河合敦のレビュー一覧
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歴史は次々と変えられていく。これは単に捏造がばれたからというだけではなく、寧ろ定説として公に認められていたものが、新発見された遺物により覆されたことによる。なので定期的に新刊の歴史書を読まないと間違った歴史が脳の中に残ることになり、とても気持ち悪いことになる。また、歴史として学校で教わったものは文部省にとって不都合な事実は伏せられたりしているので、和泉式部が牛車のなかでXXXをしただの、小林一茶は性豪で、一夜にして5回やそこら平気、といった下世話な話は当然のように教えられない。また、日本人の性風俗が江戸時代まではかなりおおらかであり、明治、大正、昭和初期が異常に厳格だったなんて、文部省は口が裂
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ネタバレ帯の『本当は幕府を倒す必要はなかった!?』に魅かれて購入。
私もそう思っていたの。
慶喜は元々尊皇派筆頭の水戸家出身なのだから、「大政を奉還せよ」と天皇に言われたら、お返しするでしょう。実際したでしょう?
おとなしくしていた幕府軍を煽って煽って煽って戦いに持ちこんだのは西郷隆盛率いる薩摩軍。
会津憎しの長州をなだめていた仙台藩や米沢藩に、「東北は皆敵」何ぞというから、奥羽越列藩同盟を結ばせることになってしまい、戦うきっかけを作ったのは長州藩。
戊辰戦争って、私怨だよね。
明治維新なんかなくたって、開国してからの幕府は幕臣をヨーロッパに留学させていたし、海外の進んだ技術をどんどん取り入れて -
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現在でも存続する巨大企業グループ、三菱。その発端は幕末の志士で、坂本竜馬の右腕として活躍した岩崎弥太郎が海運会社を起こしたことだった。弥太郎は持ち前の豪快さと強気で新政府への協力と対立を繰り返し、時代の混乱期に商業界でのし上がる。
そんな弥太郎のあとを継いだのは実弟の岩崎弥之助。彼は兄とは対照的に慎重で温厚。その性格のおかげで、三菱は入れ替わりが多い明治政府の権力者たちが誰であろうと協力関係を結ぶことができ、政府のバックアップで海運業以外にも重工業や不動産業などの業種に進出する。
さらに3代目久弥、4代目小弥太は戦後の不況、好況時にそれぞれ適したリーダーだった。
三菱グループの発展は時代 -
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ネタバレ岩崎弥太郎の生い立ちからはじまって三菱商会の創設、そのご四代目までの伝記。
大河ドラマで一癖ある人物として描かれた弥太郎だが、実際、そうだったようで。幼い頃へ勉強がまるで駄目、しかし詩作が褒められて学問に励み、江戸に遊学。父親の負傷事件で入牢、藩の重鎮学者につくも暗殺される。坂本龍馬の海援隊に関わって尻拭い。明治政府に雇用されず、ついに実業家として地歩を固める。
一見、その当時の出世ルールから外れた生き方をさせられるが、けっして自分は大物になるぞという夢は諦めない。しかし、今、現存していたら、ワタミの社長みたいに訴訟沙汰に巻き込まれるのでは…。 -
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岩崎弥太郎が三菱を創設するまでの経緯のほか、それを継いだ岩崎家3代が三菱を発展させていった経緯も学べるお得な本。明治時代の経営者が、利益よりも国家の発展を重視したことも描かれていて、日本の資本主義黎明期の様子も伝わってくる。
弥太郎は、1834年に藩士の身分を失った武士の家に生まれた。20歳のときに両親に反対されながらも江戸に遊学するが、1年も経たないうちに父親が暴行された知らせを受けて帰郷する。25歳で長崎の役職を得て様々な人脈を培うが、遊郭に通って公金を使い込んだため、5カ月で退職した。帰国後、荒地を開拓して新田をつくったり、綿栽培を行ったりして3年間で岩崎家を再建している。32歳の時、 -
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三菱と言えば、丸ビルをはじめとする丸の内のオフィス街が浮かんでくる。そんな三菱だが、三井や住友と言った旧財閥と違って、江戸末期化明治維新にかけての混とんとした時期に一気に今の三菱グループの基礎を築いたのだから驚きだ。
創業者の岩崎弥太郎、弟の弥之助、弥太郎の息子久弥、いとこ(弥之助の長男)の小弥太の4台を取り上げている。弥太郎は、土佐藩の地下浪人の家に生まれた。地下浪人とは、土佐藩士の地位を失った武士を指す。そんな最下層から一大財閥を築きあげた弥太郎。いろいろな危ない橋を渡ったり、せっかく手に入れて成長させていた海運業を手放すということもあった。
それでも、弥之助の時に、様々な事業を