あらすじ
先駆的に化学物質による環境汚染を訴え、今に続く環境学の嚆矢ともなった『沈黙の春』の著者であり科学者であるレイチェル・カーソン。そのカーソンの最後に遺した未完の作品が『センス・オブ・ワンダー』だ。本書は独立研究者・森田真生による新訳と、「その続き」として森田が描く「僕たちの『センス・オブ・ワンダー』」で構成する。カーソンが残した問いかけに応答しつつ、70年後の今を生きる森田の問題意識に基づいた、新しい読み解き、新しい人間像の模索を行う。
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Posted by ブクログ
タイトルが目に入って手に取って読み始めた本だけど、運命だったかもって思えるほど、忘れかけていた大切な言葉たちが沢山あった。
自然に行きたくなったし、またすぐに読み返してチャージしたいって思える本
センス・オブ・ワンダー忘れずに生きたい
この本は生きる希望道しるべ
Posted by ブクログ
レイチェル・カーソンの著作というよりは森田真生の作品と言う方が適当だが、これがいい。『数学する身体』を読んだ時も思ったのだけれど、彼は賢明な詩人であり哲学者だ。そしてこの作品では、その思想(詩想)の源となる生活の実践者という一面も現している。
Posted by ブクログ
センスオブワンダー自体初読書である。くわえて、森田真生による「センスオブワンダー」も味わえ非常に読み応えのある作品。
自然に対する開かれた秘密という概念。その圧倒的無限性へのある種の虚無感と安心感。自然を十全に体験できる子どもたちの感性への賞賛。
大人な私は純粋な感情を諦めている節もあり、そういった私が我が子に対して自然の豊かさや素晴らしさに気づかせてあげることはできないとった諦めがあった。しかし、教条的に提供するのではなく、子どもの視点による驚きや発見から大人も学ぶという相互的な関係のすばらしさに気付かされた。変に肩肘張った姿勢ではなくてもよいんだ、目の前に現れる場を共に楽しめばいいんだという気持ちになった。
森田真生のキー概念である「身体」と自然との関わりも述べられている。身体から発する感性というベクトル。月並みになってしまうが、単に知っていることではなく実際に体験して得た知識というものの頑健さを精錬なでみずみずしい筆致により心に染み渡る。
最後は環境問題にも話題は進む。環境への配慮•保全は今後の人間社会を維持していくために「必要」な行為。しかし、必要という義務感だけでは成り立たない。自然に対するワンダーの感覚による無意識下の本源的なものへの眼差しがあること、この感覚を都度思い返せる人生でありたい、難しいそうだけど。
Posted by ブクログ
こんなに短い本だったのか!と思ったら作者が亡くなられていたのですね…。
「センス・オブ・ワンダー」を持ち続けていれば、生涯好奇心に満ち溢れて楽しく生きられるでしょう。
自然って見てるだけで飽きないですよね。詳しい知識はないですが。
外のふとした時に感じる美しさを、驚きを、その心を忘れずにもっと感度を上げていきたいものです。
まずは自然に触れ合うところから、だが夏は暑くて暑くてついつい出不精に…星空観察しようかな。
Posted by ブクログ
「子どもにとって、そしてわが子を導こうとする親にとって、知ることは感じることにくらべて半分も重要でないと、私は心から思っています。事実が、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、感情や、感覚に刻まれた印象は、種子を育てる肥沃な土壌です。幼年期は、この土壌を豊かにしていくときです。」
レイチェル・カーソンが、“さらにふくらませたい”と考えていた「センス・オブ・ワンダー」。それが時を超え、森田真生さんの翻訳とそのつづきへ広がり、さまざまな人と素晴らしいタイミングで繋がって、今ここで文章も挿し絵も美しい一冊の本になった喜びを、今まさに子育てに奮闘している私の子どもと一緒に分かち合いたい。手元に置いて何度も読みかえしたい。
Posted by ブクログ
自然に驚き感動する
自然に直接触れなくても、そんなワンダーを感じられる本は沢山あるとも思う
後半にある訳者の森田真生のエッセイが白眉
常に変化する自然とそれに対応し生きていく生き物たち
福岡伸一の『生物と無生物のあいだ』を思い出した
Posted by ブクログ
「センス.オブ.ワンダー」自体、珠玉の言葉が散りばめられ、音読して味わいたくなる作品です。読みながら、自然の中身を委ねたくなるようでした。
森田さんの、僕たち「センス.オブ.ワンダー」も美しく、レイチェル カーソンの世界をより一層深めることができました。
挿し絵も幻想的で素晴らしい。
Posted by ブクログ
憑き物が落ちたような感覚。
人間は美しい自然を搾取するだけの醜い存在だと思い込んで、自分が人間であることに対して嫌悪感や罪悪感を溜め込んでいたことに気づいた。
確かに人間による環境破壊は、無くしていかなければならない。ただ、人間が作ったもののおかけで思いがけず住処を得る生き物もいて、人間の行いが必ずしも悪いものではない。
自然は「美」、人間は「悪」という単純なものではなく、それぞれの生き物の営みが持ちつ持たれつで奇跡的に調和しているのが自然だと、考えてみれば当たり前のことを教えてもらった。
私も生きていていいんだ。
今まで抱えてきた重い荷物を下ろしてもらったような、軽やかな心持ちに自分でも驚いている。
Posted by ブクログ
“教師”を辞めたタイミング、和楽居を出ようとしているタイミングで読めてよかった。
私が本当に望んでいるものが見えた気がする。
・消化の準備すらできていない事実を、次々に与えようとしなくてもいいのです。まずは子どもが自ら「知りたい」と思うように、導いてあげることが大切です。
・子どもと一緒に自然を探索することは、身の回りにあるすべてを もっと感じ始めることです。
・逆もまた真だと感じている。すでに大人になってしまった人間が、忘れかけているセンス・オブ・ワンダーを思い出すことができるとするなら、そのためには「生きる喜びと興奮、不思議を一緒に再発見していってくれる、少なくとも1人の子供の助けが必要」になる。
・知はしばしば、決着ばかりを急ぎすぎてしまう。矛盾が、矛盾のまま共存できる広やかさこそが、人間の心なのではないかと思う。
・流れに生じる渦のように、形は、形なきものの流れの中に生じる。自分が自分であるという自己同一性の前に、自分が自分でなくなるという絶え間ない変化がある。動きこそ世界の常態なのである。
・変化に抗うのではなく、変化とともに生きていくこと。
・どこに隠れるでもなく、目の前に開かれていた自然の美しさがある。これを受け取る こちらの準備がなければ、気づくことができないのである。
・「きてよかったね」すべての子どもたちが、この星に生まれてきた経験を、心からそう思えたら、どれだけ素晴らしいだろうか。
・僕たちはそもそも、自分ではないものたちと、すでに深く混ざり合っている。
・「必要」が、すべての価値の基礎として疑われないのは、生きることが、生きていないことよりもよいことだと信じられているからである。「語られず、意識されるということさえなくても、ただ友達と一緒に笑うこと、好きな異性と一緒にいること、子どもたちの顔をみること、朝の待機の中を歩くこと、陽光や風に身体をさらすこと、こういう単純なエクスタシーの微粒子たちの中に、どんな生活基準の生も、生でないものの内には見出すことのできない歓び」がある。だが逆に、「このような直接的な歓喜がないなら、生きることが死ぬことよりもよいという根拠はなくなる」。
Posted by ブクログ
・私は世界中の全ての子どもたちに、一生消えないほどたしかな「センスオブワンダー」を授けてほしいと思います。それは、やがて人生に退屈し、幻滅していくこと、人工物ばかりに不毛に執着していくところ、あるいは、自分の力が本当に湧き出してくる場所から、人を遠ざけてしまうすべての物事に対して、強力な解毒剤となるはずです。
・知ることは感じることにくらべて半分も重要ではない
・壮大な雷のとどろき、風のささやき、海の波や流れる川の響きなど、地球の発する声とその意味にじっくり耳を傾け、時間をかけて言葉にしてみてください。
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・美しいもの、見たいものだけを見て、見たくないものに目をつむるのは「観察」ではない。カーソンの著書を読んでいると、いわゆる「環境」問題の根っこにあるのも、結局は人間による環境の観察の欠如なのかもしれないと思う。
・人が生きるという営みが、いかに人間でないものに支えられているかを、子どもたちに学び続ける日々であった
Posted by ブクログ
レイチェルカーソン「センスオブワンダー」。研究者が手がけた新訳。西村ツチカさんの挿絵もとてもいい。
研究者が書く僕たちの「センスオブワンダー」を読むと小さくてもいいから庭付きの戸建てが欲しくなってしまった。
Posted by ブクログ
以前読んだ「センスの哲学」は
こういうことが言いたかったのだろうなと腑に落ちました。
センス・オブ・ワンダーは「驚きと不思議に開かれた感受性」と訳されています。
それは自然のなかにいても
都会の雑踏のなかにいても
なにかに驚き不思議に思う感受性。
答えはあってもなくてもいいのでしょう。
自然を見つめ、音を聴き、夜空をみあげ、雲を楽しむ。
人生の歩みかたと時間の感じ方が変わる気がしました。
Posted by ブクログ
レイチェルカーソンのセンスオブワンダーは
冒頭30Pほど。
(というかそれしか現存してないのか)
それ以降は、
森田真生さんという人の生活における
センスオブワンダーを書いている。
「センスオブワンダー」と言うタイトルなので
読むまで構成に気づかなかった。
※著者の表記のところには
レイチェルカーソン
森田真生 訳と続き と表記されてはいる。
なんだ、ほとんどはレイチェルカーソンではないのか。
と残念な気持ちになったものの
読み進めると、森田さんが書いた部分も十分に楽しめる。
森田さんの舞台は現代の京都なので
本家よりも情景が浮かびやすくて良いのかもしれない。
誰が書いたか。と言う色眼鏡を外してしまえば
素直に楽しめるし、気付きもあって
これはこれで良い読み物だと思う。
装丁画や挿絵を担当している
西村チシカさんの点描、線画も
内容に調和してて良いと思う。