須賀敦子のレビュー一覧
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本書は、「単行本にこれまで未収録だったエッセイを中心にまとめた一冊」である。
「霧のむこうに住みたい」というロマンチックなタイトルにどうしようもなく魅かれる。だが、うっとりしてばかりはいられない。というのは、私の心の中に、なるべく触れずにおきたい、何か不穏な想いを呼び覚ますような気もする。ハッキリ言ってしまうと、須賀さんが「あちらの世界」に行くことを望んでいるのではないか、という予感である。
「霧のむこうに住みたい」の末尾にこう書いてある。
<・・・ふりかえると、霧の流れるむこうに石造りの小屋がぽつんと残されている。自分が死んだとき、こんな風景のなかにひとり立っているかもしれない。ふと、そん -
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最初の章は「しげちゃんの昇天」。しげちゃんは小学以来の同級生、中学では本読み友達になった。その時のことが綴られている。大学卒業後しげちゃんは信仰の道(修道院)へ、敦子は大学院に進み、その後留学。そして35年が経ち、ふたりは再会することになるのだが。
最後の章は「赤い表紙の小さな本」。ある日見つけたのは、半世紀もまえのBirthday Book、家族や友人の誕生日が記された赤い本。3月のページにあったのは、少女時代にだれよりも影響を受けた親友「しいべ」のサインと敦子へのひとこと。そのしいべの思い出が綴られている。しいべの本名は重子。すなわち、しげちゃんのこと。
この2つの章に、サンドイッチよろし -
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ネタバレ目次
・ヴェネツィアの宿
・夏の終わり
・寄宿学校
・カラが咲く庭
・夜半のうた声
・大聖堂まで
・レーニ街の家
・白い方丈
・カティアが歩いた道
・旅のむこう
・アスフォデロの野をわたって
・オリエント・エクスプレス
須賀敦子は14歳の時「たしかに自分はふたりいる」「見ている自分と、それを思い出す自分と」と思ったのだそうだ。
若いころ彼女の文章を読んだとき、社会のしがらみから離れて自分の来し方を考えるような年になったら、こんな文章を書けるようになりたい、と思った。
しかし今、そんな年齢になってみれば、私にはそんな才能もなければ、振り返ってみれば転換点だったと思えるような経験もなかったのであ -
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須賀敦子さんの本としては2冊目。
1冊目の時はイタリアの地名に慣れなかったが、今回、
冒頭の章、「ヴェネツィアの宿」を読んだ時点で既に引き込まれた。
ヴェネツィアの波音、静かな夜、霧立ち込める雰囲気、そして何より夏の雰囲気、まるで自分がそこにいて外を歩く人たちの感想や足音を聞いているかのような感覚になった。
また、2日かけてフランス人の中30キロ歩いて大聖堂の中に入れないなど報われない話もおそらく人生の数年を「消費」してしまったであろう報われない環境も隔てなく書いていてよかった。あとがきでは、「うかうかと人生を費やしてしまう」ことを許さない人であったとあるが、模索して選んだ環境の先に時間を費 -
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人生の初期に出会った本をめぐるエッセイ集。
子どもの頃、あるいは学生時代に出会い、印象を残した本。
それらは読んだ時の場所、状況、その本を読む上でかかわりを持った人々などとつながり、その人の中に独自の形で残り続ける。
時には忘れ去られていることもあるが、ふとしたきっかけで甦ってくる。
あるいは、年齢を重ねて読み直してみて、かつて気づくことができなかった意味を見出すこともある。
本書を読むということは、須賀敦子というひとを通してそうした経験を追体験することである。
取り上げられている本はといえばー
『小公子』や『愛の妖精』『星の王子様』、『ケティー物語』といった、海外の少年・少女向けの物語。 -
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少女期や留学時代のことを振り返ったエッセイ集。
須賀敦子の本はおそらくこれで4冊目だと思う。
読み重ねていくと、だんだん深く沁みてくる文章。
戦直後のミッションスクールの寄宿学校の様子などは、何かもう、どこの世界の話だろうと思えてくる。
英語劇のために「Lord」という言葉が「正しく」発音できるまで執拗に練習を強いる修道女がいるかと思えば、アメリカから来たシスター・ダナムは「レクリエーション」の時間に野球を導入し、「ケイトノアタマー(woolen headの直訳)」と叫びながら、生徒よりも嬉々としてグラウンドを駆け回る。
小公女の世界のようでもあり、井上ひさしの育った孤児院のようでもあり…。 -
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ネタバレ何よりもまず人間。
詩と自然にひたりたかった私が、なによりもまず人間,というフランスやイタリアのことばに,さらにこれらの国々の文学にのめり込んで、はては散文を書くことにのめりこんでいったのが、ふしぎな気がする。p206
と、かいておられる。須賀敦子さんの、子ども時代学生時代を振り返る本書を貫くのは、読んだ本,作者やその登場人物、行動から本能的に,そして本質的にかぎとり、受け止めてきた、何よりもまず人間ということ。
サンテグジュペリの,人間の土地。飛行機とともに、われわれは直線を知ったという文章がある、と、須賀敦子さんは引いている。牛や羊に依存していた人たちによって作られた、くねくねと曲が -
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わりと読む本が偏っている私がいつ、どうやって須賀敦子という作家を知ったのか記憶にないけれど、なんだかとても惹かれて、全集もほぼ買い集めた。何度も読んだわけではないので、これも記憶があやふやだけれど、確か、だんだんと宗教色が強くなってきて、というと聞こえが良くないけれど、信仰という精神、信条にかかる記述が増えてきて、好き嫌いの問題でなく、到底私の理解が及ばずに、全集を完読できなった。
そこから数年。本書をたまたま見つけて、すぐに読みたくなって購入。
やはり須賀敦子の文章はいいな~、と思いながら読んだ。私はヨーロッパがなぜか好きで、ヨーロッパというと主語が大きいけれど、イギリスもスペインもイタリ -
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ヨーロッパの最西端と言われるポルトガル領の群島、アソーレス諸島。その近海を泳ぐクジラと島の捕鯨手たちの物語を、虚構混じりの断片から浮かび上がらせていく掌篇集。
再読。何度読んでも美しい本、同じフォーマットを使って自分の好きなものを語りたいと憧れる本だ。史実に即した事柄を語るときにもタブッキは夢を見ながら語っているかのようで、それがクジラの泳ぐ大海を身一つで漂うような読感を生みだす。
深夜に見たNHKの番組でアソーレス諸島近海のクジラを取り上げていたのをきっかけに再読したのだが、あの海の青さを見てからだと、本書を読んで頭のなかに結ぶ像の色彩設計がガラッと変わってしまった気がする。「水みたいに -
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イタリア生活を書いた内田洋子さんのエッセイ集を読んだので、今度は須賀敦子さんのイタリア地名の付いたエッセイ集を読んでみた。
お二人とも素晴らしい文章力をお持ちだが、視点は全く逆である。
内田さんはご自分を透明化させて周りの人たちを小説のように描写する。 しかし、須賀さんは何処までいっても須賀さんご自身なのだ。
戦前からカトリックの学校に通い、戦後は同じ系列の修道院が経営する専門学校、それからまだ女性が大学へ行くことが珍しかった時代に大学へ進み、さらにフランス、イタリアに留学された。
確かに、裕福なご家庭に育たれており、高い学問を積んだり海外へ積極的に出たりということが出来る文化的背 -
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まえがきからあとがきに至るまで、すべてのテキストが作品の要素となっている詩的な作品集でした。
まず自分はアソーレス諸島がどこにあるのかも分からず、どこか空想の産物のような気がしつつページをめくっていました。世界地図で確認したら、ポルトガルから大西洋へだいぶ行った先にちゃんとあるではないですか。この世にアソーレス諸島はあります。
とはいえ大陸からはなれて地図の1番端にあるため、世界からはみ出しているというか、まるで世界の果てにあるようです。タブッキの文章と合わせると、やっぱりどこにもない島のような気がしてきます。文章を通してたどり着ける島は、逆に言えば、永遠にたどり着けない島でもあります。テ -
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初めて読む須賀敦子は、引き込まれるように読み終えた。
本書の解説を関川夏央が書いているが、その解説と、Wikipediaで調べた須賀敦子の生涯は、おおよそ下記のようであった。
■1929年生まれ。
■20代の終わりからイタリア在住。1961年にイタリア人と結婚するも、1967年に夫が急逝。
■1970年に父親が亡くなる。翌年1971年にご本人も帰国。大学の講師から教授まで務める。
■作家としてのデビューは、1990年、61歳の時。「ミラノ 霧の風景」がデビュー作。
■1998年没。
本書、「ヴェネツィアの宿」は、1993年の作品。
少女時代から、ヨーロッパ滞在中の出来事を綴った12編から成