あらすじ
先駆的に化学物質による環境汚染を訴え、今に続く環境学の嚆矢ともなった『沈黙の春』の著者であり科学者であるレイチェル・カーソン。そのカーソンの最後に遺した未完の作品が『センス・オブ・ワンダー』だ。本書は独立研究者・森田真生による新訳と、「その続き」として森田が描く「僕たちの『センス・オブ・ワンダー』」で構成する。カーソンが残した問いかけに応答しつつ、70年後の今を生きる森田の問題意識に基づいた、新しい読み解き、新しい人間像の模索を行う。
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Posted by ブクログ
子供達の自然への目線や感性は本当に凄い
拾ってきたどんぐりをいつまでも触ってる
蠢くアリンコたちをしゃがみ込んでいつまでも眺めていられる
掃除されず、ついにミイラ化した黄金虫が片隅に落ちてる通路を通るたびに「いるねぇ〜」って毎回新鮮
センス・オブ・ワンダー
この本は、著者であるレイチェル・カーソンが
彼女の甥っ子ロジャーに自然のセンス・オブ・ワンダーを伝えるエッセー
私は逆に3歳の男の子にその感覚をいつも思い出させてもらってます
そんな私がレイチェルさんから学んだこと
自然に熱中している時間を尊重して
大人の都合じゃなく
その時に得られる尊さを優先する
カッパを着て長靴履いて
雨の日に外の景色を見に出かけたり
月や星を見に夜お散歩してみよう
虫や鳥の声を聞いて
良い声だねって一緒に楽しもう
自然の面白さ 不思議さ 素敵さを
一緒に感じていこう
お月様を双眼鏡で眺めるレイチェルさんのアイデア
素敵!
同時に収録されている
訳者森田真生さんの
「僕たちのセンス・オブ・ワンダー」は
私が感じたこのワクワク感を理性的に語ってくれています
Posted by ブクログ
センス・オブ・ワンダー、森田真生氏による新訳。
美しい世界を感じる。忘れてしまった子供のころのワクワクやなんで?を思い出した。
考えることに偏った現代、感じる方向への揺り戻しを期待したい。
Posted by ブクログ
レイチェル・カーソンの遺作『センス・オブ・ワンダー』と、そのバトンを引き継いだ森田真生の『僕たちの「センス・オブ・ワンダー」』を一冊にまとめた本。西村ツチカの装画と挿画がワンダーな感覚をより刺激してくれる。
カーソンさんの文章が素晴らしいのはもちろんだが、森田さんの翻訳と文章も更に素晴らしくて、子どもたちとのやりとりは、まさにカーソンさんの物語の続きとなっていると思う。子どもから学ぶことはとても多い。何より、楽しむのに理屈や知識はいらないのだと改めて教えてもらえて嬉しくなった。
「センス・オブ・ワンダー」を忘れないためにも、近くに置いておきたくなる本だ。
全体的には生の根源的な喜びを書きながら、「結び」として人類が直面している問題についても(レイチェル・カーソン『沈黙の春』を引用しながら)考えを伸ばしている。
人間は地球の癌なのだろうかなどと悲観してしまう私だったが、あとがきに書かれたこの本に込められた森田さんの想いに背筋が伸びる。大人がしっかりせねば!
Posted by ブクログ
自然が織りなす壮大で、美しく、未知なるものごとを、自分の心が反応するままに味わい感じ取ることこそが、自分の興味を自覚するための肥沃な土壌になるということを教えてくれる本。
どれだけ生成AIが進化したとしても、これはAIには任せたくない、人間が楽しみ続けたいこと。何を見て何を感じ、どのように味わうかは我々人間が決めるべき。一生の中で何に取り組み何を楽しむかというテーマは他の人やAIから与えられるべきものでは無いのだなと思う。
Posted by ブクログ
これ読んで自然の中に、もっと出かけたいな、と思った。
出かけなくても、自宅で花を生けたり育てるのでもいいし、 天候・植物・動物など自分以外の自然営みに触れる時間を増やしたいな。
そういう時間を「無駄!」と切り捨てていつも時短命になっている自分に気づいた
感じる心を 見逃さずに 感覚を押さえずにいたいなぁ
Posted by ブクログ
「沈黙の春」で農薬に含まれる化学物質が自然に与える影響を指摘したレイチェル・カーソン。一歳の甥のロジャーを抱いて海鳴りに包まれ「感じること」の大切さを訴える。著者は言う。多くの親御さんが「自然の素晴らしさを教えてあげたいけれどそんな知識もない」と尻込みする。人間の「知識」など「感じること」に比べたらごくごくわずかな、些細なものに過ぎません。ただ子供と一緒に、自然の不思議さを「感じ」て下さい、と。しかし著者は途中で亡くなり半分は訳者・森田真生氏のエッセイ。(2024/07/12記)
カーソンのパートは一歳八か月の甥のロジャーを毛布にくるんで、彼女が嵐の夜に彼を抱いて海辺に降りていくシーンから始まる。雨が降りしきって二人を濡らす。嵐の海は波音を轟かせる。腕の中に感じる確かな命を抱いてカーソンは、自然の咆哮の中に包まれていた。そこでカーソンは腕の中の小さな命と、自分を飲み込みかねない嵐の海という大きな命の二つを全身で感じていた。
森田氏のパートも同じこの「ミクロとマクロの共通点」を、虫やカエルに目を輝かせる子供の目を通して見出していく。多様な虫が、多様な力関係で命をつなぐ傍ら、人間もまた人間たちで活動して命をつないでいる。これらすべてを受け入れる「地球の懐の深さ」に森田氏は感嘆する。
中には「生成AI」についての言及もある。虫の中には枝に擬態するものもある。AIは人間を擬態している。けれど肉体を持たない彼らの言葉は、人間のそれとはまったく違う。こうした指摘は森田氏の文章自体から強く伝わってくる。
当初私は「ふわっとした感傷的な日記風エッセイが始まるんだろうな」と思っていた。けれど、彼の文章は彼自身の「五感」に根差すものだった。子供たちが目を輝かせる虫や爬虫類に、自分もまたルーペを持ち出して一緒に観察し、一緒に触れた上で書いている。だから読んでいるこちらも、虫の描写が生々しければ悪寒を感じながら読むことになるし、カブトムシを27匹も孵化させたというシーンに、「カブトムシって採ってくるだけじゃないんだ」と驚かされたりする。彼の言葉は常に彼の体から発されていた。
ラスト、飛び立つセミの姿が描かれている。セミはわずか数日の寿命を懸命に鳴いて過ごす。地球から見れば人類もまた、セミのように短い命をつなぐ存在に過ぎない。生き物はみな、こうしたマクロ(巨大なもの)とミクロ(極小のもの)が完全な相似形を成していて、それが同じ地球で何ら破綻することなく折り合って生きている。破綻を生じさせているのは人間が科学技術で作ったものばかりだ。
カーソンの甥のロジャーが彼女に言った。「きてよかったね」。
命はある時突然この世に現れ、自然にその子と一緒の物語が紡がれ始める。地球にとってみれば人間は「訪問者」であり、人生は旅のようなものだ。「きてよかった」と子供が思える地球を続く世代に残していくこと。そのために「センス・オブ・ワンダー」がある。身近なものに驚異を感じ目を輝かせる力。知性はその中から生まれ、決して逆行しない。カーソンは「子供に教えられることなんてない」と自信を持てないお母さんたちに「ただ一緒に、感じるだけで十分なんですよ」と言っている。地球が人類をセミを、命を包容するように、感じる力は「知」を包容している。(2026/5/25記)
Posted by ブクログ
私は虫が苦手で、自然の多い場所に行くことは少ない。でも花を見たり風の音を聞いたりするのは好きだ。自分のできる範囲で日常の中の自然を味わいたいと思った。
Posted by ブクログ
あまりにも有名なセンス・オブ・ワンダー
自然と共に生きることの素晴らしさ、環境問題についてとことん考える本になっている
読みながら、ずっと思い出していました
子どもの頃、あんなにも虫や草木の中にいて、なにも恐れることはなく遊び歩いていたこと
庭にある野菜を摘んではそのままに食べていたこと
山に行けば、動植物が奏でる音に耳を澄ませていたこと
海に行けば、その波音をいつまでも聞いていたこと
夜空を見ては、星の瞬きに感激していたこと
あの頃の、無邪気だった自分を思い出しては
もう、あの頃のようにはできないかもしれないと少しの寂しさを感じたりもしました
でも違うのかもしれない
私が望めばいつだってすぐそこにワンダーは広がっている
Posted by ブクログ
森田真生さんが新訳をし、更に京都を舞台とした自らの「センス・オブ・ワンダー」を書いた本です。
「センス・オブ・ワンダー」とは、驚きと不思議に開かれた感受性のことです。子どもがそれを保ちつづけるためには、少なくとも一人の大人の助けが必要だそうです。レイチェル・カーソンは、この本で幼い子どもと接するときに大切なことを教えてくれています。自然を子どもとどう味わえばいいのか。そして子どもが大きくなる前の大切な時間の過ごし方です。世界的ベストセラーのこの本は、特に幼い子どもと接する人におすすめです。
視覚、嗅覚、聴覚を研ぎ澄ますと、自然の奥深さに改めて気づかされます。海、空、土、木々、花、そして小さな生き物達など自然のことを、実は大人はほとんどわかっていないもしくは忘れていると教えてくれるのは、幼い子ども達ですね。大人がセンス・オブ・ワンダーを保つためには、少なくとも一人のこどもの手助けが必要だと書かれていました。私も幼い子ども達から自然を間近に感じる時を過ごしたことを思い出しました。
レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』は未完です。けれども何度でも読み返したい魅力的な本でした。それを森田真生さんが自分の子ども達との日々のなかで、続きを書いた感じでもありました。そして今の私達へのメッセージにもなっていました。良書でした。
〈目次〉
センス・オブ・ワンダー
レイチェル・カーソン 文
森田真生 訳
僕たちの「センス・オブ・ワンダー」
森田真生
結 僕たちの「センス・オブ・ワンダー」へ
あとがき
参考文献
Posted by ブクログ
森田真生さん。彼の感じていること、紡ぐ言葉がとても好きだ。思考が深く、あたたかい。
私も息子も自然や生き物が好きなので、自分の経験や思い出と重なるようなエピソードもあって、読んでいて面白かった。
レイチェルカーソンのセンスオブワンダー。
自然や命の美しさに目を見はる感性や力。子どもたちには育んで行きたいし、大人になって忘れてしまったのなら取り戻していきたい。
別の方が、買って一生読み返したいと感想に書いていたが、私もそう思う。宝箱があるなら、大切にその中にいれて何度も読み返したい。
Posted by ブクログ
センスオブワンダーはもちろん、訳者さんのエッセイがとても良かった。窮屈な人間社会から一歩解き放った見方を教えてくれる。
何度も読みたい本になった。
Posted by ブクログ
『センス・オブ・ワンダー』の素晴らしさを、新訳と著者の子どもさんの自然との関わり方を通して教えていただけました。身近な自然の姿を見逃さないように、時間と心の余裕をそして観察眼を持つようにしたいと思いました。
Posted by ブクログ
美しい文章でした。
新訳も、その「続き」も、世界の美しさが言葉の質感とともに読者である私の内側に広がってくるようでした。
子どもとともに世界を見ていくこと。出会い直していくこと。
瑞々しい感性を持ち続けるために自分ができそうなことに思いを馳せながら読みました。
雨の続く季節にこの本を読めて幸せでした。
Posted by ブクログ
昨年、森田真生さんの新訳で出版された名著に森田さんによるつづきが加えられた書籍。敬愛する西村ツチカさんの装画・挿絵も素晴らしく、自然に触れ感受性を育むことの重要性を再認識した。
地球は生きている。
Posted by ブクログ
驚くほど繊細な感性に、胸を打たれた。
喧騒の社会に揉まれ、いつしか置き去りにしていたあの感覚。
いつの日か孫を授かったなら、手を取り合い、静かな森を歩きながら、この豊かな地球を共に味わいたい。そんな情景を浮かべた。
Posted by ブクログ
短いからか、日本人の感想の方が長いのだが、レイチェル・カーソン氏の書いた文のみ読んだ。
どうやら、センス・オブ・ワンダーは後発的にも生まれるらしい。私がそうだからだ。自然が大好きで、こんな日本の汚い中途半端な郊外に縛り付けられながらも、公園に行きまくり1回3,4時間はいる。夏はそれができないから死んでいる。ちなみに、私の中にセンス・オブ・ワンダーが誕生したきっかけは、人間とデジタル嫌いが加速したこともあると思う。
こんなしょぼい公園でも、自然に触れると時々「flash」が訪れる。モンゴメリの少女の1人、エミリーが感じる幸せの訪れのこと。ゾクゾクして幸せになれる。本当は、そこに一人たりとも人間にいてほしくない。
もっともっともっと自然を味わいたい。山の中に永住したい。スコットランドのハイランドに移住したい。この夢をいつも阻害するのは仕事だ。言い換えれば金だ。在宅ワークができるようにすればいいのだが、私にはハードルが高くて動けないでいる。
秋になったら、今年見つけた公園にもっと行こう。少し遠いけど、収入が低くなってもそこに滞在する価値の方がよっぽど高い。神社にも行きたい。この辺りでは見られない大きな木がありがちだからだ。本当は森だけでいいけど、そういう場所がない。寒くなったら海岸にも行こうか。汚いだろうけど。
日本人は古来から自然が好きだったなど、日本しか知らない奴が日本人らしい自己中を発揮して都合の良すぎる解釈をしている感想を読んだが、イギリス人の方が1億倍は自然を愛している。ヨーロッパでは地球環境を考えて一人一人が考えて行動している。ここでは語り尽くせない。仕組みから全く違う。ビーガンを自分の健康のためと勘違いしている日本人は多いだろう。
これが良い例で、自分のことだけ考えて地球破壊を楽しんでいる日本人はどうしようもない。自然を味わうのであれば、やはり海外しかない。羨ましくて嫉妬で死んでしまいそうな毎日を送っている。
なぜこんな自然がない世界になったのか。それは、便利さを追求しすぎたからだ。私は便利さをなげうってでも自然と共に生きたかった。
モンゴメリもよく森の香りについて書いているけど、私はまだそれを嗅いだことすらない。やっぱりトウヒやモミの木は香るんだ。嗅げた日にはそのままそこで土に還りたい。自然と一体になりたいとはずっと思っている。
Posted by ブクログ
瑞々しい自然の描写がとても心地よい
人間と自然の二項対立ではなく、きてよかったね、と思える歓びの源泉が必要の奥にある、ということが響いた。実家の庭に椿があったから自然に冬と椿の赤と緑が浮かぶけど今はそうじゃないよね、と思う。
Posted by ブクログ
冬至を過ぎて。
痛み差し込む空気の鋭さは、アウターいらずの春の陽気と交互に訪れ、つるべ落としだった夜の幕開けはゆるりと始まるようになる。
仕事場横の川にはサギや川鵜、カモだけではなく、カモメが訪れ季節を告げている。
何種もの鳥の鳴き声、川のせせらぎ、川沿いを走る風の音、耳を澄ませば多様な音楽が耳を楽しませてくれている。
センス・オブ・ワンダー《驚きと不思議に開かれた感受性》。
美しさの感覚、新しくて未知なものに出会ったときの興奮、共感や哀れみ、称賛や愛情ーこうしたさまざまな感情から、心を動かされたその対象をもっと知りたいと思うようになる。
『知りたい』と思うように導くことの大切さ。
自然を探索することは、身の回りにあるすべてをもっと感じ始めるということ。自分の芽と耳、鼻と指先の使いかたを学びなおしながら、使わなくなっていた感覚の経路を、ふたたび開いていく。
変化し続ける偉大なる自然がもたらす、五感に問いかける美しさや驚異。
日本には四季があり、温度変化があり、生き物の移り変わりがある。
それらを表す日本語の美しき言葉たちの数々。
空色、雲の移り変わり。
雨の形状、匂い。音。ぬくもり。
波の大きさ、形。etc.
レイチェル・カーソンが言うセンス・オブ・ワンダーを体験してみませんか。
●幼年期は、この土壌を豊かにしていくときです。美しさの感覚、新しくて未知なものに出会ったときの興奮、共感や哀れみ、称賛や愛情ーこうしたさまざまな感情がひとたび呼び覚まされた後になってようやく、私たちは心動かされたその対象を、もっと知りたいと思うようになるのです。
●消化の準備すらできていない事実を、次々と与えようとしなくてもいいのです。まずは子どもみずから「知りたい」と思うように、導いてあげることが大切です。
●子どもと一緒に自然を探索することは、身の回りにあるすべてをもっと感じ始めること。自分の芽と耳、鼻と指先の使いかたを学びなおしながら、使わなくなっていた感覚の経路を、ふたたび開いていく。
●日々のなかにどんな悩みや心配があろうと、その思考は、内なる充足と、生きることの新鮮な感動に至る道を、やがて見つけることができるはずです。
●自然がもたらすワンダーに開かれた感受性ーこれをカーソンは、「センス・オブ・ワンダー」と呼んだ。そして、この感受性を子どもが失わないためには、「生きる喜びと興奮、不思議を一緒に再発見していってくれる、少なくとも一人の大人の助けが必要」だと綴った。
●人が生きるという営みが、いかに人間ではないものたちに支えられているかを、子どもたちに学び続ける日々であった。
●変化にあらがうのではなく、変化とともに生きていくこと。季節に応じて、大胆にその姿や生き方を変えていく植物や虫たちは、その生きる姿を通して、見事に体現している。
●いまの僕たちにできることがあるとするなら、それは人間の力を否定し、排除しようとするだけではなく、人間の力をも一つの力として受け入れ、これを生かしていく道を探していくことだと思う。
Posted by ブクログ
p59 大人の問題は、大切なことであればあるほど、それを先送りしてしまうことである。大切なものはどこか遠くにある。人生の重要な瞬間は、いつか将来やってくる。どこかでそう思い込んでいるのである。子どもたちはそんな「先送り」や「先延ばし」とは無縁だ。彼らはこの瞬間に、すべてをつかもうとしている。大事なことがあるなら、いまそれを見せてくれと、いつも全身で訴えかけてくる。
今の子どもたちは、皆が皆そうではないと思う。小さい大人のような、予定や目標を頭に置いて、それに向かって努力するみたいな考え方をする「賢い」子どもは増えている。近年は熊などの被害も増え、ますます自然に触れる機会は失われていく。
時間を忘れて「センス・オブ・ワンダー」を子どもが、大人が、取り戻せる時代は来るのだろうか。
せめて家の庭だけでもと、今年始めた畑のニンジンに、この夏キアゲハが集まり、幼虫がたくさん生まれた。果樹なども植えてみたい。
Posted by ブクログ
カーソンさんや森田さんみたいな親だったら子供がのびのび自然の中で色んな発見して、自分の目で見て触って聞いて考えて、、理想的な子育てだなぁ。。と思いながら読みました。
私も3才子育て真っ最中。虫が苦手な心配性なので、ベランダを虫が寄って来るような場所にするのは無理そうだけど、、できるだけ外に連れ出して
子供と一緒に自然に目を向けようとおもいました。
うちの子は月が好きでいつも月を見つけるのが上手だから、今度双眼鏡買って月を観察しようかな
Posted by ブクログ
レイチェル・カーソンの遺稿『センス・オブ・ワンダー』の新訳とともに、その続きを書いたというエッセー。
カーソンの部分は全体の5分の1もないくらいの文量。カーソンの息子が自然と触れ合う様子から、時に「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要なことではないと書かれていた。
読書好きとしては文字から得る知識がエネルギーになっていて、いかに体験したように感じる文章か、ということろが一つ評価の基準になると思うけど、たしかに、百聞は一見にしかずで、水を吸ったコケの踏み心地とか、冬の空気の澄み具合とか、昆虫の観察とか、実際に体験・経験することは何にも変え難いものだと思った。
忙しない毎日だけど、少しでも自然に触れてセンス・オブ・ワンダーを磨きたい。
Posted by ブクログ
消化の準備すらできてない事実を、次々と与えようとしなくていいのです。まずは子どもがみずから、知りたいと思うように導いてあげることが大切です。
知ることは感じることに比べて半分も重要ではない。知の弱さは矛盾を許容できないことである。
嬉しくて悲しい。子どもたちの心はいつも豊かな矛盾を内包している。(あぁほんとにそうだな。それが自然なんだな。この多様な人が協力し合って成り立つ社会で全部それとはいかないけど、本来人間とはそういうものか)矛盾が矛盾のまま共存できる広やかさこそが人間の心
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海が好きなレイチェルカーソンさんと、森林が好きな森田真生さんのコラボした本なので、読まずにはいられませんでした。
前半は69年前のセンス・オブ・ワンダーの原文を森田さんが訳したところからはじまります。
以前に読んだ新潮社の上遠恵子さんの訳はエッセイのようなカーソン目線の美しさや怖さやドキドキ感を表現していたように感じましたが、森田さんの訳は絵本の物語のような可愛らしさがあり、驚きやワクワク感があり、こども目線のようでした。同じ原文でも変わるものですね。
カーソンさんは大甥のロジャーくんと海辺の自然で戯れ、森田さんは自分のお子さんと京都の自然と戯れるシーンが重なります。
そんな中、視覚として動きが見えにくい、地球と月の関係性。
人間の体内に存在している何百兆のバクテリア活動。
時間として考えるとき、動きが見えにくい木や花、苔などの成長。
ほとんど意識的に人間は捉えることができない生き物の方が、地球にとって大事な存在ではないかと。
「単独で存在しているものなどなにひとつない」と沈黙の春でカーソンさんの記実を引用して、人間中心に単独で行動することはとても危険であると提唱していました。
少し前に手塚治虫さんの火の鳥で「宇宙というひとつの生物の中に地球がいて人間がいる」という言葉と共通していると感じました。
こどもといる時間は本当にあっという間のワンダーだと思います。森田真生さんのあとがきは短いのにグッとくるものがありました。
人間の活動によって広がっていくのは環境汚染だけで済まされず、自然の美しさまで奪ってしまう。そんな60年以上前にカーソンさんは「自分ではないものたち」と共存していく素晴らしさ、そのワンダーは動植物と人間も含めての願いだったのかもしれませんね。
Posted by ブクログ
海や森で静かに読むと没入感がすごいだろうなと感じる一冊です。
レイチェル・カーソンの感覚の一端に触れることができ、森田真生さんの翻訳の言葉選びがとても素敵でした。
知ることは感じる事の半分も、重要ではないと私は心から思っています。
という一文は現代社会で自然の美しさや素晴らしさをテキスト等で名称を覚えてテスト用紙に記入し成績を決める子供の教育に違和感を感じさせられる言葉でした。
Posted by ブクログ
庭でこの本を読んだら、風の音や鳥の声が聞こえてきて、心が静かになれた。
人間は緑色を見ると安心するようにできていたりするし、現代人はもう少し自然を見て落ち着く時間を持つのもいいのかも。
自然の中で生きることこそ正義!とまでは思わないけど……
スマホを見ている人間がずらっと並んでいると気持ち悪さを覚えるし。
人工的なものに耽溺するのは心の余裕を無くしていくことだなと感じている。
自然を愛していれば孤独を感じないという話も、たしかにあるかもしれないなと思った。
自然の「存在」を感じていれば、独りになることはないのかも。
それと、
親や教員のような立場でも、教えるだけじゃなくて時には一緒に楽しんでもいいんじゃないかと思えた。
それも子どもにとってプラスになる。
そう思えて、なんだか許された感じがした。
大切な時間や笑い合った経験は、子どもの支えになることができる。きっと。
教える側だって人間で、同じように人生の時間を消費して分かち合っているのだから、一緒に豊かになっていくのもひとつの人間関係として素敵だよね。
上に立たないで横に並ぶという形でも、教え、支えることができるのなら、それは私にとってとても嬉しいことだ。
Posted by ブクログ
センスオブワンダー
驚きと不思議に開かれた感受性
著者が甥と一緒に見た、感じた世界や自然についてのエッセイ的な?本編自体は20ページほどと短いお話だった。
その後に、訳者の解説+α的なお話があった。
自然の豊かさ、美しさ。
うん、分かる、分かるよ。
でも今の私にはそんな心の余裕はないんだよね、と思いながら読んでいた。
でも、植物の成長の話のところでふと、子どもの育てているトウモロコシを思い出し、少しこの本の世界に入れたような気がした。
いつか、満天の星空を見に行ってみたいと思ったり。
以下メモ
子どもがセンスオブワンダーを失わないためには、「生きる喜びと興奮、不思議を一緒に再発見していってくれる、少なくとも一人の大人の助けが必要だ」と著者は言う。
同時に僕(訳者)は、この逆もまた真だと感じている。
すでに大人になった人間が、忘れかけているセンスオブワンダーを思い出すことができるとするならば、そのためには「生きる喜びと興奮、不思議を一緒に再発見していってくれる、少なくとも一人の子どもの助けが必要」になる。
Posted by ブクログ
リップスライムの歌詞でセンスオブワンダーってのがあったはず。まさか、レイチェル・カーソンが出典だったとは。植物や昆虫が緻密に生を営んでいる様は本当に興味深くて、NHK特集とかめっちゃ見入る。特に植物の生命力はすごい。たから人間が好き放題して勝手に滅びたあとの地球は植物の天下なんだろうと思う。彼らには何よりそれを気長に待てる胆力がある。環境問題は深刻なのに一向に改めない人間どもよ。ナフサがないとかの問題じゃないんだよ!株価7万円超えとかなんだよ!データセンターって何だよ!月すら開発しようとするなんて。足元見ろよ。一旦落ち着いて。花の中を観察してセンスオブワンダー感じろよ
Posted by ブクログ
センスオブワンダーとは、驚きと不思議に開かれた感受性。
親子の教育、子供目線、自然を説く本書。
読んでいると、子への向き合い方が素晴らしいな、と。
同時に自分の子供時代や親は自分にどう接していたのかを回想する訳ですが。
皆さんは、子供の頃、今日1日終わる事が惜しいと感じたり、明日が待ち遠しいなんて思いはしませんでしたか?
大人も子供の時代があったのに、上手く汲み取って上げられず、後々反省、なんてありませんか?
きっと見方や接し方、感じ方に何かしら変化や気付きを与えてくれるでしょう。!^_^!
そして、宇宙に地球、そしてそこに存在する様々な生命について、そのサイクルについても考える事になります。
それは大袈裟なものではなく、全ては繋がっているのだと。