須賀敦子のレビュー一覧

  • 塩一トンの読書

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    こんなにも読みやすい文章を読んだのは久しくなかったように思う。スルスルっと読めてしまう。それは良いことなのか、残念なことなのか。スル何かしっくり来ない、何か引っかかる、肝心なことが読めていない気がする、と感じた時は、また、気軽にふらっと読み返しもできる。そんな受け入れやすい、でも、意識がちゃんと起きていないと理解しきれない文章に思えた。


    表題エッセイ「塩一トンの読書」がまず良い。次に良いなと感じたのは、「細雪」という作品についての見解を緻密に綴ったもの。長編だということと、文章が少し古典的だという先入観が邪魔して手に取ったことがない作品なのだが一念発起して読んみたいとうずうずするのだ。

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    2017年01月25日
  • 塩一トンの読書

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    「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければならないのよ」
    著者の須賀さんが結婚して間もないころ、姑に言われた言葉がこの本のタイトルに。

    一トンという大変な量の塩をともに舐めつくすには、途方もない時間がかかる。一人の人間を理解するというのは、生易しいことではない、ということ。
    そして須賀さんは古典文学に触れたとき、この姑の言葉を思い出すのだそう。理解しつくすのがひどく難しい、という意味で。

    海外で暮らした経験を持つ文筆家、須賀敦子さんの読書エッセイ集。
    日々の生活や人とのふれあいのなかには常に本が存在していて、それはけして特別ではなく当たり前のことなのだ

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    2016年08月26日
  • 霧のむこうに住みたい

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    紀行文が特に秀逸。
    「ミラノの季節」や、「ヴェネツィアに住みたい」、「アッシジに住みたい」は、行間からその街の佇まいだけなく、街の匂いまでもが立ち上ってくるような感じがする。
    また、訳書である「ある家族の会話」もぜひ読んでみたくなった。

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    2016年06月28日
  • コルシア書店の仲間たち

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    著者の静かで暖かい、それでいて透明な視線が、コルシア書店のメンバーに注がれているのがよくわかる。

    噛みしめるように読みたい名文。

    書き出しと終わりが上手い。

    年末にBS放送で特集があってて、視覚的にも補強された状態でよんだせいか、とても印象的。

    出てくる一人一人が個性的ででも、どこかイタリア人らしいなぁ、と思わずにはいられなかった。

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    2016年02月29日
  • ヴェネツィアの宿

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    1993年発表の須賀敦子の第3作。
    文藝春秋の月刊誌『文學界』に、1992~93年に『古い地図帳』という通しの題名で連載されたものに手を加えた、12篇が収められている。
    冒頭の『ヴェネツィアの宿』と最後の『オリエント・エクスプレス』では、著者が「父への反抗を自分の存在理由みたいにしてきた私」と語る父親について語り、『夜半のうた声』と『旅のむこう』では、わがままで強い父親にひきずりまわされる母親について、優しい視線で描いている。
    『オリエント・エクスプレス』では、「あなたを待っておいでになって、と父を最後まで看とってくれたひとがいって、戦後すぐにイギリスで出版された、古ぼけた表紙の地図帳を手わた

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    2016年01月11日
  • 霧のむこうに住みたい

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    須賀敦子の没後2003年に、様々な月刊誌、新聞等へ掲載されたエッセイをまとめて発刊された作品集。
    よって本書は、著者が存命中に立て続けに発表した、『ミラノ 霧の風景』、『コルシア書店の仲間たち』、『ヴェネツィアの宿』、『トリエステの坂道』など、比較的はっきりしたテーマをもっている作品集とは趣を異にする。
    しかし、解説で江國香織が「読んでいると、雨が降っている気分になる」と表現している、愛するイタリアの懐かしい家族、友人たち、思い出の風景を綴った、しっとりと落ち着いた美しい文章は、須賀敦子ならではのものである。
    表題作『霧のむこうに住みたい』には、「ふりかえると、霧の流れるむこうに石造りの小屋が

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    2016年11月23日
  • 遠い朝の本たち

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    本が大好きだった著者が子供時代に出会った本たちをエピソードと共に紹介。
    静かで美しくゆったりした時間という印象。
    子供の頃大好きだった本、大草原の小さな家シリーズを思い出した。
    人生に影響を及ぼした本が私にはどれだけあるだろうか、、そんなふうな本の読み方をしたいと思える本でした。

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    2015年11月07日
  • ユルスナールの靴

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    須賀敦子さんの著作の中では、もっとも敷居が高かった本。ユルスナールを読んでいないことが躊躇する原因だったのだが、須賀さん自身も、ユルスナールと出会ったのはむしろ遅かったとわかりほっとした。プロローグが圧巻。

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    2015年10月25日
  • 塩一トンの読書

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    「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」
    ミラノで結婚してまもない頃の筆者に諭したという姑のこの言葉、そして本、特に古典とのつきあいにも同じことが言えるという筆者の解釈に強く感銘を受けた。
    読書は大好きだけれど、自分の読書はスイーツを食べる感覚に似ている、と思った。
    時には精進料理のようなものや、ステーキみたいなご馳走にも手を伸ばすし、まがい物はある程度見分けられる自身も多少なりとあるので味音痴ではないと思う。
    けれど、どのくらい深く味わっているか、を問われると正直自信がない。
    この本も、少し前に読んだ書評本も、読んでいて素直に面白いと思うと

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    2015年06月04日
  • 塩一トンの読書

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    本を巡るエッセイである本書は、読むというより須賀敦子さんの語り口を聴いているかのようだ。「ひとりの人を理解するまでには、少なくとも、1トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」姑に何となく言われたその言葉は書物に対しても同様であり、塩だけでなく辛酸も舐めてきたからこそ発することのできる滑らかな理知と厳しくも優しい温かさが込めれている。それは古典の様だと思いながら、解説にもある通りこんな風に言われている気がしてくるのだ。あなたの声を見つけなさい。それは弱く、か細くとも構わないのだから。あなた自身の声を。

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    2014年12月22日
  • ヴェネツィアの宿

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    ネタバレ

    1929年生まれの著者がミラノでの生活から思い出した過去の日々。それはイタリア各地の旅行記であり、そして幼い日々の父と母の確執の思い出に繋がる。幼少期は関西の芦屋・御影が舞台になり、また母から聞き憧れていたという伯父が住んでいた青島(チンタオ)のエキゾチックな情景。私自身の過去とも重なり興味深く読むことができました。ペルージャ、ソレント、スコットランドのエジンバラなども登場し、旅行記といいながら、著者の精神史を思い起こさせる秀作だと思いました。

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    2013年08月24日
  • ヴェネツィアの宿

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     須賀敦子さんの作品を読むのは初めてです。先に読んだ池内紀さんの「文学フシギ帖」で紹介されていたので、興味を抱いて手に取ってみました。
     著者のご家族・友人たちとの交流・ふれあいのエピソードを繊細で穏やかな筆で綴ったエッセイ集です。年代的には私が生まれたころですから、かれこれ50年ほど前、主な舞台は日本とヨーロッパです。
     如何にもといった感じのその当時の風情を基調に、知的かつ行動的な著者の姿と感性が自然なタッチで描かれています。

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    2013年02月15日
  • 遠い朝の本たち

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    読んだ本を思い返すことは、その時の自分の思い出を手繰ることなんだと教えてくれる。
    美しい言葉で語られる情景は素晴らしく、読んでいると須賀敦子さんの思い出に入っていくようです。

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    2012年12月01日
  • なぜ古典を読むのか

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    ネタバレ

    イタリアの作家イタロ・カルヴィーノが、文学について雑誌などに書いた文章が死後まとめられたもの。須賀敦子が訳している。須賀敦子が訳している小説ではない本を読んでみたかったのが、この本を読んだ理由の一つなのだけど、もともとのイタリア語の文章がそうだったのだろうけど、須賀敦子自身があとがきで書いているように、ごつごつして読みにくい文章も多かった。

    表題作の「なぜ古典を読むのか」に始まり、取り上げられているのは、オデュッセイア、アナバシス、オウィディウス、スタンダール、バルザック、ディケンズ、フロベール、パステルナーク、トルストイ、マーク・トウェイン、ボルヘス、パヴェーゼと多岐に渡る。カルヴィーノの

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    2015年10月02日
  • なぜ古典を読むのか

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    ここで取り上げられている本の殆どを読んだことがないというだけでも買った価値のある本です。いいなぁ、こういう本。知らない世界を押し広げてくれるんだから。ヘミングウェイの作品くらいは読んだことあったからそこしかまだ読んでませんが、なにか新しい作品に出会いたくなったら本書を頼りとして、ゆっくり堪能させてもらいます。

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    2012年05月21日
  • ヴェネツィアの宿

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    一つ一つの話が本当に心にしみる.単なる随想を越えて,一つ一つが珠玉の小品というにふさわしい品格と完成度を持っている.今は失われてしまったものへの哀惜が常にその文章の底辺にあるのだが,それが生のかたちではなくて,浄化されて,澄んだ感情を通して絶妙のバランスで語られる. 名文としかよびようがない文章.

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    2012年04月17日
  • 遠い朝の本たち

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    ネタバレ

    1年ぐらい前にも読んだけれど、再読。須賀さんの文章は読んでいるとわたしの時間の流れをさりげなく変えてくれるから好きだな。

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    2012年03月11日
  • 遠い朝の本たち

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    感受性の鋭い子ども時代に多くの本との出合いを経験し、それを成長過程の風景と共に記憶している著者を羨ましく思った。

    最初は、本との幸福な出会いを綴ったエッセイだと思ったけど、どんな本も出合って不幸になるものはないかもね。

    アン・リンドバーグの「海からの贈物」は読んでみたい。

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    2012年01月05日
  • 遠い朝の本たち

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    ネタバレ

    小川洋子の『カラーひよことコーヒー豆』の中に出てきた、
    まだ読んでいない本だったので迷わず手を伸ばしました。
    どことなく寂しく、でもとても幸福な読後感に浸ることが
    できました。
    言葉の選び方がとても無駄がない。そしてすっきり整って
    気持ちがいいのです。
    幼いころの本との出会いや思い出は私のそれとは全然違って
    思い切り豊かなのだけど、出合ったわくわく感はよく分かります。
    彼女の文章を読むとたとえ夏の描写があっても初冬を感じる
    のは、全体に漂うどこか寂しい雰囲気のせいでしょうか。
    読み終わるのがもったいないと思ってしまいました。

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    2010年12月24日
  • 遠い朝の本たち

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    須賀敦子は憧れの人。この本は大変な読書家で「いつも本に読まれて」いた彼女の、本との出合いとエピソードがたくさん書かれている。彼女の作品は私にとって、読むたびに刺激を与えてくれる特別な存在。背筋を伸ばして潔く生きていた彼女が選び抜いた言葉は本当に美しい。だからページをめくるのも勿体無くて時間をかけて読む・・。とても大切な本のひとつ。

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    2010年07月27日