須賀敦子のレビュー一覧
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こんなにも読みやすい文章を読んだのは久しくなかったように思う。スルスルっと読めてしまう。それは良いことなのか、残念なことなのか。スル何かしっくり来ない、何か引っかかる、肝心なことが読めていない気がする、と感じた時は、また、気軽にふらっと読み返しもできる。そんな受け入れやすい、でも、意識がちゃんと起きていないと理解しきれない文章に思えた。
表題エッセイ「塩一トンの読書」がまず良い。次に良いなと感じたのは、「細雪」という作品についての見解を緻密に綴ったもの。長編だということと、文章が少し古典的だという先入観が邪魔して手に取ったことがない作品なのだが一念発起して読んみたいとうずうずするのだ。 -
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「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければならないのよ」
著者の須賀さんが結婚して間もないころ、姑に言われた言葉がこの本のタイトルに。
一トンという大変な量の塩をともに舐めつくすには、途方もない時間がかかる。一人の人間を理解するというのは、生易しいことではない、ということ。
そして須賀さんは古典文学に触れたとき、この姑の言葉を思い出すのだそう。理解しつくすのがひどく難しい、という意味で。
海外で暮らした経験を持つ文筆家、須賀敦子さんの読書エッセイ集。
日々の生活や人とのふれあいのなかには常に本が存在していて、それはけして特別ではなく当たり前のことなのだ -
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1993年発表の須賀敦子の第3作。
文藝春秋の月刊誌『文學界』に、1992~93年に『古い地図帳』という通しの題名で連載されたものに手を加えた、12篇が収められている。
冒頭の『ヴェネツィアの宿』と最後の『オリエント・エクスプレス』では、著者が「父への反抗を自分の存在理由みたいにしてきた私」と語る父親について語り、『夜半のうた声』と『旅のむこう』では、わがままで強い父親にひきずりまわされる母親について、優しい視線で描いている。
『オリエント・エクスプレス』では、「あなたを待っておいでになって、と父を最後まで看とってくれたひとがいって、戦後すぐにイギリスで出版された、古ぼけた表紙の地図帳を手わた -
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須賀敦子の没後2003年に、様々な月刊誌、新聞等へ掲載されたエッセイをまとめて発刊された作品集。
よって本書は、著者が存命中に立て続けに発表した、『ミラノ 霧の風景』、『コルシア書店の仲間たち』、『ヴェネツィアの宿』、『トリエステの坂道』など、比較的はっきりしたテーマをもっている作品集とは趣を異にする。
しかし、解説で江國香織が「読んでいると、雨が降っている気分になる」と表現している、愛するイタリアの懐かしい家族、友人たち、思い出の風景を綴った、しっとりと落ち着いた美しい文章は、須賀敦子ならではのものである。
表題作『霧のむこうに住みたい』には、「ふりかえると、霧の流れるむこうに石造りの小屋が -
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「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」
ミラノで結婚してまもない頃の筆者に諭したという姑のこの言葉、そして本、特に古典とのつきあいにも同じことが言えるという筆者の解釈に強く感銘を受けた。
読書は大好きだけれど、自分の読書はスイーツを食べる感覚に似ている、と思った。
時には精進料理のようなものや、ステーキみたいなご馳走にも手を伸ばすし、まがい物はある程度見分けられる自身も多少なりとあるので味音痴ではないと思う。
けれど、どのくらい深く味わっているか、を問われると正直自信がない。
この本も、少し前に読んだ書評本も、読んでいて素直に面白いと思うと -
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ネタバレイタリアの作家イタロ・カルヴィーノが、文学について雑誌などに書いた文章が死後まとめられたもの。須賀敦子が訳している。須賀敦子が訳している小説ではない本を読んでみたかったのが、この本を読んだ理由の一つなのだけど、もともとのイタリア語の文章がそうだったのだろうけど、須賀敦子自身があとがきで書いているように、ごつごつして読みにくい文章も多かった。
表題作の「なぜ古典を読むのか」に始まり、取り上げられているのは、オデュッセイア、アナバシス、オウィディウス、スタンダール、バルザック、ディケンズ、フロベール、パステルナーク、トルストイ、マーク・トウェイン、ボルヘス、パヴェーゼと多岐に渡る。カルヴィーノの