【感想・ネタバレ】日本史は逆から学べ~近現代から原始・古代まで「どうしてそうなった?」でさかのぼる~のレビュー

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Posted by ブクログ 2021年06月27日

 旧石器時代から戦後、経済大国になるまでの日本の歴史を、時代を遡る形で、因果関係を軸にしてまとめている。「なぜ、日本は中国を侵略して満州国をつくったのか。」→「国民の多くが拡大路線をとる軍部を支持したから。」→「なぜ国民の多くは軍部を支持するようになったのか。」→「経済を好転させられない政党政治に失...続きを読む望したから。」という形で進む。
 「歴史は暗記することが多くて嫌い。おもしろくない。」という人がいると「歴史があるから、今があるんだよ。そこにはさまざまな因果関係があるんだよ。そしていろんな人たちのドラマが…。」と、つい熱く語ってしまいたくなる私にとって、日本の通史の基本として何度も読み直したい1冊。章の最後にあるテーマ史もおもしろかった。

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購入済み

面白かった。

2021年05月06日

現在こうなっているのは、なぜか?過去のどういう事象が、それを招いたのか?現在(令和と平成は無く、昭和からだったけれど)から、逆に、歴史を、紐解いて行く。物凄く、新しい視点で、日本史を見直す事が出来た。
これ、学校の授業でもやらないかな?過去から学ぶより、ずっと面白いと思うんだけど……。

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Posted by ブクログ 2020年08月27日

歴史の学び直し系の本は、大抵前半でつまづいてしまい、いつまでも近代史まで辿り着かないという悩みを解決してくれた!因果関係がわかりやすく、歴史苦手でも、なぜ?なぜ?と興味をそそられて読めてしまう。

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Posted by ブクログ 2020年04月17日

血で血を洗う群雄割拠の戦国時代よりも、恐ろしくドロドロした人間関係の平安時代、大仏が出来る程の不安に追われる奈良時代のインパクトが絶大。聖徳太子は(ほぼ)出てこない、全ての戦争は稲作から始まる。 水稲耕作がなくてむしろ後よりも平和で豊な縄文時代もとても印象的(但し人口はとても少ない)。

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Posted by ブクログ 2019年06月22日

今から昔へ遡る斬新なアイデアやと思います
ただ通史を一通りやってないと読んでてしんどいかもしれません。
ムスコに最近よく日本史のことを聞かれるので知識の補足になりました。

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Posted by ブクログ 2024年02月23日

出来事そのものの名称や年号、登場人物を覚えることが歴史の勉強で、暗記科目と呼ばれる。大きな流れを掴む勉強と、その出来事の要因を研究する作業、庶民の生活の移り変わりや文化の変遷を探求すること、こういうのも歴史だろう。否、こういうことこそ歴史だろう。
そう考えると子供達には本当の勉強をしてもらいたいと思...続きを読むう。今の学校の勉強は教養を付ける前段階の、目次を細かく覚えさせられているだけのように見える。自分の子供時代よりは幾分マシになったと思うけど。自分が育った附属小学校、中学校の先生方は良い先生たちだったんだなぁ、と今更ながら思う。子供達も実験台として多少はまともだったと思うけど、生涯学ぶ姿勢は親からだけでなく、小中学校での生活、先生方の熱意などから身についてきたものだと思う。感謝。
この本は教科書として使えると思う。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2021年06月22日

タイトルを見て「面白そう!」と思って買ったのだけど、思ったより楽しめず。
帯には『大人にも受験生にも効く一冊!』と書いてありますが、どちらかというと受験生寄りの、でも帯に短したすきに長しってところでした。

歴史好きな大人は、事実の羅列ではなくて、そこに至るまでの時勢だったり屈託だったり、もう少し踏...続きを読むみ込んだ何かを読みたいと思うんだよね。
確かに逆から見るとわかりやすくなる部分はあるけれど、それはあくまでも受験用の歴史の範囲でしかない。

逆に受験生からすると、もう少し語句の意味だとか、人間関係だとかが分かりやすいほうがいい。
大事な言葉は太字にしてあるので、あとは自分で調べてねって言うことなのかもしれないけれど。

一般的にはこういわれているけれど、実はね…的な書き方も、受験対策向きではない。
だって入試でそれを書いても、丸を付けてもらえるかどうか定かではない。
それなら文科省の解釈を説明したほうがましだ。
しかしそれなら歴史好きの大人は読む必要があまりない。

『歴史の苦手な子どもの勉強を見てやる親』ならいいかも。
なんでこうなったかというと…と親が教えてくれるなら、子どもは歴史を好きになるかもしれない。
ただし、我が家の子ども達は、誰一人歴史好きにはならなかったが。

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Posted by ブクログ 2019年04月24日

時間軸を遡って歴史を紐解くという発想が面白かった。小学生の頃から、日本史で興味があったのは戦国から後の時代だったが、時間を遡ることで縄文時代からずっと歴史が繋がっていることを実感できた。また所々で、その判断が間違っていただろう分岐点が見えてきて、それも面白かった。

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Posted by ブクログ 2018年10月26日

歴史は似たような出来事を
権力者が変わって繰り返していくのだと感じる…
とても厳しいことを実施したあと、
その事に反発するように真逆のことを行なったり…
そんな振り子のように歴史は続いてるなと考えさせられた。
海外からの圧力に弱い日本の姿も昔から変わらないと思ってしまう!

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Posted by ブクログ 2023年06月07日

結果から原因を探っていくというスタイルだった。とりあえず現代ー戦国あたりまでは楽しく読めたが、昔に遡っていくにつれて教科書的な書き振りに見えた。というのも古代の方はどう考えても紙面が足りず、説明口調になってしまったようだった。

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Posted by ブクログ 2020年02月25日

歴史の内容を扱っているにしてはとても分かりやすい。

なぜそうなったのか??と逆算していくのはとても大事だと思う。

ただ、江戸時代らへんから人の名前が多すぎて頭こんがらがった。

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Posted by ブクログ 2018年02月12日

新幹線からおりてオフィスに向かう途中、品川駅の構内にある本屋さんで見つけた本です。有名で誰でも知っている現代の事件から始まって、そうなった背景はその前の時代のシステムや考え方にあることを解説しながら、古代まで遡ることで歴史を解説している本です。

逆説の日本史シリーズで有名な、井沢氏が以前、このよう...続きを読むな書き方をしている本を出していて、歴史って面白いな、と感じたことがあります。同じコンセプトで、この本の著者である河合氏も本を書いてくれて嬉しく思います。歴史を試験のためにではなく、自分の趣味のために触れ合うことは楽しいことですね。

以下は気になったポイントです。

・600万人もいた日本軍は、武装解除されて復員となり、急速に消滅した(p32)

・1947年には、独占的巨大企業を分割する、過度経済力集中排除法が制定されて、分割対象として325社が指定されたが、冷戦激化による対日政策の転換により、実際に分割されたのは、日本製鉄、三菱重工などの11社にとどまった、農地改革により自作地が生まれ、半分を占めていた小作地も1割に減った(p33)

・アメリカに単独統治された理由として、日本は戦闘を、アメリカ・イギリス・オランダ・中国・ソ連の5か国および、その植民地の人々と交えたが、敗れたのはアメリカのみ。イギリス、オランダは緒戦で撃退、中国とは終戦まで優勢、ソ連とは中立条約を締結(p35)

・列強強国は様々なルート(援蒋ルート)を通じて、蒋介石の国民政府に食料、武器を支援したので、日本軍はいくら戦いにかっても戦争は終結できなかった(p40)

・フランスがドイツの支援下におかれたので、同国の植民地であったインドシナが空白状態となり、1940年日本軍は資源豊富なインドシナ北部に進駐した(p41)

・満州の、奉天・吉林・黒竜江省を占領、1932年3月、3省を中国から切り離して、満州国を樹立させた、さらに隣接の華北5省(河北、山東、山西、スイエン、チヤハル省)を勢力下におこうとした(p44、46)

・第一次世界大戦の戦争景気により、1914年には11億円あった国家債務は解消、6年後には27億円以上の債権国となった(p52)

・1930年、金解禁を断行、1917年から廃止していた金本位制を復活、100円=75グラム=50ドルとしていたのを、円の価値が下がっていたにも関わらず、浜口内閣は同ルートで断行、円の価値は高くなった。輸出は不利だが、不良企業を淘汰しようとした(p53)

・王政復古の大号令により、三職(総裁、議定、参与=新政府の実権保有)が、薩摩・尾張・越前・芸州・土佐から選ばれた、長州がいないのは、1864年の禁門の変で朝敵となっていたから(p61、86)

・陸軍は長州閥、海軍は薩摩閥が支配した、警察組織も薩摩藩出身が多かった、高級官僚の多くは、薩長閥であった(p63)

・天保時代に諸藩はさまざまな藩政政策を行った、成功したのは、薩摩・長州・肥前・越前藩であった、肥前藩の改革では、均田制度が実施された、大半を小作人に分与して本百姓が創出された、太平洋戦争後の農地改革のようであった(p65、67)

・1843年、忠邦は、江戸・大阪10里四方を幕府の直轄地にする、上知令を発した。収益の高い地を幕領にして、増収をはかるとともに、江戸と大阪周辺を幕府が支配することで、戦時に即応できる防衛態勢を構築しようとした、しかし強い反発があり、家慶の名において、正式に撤回、忠邦も罷免された(p105)

・天保の飢饉(1833-1840)はひどく、特に1835年には、春から夏までまったく気温が上がらず雨が続き、稲刈りの時期には台風、低温による霜の被害により稲の収穫は壊滅的であった(p108)

・大塩平八郎の乱(1837.2.19)は1日で鎮圧されたが、各地で幕府に対する挑戦状が奉行所に行き、署名入りの幕政批判の張り紙や落とし文が見られた。彼に感銘を受けて、4月に備後国三原、5月に播磨の国加東郡、6月越後国柏崎、7月摂津の国能勢、で一気が発生している(p111)

・蝦夷地開発計画をたて、1785年の探検隊によると、580万石の収穫が期待できる(幕僚450万石)とした(p124)

・年貢は個人ではなく、村全体として一括納入させた、事情があって払えない農民がいても、連帯責任でほかの村人が不足分を足して払った(p132)

・秀吉は、検地帳をつくり、年貢を村単位かける(村請制)とし、これは江戸時代に踏襲された、土地の生産力の計算方法を、銭に換算した「貫高制」から、石高制に変えた河石高におうじて軍役を負担、大名の石高が可視化されたので、他の土地に大名を移すことが可能となった(p134)

・刀狩の真の目的は、農民一揆の防止、耕作に専念させること、そのうえで、人掃令、身分統制令を発した(p135)

・1616年に、中国船以外の貿易船の寄港地を、平戸・長崎に限定、1622年に長崎でキリシタン、宣教師を処刑、1624年スペイン船の来航禁止、1635年日本人の海外渡航、帰国を全面禁止、1639年にポルトガル船の来航禁止(p150)

・江戸時代の海外との交流は、長崎・対馬・薩摩・松前の4か所があった。長崎が唯一の国際港として、オランダと中国に開かれていた。対馬の宗氏は、朝鮮から輸入、東南アジアへ輸出、薩摩藩は琉球国に中国との朝貢貿易をさせた、松前氏はアイヌとの独占交易権を保証された(p133)

・幕府は北朝を奉じて南朝と戦ってきたが、足利義満は、弱体化した南朝の後亀山天皇に働きかけ、南北朝統一を承諾させた、1392年南朝の後亀山天皇が、北朝の後小松天皇に神器を譲る形で、朝廷は一つになった(p178)

・1350年当時は、単独相続性が進み、兄弟の家督争いが激化、互いに南朝や北朝を後ろ盾にして争うケースが激増した(p185)

・院政の全盛期は100年続き、結果的に朝廷における藤原氏(摂関家)の影響力を削いでいくことになった(p214)

・摂関職の地位につけるかは、天皇の外戚(母方の親戚)になることが絶対条件であった(p232)

・氏とは、血縁集団を表す、姓とは、家柄や職務に応じて、地位や身分を示すものを、大王からもらったもの(p259)

2018年2月12日作成

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Posted by ブクログ 2017年10月07日

歴史は繰り返される。とか、先代の人の知恵に学べ。と言われるけど、日本史の教科書を引っ張り出して、読み気にはなれない。一つ一つの歴史的重大事項と、その因果関係を分かりやすく書いてるので、歴史をマクロで捉えるのに良いと思います。なんでもいいので、少しでも自分の生活にフィードバック出来ればいいな。

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