河合敦のレビュー一覧

  • 岩崎弥太郎と三菱四代

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    歴史研究家 河合敦氏が2010年に発表した三菱財閥4代の物語です。この年の大河ドラマが「龍馬伝」で、岩崎弥太郎を香川照之が熱演していました。初代の弥太郎も凄いのですが、丸の内を作った二代目・弥之助、昭和の不況を乗り切った三代目・久弥と四代目・小弥太と才能才覚のある跡継ぎに恵まれたことが、現在の三菱グループの礎を築いたことが分かります。

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    2020年07月17日
  • 学習まんが 日本の伝記SENGOKU 徳川家康

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    今風の絵柄で取っ付きやすいと思います。
    信長や秀吉との関係、江戸を居所とした経緯、徳川幕府の意義など必要な点は描かれています。

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    2020年05月24日
  • いっきにわかる! 日本史のミカタ

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    日本史を一通り勉強していたり、日本史の大体の知識が入っている人間が、自分の知識を気軽に大まかに一通り復習できる本であると感じた。

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    2020年03月06日
  • 晩節の研究 偉人・賢人の「その後」

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    一番いやだな~と思ったのは有島武郎
    彼の書いたものはもう二度と読むまいと思った。
    そしてかっこよかったのは
    大岡忠相。
    最高にカッコイイ。

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    2019年11月27日
  • 岩崎弥太郎と三菱四代

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    『岩崎弥太郎と三菱四代』河合敦著
    三菱。商事、地所、銀行。
    多くの事業が今も発展を続ける。

    兄弥太郎そして弟弥之助。
    晩年癌なるも国/事業の発展に意思を傾けた生き様。

    渋沢栄一とともに一読の価値ありです。

    『廉直と操守』
    弥太郎の言葉をノートに記載しました。

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    2019年10月20日
  • 人生を変える幕末志士たちの言葉

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    ・国家の独立は、国民の独立心から湧いてくる。
    ・歴史の書物を読んで偉人の言動を知り、自分の志気を高めるのだ。
    ・世間が何と言ってもかまいはしない。私のやろうとしている偉業は、自分だけが知っているのだから。

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    2019年07月23日
  • 日本史は逆から学べ~近現代から原始・古代まで「どうしてそうなった?」でさかのぼる~

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    時間軸を遡って歴史を紐解くという発想が面白かった。小学生の頃から、日本史で興味があったのは戦国から後の時代だったが、時間を遡ることで縄文時代からずっと歴史が繋がっていることを実感できた。また所々で、その判断が間違っていただろう分岐点が見えてきて、それも面白かった。

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    2019年04月24日
  • 日本史は逆から学べ~近現代から原始・古代まで「どうしてそうなった?」でさかのぼる~

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    歴史は似たような出来事を
    権力者が変わって繰り返していくのだと感じる…
    とても厳しいことを実施したあと、
    その事に反発するように真逆のことを行なったり…
    そんな振り子のように歴史は続いてるなと考えさせられた。
    海外からの圧力に弱い日本の姿も昔から変わらないと思ってしまう!

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    2018年10月26日
  • 目からウロコの日本史 ここまでわかった!通説のウソと新事実

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    歴史は次々と変えられていく。これは単に捏造がばれたからというだけではなく、寧ろ定説として公に認められていたものが、新発見された遺物により覆されたことによる。なので定期的に新刊の歴史書を読まないと間違った歴史が脳の中に残ることになり、とても気持ち悪いことになる。また、歴史として学校で教わったものは文部省にとって不都合な事実は伏せられたりしているので、和泉式部が牛車のなかでXXXをしただの、小林一茶は性豪で、一夜にして5回やそこら平気、といった下世話な話は当然のように教えられない。また、日本人の性風俗が江戸時代まではかなりおおらかであり、明治、大正、昭和初期が異常に厳格だったなんて、文部省は口が裂けても言わない。だから日本人を知るためにこの手の本を読むことを進める。ここで文章を終えると、下品のままで終わってしまうので、「薩長同盟のための会談に坂本竜馬は同席していない」という新事実を付け足してお茶を濁す。

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    2018年10月23日
  • いっきにわかる! 日本史のミカタ

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    日本史をざっと捉えたいと思い購入。為政者や政治、文化といったテーマ別に縄文〜近代まで一通り書いてくれているので、イメージがしやすい。また章を読み進めていくことで出来事を違った観点から見ることができるのも、全体を捉えるのにありがたいと思った。ここから各論かな・・・

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    2018年10月20日
  • 異説で読み解く明治維新 「あの謎」がすっきり解ける10の物語

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    ネタバレ

    帯の『本当は幕府を倒す必要はなかった!?』に魅かれて購入。
    私もそう思っていたの。
    慶喜は元々尊皇派筆頭の水戸家出身なのだから、「大政を奉還せよ」と天皇に言われたら、お返しするでしょう。実際したでしょう?
    おとなしくしていた幕府軍を煽って煽って煽って戦いに持ちこんだのは西郷隆盛率いる薩摩軍。

    会津憎しの長州をなだめていた仙台藩や米沢藩に、「東北は皆敵」何ぞというから、奥羽越列藩同盟を結ばせることになってしまい、戦うきっかけを作ったのは長州藩。

    戊辰戦争って、私怨だよね。

    明治維新なんかなくたって、開国してからの幕府は幕臣をヨーロッパに留学させていたし、海外の進んだ技術をどんどん取り入れていたし、官僚制度はしっかりしていたし、末期の幕府は才能ある人物を積極的に登用していたし、付け焼刃の明治政府よりよっぽどしっかりしていたと思う。
    本当に明治4年くらいまでの明治政府の迷走っぷりは、公文書を読むだけでよくわかる。

    それでも、新政府を支持したいのに、奥羽越の強藩に囲まれてやむを得ず幕府側で戦った小藩があったり、新政府軍を支持する農民一揆が多発していたりなど、知らない出来事もいくつかあって、まだまだ知らないことはたくさんあるなあと思いました。

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    2018年04月26日
  • 岩崎弥太郎と三菱四代

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    現在でも存続する巨大企業グループ、三菱。その発端は幕末の志士で、坂本竜馬の右腕として活躍した岩崎弥太郎が海運会社を起こしたことだった。弥太郎は持ち前の豪快さと強気で新政府への協力と対立を繰り返し、時代の混乱期に商業界でのし上がる。

    そんな弥太郎のあとを継いだのは実弟の岩崎弥之助。彼は兄とは対照的に慎重で温厚。その性格のおかげで、三菱は入れ替わりが多い明治政府の権力者たちが誰であろうと協力関係を結ぶことができ、政府のバックアップで海運業以外にも重工業や不動産業などの業種に進出する。

    さらに3代目久弥、4代目小弥太は戦後の不況、好況時にそれぞれ適したリーダーだった。

    三菱グループの発展は時代にマッチした4人の岩崎が地位に固執することなく次々とトップのバトンを渡すことができたからだ。

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    2018年04月04日
  • 大久保利通 西郷どんを屠った男

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    NHK大河ドラマ「西郷どん」で描かれる西郷隆盛の盟友であり明治国家の始まりでの支柱となった大久保利通は何故、西郷隆盛を屠らなければならなかったか。この本はそんな大久保の深い精神状態を詳細に探し出す。

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    2018年04月03日
  • 真田幸村 家康をもっとも追いつめた男(小学館新書)

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    真田幸村という不世出の武将について丹念に綴った一冊。

    著者曰く、歴史上で影響力のない武将でありながら、その愛情が感じ取れて面白かった。

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    2018年01月27日
  • ニュースがよくわかる 教養としての日本近現代史

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    日本史と言っても時代も焦点もバラバラだが、これくらい飛んでる方が印象に残るしわかりやすい。また、知っておくべきポイントを押さえており評価できると思った。

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    2016年05月05日
  • 後白河法皇 平家を滅亡させた黒幕

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    激動の平安末期を生きた立役者でありながら、これまであまり語られることのなかった後白河法皇についての一冊。

    保元・平治の乱、平家との蜜月とそれからの脱却、源義仲や義経・頼朝との距離、あと今様に狂ってたことなど断片的な知識はあったが、それらについて初めて系統だって知ることができた。

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    2016年01月31日
  • 岩崎弥太郎と三菱四代

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    ネタバレ

    岩崎弥太郎の生い立ちからはじまって三菱商会の創設、そのご四代目までの伝記。
    大河ドラマで一癖ある人物として描かれた弥太郎だが、実際、そうだったようで。幼い頃へ勉強がまるで駄目、しかし詩作が褒められて学問に励み、江戸に遊学。父親の負傷事件で入牢、藩の重鎮学者につくも暗殺される。坂本龍馬の海援隊に関わって尻拭い。明治政府に雇用されず、ついに実業家として地歩を固める。

    一見、その当時の出世ルールから外れた生き方をさせられるが、けっして自分は大物になるぞという夢は諦めない。しかし、今、現存していたら、ワタミの社長みたいに訴訟沙汰に巻き込まれるのでは…。

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    2016年01月24日
  • 岩崎弥太郎と三菱四代

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    岩崎弥太郎が三菱を創設するまでの経緯のほか、それを継いだ岩崎家3代が三菱を発展させていった経緯も学べるお得な本。明治時代の経営者が、利益よりも国家の発展を重視したことも描かれていて、日本の資本主義黎明期の様子も伝わってくる。

    弥太郎は、1834年に藩士の身分を失った武士の家に生まれた。20歳のときに両親に反対されながらも江戸に遊学するが、1年も経たないうちに父親が暴行された知らせを受けて帰郷する。25歳で長崎の役職を得て様々な人脈を培うが、遊郭に通って公金を使い込んだため、5カ月で退職した。帰国後、荒地を開拓して新田をつくったり、綿栽培を行ったりして3年間で岩崎家を再建している。32歳の時、経営者としての能力を買われて長崎の貨殖局出張所(土佐商会)への勤務を命じられた。

    弥太郎は長崎で坂本龍馬と出会う。龍馬は、脱藩して勝海舟の弟子となり、幕府の神戸海軍繰練所で経験を積んだ後、その同志とともに長崎で海運業や貿易代行業を行う亀山社中を創設していた。薩長同盟を仲介した龍馬を通じて両藩との親交を結びたい土佐藩は、経営難に陥っていた亀山社中を海援隊と改称して土佐商会の下においたため、弥太郎と龍馬は頻繁に交わるようになった。

    慶応4年、開港した大阪に移るために土佐商会は閉鎖され、弥太郎も明治2年に大阪商会に配属した。明治3年に政府が藩の商業活動を禁止したため、大阪商会は九十九商会と名を変え、この頃から業務を貿易や商取引から海運業に移っていった。明治4年の廃藩置県後、弥太郎は一時新政府への出仕を目論んだが失敗し、職を失った士族たちを救う組合会社的なものとなった商会のトップに復帰すると、明治6年に三菱商会に改称した。

    弥太郎は福沢諭吉の著書から影響を受けて、国家のために列強諸国に制圧されている海運事業の回復を目指し、慶応義塾の卒業生も大量に採用した。一方、政府は外国の汽船会社に対抗するため、三井、鴻池、島田、小野といった豪商にはかって、明治5年に日本国郵便蒸気船会社を創設させた。三菱商会は徹底的なサービス戦略で急成長し、明治7年の台湾出兵の際に政府からの兵と食糧の輸送の依頼を受けて、政府所有船も貸与された結果、日本郵便を抜き去った。明治8年、政府は、政府の保護のもとに民間会社を育成する海運政策を決議し、保護の対象を台湾出兵で実績をあげた三菱商会とした。明治10年の西南戦争では、会社の船をすべて稼働させて政府軍の兵糧輸送を担い、その恩賞として汽船を下賜され、三菱は全国の汽船の総トン数の70%以上を占めるまでになった。

    明治11年に大久保利通が暗殺された後、大隈重信らの民権派と伊藤博文らの保守派が対立した。明治14年にクーデターによって薩長閥が実権を握ると、弥太郎が大隈を資金援助していたと思いこまれたため、三菱に与えられていた政府の保護が改定された。明治15年に立憲改進党が創設されると、その資金源とみられた三菱に対抗するため、政府は資金を援助して三井系や関西財界から資本を募って共同運輸会社を発足させた。弥太郎は共同運輸との死闘のさなかに、胃癌のため明治18年に死去した。

    三菱を継いだ弥太郎の弟、弥之助は、政府の和解勧告を受けて共同運輸と合併させ、海運業からの完全撤退を決断した。合併して誕生した日本郵船は当初、社長をはじめ、役員や幹部の大半を共同運輸側が占めたが、三菱側の株主は岩崎家で独占していたため、年が経つと三菱から移った人材が主流を占めるようになっていった。明治19年、弥之助は三菱社を設立し、銅山開発、炭鉱、造船などの多角経営を進めた。明治20年に政府から長崎造船所を買い取ると、社員を英国に派遣して技術を学ばせ、日本一の技術力を持つようになった。また、陸軍関係の兵舎や練兵場を移動して空き地となった丸の内を買い取り、いくつものオフィスビルを建ててビジネスセンターを作り上げた。明治26年に商法が改正されて三菱合資会社としたのを機に、弥之助は弥太郎の長男、久弥に経営を譲って引退したが、明治29年には第4代日銀総裁に就任して、銀本位制から金本位制への転換を実現するなど、政界で活躍した。晩年には、社会的責任の観点から、静嘉堂文庫の設立や、日本女子大学や早稲田大学、東京慈恵会に資金援助している。

    久弥は機械工業に造詣が深かったため、重工業分野を重視して造船と工業に資本を投下した。また、各部門に独立採算制を導入して経営の合理化を進めた。大正5年、久弥は経営が好調の時期に辞任して、後継には弥之助の嫡男、小弥太が選ばれた。小弥太は、巨大組織に成長した三菱を国利民福のための組織とするため、各事業を株式会社として独立させ、漸次株式を公開していった。

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    2018年10月31日
  • 岩崎弥太郎と三菱四代

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     三菱と言えば、丸ビルをはじめとする丸の内のオフィス街が浮かんでくる。そんな三菱だが、三井や住友と言った旧財閥と違って、江戸末期化明治維新にかけての混とんとした時期に一気に今の三菱グループの基礎を築いたのだから驚きだ。

     創業者の岩崎弥太郎、弟の弥之助、弥太郎の息子久弥、いとこ(弥之助の長男)の小弥太の4台を取り上げている。弥太郎は、土佐藩の地下浪人の家に生まれた。地下浪人とは、土佐藩士の地位を失った武士を指す。そんな最下層から一大財閥を築きあげた弥太郎。いろいろな危ない橋を渡ったり、せっかく手に入れて成長させていた海運業を手放すということもあった。

     それでも、弥之助の時に、様々な事業を展開していった。その中にはあの小岩井農場もある。そればかりでなく、今やオフィス街のみならずショッピングやグルメの街としても注目を集めている丸の内。元は、明治政府から買ってくれてと頼まれたものだった。買い上げたお値段が128万円。当時の東京市の予算の3倍に相当するとある。そんな土地を買った弥之助は、ある人にこんな土地をどうするのかと問われて、「なに、竹でも植えて虎でも飼うさ」とうそぶいたそうだ。大物はほらの吹き方が違う。虎どころか人が集まる一大ビジネス街になったのだから、この姿を見て弥之助はどう思うのかな。

     3代目の久弥は、めざしが好物で質素な生活をしていたとある。質素と言えば、弥之助に頼まれた高級料亭の女主人が母から聞いた話が載っている。小弥太と俊弥(弥之助の長男)が奈良に行った時に割烹店に連れていた時のこと。二の膳が出る時、目を丸くして端に手を付けかなったので、理由を聞くとこんなごちそうを食べていいのと言ったとある。最近、中国で話題になった無職の少年同士が高級スポーツカーを乗り回して事故を起こしたのが話題になっていた。この本を読んで少しは見習ったらとふと思った。贅沢を覚えると後が大変だからなあ。

     筆者が三菱4代を取り上げた理由として「(略)近い将来、昭和恐慌と同様の状況が、現代の日本にも現れてくる可能性が高い。そうしたとき、果たしてあなたは生き残っていく自信があるだろうか」と問いかけている。たくましく生きた岩崎4代から得るものが大きいなあ。

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    2015年04月17日
  • 岩崎弥太郎と三菱四代

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    1,弥太郎
    土佐藩-三菱商会 企業
    2,弥之助
    16歳下の弟 体質は弱い 後藤象二郎の娘と結婚共同運輸(政府)との合併を決める⇒日本郵船  好物がメザシ
    3,久弥
    弥太郎の長男  寡黙な3代目  アメリカ留学  真面目一辺倒
    52歳で、社長を小弥太に譲る。
    4.小弥太
    弥之助の長男  英国留学 東京大学卒業
    理想的社会主義者  124KGの巨漢
    社員に対する訓示が、1回だけ。
    子供は出来ず 夫婦仲が良かった。
    5,系列会社
    キリンビール
    明治屋
    東京海上火災
    ニコン
    旭硝子

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    2015年04月12日