河合敦のレビュー一覧
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日本には多くの神社が存在し、その歴史的由緒背景を読むととても奥深いものを感じ、日本文化を保持継承していることは素晴らしい遺産であり誇りと言える。史上では神社分離、取り潰し、併合など多くの災難にも遭っているが、特に天皇家皇族の神話など戦国時代、太平洋戦争などで燃え尽き現存しない神社仏閣、史跡なども多くの「神」に対する啓蒙が現在でも祭り事などで継承していることに興味深い。徳川時代の日光参拝に多額の費用、多くの人足と参拝者があったのことに驚愕する。
日光東照宮の造営は1年5ヶ月、のべ650万人、総工費2千億円
日光参拝19回(@譜代旗本のみ参加13万3千人、人足22万8千人、馬32万6千匹)
午前6時に親衛隊出立、将軍午前10時、先鋒から最尾まで10時間を要した参列
参拝日程は4日間、古河城、宇都宮城に宿泊、費用は20万両(140億円) -
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出来事そのものの名称や年号、登場人物を覚えることが歴史の勉強で、暗記科目と呼ばれる。大きな流れを掴む勉強と、その出来事の要因を研究する作業、庶民の生活の移り変わりや文化の変遷を探求すること、こういうのも歴史だろう。否、こういうことこそ歴史だろう。
そう考えると子供達には本当の勉強をしてもらいたいと思う。今の学校の勉強は教養を付ける前段階の、目次を細かく覚えさせられているだけのように見える。自分の子供時代よりは幾分マシになったと思うけど。自分が育った附属小学校、中学校の先生方は良い先生たちだったんだなぁ、と今更ながら思う。子供達も実験台として多少はまともだったと思うけど、生涯学ぶ姿勢は親からだけでなく、小中学校での生活、先生方の熱意などから身についてきたものだと思う。感謝。
この本は教科書として使えると思う。 -
匿名
ネタバレ清少納言がもし生きていたら…
平安時代の文豪たちのエピソードに加えて、もし生きていたらどんな職業に就いていたかが書かれている本。藤原道綱母が女優やらインフルエンサーになっていたかも…と考えたらクスっときた。
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明治維新で藩が廃止となった際に「最後の大名」となってしまった人物たちの【その後】にフォーカスを当てています。巻末に「江戸の300藩」リストがありますが、300もあったんですねー。いや多分歴史で習ったはずだけど忘れていたので改めてびっくり。
印象に残ったのは、会津藩の藩主で京都守護職となって公武合体に尽力した松平容保と容保の弟である桑名藩の松平定敬。ちょうど『燃えよ剣』を観たあとだったので。この本読んでから観ればよかった。
「松平」繋がりで徳川家存続のために奔走した越前国福井藩の松平春嶽。新政府から冷遇されてしまったけどこの人の頑張りも興味深いです。
水戸藩最後の藩主・徳川昭武の留学の話や慶喜と仲がよかったエピソードも好き。フランス留学中に大政奉還が起こり、家臣たちは帰国するも昭武とともに残留したメンバーに渋沢栄一がいたとか。「プリンス・トクガワ」についてはまた掘り下げてみたいです。
ちょいちょい関連人物の写真が差し込まれているのですが、徳川慶喜の老年期の写真が掲載されていました。将軍時代で若いときの写真しか見たことがなかったのでびっくり。「敵前逃亡」の話は本書でも繰り返し触れられていましたが、功績もあったし撮影をするのが好きだったとか。
というわけで幕末の人物について興味をもつきっかけになった良い本でした。 -
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ネタバレ徳川家康が、今川義元の人質になっていた時代から関ヶ原の戦いまでの9つの危機について、家康を中心とした事件を追い、その時に家康はどうやって危機を乗り越えていったかを詳細に説明した一冊。
こうやって読んでいくと、初めは今川義元が織田信長に討たれ、武田信玄が病死、織田信長が明智光秀の謀反で自害、豊臣秀吉も病死、大老前田利家も病死し、家康にとっての大敵・目の上のたんこぶが、自分が関わらずに死んでいったことによって、徐々に上の地位に上がっていったとも言えるのではないか? これは偶然か? それともそれまで我慢したことによって日の目を見ることができたのか?
家康の75年の生涯は非常に面白い。 -
Posted by ブクログ
徳川家康の生涯における9つの危機を紹介した一冊。
いわゆる三大危機、三河一向一揆、三方原、伊賀越えはもちろん、戦争としては桶狭間、長篠、関ヶ原、戦争以外でも信康殺害、石川数正出奔、関東移封など、歴史のターニングポイントとなる部分を解説しています。通説に従った解説をただ単にするのではなく、このあたりはさすがに著者らしく、最近の研究結果などを紹介しながら、単なる通説だけではない視点も提供してくれますので、これまでの歴史とは違った見方をすることができます。
この時期になれば様々な資料も残っており、新たな発見やいろいろな解釈も生まれてきますので、今後、新たな学説も出てくると思いますので、今後も楽しみにしたいと思っています。
来年の大河の主役ですので、いろいろな本が出版されてくると思います。事前知識として手に取りつつ、大河でどのように描かれるのか楽しみに待ちたいと思っています。
<目次>
第1章 桶狭間の戦いー大混乱の中で下した決断
第2章 三河一向一揆勃発ー国内争乱、家臣の離反
第3章 三方原の戦いー家の存亡と意地をかけた出撃
第4章 長篠の戦いー信長の援軍で勝利
第5章 松平信康殺害事件ー原因は家臣団の対立か
第6章 伊賀越えー最大の窮地を突破
第7章 石川数正出奔騒動ー秀吉への臣従を決断した背景
第8章 関東移封ー小田原征伐を惹起させた処罰か
第9章 関ヶ原合戦ー危機をチャンスに変えた戦略 -
Posted by ブクログ
令和4年のGW中にネットで見つけた本です、歴史本は好きで今までに多くの著者の書かれた本を追いかけてきましたが、この本の共著の一人である河合氏の本も面白いですね。
この本では私のような年代あたりを対象に、かつて歴史の授業で習ったことが、現代の歴史研究によって学習内容に変更が生じた点を、その背景を踏まえて解説がなされています。特に、共著の房野氏の解説が面白いです、その後に河合氏が掘り下げた解説をしてくれています。この本の企画から出版まで2年を要したようですが、是非続編も出していただきたいものです。
以下は気になったポイントです。
・聖徳太子(厩戸王)は、実在説を強く否定する研究者は少ないが、有力な皇子であるものの政治を主導したわけではないというのがほぼ定説になっている(p24)
・東大寺の大仏(盧舎那仏)は高さ16メートルもある巨大像で、これを作るには約500トンの銅が必要であった、その多くは長登銅山(山口)で賄われた。大仏の本体は錫との合金(青銅)で、この鋳込み作業は3年間で8回にわたっていて使用された錫の量は8.5トンに上った。その大仏に金メッキを施しているが、使用した金はおよそ400キロ以上、その金は陸奥国から調達できた、その知らせを聞いた聖武天皇は嬉しさのあまり、年号を「天平」から「天平感宝」(同年に天平勝宝に改元)したほどである。メッキのために、水銀に溶かして大仏に塗りつけてその後に表面を火で焼いて水銀を蒸発させる作業があるが、これにより多くの人が身体を壊したと想定される、この作業に動員された人数はのべ260万人以上、当時の人口は600万人(p36)
・桓武天皇は早良親王の怨霊に苦しんで長岡京(政治に介入する奈良仏教(南都六宗)の影響を断ち切るべく遷都した)を捨てて、平安京に遷都した。古代はある意味、怨霊が歴史を動かしていた(p48)
・鎌倉時代初期の幕府は全国を統治したわけでもなく、西国においては朝廷の力が以前強かった(p56)
・地方の郡や国単位の土地と住人を支配する者を戦国大名と呼んでいる、合戦をしなくても天下を目指さなくても戦国大名である(p60)
・天下布武の印を使った信長だが、天下は全国を意味する言葉ではなく畿内のこと、つまり畿内に室町将軍の政治を復活させようとした、それが天下布武の意味である、これが定説になりつつある、鎌倉新仏教は6つ(浄土・浄土真宗・時宗・曹洞宗・臨済宗)あるが、これは江戸時代まで残った6つの宗派を明治になって定義したもの、鎌倉時代に栄えたのは、幕府の保護を受けた臨済宗のみ。まだまだ鎌倉時代は、南都六宗(奈良仏教)や天台宗・真言宗などの旧仏教の方が圧倒的に力を持っていた(p63)
・日野富子が悪女と言うのも、幕府の財政を支えるための蓄財が生んだ誤解、応仁の乱の原因で重要な家督争いは将軍ではなく畠山氏の方であるであり、長い間唱えられてきた応仁の乱の認識が変わった、さらに戦国時代のきっかけは応仁の乱ではなく、明応の政変との説が有力となっている。(p96)
・室町時代、東国は幕府の出先機関である鎌倉府が支配していた、その長官を鎌倉公方、それを補佐して政務を取るのが関東管領である。鎌倉公方には足利尊氏の子孫、関東管領には上杉一族が代々就任していた、その後、鎌倉公方は下総国古河に逃れた成氏(古河公方)と、伊豆国を拠点とする将軍義政の異母兄である政和(堀越公方)とに分裂した。(p106)
・北条早雲は本当の名前は「伊勢新九郎盛時」であり、室町幕府政所執事の氏族であった、盛時はこの伊勢氏の庶流で備中国荏原郷を所領にもつ備中伊勢氏の生まれであった(p113)
・足利義昭は信長の傀儡だっという説も、最近の研究では否定されている、ある時までの二人は武力と権威を補完し合う関係であった(p125)
・関ヶ原の戦いは、開戦と同時に小早川秀秋が裏切り、それが原因でわずか2時間以内で決着のついた戦いとなる、問鉄砲や先陣争い(井伊直政と福島正則)もフィクションであろう(p165)
・士農工商という4つの身分制度はなく、武士と百姓・町民に大きく分かれ、江戸や大坂の城下町には、武士と町人が集められた(p181)農村に住んでいるのが百姓、町(城下町)に住んでいるのが町人、というように居住区や職業の区別はあっても身分に上下の差はない(p182)
・鎖国はなく4つの外交窓口があった、長崎(清、オランダ)、対馬(朝鮮)、薩摩(琉球)、松前(蝦夷)(p189)
・清の時代の銅銭材料の6−8割は日本から輸入した銅であった、江戸中期の日本は銅を清やオランダに輸出していた(p200)
・この本で伝えたかったことは、歴史は不変ではなく研究によって更新されるということ、1つの歴史的事実が解き明かされる裏には研究者の大変な努力がある、先行研究を読み込み、新たな史料を探しその上で先行研究とは何が違うのかを明らかにする、それを学術論文として発表する(p278)
2022年5月8日作成