輝かせる子供の目を通して見出していく。多様な虫が、多様な力関係で命をつなぐ傍ら、人間もまた人間たちで活動して命をつないでいる。これらすべてを受け入れる「地球の懐の深さ」に森田氏は感嘆する。
中には「生成AI」についての言及もある。虫の中には枝に擬態するものもある。AIは人間を擬態している。けれど肉体を持たない彼らの言葉は、人間のそれとはまったく違う。こうした指摘は森田氏の文章自体から強く伝わってくる。
当初私は「ふわっとした感傷的な日記風エッセイが始まるんだろうな」と思っていた。けれど、彼の文章は彼自身の「五感」に根差すものだった。子供たちが目を輝かせる虫や爬虫類に、自分もまたルーペを持ち出して一緒に観察し、一緒に触れた上で書いている。だから読んでいるこちらも、虫の描写が生々しければ悪寒を感じながら読むことになるし、カブトムシを27匹も孵化させたというシーンに、「カブトムシって採ってくるだけじゃないんだ」と驚かされたりする。彼の言葉は常に彼の体から発されていた。
ラスト、飛び立つセミの姿が描かれている。セミはわずか数日の寿命を懸命に鳴いて過ごす。地球から見れば人類もまた、セミのように短い命をつなぐ存在に過ぎない。生き物はみな、こうしたマクロ(巨大なもの)とミクロ(極小のもの)が完全な相似形を成していて、それが同じ地球で何ら破綻することなく折り合って生きている。破綻を生じさせているのは人間が科学技術で作ったものばかりだ。
カーソンの甥のロジャーが彼女に言った。「きてよかったね」。
命はある時突然この世に現れ、自然にその子と一緒の物語が紡がれ始める。地球にとってみれば人間は「訪問者」であり、人生は旅のようなものだ。「きてよかった」と子供が思える地球を続く世代に残していくこと。そのために「センス・オブ・ワンダー」がある。身近なものに驚異を感じ目を輝かせる力。知性はその中から生まれ、決して逆行しない。カーソンは「子供に教えられることなんてない」と自信を持てないお母さんたちに「ただ一緒に、感じるだけで十分なんですよ」と言っている。地球が人類をセミを、命を包容するように、感じる力は「知」を包容している。(2026/5/25記) -
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あまりにも有名なセンス・オブ・ワンダー
自然と共に生きることの素晴らしさ、環境問題についてとことん考える本になっている
読みながら、ずっと思い出していました
子どもの頃、あんなにも虫や草木の中にいて、なにも恐れることはなく遊び歩いていたこと
庭にある野菜を摘んではそのままに食べていたこと
山に行けば、動植物が奏でる音に耳を澄ませていたこと
海に行けば、その波音をいつまでも聞いていたこと
夜空を見ては、星の瞬きに感激していたこと
あの頃の、無邪気だった自分を思い出しては
もう、あの頃のようにはできないかもしれないと少しの寂しさを感じたりもしました
でも違うのかもしれない
私が望めばいつだってすぐそこにワンダーは広がっている -
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シャールは思いやりのない子だった。先生に言われて、父は貧民街のスープ作りに出されることになった。シャールの父は国一番の料理人で、シャールの味付けは完璧だった。
貧民街で子供に出会う。アズレという男の子は、シャールの作ったスープに牛乳を加えて更にコクのある美味しい味付けに変えてしまった。シャールはびっくり仰天する。父に料理の腕がまだまだと言われていたけれど、初めて実感したのだ。
父が食死病という食べられなくなって死ぬ病気で他界する。シャールは子供ながらレストランを継ぐことになった。シャールはアズレを探し出して、レストランのシェフとして手伝ってもらうことにする。 -
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森田真生さんが新訳をし、更に京都を舞台とした自らの「センス・オブ・ワンダー」を書いた本です。
「センス・オブ・ワンダー」とは、驚きと不思議に開かれた感受性のことです。子どもがそれを保ちつづけるためには、少なくとも一人の大人の助けが必要だそうです。レイチェル・カーソンは、この本で幼い子どもと接するときに大切なことを教えてくれています。自然を子どもとどう味わえばいいのか。そして子どもが大きくなる前の大切な時間の過ごし方です。世界的ベストセラーのこの本は、特に幼い子どもと接する人におすすめです。
視覚、嗅覚、聴覚を研ぎ澄ますと、自然の奥深さに改めて気づかされます。海、空、土、木々、花、そして小さな生き物達など自然のことを、実は大人はほとんどわかっていないもしくは忘れていると教えてくれるのは、幼い子ども達ですね。大人がセンス・オブ・ワンダーを保つためには、少なくとも一人のこどもの手助けが必要だと書かれていました。私も幼い子ども達から自然を間近に感じる時を過ごしたことを思い出しました。
レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』は未完です。けれども何度でも読み返したい魅力的な本でした。それを森田真生さんが自分の子ども達との日々のなかで、続きを書いた感じでもありました。そして今の私達へのメッセージにもなっていました。良書でした。
〈目次〉
センス・オブ・ワンダー
レイチェル・カーソン 文
森田真生 訳
僕たちの「センス・オブ・ワンダー」
森田真生
結 僕たちの「センス・オブ・ワンダー」へ
あとがき
参考文献
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Posted by ブクログ
すごくおもしろかったんだけど、読後に残るざらりとした感触をなかなか言葉にできない。「食死病」という奇病がなんとも残酷であるんだけど、コロナの後遺症で、美味しいものを味わいたくても味覚(というか嗅覚)を失ってしまったり、摂食障害で食べることが恐怖になってしまったりというケースも想起させるし、そもそも食というのはほかの生きものの命をうばわなくては食べられないものであるという、なんか根源的な問いを突きつけられるようでもある。そういう一筋縄ではいかないテーマが設定されているのが長谷川まりるさん流なのかなと。
もうひとつわたしが勝手に考えている長谷川まりるさんの作品の特徴は、魂のつながる伴奏者がいること。今回の伴奏者はなかなか手ごわくて、元は立場に上下があり、でもほどこしを受ける側に天賦の才があるわけで。その関係が、断絶を経て以前よりいい形でよみがえって進んでいくのは希望を感じさせてすごい。
よい物語だった。
あ、あと、キム・チョヨプ『惑星語書店』の「外から来た移住者たち」を思い出して再読した。こちらは、謎めいた食堂に入ったら、今まで食べたことのない風味の、スープとプリンを供される人の話。味音痴で何を食べても美味しいと思ったことがないけどこれは美味しいというと、店主が、実は自分もそうで、味覚が鋭敏すぎるがゆえに、チョコレートがひどい味に感じられたり、塩味が苦味になったりすると告白する。でも美味しいものをあきらめるのではなく、一度でいいから美味しいものを見つけようと思ってこの仕事を始めたのだと。
じつはこの店長にはさらなる秘密があって、それがサラリと明かされるのがゆかいなんだけど、そちらは読んでのお楽しみということで。
食死病とは似ても似つかないんだけど、ちょっとだけ似ていなくもないお話でした。
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