河合敦のレビュー一覧
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ネタバレ「歴史は勝者によって作られる」の如く教科書にある記述が、古文書などで「史実」が発見されると変更される。そんな史実を載せたのが本書である。そのいくつかを記述してみると、
・聖徳太子 厩戸王は政治を主導した人物ではなく脇役という定説
・鎌倉幕府 成立は1192年から1185に(源頼朝が守護時等任命権を獲得した)
・戦国時代 幕開けは1477年の応仁の乱ではなく1454年の享徳の乱
・北条早雲 名前は伊勢新九郎盛時、北条と名乗った事はない、素浪人ではなくエリート官僚
・長篠の戦い 「三段撃ちは無かった」単純に兵の数で圧勝、武田騎馬軍団の疑問
・楽市楽座 戦国時代では他の大名でも既にやっていた、安土山下町が最初ではない
・秀吉の高松城攻め 全長3km高さ7m12日間で完成は実は長さは300m
・士農工商 元は武士・百姓・町人(3身分)で士農工商は儒学者が明治以降に伝えた
・勝海舟 曽祖父は越後の農民で、金貸しで武士の利権を買い取った
・鎖国 4つの港(松前・対馬・長崎・薩摩)を通して清国とオランダと交易をしていた
・田沼意次 賄賂もありの側用人であり老中で権力を持つ経済拡大を目指した案を作り出す 税収の増加・貿易の拡大・国内経済の活性化
・坂本龍馬 亀山社中は龍馬が作ったものではなく、商社のような組織でも無かった
龍馬は長州木戸・薩長西郷との段取り役で薩長同盟が結ばれた(龍馬の発想ではない)
長州の武器購入は伊藤博文と井上馨が薩摩名義で小松帯刀らが購入した
龍馬は船中八策は作成しておらず土佐藩が作成、龍馬は新政府綱領八策を作成
海援隊は藩の応援や海運業だけではなく土地の開拓、投資事業なども手掛けた -
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古代(小野妹子)から近代(エノケン)まで30人の偉人、賢人、有名人の晩年を追いかけている。人々に知られたその偉業は一時のことであり、普段から奇行が目立ったり、不幸な晩年を送った人も多い。
タイトルから連想されるように「晩節を汚す」という言葉があり、それを地で行ったような人生。しかし「汚す」だけでなく、死の直前まで強烈なエネルギーで行動しているのもセットだったりする。
歴史上の人物だとさらに、人々の願望(判官びいきが主)から様々な伝説・デマに飛び火しているケースもある。本書ではそれらに対し、願望に対する一定の理解を示しつつも事実を追いかけており、歴史探求の面白さも味わえた。 -
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文筆という面から15人の平安人を取り上げたものだが、当然、各人たちの生涯もコンパクトに語られていて、かえってそちらのほうが興味深かった。
「空海」密教は、それまでの鎮護国家のための仏教ではなく、個人のためのものであった。
「菅原道真」謙虚ではなく、周りの貴族からの支持もなかった。
「紀貫之」土佐日記の明け透けなエロさが凄い。
「藤原道綱母」プライドが超高い気の強い女。藤原兼家の第1夫人になるチャンスを自ら失う。第3夫人に第1夫人を蹴落とそうと共謀を持ち掛けるが断られる。
「藤原道長」藤原伊周の自滅が大きかった。貴族の日記は、有職故実が多々書かれ、家人はそれを宝物とした。道長の日記は残っている最古の自筆日記で、有職故実の他にも家族のことがたくさん書かれている。晩年は胸の痛みに苦しみ、息子や娘が相次いで亡くなり、冷遇した藤原顕光・延子の恨みだと思っていた。
「清少納言」実体験の辛さなどおくびにも出さない文章通りの人。落ちぶれた晩年は伝説。
「紫式部」彰子に最初に出仕したとき、目立たないようにお馬鹿キャラを演じていた。陰湿ないじめにも遭った。「紫式部日記」には清少納言や和泉式部への辛辣なことが書いてある。めったに人を褒めない人だった。
「円仁」最澄の跡を継いだ、皆から慕われた人格者。年老いて唐に渡った。その時の記録が後世、珍重された。
「菅原孝標女」 「夜の寝覚」「浜松中納言物語」の筆者といわれる。「更級日記」にはフィクションが多く含まれているようだ。
「源順」醍醐天皇の娘の勤子内親王に求められて日本で初めての百科事典「和名類聚抄」を21~28歳の時、作った。
「和泉式部」文才豊か。恋多き人で、相手を焦らすなどの手練手管も多く使った。百人一首の「あらざらむ この世のほかの 思い出に いま一度の 逢ふこともがな」もなんともエロい歌。年をとってもこんな感じ。
「景戒」 「日本国現報善悪霊異記」を書いた自度僧といわれる人。
「西行」崇徳と親交を結んでいて、崇徳の死後、四国に渡って「陛下、もういいでしょう」と歌いかけている。源頼朝とも鎌倉で会っていて、流鏑馬などの兵法について語り合っている。
「後白河法皇」反乱を起こした謀反人が梟首されたとき見物に行った。捕まった盗賊を呼んで、盗みの秘術を聞いた。橋が流れて対岸への行幸が中止になるところを、供奉する公卿たちを裸にして輿を担がせて渡った。大輪田泊まで行って、宋人と会見した。当時の貴族たちは排外思想が強かった。今様に熱中し、遊女の乙前のめんどうを最後まで見た。熊野詣を34回も行った。自分の興味関心が最優先。熊野に観音堂をすぐさま作れとか、比叡山延暦寺の討伐を強要したりとか、自分の意思を通す傾向が強かった。
「九条兼実」日記「玉葉」は歴史の重要な資料。それによると、平資盛と摂政基房とのトラブルで激怒したのは、清盛ではなく重盛。一の谷の戦いで鵯越の逆落としを断行したのは多田行綱。大正天皇の皇后の節子は、この兼実の子孫。 -
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有名武将と名城の関わりを中心に描いた本。戦国三英傑の他には築城名人とされる武将がノミネートされている。黒田官兵衛や山本官兵衛は軍師タイプだから何となく納得できるが藤堂高虎や加藤清正は猛将豪傑のイメージがあり意外な感もある。細かい指示を出しているところを見るに知識も詳細だったのだろう。これだけでも一流の武将である事が窺える。
明智光秀は文武両道でありフロイスからも「謀略の達人」と称せられる人だが築城についても評価が高いとはさすがといえる。その光秀に裏切られた織田信長であるが、城を移動していくという地域性を取っ払った考えと入場料まで取ったという安土城を創建した独自性はやっぱり凄い。 -
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歴史好き芸人の房野さんと、歴史作家であり教育者の河合さんによる最新の日本史事情。房野さんの小気味良い語りが楽しい本です。
日本史を勉強してもうウン十年。今学生たちが勉強している日本史は、当時とだいぶ違うことにびっくり。思っていた以上に更新されてる。
歴史研究というのは終わることはなく、いちど発表された史実でも別のだれかによって覆されることがある。真実を追い求める歴史研究家に感服します。なんなら本書に書いてあることも数年後に覆される可能性もあるし。
戦国時代は苦手なので、この本をもってしても難しかったですが、島国日本が江戸時代に鎖国していなかった事実と、キリスト教との関係(布教に熱心ではないプロテスタントの国と貿易をしていた)は納得。