あらすじ
三大財閥中、三百年以上の歴史を持つ旧家の三井・住友に対し、三菱は明治の動乱に乗じて短期間で巨万の富を築いた特異な会社である。坂本龍馬の遺志を継いで海運業を起こし、権謀術数を駆使してわずか五年で頂点を極めた政商・岩崎弥太郎。日本初のビジネス街・丸の内を建設した二代目・弥之助。戦争景気で業績を伸ばし、昭和の大不況を勝ち残った三代目・久弥と四代目・小弥太。時代に即した巧みな経営術と、現在も続く財界随一のグループ結束力で成り上がった一族、岩崎家四代のビジネス立志伝!
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岩崎弥太郎は不思議な存在ですよね…。
土佐郷士から三菱財閥を築いたとはいえ、
亀山社中の財務処理は大変ご苦労だったのではと、思ってしまいます。
この本では、弥太郎の代で海運会社を皮切りに、
二代目弥之助が製造業や鉄鋼業を切り拓き、三代目久弥、四代目小弥太が三菱の事業を大きくする…これらの内容が約200ページでサクッと読めちゃいます。
私の印象に残った内容は、
二代目弥之助の経営判断の早さです!
人生の中で読んでおいてよかった本になりました。
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岩崎弥太郎は有名だが、岩崎弥太郎亡き後、弟弥之助、久弥、小弥太、会社トップが変わっていく中で、会社がどのように大きくなっていったのか、軌跡を学べました。
安田善次郎の小説を読んだ時はだいぶ三菱財閥を悪者扱いに書かれてたのですが、三菱側からの視点で見ると、当時の歴史背景で見えてくるものがありました。
歴史は人により捉え方がかわるので、複数の視線から多面的に情報を得ないといけないなと思うきっかけになりました。
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当時の日本人がビジネスをする際の最終的な目標は国家の繁栄であり、今日の日本人にはまさにこれが足りない。
国家のためという言葉はまるで右翼的だと言われ、個人主義や目先の利益を追求する時代に我々は危機感を感じなければならない。
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歴史研究家 河合敦氏が2010年に発表した三菱財閥4代の物語です。この年の大河ドラマが「龍馬伝」で、岩崎弥太郎を香川照之が熱演していました。初代の弥太郎も凄いのですが、丸の内を作った二代目・弥之助、昭和の不況を乗り切った三代目・久弥と四代目・小弥太と才能才覚のある跡継ぎに恵まれたことが、現在の三菱グループの礎を築いたことが分かります。
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『岩崎弥太郎と三菱四代』河合敦著
三菱。商事、地所、銀行。
多くの事業が今も発展を続ける。
兄弥太郎そして弟弥之助。
晩年癌なるも国/事業の発展に意思を傾けた生き様。
渋沢栄一とともに一読の価値ありです。
『廉直と操守』
弥太郎の言葉をノートに記載しました。
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現在でも存続する巨大企業グループ、三菱。その発端は幕末の志士で、坂本竜馬の右腕として活躍した岩崎弥太郎が海運会社を起こしたことだった。弥太郎は持ち前の豪快さと強気で新政府への協力と対立を繰り返し、時代の混乱期に商業界でのし上がる。
そんな弥太郎のあとを継いだのは実弟の岩崎弥之助。彼は兄とは対照的に慎重で温厚。その性格のおかげで、三菱は入れ替わりが多い明治政府の権力者たちが誰であろうと協力関係を結ぶことができ、政府のバックアップで海運業以外にも重工業や不動産業などの業種に進出する。
さらに3代目久弥、4代目小弥太は戦後の不況、好況時にそれぞれ適したリーダーだった。
三菱グループの発展は時代にマッチした4人の岩崎が地位に固執することなく次々とトップのバトンを渡すことができたからだ。
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岩崎弥太郎の生い立ちからはじまって三菱商会の創設、そのご四代目までの伝記。
大河ドラマで一癖ある人物として描かれた弥太郎だが、実際、そうだったようで。幼い頃へ勉強がまるで駄目、しかし詩作が褒められて学問に励み、江戸に遊学。父親の負傷事件で入牢、藩の重鎮学者につくも暗殺される。坂本龍馬の海援隊に関わって尻拭い。明治政府に雇用されず、ついに実業家として地歩を固める。
一見、その当時の出世ルールから外れた生き方をさせられるが、けっして自分は大物になるぞという夢は諦めない。しかし、今、現存していたら、ワタミの社長みたいに訴訟沙汰に巻き込まれるのでは…。
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岩崎弥太郎が三菱を創設するまでの経緯のほか、それを継いだ岩崎家3代が三菱を発展させていった経緯も学べるお得な本。明治時代の経営者が、利益よりも国家の発展を重視したことも描かれていて、日本の資本主義黎明期の様子も伝わってくる。
弥太郎は、1834年に藩士の身分を失った武士の家に生まれた。20歳のときに両親に反対されながらも江戸に遊学するが、1年も経たないうちに父親が暴行された知らせを受けて帰郷する。25歳で長崎の役職を得て様々な人脈を培うが、遊郭に通って公金を使い込んだため、5カ月で退職した。帰国後、荒地を開拓して新田をつくったり、綿栽培を行ったりして3年間で岩崎家を再建している。32歳の時、経営者としての能力を買われて長崎の貨殖局出張所(土佐商会)への勤務を命じられた。
弥太郎は長崎で坂本龍馬と出会う。龍馬は、脱藩して勝海舟の弟子となり、幕府の神戸海軍繰練所で経験を積んだ後、その同志とともに長崎で海運業や貿易代行業を行う亀山社中を創設していた。薩長同盟を仲介した龍馬を通じて両藩との親交を結びたい土佐藩は、経営難に陥っていた亀山社中を海援隊と改称して土佐商会の下においたため、弥太郎と龍馬は頻繁に交わるようになった。
慶応4年、開港した大阪に移るために土佐商会は閉鎖され、弥太郎も明治2年に大阪商会に配属した。明治3年に政府が藩の商業活動を禁止したため、大阪商会は九十九商会と名を変え、この頃から業務を貿易や商取引から海運業に移っていった。明治4年の廃藩置県後、弥太郎は一時新政府への出仕を目論んだが失敗し、職を失った士族たちを救う組合会社的なものとなった商会のトップに復帰すると、明治6年に三菱商会に改称した。
弥太郎は福沢諭吉の著書から影響を受けて、国家のために列強諸国に制圧されている海運事業の回復を目指し、慶応義塾の卒業生も大量に採用した。一方、政府は外国の汽船会社に対抗するため、三井、鴻池、島田、小野といった豪商にはかって、明治5年に日本国郵便蒸気船会社を創設させた。三菱商会は徹底的なサービス戦略で急成長し、明治7年の台湾出兵の際に政府からの兵と食糧の輸送の依頼を受けて、政府所有船も貸与された結果、日本郵便を抜き去った。明治8年、政府は、政府の保護のもとに民間会社を育成する海運政策を決議し、保護の対象を台湾出兵で実績をあげた三菱商会とした。明治10年の西南戦争では、会社の船をすべて稼働させて政府軍の兵糧輸送を担い、その恩賞として汽船を下賜され、三菱は全国の汽船の総トン数の70%以上を占めるまでになった。
明治11年に大久保利通が暗殺された後、大隈重信らの民権派と伊藤博文らの保守派が対立した。明治14年にクーデターによって薩長閥が実権を握ると、弥太郎が大隈を資金援助していたと思いこまれたため、三菱に与えられていた政府の保護が改定された。明治15年に立憲改進党が創設されると、その資金源とみられた三菱に対抗するため、政府は資金を援助して三井系や関西財界から資本を募って共同運輸会社を発足させた。弥太郎は共同運輸との死闘のさなかに、胃癌のため明治18年に死去した。
三菱を継いだ弥太郎の弟、弥之助は、政府の和解勧告を受けて共同運輸と合併させ、海運業からの完全撤退を決断した。合併して誕生した日本郵船は当初、社長をはじめ、役員や幹部の大半を共同運輸側が占めたが、三菱側の株主は岩崎家で独占していたため、年が経つと三菱から移った人材が主流を占めるようになっていった。明治19年、弥之助は三菱社を設立し、銅山開発、炭鉱、造船などの多角経営を進めた。明治20年に政府から長崎造船所を買い取ると、社員を英国に派遣して技術を学ばせ、日本一の技術力を持つようになった。また、陸軍関係の兵舎や練兵場を移動して空き地となった丸の内を買い取り、いくつものオフィスビルを建ててビジネスセンターを作り上げた。明治26年に商法が改正されて三菱合資会社としたのを機に、弥之助は弥太郎の長男、久弥に経営を譲って引退したが、明治29年には第4代日銀総裁に就任して、銀本位制から金本位制への転換を実現するなど、政界で活躍した。晩年には、社会的責任の観点から、静嘉堂文庫の設立や、日本女子大学や早稲田大学、東京慈恵会に資金援助している。
久弥は機械工業に造詣が深かったため、重工業分野を重視して造船と工業に資本を投下した。また、各部門に独立採算制を導入して経営の合理化を進めた。大正5年、久弥は経営が好調の時期に辞任して、後継には弥之助の嫡男、小弥太が選ばれた。小弥太は、巨大組織に成長した三菱を国利民福のための組織とするため、各事業を株式会社として独立させ、漸次株式を公開していった。
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三菱と言えば、丸ビルをはじめとする丸の内のオフィス街が浮かんでくる。そんな三菱だが、三井や住友と言った旧財閥と違って、江戸末期化明治維新にかけての混とんとした時期に一気に今の三菱グループの基礎を築いたのだから驚きだ。
創業者の岩崎弥太郎、弟の弥之助、弥太郎の息子久弥、いとこ(弥之助の長男)の小弥太の4台を取り上げている。弥太郎は、土佐藩の地下浪人の家に生まれた。地下浪人とは、土佐藩士の地位を失った武士を指す。そんな最下層から一大財閥を築きあげた弥太郎。いろいろな危ない橋を渡ったり、せっかく手に入れて成長させていた海運業を手放すということもあった。
それでも、弥之助の時に、様々な事業を展開していった。その中にはあの小岩井農場もある。そればかりでなく、今やオフィス街のみならずショッピングやグルメの街としても注目を集めている丸の内。元は、明治政府から買ってくれてと頼まれたものだった。買い上げたお値段が128万円。当時の東京市の予算の3倍に相当するとある。そんな土地を買った弥之助は、ある人にこんな土地をどうするのかと問われて、「なに、竹でも植えて虎でも飼うさ」とうそぶいたそうだ。大物はほらの吹き方が違う。虎どころか人が集まる一大ビジネス街になったのだから、この姿を見て弥之助はどう思うのかな。
3代目の久弥は、めざしが好物で質素な生活をしていたとある。質素と言えば、弥之助に頼まれた高級料亭の女主人が母から聞いた話が載っている。小弥太と俊弥(弥之助の長男)が奈良に行った時に割烹店に連れていた時のこと。二の膳が出る時、目を丸くして端に手を付けかなったので、理由を聞くとこんなごちそうを食べていいのと言ったとある。最近、中国で話題になった無職の少年同士が高級スポーツカーを乗り回して事故を起こしたのが話題になっていた。この本を読んで少しは見習ったらとふと思った。贅沢を覚えると後が大変だからなあ。
筆者が三菱4代を取り上げた理由として「(略)近い将来、昭和恐慌と同様の状況が、現代の日本にも現れてくる可能性が高い。そうしたとき、果たしてあなたは生き残っていく自信があるだろうか」と問いかけている。たくましく生きた岩崎4代から得るものが大きいなあ。
Posted by ブクログ
1,弥太郎
土佐藩-三菱商会 企業
2,弥之助
16歳下の弟 体質は弱い 後藤象二郎の娘と結婚共同運輸(政府)との合併を決める⇒日本郵船 好物がメザシ
3,久弥
弥太郎の長男 寡黙な3代目 アメリカ留学 真面目一辺倒
52歳で、社長を小弥太に譲る。
4.小弥太
弥之助の長男 英国留学 東京大学卒業
理想的社会主義者 124KGの巨漢
社員に対する訓示が、1回だけ。
子供は出来ず 夫婦仲が良かった。
5,系列会社
キリンビール
明治屋
東京海上火災
ニコン
旭硝子
Posted by ブクログ
この本は、幕末・明治をメインに書かれていて、その頃の歴史が好きな人におすすめだ。
周りの意見に負けず、夢に向かって追いかけている人にも読んでもらいたい。
弥太郎を始め、三菱四代の経営理念は、経営者に参考になると思う。
この本を読み始める時、きっと難しそうな話で途中で読まなくなるかもと思っていた。
しかし、数ページ読むとなんと歴史で習った「坂本龍馬」がこの話に関わっていた。
少し前に、テレビドラマで龍馬伝が流行った。
そのドラマは観たことはなかったが、福山雅治が演じる龍馬が人気だった。
読めば読むほど、岩崎弥太郎やその後引き継ぐ3人社長の話にハマっていった。
本の前半は、幕末から明治初期にかけて書かれている。
参考になる書物が所々で引用されているが、正直言葉が現代と違うので、読みづらいし理解しづらい。
苦手な方は、軽く流し読みをすれば良いと思う。
所々、経営者の性格・考えや、著者の考えなどが含まれている。
個人的には大変勉強になる1冊だった。
Posted by ブクログ
三菱創始者である岩崎弥太郎と四代に渡る三菱物語。酷く劣悪な状況をも物ともしない弥太郎の強烈な好戦的性格と上昇志向には只々頭がさがる。加えて米相場で破産一歩手前まで追い込んだり、遊郭に溺れたり、聖人君子でないことも弥太郎の魅力を構成している要素だろう。
政商と揶揄されることもあるが決して官に委ねたのではなく、商売人として鋭い感性と嗅覚を兼ね備えていたことが日本国郵便蒸気船とのエピソードから読み取れる。本書を読むと弥太郎は幕末の偉人達に翻弄された苦労人であることもわかる。龍馬が嫌な奴に思えるほどだ(笑)。それでも激昂しながら成果を上げていく様は優れた実務家であったといえよう。
その弥太郎の影に隠れてしまいがちだが真の「三菱財閥」を築き上げたのは弥之助といっても過言でもない。国家のため海運から撤退した崇高たる英断、事業の多角化を図り「陸の三菱社」を目指した先見性、日銀総裁としての金本位制導入。経営者としての能力は弥太郎よりも上といえるかもしれない。
二代までに対していささか劣るものの、事業の更なる拡大を成した三代目久弥、組織再編を果たした四代目小弥太。時代の力も借りながら、いずれ劣らぬ優れた血筋が生み出した奇跡の産物が三菱財閥なのだと感じさせられる。
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知人に勧められたのですがさくさく読めて面白かったです。明治維新から戦前戦後の動乱期を一族4代で財閥にまで成り上がった岩崎家の物語として、経営・政治という観点から見ることができて非常に興味深かったです。明治維新あたりの話って、尊王攘夷・佐幕だとか欧米との関係性だとか政治のあたりにフォーカスした話はこれまでにも読んだ事があったり、歴史の授業の中でもさらっとふれられたりすることはあるんですが、いかにして財閥と言われるほどの企業集団が出来上がったのかというところについてはこれまで読んだ事がなかったので刺激的でした。渋沢栄一だとか同時代の企業人にも興味が出てきたので、いくつか類書の類いを読んでみようと思います。ただ本書に関してところどころ説教臭いのは蛇足。
Posted by ブクログ
三菱を作ったのは三菱さんじゃないの?というほど何も知らずに、偉人、特に経営者の人生や人柄を知りたくて読みました。
創業から財閥解体まで、岩崎家4代で三菱を成長させますが、グループが大きくなり、世襲であっても、三菱を成長させ続けることができるリーダーを育てることができた点がすごいと思いました。4代それぞれに性格が異なる点も興味深かったです。
Posted by ブクログ
旅行で長崎に行った際に、岩崎弥太郎と三菱に興味をもったので拝読。
タイトル通り、内容の半分くらいは創始者・岩崎弥太郎の半生についての記述。
以下、岩崎弥之助→久弥→小弥太が三菱をどのように舵取っていったかが書かれている。
まあまあ期待通りの内容だった。
岩崎家という面では、歴史の動乱に立ち向かう三菱歴代の社長の性格の違いや言動をうかがい知ることも面白い。
また、三菱グループという面では、三菱の歴史と規模を知ることで、今の日本の見え方がちょっと面白くなると思う。
ただし、あまりウンチクを垂れないように気をつけよう…
丸の内とかで。
Posted by ブクログ
土佐の地下浪人から丸の内の大家へ!
岩崎弥太郎から連なる4人の歩みを記した1冊。
初代の思いがつまった海運業から撤退し、多角経営に面舵を切った2代目の英断は称賛するばかり。
「組織の三菱」発展のカギは「国利民福」か。
Posted by ブクログ
タイトル通りの三菱四代についてコンパクトにまとまった作品。
四代と言いますが、ページの配分的にはざっくりと、初代の弥太郎が65%、その弟で二代目の弥之助が25%、残り10%が三代目四代目の記述、といったところ。
・・・
初代弥太郎の記述が中心なので当然ですが、弥太郎のやらかしが目につきます笑
血の気の多さとか、遊郭通いとか、公金使い込みとか。
初期の事業である商船時代の社訓で『俺の会社だー、儲けも損も全て俺の責任だからなー』(P.88)みたいなことを書かれているようです。経費の請求でレシートを白紙に貼り付けて請求しているのを見て激怒しているという逸話もありました。コスト意識の強さの観点を強調してのことだと思いますが(今なら裏紙使用はコンプラや情報漏洩的に問題になりそうですが)。
初代弥太郎は、ケチというよりも、オーナーシップという言葉で形容したほうがしっくりしそうです。マイクロマネジメントと言えなくもないですが、全て自分事としてオーナーシップをもって仕事していたと。
そのような姿はきっとエネルギッシュで、魅力のある方だったのだと思います。
・・・
感心するのは二代目の変わり目の速さ。
商船事業で政府系企業との消耗戦の末、三菱商船合併を画策。合併企業からは手を引き新たに三菱社を創設。こちらが今の三菱系列の元となっていることになります。
鉱業(銅)、炭鉱、造船・重工業、銀行など現在の三菱グループの中心的企業がこの時代につくられた模様です。
このドラスティックな変化を前に二代目の胸に去来したものは何だったか、少し知りたくなりました。
・・・
もうひとつだけ。
筆者がしきりに岩崎家を持ち上げて『国の為という精神がすばらしい』『公共心がある』的なことをいっているのですが、やや時代錯誤的に感じました。
会社は、よりお金があるところに目を向ける、個人的にはそれだけだと思います。
但し、公共心とか、(少なくとも)大衆への言葉が語れるかたでないと、大成することは難しいのかもしれませんね。
・・・
ということで三菱グループのアンチョコ系歴史本でした。
学生さんが就活で使いそうなハンディな厚さですが、サラリーマンがちょっとした勉強で読むのにも適しているかもしれません。
Posted by ブクログ
岩崎家の発祥から発展までが簡単にまとめられているわかりやすい一冊
創業家の血の滲む様な、昔ながらの根性論ストーリー
偉人の多くが少年期を過ぎてからも弥太郎のように大風呂敷を広げ続けている
英雄色を好む 弥太郎も長崎で相当色街に耽って失敗している 機を知るは夫か神か 人間は一生のうち必ず一度は千載一遇の好機に遭遇するものである
三菱は初めは坂本龍馬などの土佐商会の海運から次第に政府からの委託も受け拡大していくが最終的には政府のこしらえた共同運輸と相対し、最終的には合併して日本郵船。
日本郵船に海運を渡してから炭鉱業で発展、三井、住友、三菱の御三家に数えられるまでに。
Posted by ブクログ
三菱グループの創業者、岩崎弥太郎から四代の歴史(幕末~終戦)を簡単にまとめた本。といっても内容のほとんどは初代弥太郎で占められている。
三菱は適時人を得たとはまさにその通りかもしれない。その適時人を得た弥太郎以降についてももっと書いてほしかったところですが。
それにしても帯の女と金でのし上がったみたいな記述はどうかと。弥太郎にそういう面があるのは否定しないけど、それが本書の主題じゃないでしょうよと。編集の知性のレベルが知れる。
Posted by ブクログ
昨年の大河ドラマで、渋沢栄一に対する勢力として出てきて興味を持っていたので手に取った1冊。
岩崎弥太郎の人生、それを引き継いだ弟の
弥之助、さらにその後を継いだ弥太郎の子・久弥、
最後の4代目、弥之助の子・小弥太の人生を
あますことなく書いててわかりわすい。
(さすが河合先生)
それぞれキャラクターが違ってて面白いのだが
(女で身を滅ぼしたり、時には詐欺まがいのことして経営をどうにかしたりと、やっぱり一番破天荒なのは弥太郎なのだが…)
全員共通なのは志を持ってること、それを貫いてることかな。だからこそ三菱がここまで大きくなったのだと。
あとはやっぱり合本主義だった渋沢栄一とはそりゃ敵対するんだろうなと思いました(笑)
※社訓とか見ても、社長独裁が掲げられてるしね…
※余談。
以前行ったことのある、岡山・高梁の吹屋坑道の吉岡銅山も、まさかの三菱が最初に手掛けてたとは!
さすが三菱、手広い…
Posted by ブクログ
登場する4人の中では、弥之助さんが、やったことといい、引き際といい、一番カッコいいかな。
特に海運会社をマイナーで切り出したところとか。
間にちょくちょく入る著者の主観的論評というか現代批判は正直浅い感じで、なんかイラッとするところあり。。
Posted by ブクログ
明治維新は好きで本をいろいろ読んでおり、そのなかでも坂本龍馬が好きなので、その流れで興味を持って読み始めました。
ニコン、東京海上、キリンもが三菱財閥ということをはじめて知りました。
Posted by ブクログ
岩崎弥太郎周辺の情報は読む本によって悉く異なる。この本はダイジェストとしては良いが一つ一つの情報は甚だ薄く、他の本で勉強済みであれば理解できるが、これだけでは全く了解できないのではなかろうか。
独自の教訓がチラホラと。
Posted by ブクログ
三菱財閥の成り上がりが分かる一冊。岩崎弥太郎が一代で基盤から繁栄まで行ったものだとばかり思っていたが、4代の性格の異なる経営者が揃ったことで拡大したことが分かる。
カリスマ性としては弥太郎、経営者としては弥之助と言えるのではないか。
時折、文中に筆者の講釈を垂れることがあるのが少し気になるところではあるが...
Posted by ブクログ
旧岩崎邸に行ったのをきっかけに三菱四代に興味を持ち、最初の一冊として読んでみました。
単なる伝記ではないあたりが面白いです。
史実を示しながら、著者の見解が述べられていたり、現代におきかえて考えてみていたり。
弥太郎はもちろんだけど、弥之助もすごいのねーと感心しました。
Posted by ブクログ
本書は,岩崎弥太郎・弥之助兄弟を中心に,その子供たちを含む三菱4代を題材にした史話である.(冒頭の一文)
三菱財閥の初期を綴った本.弥太郎たちの言葉や文章の引用もあり,著者の簡単な考察もある.1冊で三菱の出だしを把握するのにちょうど良い本だと思う.
Posted by ブクログ
三菱という巨大財閥を起こした岩崎弥太郎の経営哲学に興味があったのと、辞退したからには会社の生い立ちについてぜひ知っておきたいと思ったために読み始めた。
地下浪人という身分で生まれ、経済的にも苦しい生活を強いられ、学業も振るわなかった弥太郎は、詩作(漢詩)の才能を認められるようになってから向学心が燃え始め、「我は治世の能吏になる」などの大志を抱くようになった。
そして塾で勉学に勤しみ、様々な偉人と接触を図りながら人脈を広げ、当時貿易業をしていた土佐商会にて働き、そこの主任者に抜擢される。
後に土佐商会が閉鎖されると大阪商会へ移ることになる。
その後、大阪商会が土佐藩会計から分離させられて出来た九十九商会が三川(みつかわ)商会と名称を変え、これが三菱商会の基となった。
弥太郎がこの会社を、酒と女を使った巧みな交渉術を駆使し、士族にも商人の格好をさせて顧客サービスの徹底を図り、社長独裁を貫いて組織をまとめあげながら、巨大な外国汽船会社をも駆逐し、国内随一の海運業者へと成長させていく過程が説明されている。
以後も、第2代弥之助(弥太郎の弟、温厚沈着)、3代久弥(弥太郎の長男、寡黙)、4代小弥太(弥之助の長男、120kgの巨漢)がいかにして度重なる苦難を乗り越えて、三菱を発展させ、事業拡大(銀行、保険、製鉄、造船、製紙、電機、石油、不動産、鉱業、ビールなど)していくかについての話が続いている。
個人的には日本郵船はもともと、海運業を主軸にしていた「三菱商会」と政府の下にあった「共同運輸」とが合併して生まれた会社だと知って驚いた。
当時、政府の力を借りずしては立ち上げた会社を大きくすることは非常に困難だったということが背景にあるという。
いかにして政府関係者とも上手くやっていくか。そこも三菱四代の腕の見せ所でもあったのだろう。
一つだけ残念な点をあげると、史実の間で挟まれる、著者の経営や人生論に関するコメント。
歴史作家、高校教師である著者が経営哲学について記しても、いまいち説得力に欠け、薄い内容になってしまっている感が否めない。
内容に関しては、興味深い逸話を交えながら日本史未修者にもよくわかるように解説されている。
もう一度読み返したいと思った。