【感想・ネタバレ】ヴェネツィアの宿のレビュー

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家族、そしてさまざまな人たちとの出会いが著者の人生に大きく影響を与えたのだなあと感慨深かった。戦後間もない時代、その時代に留学を実行したことや結婚を目標としない女性の生き方を考えていたことに感動する。女性として憧れる生き方だ。また、文章の表現が丁寧で美しく、その土地の空の色や風、空気感、草花の色など自分も体験しているように感じ、読んでいて心地良かった。

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2022年09月07日

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洗礼者ヨハネは、苦行しながらキリストが世に出るのを待ちわびたというが、キリストのようにはではでしく弟子に囲まれるのでもなく、これといった逸話もないまま、ヘロデ王の逆鱗にふれて処刑され、孤独な生涯を終える。ヨハネは、生きることの成果ではなくて、そのプロセスだけに熱を燃やした人間という気がしないでもない
待ちあぐねただけの聖者というのも悪くない。
大聖堂まで。フランスシャルトルの大聖堂の外、洗礼者ヨハネ像を見て。

オリエント・エクスプレス
憎いとも思っていた父との会話に心打たれる。

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2022年08月21日

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 イタリア生活を書いた内田洋子さんのエッセイ集を読んだので、今度は須賀敦子さんのイタリア地名の付いたエッセイ集を読んでみた。
 お二人とも素晴らしい文章力をお持ちだが、視点は全く逆である。
 内田さんはご自分を透明化させて周りの人たちを小説のように描写する。  しかし、須賀さんは何処までいっても須賀さんご自身なのだ。
 戦前からカトリックの学校に通い、戦後は同じ系列の修道院が経営する専門学校、それからまだ女性が大学へ行くことが珍しかった時代に大学へ進み、さらにフランス、イタリアに留学された。
 確かに、裕福なご家庭に育たれており、高い学問を積んだり海外へ積極的に出たりということが出来る文化的背景のある方だったが、それでもまだまだ女性が大学まで行くことや留学まですることに偏見を持つ両親を説得して出国されたのだ。大学での文学や歴史の勉強の中で「どうしてもフランスやイタリアに行って見なければ分からない」という衝動にかられたからなのである。
 戦前の兵庫から東京、戦後のフランス、イタリアとどこへ行ってもそこで出会う本や町や人が須賀敦子という人を形作ってきた。須賀さんの書くエッセイは須賀さん自身が主人公の小説のようだ。
 戦後、修道院の経営する寄宿学校に入ったとき、中世のような時代遅れの訳のわからない規則縛られ、不自由な生活を送りながらも「戦争中に工場で働かされてばかりのころよりはずっといい」と、中世と現代、西洋と東洋、戦前と戦後が混在したような不思議な寄宿学校生活を好奇心を持って受け止めていた、そんな目のキラキラした少女。清貧と言う言葉が似合う。アニメ化して子供たちに見せたいな。
 須賀さんが初めてパリに行かれたときの印象は安野光雅さんの挿絵入りで朗読したい。ホテルの窓からすぐそこに見えた、白く輝くノートルダム大聖堂がぽっかり宙に浮かんでいた。その「薔薇窓の円のなかには、白い石の繊細な枠組みにふちどられた幾何模様の花びらが、凍てついた花火のように、暗黒のテラスの部分を抱いたまま、しずかにきらめいている。」
 その後のフランス中の学生が参加する年に一度の大巡礼の旅は映画で見たい。お弁当として、バケットを無造作にリュックに挿して歩く学生の姿。歩きながらの熱気溢れる学生たちの討論。農家の納屋に泊めてもらい、ハイジのように干草をベッドにして寝る。
 病気だというのに家にちっとも帰って来ない父親を京大病院に訪ね、そこで父親の愛人と出くわしてしまったことを悩みながら母親に打ち明けるシーンは、そうだな朝ドラみたいかな。
 須賀さんは14歳の時に自宅の窓から身を乗り出し、ミモザの薫りを嗅いで、「ワタシは今日のことを一生忘れないだろう」「確かに私は二人いる。見ている自分と、それを思い出す自分。」と思われたそうだ。その視点が須賀さんご自身の生涯を小説のように豊かなものとされたのだろうと思う。

 

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2022年05月30日

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初めて読む須賀敦子は、引き込まれるように読み終えた。
本書の解説を関川夏央が書いているが、その解説と、Wikipediaで調べた須賀敦子の生涯は、おおよそ下記のようであった。

■1929年生まれ。
■20代の終わりからイタリア在住。1961年にイタリア人と結婚するも、1967年に夫が急逝。
■1970年に父親が亡くなる。翌年1971年にご本人も帰国。大学の講師から教授まで務める。
■作家としてのデビューは、1990年、61歳の時。「ミラノ 霧の風景」がデビュー作。
■1998年没。

本書、「ヴェネツィアの宿」は、1993年の作品。
少女時代から、ヨーロッパ滞在中の出来事を綴った12編から成るエッセイ集。とても美しい文章。
特に最後の2編は、夫と父親の死を題材にしており、淡々とした中に哀しみが感じられる。死後20年以上を経てからの文章であり、逆に言えば、このような文章として仕上がるためには、20年以上が必要だったのだと思う。

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2021年05月08日

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イタリア語翻訳者の須賀敦子さんのエッセイ集。彼女が翻訳した本は読んだことがあったが、エッセイを読むのは初めて。
どれも心にしみて、とても良かった。でも妙に共感できたのは、私がヨーロッパに住んで似た人生を送っているからだろう。それにしても、彼女の感性はすごい。本書は、彼女がフランスやイタリアへの留学時代や結婚してからの生活のなかで出会った人々や、訪れた場所、日本でのミッションスクールで暮らしながら考えたことなどが綴られている。全く偉そうでないのに、教養がにじみ出る文章である。
イタリア人の夫に先立たれるところは、胸が痛んだ。ドイツ人の友人の話もとても良かったし、オリエント急行の話も素晴らしかった。

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2017年09月21日

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名文。

これは読む人を選ぶと思いますが、本好きなら一度は読んでほしい。

水のようにすらすらと読めて楽しいエッセーもいいけど、たまにはこういう文も読まないとダメになってしまう。
しっかりと意識して読まないと一つ一つの文が意味を持って入ってきません。でも、読めば読むほど、面白いし情景が心に迫る。

塩野七生や米原万里をおもわせます。

しかし、上記の二人にも通じるけど、時代から考えて外国に飛び出してそして一端の人となることのむずかしさ。その才智。憧れます。バックアップがあるとはいえ、やはり尋常ではないエネルギー。でもそれをひけらかさない。

すごいなぁ。

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2015年06月05日

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須賀さんの家族についてのエッセイが多いこの本。
若い頃、けっこう家族のことや留学のときの苦労の話が多く語られている。

年をとってから再び会った友人と1時間を共に過ごしたとき、あまり語らうことができなかったけど、友人のたたずまいを見ていい人生を送っていることが感じ取れたそう。
この話を読んで、今も昔も変わらないことというのはたくさんあるんだなと思った。

須賀敦子さんってけっこう遠い人なのかと思っていたが、少しだけ近く思えた。

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2014年07月12日

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戦前・戦後の古い佇まいを残した東京と京都、ヨーロッパが憧憬の対象だった時代、厳格さと格式を残したミッションスクール、ヨーロッパでの寮生活、静謐で上品だった時代の記録。須賀敦子の視線は柔らかく、居住まいを正したくなる。あの時代に生きていたことが羨ましい。

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2012年10月27日

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須賀さんの文章に初めて触れた時
?と、疑問符が湧いた。
初めての味覚に戸惑う子どもに
なった様で、それは新鮮さを持って
何度も何度も口の中で須賀さんの言葉を転がすのだが、不思議とぴったりの
形容が浮かばない。
彼女の人生に触れれば、糸口が見つかるだろうか?
そんなわけで、私の須賀敦子探しの旅がこの本から始まった。

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2012年10月03日

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ずっと読んでいた本。借用本で一区切り。

   ヴェネツィアの宿
   夏の終わり
   寄宿学校  
   カラが咲く庭
   夜半のうた声
   大聖堂まで 
   レーニ街の家
   白い方丈
   カディアが歩いた道
   旅のむこう
   アスファデロの野をわたって
   オリエント・エクスプレス

イタリアに住んでいた頃のことと日本にいた時の話が交互に綴られている。何故か音が聴こえない風景ばかり思い浮かべて読んでしまう。ゆえに、何も考えず、静寂の中に浸りたいと思うとき、著者の本を手にとってしまう。著者は恵まれた環境の中で好きな勉強に没頭できる身分。なるほど、戦中戦後と外国へ女一人旅立てるのだから。エッセイストとして右に並ぶ人がいないと思うくらい。 

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2012年11月19日

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ネタバレ

「遠い朝の本達」と同様、著者の少女時代や父に対する反抗と愛情、母への想いなど日本や日本人に関する随筆が半分を占める。特にこの本は父の生き様や、著者が奔走の末になんとか修復にこぎつけた父母の関係がはっきりと描かれており、驚くことも多かった。いままでの彼女の文章からは、そのような家族のもめ事は感じ取れなかったからである。若き日の彼女は、密かに心痛めていた両親の関係にも、自身の内側の問題同様、真摯に向き合い行動してきたのだなぁ。著者の常に精神的に学問的に(?)向上し続けようとするストイックな姿勢と、それ故に日本でもヨーロッパでもがき苦しむ内面の遍歴をたどることができる。それがとてもうれしい。このような文章を残してくれた著者に感謝せずにいられない。特に日本の女性たちは彼女の文章を読んで勇気づけられることが多々あるのではないかと考えるのだが。

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2012年05月06日

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わたしにとって、特別な本です。
静かな、けれども着実にふみしめて歩いて行くような文体。

須賀さんは、本当に美しい言葉を話す人だったと
彼女と親しかった先生からうかがいました。

須賀さんのエッセイは
いまでも多くの人の心のなかに、たしかな音をたて、やわらかな足跡を残していく
そんな作品のような気がします。

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2012年04月01日

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イタリアと日本、両方の記憶が時代を超えてるつぼのように混ざり合い、往還するつくりの一冊。ほかの著作にくらべ少し湿っぽい雰囲気があるのは、家族の思い出にふれる筆のせいだろうか。まさにヴェネツィアにいるように、水の上にたゆたうイメージがある。
特に、確執を抱えながらも、父の一番の理解者だったとやはり思っていたであろう敦子さんが、オリエント・エクスプレスのコーヒーカップを手に父の死の床へと急ぐ終章と、その前に置かれた、さりげないくらい急いで筆を走らせたような夫との別れの予感をつづった章が、胸を打つ。

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2012年12月30日

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 著者は昭和4年生まれ、昭和28年よりフランス、イタリアに留学し、昭和46年帰国。その間イタリアで結婚するも、夫に早く死に別れる。半生を振り返るかのようなエッセイ集。
 印象的だった箇所「女が女らしさや人格を犠牲にしないで学問をつづけていくには、あるいは結婚だけを目標にしないで社会で生きていくには、いったいどうすればいいのか」今でも、程度の差こそあれ、同じような思いを持つ女性は多いのでは。60余年もたっているのに。

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2011年10月30日

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 東京駅の大丸で15分並んだ。「ねんりん家」のバームクーヘンを買うためだ。今評判のそれが食べたかったから、ではない。やっぱり手土産がいるよな、と思い立ったからである。その日、仕事で訪ねる予定の相手は会社のOBで、今は事業を構えている大先輩だ。
 ただ、親しい先輩とはいえ厳密に言えば今は身内ではなくて部外の方だ。頼みごとがあって訪問するというのに手ぶらという訳にはいかない。そして持参するのはそれなりに定評のある菓子でなければならない。
 こういう昔ながらの大事なセオリーが廃れている。気がついてみると、10年ぐらい前からだろうか、明確な区切りもケジメもなく、ただいつのまにかそうしなくなってしまっている。少なくとも私はそうだ。
 来客にお茶を出す会社も少なくなった。だいたいこの「お茶出し」を専門の秘書とか以外に指示することが御法度な会社も少なくないし、事務目的で採用している派遣社員にそれを命じることは派遣業法で禁じられてもいる。応接する男性の社員もノーネクタイであったりする。
 須賀敦子さんの『ヴェネツィアの宿』を読んでいて、「はっ」とさせられた。須賀さんの父君が彼女に手土産を忘れぬようにたしなめる場面がある。父君は関西の実業家であり、彼女が訪ねようとしていたのは由緒ある伏見の造り酒屋のご内儀(この言い方、古風ですがこの文脈ではコレでしょうやはり)である。
 父君は、「(相手は)京都だ、ゆめゆめ手ぶらで行くんじゃないぞ」といって船場の鶴屋八幡本店の菓子箱を持たせてくれる。
 私はこのくだりを読んで、さすがは上方の商家というものは折り目正しいなあ、と感心した。と同時に、ほんの10年ばかり前までは東京のビジネス界でも、然るべき場面では手土産は必須アイテムであったのに、近頃めっきり少なくなったなあ、と思い至った。
 
 近頃私は須賀さんの著作を読み耽っている。といっても何十冊も片っ端からというわけではなく、今は故人の須賀さん自身が、生前に、「この四冊だけは書けてよかった」といっていたという、『ミラノ霧の風景』、『コルニア書店の仲間たち』、『ヴェネツィアの宿』、『トリエステの坂道』を順繰りに何度も繰り返して読んでいる。
 読書を趣味にしているつもりなのに、これ程の人と作品をつい最近まで知らずにいた。だから、私にとっては「発見」といえる出逢いであった。
 須賀さんという人は、50を過ぎるまで無名であり続け、彗星のごとく登場し数年のうちに数々の珠玉の作品を遺し世を去った。
 前世紀のイタリア、ミラノを描き、キリスト教とヨーロッパ文化を静かに語り、それでいて上方の「ええとこ」の風情も、戦中戦後の日本とイタリアのインテリジェンスをも活写してくれる。
 まだまだ言い尽くせず、読み尽くすことも到底できていないこの人の人と作品について、 私はいつかキチンと書いてみたいと思っている。だから、今日のところは簡略に。 
 ミラノをはじめとするイタリア、ひいてはヨーロッパ、あるいはキリスト教といった文脈ではなく、『ヴェネツィアの宿』で語られるのは、意外にも日本であり関西であり、自分の縁者であり親族のことだ。
 彼女の著作をぐるんぐるん読み回しているせいかもしれないが、ミラノを中心にヨーロッパ全土をぐるぐる回っていた渦が、夙川(芦屋とならぶ関西屈指の上品な住宅地)の須賀家を中心に回る渦に連なり、最終的には須賀敦子自身が生きた途に至る。半世紀のあいだ無名の一女性として彼女が見続けてきた世界が、これまた半世紀の間彼女の中で熟成に熟成を重ねて結晶化されたエッセイとして語られる。
 出世作『ミラノ霧の風景』の最初の一文である「遠い霧の匂い」からはじまって、一文一文が書きだしから最後の最後の一行まで完全に調和したシンフォニーであり、エッセイという形を借りた完全な物語であると思う。

 ともかく、須賀敦子の渦に巻き込まれ、しばらくは乾燥機の中のパンツ状態の今の私です。彼女の渦の中心が、私の中の軸と重ね合わせることができるほど一緒に廻りおおせたなら、そのとき改めてキチンと書いてみたいと思います。

 ちなみに、鶴屋八幡の菓子も、ねんりん家のバームクーヘンも、私はまだ食べたことがありません。

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2011年03月01日

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大好きな須賀敦子の作品の中でも一番のお気に入りはこの~ヴェネツィアの宿~何度読んでもページをめくるのがもったいない・・。夢をみているみたいな作品。フェニーチェ劇場のコンサートについて描かれるくだりは、光や風や匂いまでもが音楽とともに見えてくるよう・・こんな風に幻のような時間を、ここまで美しい言葉で表現できるということ・・珠玉のエッセイの数々を残した彼女について、興味はつきない。

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2010年07月27日

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一貫して激しさとは無縁のような文章の須賀さん。でも伝わってくるものは熱い。涙が止まらなかった。
あこがれの存在というのでもない、これを読んで、あぁイタリアに行きたいなというのでもない、だけど一生読んでいたい本だ。

彼女の文章は、おそらく100年たっても心に深く
突き刺さっていくだろうなぁ。
その深さはその時々で違うだろうけれど。

100年後は私生きてないや。

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2012年07月10日

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慌ただしい日々の中で、自分を整えるために
読むような本です。
しっとしとしたヨーロッパを感じられます。

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2023年01月17日

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いつの時代も知らないところや新天地に行くのは、震えるような勇気がいるものだ。

米女子来季出場権トップ合格の宮里藍ちゃんだって、「おとうさんの困難に立ち向かっていく後姿を見て」と、とてもえらかったけれど、前向きの勇気がどれだけ必要だったことかを思う。

このエッセイも当時(1950~60年代)としては珍しい家族の後押しがあれど、本人の「精神的に生きたい」という強い熱意と勇気がなければできなかった、ヨーロッパでの燃える向上心を記しているのだった。

「しばらくパリに滞在して、宗教とか、哲学とか、自分がそんなことにどうかかわるべきかを知りたい。今ここでゆっくりかんがえておかないと、うっかり人生がすぎてしまうようでこわくなったのよ」(カディアが歩いた道)

「うかうかと人生をついやす」ことは避けたい。肝に命じたいと思わされる。

家族小説(父母の思い出のエピソード)のようであり、教養小説(厳しい前向きの姿勢)でもあるエッセイ。「コルシア書店の仲間たち」同様美しい何度も読みたい文章である。

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2021年09月13日

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初めて読んだ須賀敦子。
著者の幼少期〜成人して留学、結婚した頃の、とりとめない回想と追憶が、上質な映画のように綴られていく。
にしても、この方、とんでもないお嬢さんであることが読み進めると分かってくる。
終戦から10年経たずにフランスへ私費留学というのもビックリだが、お父様が戦前にアメリカ、ヨーロッパへ贅沢三昧のグランドツアーをして、実家は神戸の実業家、麻布に別宅、田舎には武家時代のお屋敷と、語るネタは尽きない。
終戦直後に東京の聖心語学校(現在のインターナショナルスクールの前身)で日本語禁止、外人シスター監視の寮生活を送るというのもハイパー。 
留学自体は貧乏で、と言われても留学すること自体がお大尽な行為だった時代だから、貧乏なんだかなんだか、よく分からない。
しかし、吉田健一や永井荷風といった、洋行セレブ文学者の系譜の最終コーナーを飾る本格派、という気がした。

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2020年08月06日

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某所読書会の課題図書.12の短編で構成されているが,イタリア,フランス,イギリスなどの街の描写が素晴らしい.どの国の人たちでもすぐに巻き込んでしまうキャラクターが,非常に心温まる経験のバックグラウンドになっているのだろう.言葉のギャップについてはあまり出てこなかったが,積極的な学び取る精神が,今より女性に対する目に見えないしがらみがあった時代でも,輝くような生き方をサポートしたのだと感じた.でも,かなり裕福で,一般人とはややかけ離れた生活基盤が随所に出てくるが,それをさらけ出すような雰囲気が見えないことに好感を持った.関川夏央の解説も的確なコメントが満載で素晴らしい.

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2017年10月23日

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1993年発表の須賀敦子の第3作。
文藝春秋の月刊誌『文學界』に、1992~93年に『古い地図帳』という通しの題名で連載されたものに手を加えた、12篇が収められている。
冒頭の『ヴェネツィアの宿』と最後の『オリエント・エクスプレス』では、著者が「父への反抗を自分の存在理由みたいにしてきた私」と語る父親について語り、『夜半のうた声』と『旅のむこう』では、わがままで強い父親にひきずりまわされる母親について、優しい視線で描いている。
『オリエント・エクスプレス』では、「あなたを待っておいでになって、と父を最後まで看とってくれたひとがいって、戦後すぐにイギリスで出版された、古ぼけた表紙の地図帳を手わたしてくれた。これを最後まで、見ておいででしたのよ。あいつが帰ってきたら、ヨーロッパの話をするんだとおっしゃって」と結んでおり、『文學界』の一年間の連載の大きなテーマが、両親(特に父親)と自分を記すことにあったことを窺わせる。
他の作品集同様、ほの哀しくも懐かしさを感じさせる作品集である。
(2008年2月了)

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2016年01月11日

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ネタバレ

1929年生まれの著者がミラノでの生活から思い出した過去の日々。それはイタリア各地の旅行記であり、そして幼い日々の父と母の確執の思い出に繋がる。幼少期は関西の芦屋・御影が舞台になり、また母から聞き憧れていたという伯父が住んでいた青島(チンタオ)のエキゾチックな情景。私自身の過去とも重なり興味深く読むことができました。ペルージャ、ソレント、スコットランドのエジンバラなども登場し、旅行記といいながら、著者の精神史を思い起こさせる秀作だと思いました。

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2013年08月24日

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 須賀敦子さんの作品を読むのは初めてです。先に読んだ池内紀さんの「文学フシギ帖」で紹介されていたので、興味を抱いて手に取ってみました。
 著者のご家族・友人たちとの交流・ふれあいのエピソードを繊細で穏やかな筆で綴ったエッセイ集です。年代的には私が生まれたころですから、かれこれ50年ほど前、主な舞台は日本とヨーロッパです。
 如何にもといった感じのその当時の風情を基調に、知的かつ行動的な著者の姿と感性が自然なタッチで描かれています。

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2013年02月15日

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一つ一つの話が本当に心にしみる.単なる随想を越えて,一つ一つが珠玉の小品というにふさわしい品格と完成度を持っている.今は失われてしまったものへの哀惜が常にその文章の底辺にあるのだが,それが生のかたちではなくて,浄化されて,澄んだ感情を通して絶妙のバランスで語られる. 名文としかよびようがない文章.

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2012年04月17日

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初須賀敦子。なぜかわたしは塩野七生とか白州正子とかと須賀敦子がごっちゃになってしまうのだけれど、須賀敦子は意外と最近の人なのだなーと。凛としているけど、寂しい、という印象。なんだか距離を感じる。正直、この一冊でものすごく強く惹かれるようなものはなかったんだけれど、また他の作品も読んでみたい。なんとなく水村美苗にも似ている気が。

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2011年09月18日

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読書の胆力が足りない、私には、まだ。

母の苦しみ、父の身勝手さ、その辺りだけは惹かれるものの、イタリアの舞台にいまいちしっくり馴染めず。

いつかきっと、いつかもっと。

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2023年11月07日

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海外での暮らしぶりより、生い立ちをはじめとする、日本でのエピソードの方が心に留まった。
『白い万丈』は、どこか霧の向こうの話のような幻想的な空気感。
『寄宿学校』の、厳格でほとんど自由のない中で見える初々しさや青春世代のきらきらした感じは、懐かしいようでもあり頼もしくもあり。

彼女に対する父親の影響力はかなり大きそう。
日本を離れて、より父を意識することになったのかもしれない。

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2019年11月05日

Posted by ブクログ

友人に薦められた一冊。
短編集になっているけれど、つながりがある。
タイトルがわかりやすいのだけれど、読んでいくとあぁだからこのタイトルとなるのが多い。
文章がとても読みやすかったのが最も印象に残ったこと。
繰り返し読むという友人の言葉を思い出す。
確かに、一度読んで終わりというよりは、読む度に新しい発見と琴線に触れる部分が出てくるだろうと思う。
また少し間をあけて再読したい。

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2015年11月22日

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硬質な文章から情緒が立ち昇る。

「意志」を文体にすると
こうなるだろうという
硬質さで綴られるエッセイだ。
ヨーロッパのホテルの一室から
父の思い出へと回想は広がり、
感情を抑制した文章から、
ときおり立ち昇る思いは
読む者の気持ちを瞬時にかきたたせる。

そして奔放に
ヨーロッパと日本を、
時を行き交うエッセイに見えた物語は、
解説で関川氏が書くように最後の一章で、
融和と和解の物語へと昇華する。

父との葛藤と融和。
それは大きな余韻を
読み手の中に響かせて消えていく。

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2022年04月18日

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