あなたは、こんな看板を目にしたらどう思うでしょうか?
『共同台所すみっこごはん ※素人がつくるので、まずい時もあります』
そもそも『共同台所』という位置付けに引っ掛かるところがありますが、それ以上に、『素人がつくるので、まずい時もあります』という注意書きは全くもって意味不明です。ここが、”レストラン”だとしたらあり得ないとしか言いようがありません。
『何の罰ゲームよ、それ』
思わずそんな言葉が口を突いて出ることもあるでしょう。そしてそもそも、『まずい時もあります』なんて説明をそのままスルリと受け取る人がいるはずがありません。これは一体どんな場所なのでしょうか?そこでは、どんな『ごはん』を食べることができるのでしょうか?
さてここに、『共同台所すみっこごはん』という看板が掲げられた場を舞台にした物語があります。十ヶ条からなるルールが示される『すみっこごはん』。さまざまな人をその場の魅力で惹きつけていく『すみっこごはん』。そしてそれは、”食”を通じて繋がっていく人たちがお互いのことを思いやる人の優しさに触れる物語です。
『共同台所、すみっこごはん?』と、『ただの民家だと思っていた建物の格子戸に、看板がかかっていることに気がついた』のは主人公の松井沙也(まつい さや)。『ごはん処だろうとは当たりがつく』ものの『※素人がつくるので、まずい時もあります』という『おかしな注釈がつづいている』のを見る沙也は『何の罰ゲームよ、それ』と『声に出して呟』きます。すると、『すぐ近くで、ぷっと噴き出す声がして』、『いつの間にか真横に角刈りの男が立ってい』ました。『わりいわりい、聞こえちまったからさ。お姉ちゃん、よく通る声してんな』と言う『角刈り』に、『ここ、何系のお店?飲み屋?定食屋?…』と『好奇心に負けて尋ねてみ』た沙也に『正確にいうと店じゃねえけど…罰ゲームになる可能性もあるけど、来てみるか』と『扉を開け』誘います。『行かない』と立ち去ろうとするも『あらあら、初めての人?さ、入って入って…』、『ちいっす!俺、腹へったあ』、『ったくよお、今日もしけた面ばっか集まってんなあ』と、『学ランの高校生や、口の悪そうなおっさんもぞくぞくと来る』中に、『押し込まれるようにして』『店の中に足を踏み入れてしまっ』た沙也。『私、田上(たがみ)っていうのよ。あなたは?』と、名前を訊かれ『あら、沙也ちゃんなんて洒落た名前ね』と言われ、『「すみっこごはんのルール」と題された』『プリントを渡されます。『ここはね。普通のお店とはちょっと違っていてね。ここに集まった私たちがくじを引いて、当たった人がお料理をつくる共同の台所なのよ。わかるかしら』という説明に『一瞬、混乱』する沙也。『…私が当たりを引いたら、私が料理当番になる、と?』と訊き返すと『そうそう、そういうこと…』と言われます。そして、『あそこの口の悪い人が柿本さん、私は奈央、こっちの女子高生が楓ちゃん、それに角刈りのあのきびきび台所を掃除している男性は金子さんで、向こうの健全な男子高校生は ー』、『純也です。よろしくお願いします』と面々を紹介された沙也。そんな中、『さ、五時半になったし、くじ引きよ…』と田上の言葉に従ってくじを引く中、『なんだよ!せっかくの休みに俺が当番か』と金子が『真っ赤な印がつい』たくじを引き当てます。そして、『買い出しに』出かけ戻ってきた金子は『今日は肉屋のおやじからいい鶏ももをせしめてきたぞ』と説明します。『うっそ、まじやったあ!』と『ガッツポーズ』をする純也を見て、『金子さん、料亭の板前さんなんです…』と遅れてきた一斗に説明される沙也は、『おう、沙也ちゃん。わりいけど…手伝ってくんねえか』と『目が合った』金子に言われ、『仕方なく厨房に入』ります。『金子さんって、多分すごい人なんだ』と、『まな板と向き合うと、一瞬で厨房の空気が変わった』のを感じる沙也は、『こういう空気をつくり出せるプロフェッショナルを知っている』と、『子どもの頃から憧れ抜いてきた声優さん』のことを思います。『そう、私は声優を目指していた。専門学校の学費を稼ぐために、ガールズバーで働いている。でも、最近じゃ、ろくに発声練習もやっていない。特別な世界だ。自分の才能に見切りをつけるなら、早いほうがいい。今ならまだ二十歳だし、いくらでもやり直せるはずだ』と思う沙也。やがて、料理が出来上がり『いただきます!』と食べ始めた面々。『いい鶏肉使ったからな。うんめえだろ』と言う金子に『ビール飲みたい』と言う沙也ですが、『ここ、アルコール禁止なのよ』と言う田上は『そういえばみんな、もう聞いてる?駅前が再開発されるって話』と切り出します。詳細が語られる中、『私、ここは絶対に変わらないでほしい』と唇を噛みしめる楓を『ここは大丈夫だよ』と慰める純也。そんな光景を見て『この人たちは、どうして平日の夜にみんなしてここに集まってるんだろう』と思う沙也は、『多分、みんないい人たちばかりだ。だけどみんな、夢を追う苦労なんて味わったことがないに違いない…料理は美味しかったけど、やっぱりこんな場所、こなきゃ良かったな』と思います。
場面は変わり、『完全に二日酔いだ。昨日、ガールズバーのバイトで飲み過ぎたらしい。今日は大事な実習授業があるのに』と朝を迎えた沙也は、『どっちにしろ、今日の放課後こそ、退学届けを出すことになるだろう』と『のろのろと身繕いをしたあと』家を出ます。『今日の一限は、アフレコ実習だ』という中、『この授業を終えて、それでも褒められなかったら、学校を辞めようと決め』ます。『この授業でなくても良かった。ただきっかけが欲しかっただけ』という沙也は、『共演する生徒の中にあの子もいる。そういう授業のあとなら、踏ん切りがつけやすいだろうと見込んだ』のでした。そして、『まだ役作りが全然できていない』という中、『台本を開』き、実習に入る沙也。人生の迷いの中にいる沙也が、『すみっこごはん』の場をきっかけに何かを掴んでいく様が描かれていきます…という最初の短編〈本物の唐揚げみたいに〉。『すみっこごはん』の世界に一気に引き込んでくれる好編でした。
“年齢も職業も異なる人々が集い手作り料理を食べる’共同台所’には、今日も誰かが訪れる。夢を諦めかけの専門学校生、妻を亡くした頑固な老人、勉強ひと筋の小学生。そんな’すみっこごはん’に解散の危機!?街の再開発の対象区域に含まれているという噂が流れ始めたのだ。世話好きおばさんの常連・田上さんは、この事態に敢然と立ち向かう。大人気シリーズ、待望の続編!”と内容紹介にうたわれるこの作品。成田名璃子さんの代表作でもあり、このレビュー執筆時点で5作目まで発表されている人気シリーズです。
4つの短編が連作短編を構成するこの作品は、何をおいてもその物語の舞台がポイントです。まずはその場をご紹介しておきましょう。
● 『共同台所すみっこごはん』ってどんな場所?
・『以前は小料理屋だった』…『かなり年季が入っている』
・『店の真ん中にある大きなテーブル』に『みんなが集まっている』
・『高めの天井に縦横に化粧梁が渡してあって、かなり贔屓目で見れば古民家のような味わい深さ』
・『共同台所すみっこごはん ※素人がつくるので、まずい時もあります』という看板
これはどういう場所なのか?わかったようなわからないような感じですね。特に『素人がつくるので、まずい時もあります』という説明がよくわかりません。では、前作に引き続き作品冒頭にまとめられている、『すみっこごはん』の『ルール』を見ておきましょう。
● 『すみっこごはんのルール』(抜粋)
『ここは、みんなで集まり、当番に選ばれた誰かの手作りごはんを食べる場所です』
・『二 月初に一度、会費が発生するほか、参加日ごとに材料費を徴収します』
・『三 受付は五時半まで。三名以上、六名以下で実施とします』
・『四 くじで当たりを引いた人が、その日の料理当番です』
・『五 当番は、レシピノートから好きなメニューを選んでつくりましょう』
全部で十ヶ条からなる『ルール』から抜粋してみました。会費は『二回目以降は一ヶ月ごとに千円』、そして『三百円の材料費』が必要になります。”レストラン”かと思いきや『くじで当たりを引』くと『料理当番』になる可能性がある『共同台所』という設定がポイントです。
“集まった人が、かわりばんこに夕飯をつくって、みんなで食べる場所”
これこそが、この『すみっこごはん』の何よりもの特徴ですが、見方によっては冒頭の短編の主人公・沙也が『何の罰ゲームよ、それ』と呟いてしまうのもさもありなんという気もします。もちろん、書名に『ごはん』と入っていることから、”食”のシーンが登場するであろうことが予想される物語は、それぞれの短編タイトルに記された美味しそうな料理が調理の場面とともに登場します。少し見ておきましょう。冒頭の短編に登場する『唐揚げ』です。
『チャックのついた透明な袋を開けて、浸けダレの匂いを嗅いでみた。お醬油、酒、ニンニク、生姜。シンプルで基本的な組み合わせだけれど、だからこそ鼻から胃に、ダイレクトに食欲を刺激してくる』。
意図せず訪れた『すみっこごはん』で、今日の調理を担当することになった金子(本職は『料亭の板前さん』)の助手として厨房に入った主人公の沙也は『流麗な包丁さばきで鶏肉を切り分け』、タレに浸けていく金子のプロの調理人としての姿に接します。
『ボウルに鶏ももをあけ、素早く衣をまぶして、しゅわあっといい音をさせながら、揚げ鍋の中に肉を放り込みはじめた』。
テンポよく調理が進んでいく中に、文字で記された文章から読者の元にも、音と匂いが漂ってきそうです。そして、『こんがりとキツネ色に揚がったばかりの唐揚げ』が食卓へと運ばれます。『いただきます!』という中に『唐揚げ』を食べ始めた面々。
・『箸先からまさに揚げたてのサクッとした感触が伝わってきた。ふうっと冷ましてから一嚙みすると、小気味よく衣が割れる音につづいて、弾力を残した鶏肉から肉汁がつうっと出てくるのがわかる』。
・『ジューシーなお肉には、田上さんがさっき評したように、しっかりとタレの下味が染みこみ、口だけではなく頭の中にまで美味しさが広がっていくみたいだ』。
これはたまりませんね。『唐揚げ』という誰もがよく知る料理だからこそ余計にその感覚がストレートに伝わってきます。『気がつくと、あっちでもこっちでも呻いている』という中に主人公の気持ちも満たされていきます。
『さっきまで気分は最低だったのに、たかが唐揚げ一つで幸せな気分になってしまった自分に呆れる。でも、これは仕方がない』。
“食”というものがもたらしてくれる幸せ、これは改めて言うまでもなくなにものにも代え難い魅力に満ち溢れたものです。他の短編でも『筑前煮』、『オムライス』というように誰もが知るメニューが登場します。成田さんの筆の力で魅せてくれる”食”の喜びは、この作品の説得力にも繋がっていくものがあると思いました。
では、それぞれに美味しそうな”食”が登場する四つの短編について簡単に触れておきましょう。
・〈本物の唐揚げみたいに〉: 松井沙也が主人公。『声優』になることを目指して専門学校に通う沙也は、評価を高めるばかりの友人・山崎穂波に嫉妬する一方で伸び悩む自身を思い、専門学校の退学を考える日々を送っています。そんな中に、偶然にも『すみっこごはん』へと足を踏み入れることになった沙也はその場で何かを感じていきます。
・〈失われた筑前煮を求めて〉: 有村が主人公。妻の初恵を亡くし一人暮らしの老後を送る有村は何かと世の中に『もの申す』日常を生きています。その一方で妻の『運転免許証』の行方を日々探す有村。そんな有村は『素人がつくるので、まずい時もあります』という看板に『もの申す』ために『すみっこごはん』を訪れます。
・〈雷親父とオムライス〉: 野村秀樹が主人公。『成高中学に入学できないと、幸せになれない』とママから言われ、塾へと通う秀樹。『自由研究の』課題に偶然見かけたおじいさんを研究してみようと思い立った秀樹は、おじいさんの後をつける中に『すみっこごはん』へと一緒に入ることになってしまいます。
・〈ミートローフへの招待状〉: 田上が主人公。『「不潔な環境で料理をつくり、人を招いて饗している」との匿名の通報』によって『突然、保健所の立ち入り検査が行われ』た『すみっこごはん』の現状を思う田上は『ここ、なくならないですよね』と不安げな楓のことを見ます。『再開発業者に狙われているんじゃ』ないかと訝しむ田上…。
前作より一つ少ない四つの短編には、声優を志すも厳しい現実に足踏みを続ける女性、妻に先立たれる中、自らの人生を模索する老人、そして中学受験に向けて勉学の日々を送る小学生といったようにそれぞれ大きく異なる背景事情をもった人物が主人公となって登場します。そんな彼らを一つに繋いでいくのが『すみっこごはん』です。前作から引き続き登場する柿本、田上、金子、純也、一斗、奈央、そして楓といった常連の面々が当たり前のように登場する物語は、やはり前作の土台あってのこの作品という面持ちを見せます。一方で上記した三人の背景事情に深掘りしていく物語は『すみっこごはん』の存在が薄れてしまうくらいにそれぞれの主人公の物語を見せてもくれます。
そんな物語の中で、この第二作で四つの短編共通に取り上げられていくのが『すみっこごはん』という場に突如湧いた『再開発』に関する話題です。
『すみっこごはんを含んだこのブロックに大規模マンションの計画があるのは間違いないらしいわね』
物語のそもそもの舞台とも言える『すみっこごはん』がなくなってしまうかもしれないという物語の存続をかけた大きな問題は特に田上が主人公となる最後の短編〈ミートローフへの招待状〉で深く描かれていきます。
・『すみっこごはんの土地が、狙われているのよ』
・『やはり、何かが起きているのだ。この場所で』
そんな言葉の先に描かれていく物語は『すみっこごはん』の雰囲気感を一気に別物に変えていく”ミステリー”な物語です。『再開発』という、昨今流行りの事象が突然降りかかってきた日常にさまざまな思いを見せる主人公たちの物語。そこには、『すみっこごはん』というかけがえのない場の大切さを改めて感じさせてくれる物語が描かれていました。
『私たちって幸せですよねえ。家族以外に、こうやって食卓を囲める人たちがいるなんて』
そんな言葉の先に、『共同台所』『すみっこごはん』に集うまさしく老若男女な人たちの姿が描かれていくこの作品。そこには、人のあたたかさを改めて感じさせてくれる物語が描かれていました。美味しそうな料理の数々に”食”の魅力を感じるこの作品。さまざまな背景事情の人たちを描く物語に魅せられるこの作品。
『みんなで集まり、当番に選ばれた誰かの手作りごはんを食べる場所』という『すみっこごはん』が持つ魅力に改めて惹かれていく、そんな作品でした。