あなたは、『郵便局が選んだ人でなきゃ、来ることができない』という『郵便局』を訪れたことがあるでしょうか?
2024年6月現在、全国には23,532もの『郵便局』があるそうです。東京都の1,472局から沖縄県の198局まで、都道府県によってその数に違いはあれど『郵便局』は私たちの日常に当たり前のように存在する施設でもあります。
とは言え、昨今のLINEやメールでのやり取り、ネットバンクの趨勢から物理的な『郵便局』自体に訪れることはめっきり減ったと思います。かく言う私も直近で『郵便局』に行ったのは年単位で遡らなければならない年数になってしまってもいます。しかし、今も大切な役割を果たし続ける『郵便局』は今後もなくなることはないのだと思います。
さてここに、『山のてっぺんに建っている』『郵便局』を舞台にした作品があります。五人が働く山上の『郵便局』を描くこの作品。そんな『郵便局』で起こる摩訶不思議な光景を見るこの作品。そしてそれは、『あの世との境目』に建つ『登天郵便局』を訪れる人たちの悲喜交々を見る物語です。
『今日は九時から新しいバイトだ』と、『七月の晴れた朝、郊外の一本道を』『自転車を走らせる』のは主人公の安倍アズサ。『春にいっしょに短大を卒業した友だちは、就職してそれぞれ忙しく暮らしてい』る中、一人『就職浪人をしている』アズサ。『肝心のなりたいものが、わたしには判らなかった』というアズサ。そんなアズサは先週、『学校の就職課から、思いがけない連絡』を受けました。『特技欄に』『探し物』と書いた履歴書を『見て、あなたのことを名指しでアルバイトの求人が来てる』と電話口で話す担当者は『良かったら月曜から来てください』『好きな私服でいい』という連絡事項を伝えます。『どういう仕事なんです。トレジャーハンターとか?』と訊くアズサに『郵便局よ』と話す担当者は『切手類を売り、郵便物を受け付ける仕事』と補足します。『どこの郵便局ですか?』と訊くアズサに『登天(とうてん)郵便局』と答える担当者ですが、具体的な場所を訊くと『口調が急に不明瞭にな』りました。『変な場所にあった』という『登天郵便局は』『地図によれば、山のてっぺんに建ってい』ます。『珍しいですね』、『珍しいわよね』と会話する二人。そして、そんな目的地へと自転車を走らせるアズサ。そんな時、『登天郵便局はどちら…?』という『わたしの考えを聞いていたかのように』『その人は唐突に現れて、自転車を挟んで車道側からこちらを見てい』ます。『登天郵便局は、ですね ー』と説明を始めたアズサは『彼女の香水に混じって、なにか焦げたにおい』を感じます。『よかったら、後ろに乗っていきますか?』、『あたし、登天郵便局のアルバイトなんですよ』と誘うアズサに『本当?本当に?助かるわ、ありがとう…』と答える女性。『再び自転車をこぎ始めた』アズサは『後ろに乗った人は、なぜか少しも重さを感じさせな』いと気づきます。しかし、『道がない』と行き止まりになってしまった目の前の光景に慌てるアズサは、『実は今日、初めての出勤なんです』と説明します。『遅刻の連絡だけでも入れよう』と思うも携帯が見つからないアズサ。そんなアズサを見て、『ごめんなさいね。あたしの携帯電話は、火事で燃えちゃってそれきりで…』と申し訳なさそうに言う女性。やむなく近所にあるはずの食堂へと自転車を走らせるアズサの目の前には『ドライブインの廃墟』がありました。『廃墟は怖い』と思ったのと同時に『体が、ぴくりとも動かなくなってしま』ったアズサは、『金縛りになってしま』います。そんなアズサの目の前の『ドライブインの中では』『なにかが動いてい』ます。『犯罪者か ー 物の怪か ー』という中に『泣く子も黙るといった風の大男』が現れました。『安倍アズサさん』と『こちらの名を云い当てた』男の『胸元に、ネームプレートが付いてい』ます。『登天郵便局 局長 赤井』と書かれているのを見て『登天郵便局の局長?』と認識し『魂まで抜けてしまいそうなほど、大きな息をついた』アズサですが『金縛りが解けない』ために『赤井局長に担がれて軽トラックの助手席に乗せられ』ます。そして走り出した車中で、『ドライブイン』は『郵便局の物置に』使っている等説明を受けたアズサ。そして『短いドライブの末』『午前の就業時間が半ばまで過ぎた頃』に『登天郵便局にたどり着』きます。『築十年ほどの局舎は、木造一部二階建』という建物へと入ったアズサ。そしてアルバイトを始めたアズサの前に繰り広げられる『登天郵便局』を舞台にした摩訶不思議な出来事の数々が描かれていきます。
“就職浪人中の安倍アズサは、「なりたいものになればいい」と親から言われてきたけれど、なりたいものってなんだかわからない。そんなときに特技欄に“探し物”と書いて提出していた履歴書を見て、アルバイト決定の連絡が。アルバイト先は、山の上、ぽつんとたたずむ不思議な郵便局。そこで出あった不思議な人々と不思議な世界とは…”と内容紹介にうたわれるこの作品。堀川アサコさんの代表作であり、このレビュー執筆時点で11巻まで刊行されている”幻想シリーズ”。この「幻想郵便局」はそんなシリーズの出発点、第一作目となる作品です。
そんなこの作品は、『山のてっぺん』にある『登天郵便局』が舞台となります。
● 『登天郵便局』について
・『田んぼの中、マウンド状に盛り上がったごく低い狗山(いぬやま)の山頂に、それはぽつねんと建っている』
・『築十年ほどの局舎は、木造一部二階建。外壁はサイディング張り』
・『局舎の裏には圧倒的に広い花畑が広がっていた』
→ 『わたしがこれまで見たことのない、まるで天国みたいな風景』
いかがでしょうか?これだけだと美しい自然の中に建つごく普通の『郵便局』という印象、ただそれだけだと思います。しかし、問題はこの『郵便局』がそれだけの存在ではないことです。続きを記しましょう。
・『登天郵便局は、とどのつまりは地獄の一丁目』
・『登天郵便局は、郵便局とは似て非なるものである。少なくとも、現世の生活に必要な場所ではない』。
・『登天郵便局は、冥界と現世の境界に建っている。山のてっぺんなどという不便な場所にあるのは、そのためだ』。
はい、一気に違う景色が見えて来ました。上記で『圧倒的に広い花畑』、『まるで天国みたいな風景』という記述がありましたが、それはさらに『物理的に筋が通らないほど広大な花畑が広がっている』とも記されます。次第にこの『郵便局』の設定が見えて来ました。決定打が次の一言です。
『死者はこの花畑を抜けて冥界へ向かうという』。
そうです。この『登天郵便局』は現世を後にする人があの世に行くために必ず通る場所にあるのです。これは面白くなって来ました。この作品はそんな『郵便局』を舞台に繰り広げられるファンタジーな物語なのです。私は今までに900冊の小説ばかりを読んで来ましたが、同じように現世とあの世の境目となる場所を舞台にした作品が幾つかあります。せっかくですので整理しておきます。
● 現世とあの世の境目を舞台にした作品一覧
・桜井美奈さん「さようならまでの3分間」: 現世への『未練を断ち切るため』の三分間に光を当て、その整理を手伝う『交通整理人』のお仕事を描きます。
境目の表現 → 『ゲート』
・西條奈加さん「三途の川で落しもの」: 『三途の川』まで来たにも関わらず現世に未練を残す人たちの姿を『渡し守』たちのお仕事を通して描いていきます。
境目の表現 → 『三途の川』
・辻堂ゆめさん「ようこそ来世喫茶店へ」: 『人は死ぬたびに、この世と喫茶店を往復する』という設定の下に、客となって訪れる人の未練を見る店員のお仕事を描きます。
境目の表現 → 『喫茶店』
「心淋し川」で直木賞を受賞された西條奈加さんがこのリストに登場するところが少し異色ですが、いずれ劣らぬ興味深い世界を提供してくれる作品群です。そして、この作品では、そんな境目に『登天郵便局』が建っているという設定の下に描かれていきます。ただし、上記作品群と少し異なるのは、上記作品群では、境目を訪れる人たちの現世での未練に光を当てていく繰り返しであるのに対して、この作品では『登天郵便局』というもの自体に光を当てて、ある種コミカルにこの設定を描いて行くところにあります。そんな『郵便局』には五人の人物が働いています。
・赤井: 『局長』。『赤くて大きな顔がナマハゲそっくりの、泣く子も黙るといった風の大男』
・青木: 『オネエ言葉を使う』『どこにでも居そうな中年のおじさん』
・鬼塚: 『人間と呼ぶにはあまりにも長身で肩幅が広く、全身が筋肉細胞のみでできているような姿』
・登天: 『郵便配達員』。『軽く米寿を越えている』
・安倍: 主人公。短大で就職浪人。『探し物』が特技と履歴書に書いたことから採用される
物語は、この五人のそれぞれの働きが描かれていきますが、あくまでそれは主人公である安倍の視点で描かれるものです。何かしら謎を秘めた『登天郵便局』。物語の展開に連れてその実像が少しづつ浮かび上がってきます。
『登天郵便局は、本当にここを必要としている人だけを選ぶんだよ。登天郵便局が選んだ人でなきゃ、来ることができないんだから』
どこまでいっても不思議な存在である『郵便局』には不思議な事ごとが多々発生します。そんな物語を最初から最後まで通しで繋いでいくのが、冒頭のアルバイト初日に『登天郵便局』へ自転車を走らせるアズサの前に現れた一人の女性の存在です。『半分焦げた真理子さん』とも言われるその女性は『死んで成仏できない』幽霊として描かれていきます。そして、物語は後半に入って、そんな真理子が『成仏できない』理由を巡るミステリーとして展開し始めます。また、その一方で、『登天郵便局』自体に訪れる危機が並行して描かれてもいきます。
“生命を落としたからといって、生きていた人が、消えてしまってたまるか”
そんな風におっしゃる作者の堀川アサコさん。この作品にはそんな堀川さんの筆によって、生きていた人があの世へと確かに向かっていく姿が描かれていました。
『物理的に存在しているのに、生者・死者ともに、登天郵便局が必要でない人には、見えていても見えない。ここに来る気も、決して起きない』。
『あの世への通過点』である『登天郵便局』を描くこの作品。そこには、そんな『郵便局』で働き始めたアルバイトのアズサ視点で見る摩訶不思議な事ごとの数々が描かれていました。さまざまな事ごとが次々に展開する中に飽きることなく読み通せるこの作品。そんな場所が本当にあるかもしれないと思えてもくるこの作品。
幾らでも展開できそうな余裕のある物語設定に、是非続編も読んでいきたいと思う、そんな作品でした。