須賀敦子のレビュー一覧

  • 塩一トンの読書

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    人生の味付け。

    古典を読むこと、人を知ること。どちらも長い時間をかけて、だんだん深めていくことだ。落ち着いた文章で、ゆっくり読めた。

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    2018年12月31日
  • 遠い朝の本たち

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     世界戦争になって、痛いほど詩が欲しくなる日々と、詩などなくても生きられそうに思う日々が交互にあった。
    (P.143)

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    2018年04月10日
  • 塩一トンの読書

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    「読書が趣味です」という言葉を口にするのが憚られる。比較すること自体おこがましいんだけど。それくらい1冊に対する向き合う方が違う。その本の持つ形を捉えて、読みこめるようになりたいという思いを新たにさせてくれる本だった。

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    2017年09月30日
  • 須賀敦子

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    戦後間もないころに女性一人でイタリアで過ごした
    著者のエッセー、小説。
    ミラノや、トリエステなど
    なんとなく行ってみたい海外の場所が増えたような気がします。
    石畳の街並みや、古い教会、海、波止。なかなかみれない
    景色を文体で表現されていて、そのような景色やイメージ
    を感じることは面白いと思います。
    『コルシカ書店の仲間たち』『ウンベルト・サバ』が
    気に入りました。

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    2017年07月01日
  • ユルスナールの靴

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    なぜこの本を読もうと思ったのか、よく分からない。新聞の書評に載っていて、記憶に残っていたのかもしれない。ユルスナールというのがフランス人作家の名前だとも知らず読み始めた。ユルスナールの作品や人生と重ねるようにして、著者が自分の人生を回想する。読点の打ち方など、文体がちょっと独特。この本で紹介されているユルスナールの作品の中では、代表作という「ハドリアヌス帝の回想」よりも、再洗礼派の信仰が描かれた「黒の過程」を読んでみたいと思った。

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    2017年03月22日
  • なぜ古典を読むのか

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    なぜ読むのか、と言われてもそもそもなかなか手が伸びにくいものではある。あまりにも膨大で変なところに手をつければ崩れて埋もれてしまうんじゃないかと腰が引けてしまう。

    そんなことはカルヴィーノも分かっている、ただ古典のほうから呼びかけ続けるものだから手をとるより仕方がない。ここで紹介される様々な古典はしたがって、書物のそれぞれの気候と眺望から描かれる。

    彼の「見えない都市」と同じような手触りで、読めるようで読めないが、非常に楽しませてくれる。ぐいぐい手を引っ張りながらそれぞれの書物を訪問させてくれる。

    訳者あとがきで述べられてるようにごつごつとわかりにくいところも多いけれども、また、古典の入

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    2016年03月14日
  • ヴェネツィアの宿

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    友人に薦められた一冊。
    短編集になっているけれど、つながりがある。
    タイトルがわかりやすいのだけれど、読んでいくとあぁだからこのタイトルとなるのが多い。
    文章がとても読みやすかったのが最も印象に残ったこと。
    繰り返し読むという友人の言葉を思い出す。
    確かに、一度読んで終わりというよりは、読む度に新しい発見と琴線に触れる部分が出てくるだろうと思う。
    また少し間をあけて再読したい。

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    2015年11月22日
  • 遠い朝の本たち

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    2015.7.10
    幼い頃における本にまつわる体験を静かに語るエッセイ集。
    題名が秀逸。エッセイの雰囲気を体現している。
    本に囲まれた環境が羨ましい。
    本がいつでも側にある、そういう生き方を肯定している。ひたすら本とともに生きる著者の姿に励まされた。
    本と共に生きるということの一つの理想を見出した感もある。
    行間から本への思いが溢れでている。本とこんな関係を結べたら、これ以上の幸せはない。

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    2015年07月10日
  • 塩一トンの読書

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    神楽坂のかもめブックスで購入。初めての須賀敦子。

    「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」
    ではじまる冒頭の節は、これからも何度か読み返す文章なんだろうなあと思う。

    他のエッセイがどうなのかは分からないけれど、この本に関しては荒川洋治を彷彿させる。次々と本を読みたくなる。読んでない本に関する書評なのに、説教臭くもなく、次々読んでみたいと思わされる。書物へ向かう好奇心が尽きない人が書く文章だからこそ、読み手も影響されるんだろう。
    そして、書評としてだけではなくて、エッセイとして面白いということ。そこが大事なポイント。

    次は「コルシア書店の

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    2015年03月31日
  • 遠い朝の本たち

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    「幼い時の読書が私には、ものを食べるのと似ているように思えることがある。多くの側面を理解できないままではあったけれど、アンの文章はあのとき私の肉体の一部になった。いや、そういうことにならない読書は、やっぱり根本的に不毛だといっていいのかもしれない」

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    2014年12月24日
  • 遠い朝の本たち

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    著者が遠い昔に読んだ本の記憶。
    多くの大人が、幼少期に読書という体験をしているはず。
    勿論、私もその一人だが著者の様に鮮明に何かを想起させるような物語はそんなに多くは持っていない。
    その意味で著者はとても恵まれていると思う。
    けれどもそれは、著者の感受性の豊かさにあるようにも思う。
    本書を通して、若かりし頃の著者やその情景が読者にも感受性を分け与え、一緒に過ごしていたような身近な気持ちにさせる。
    読書の楽しみを読者に強いることなく、自身の経験を通して教えてくれる。

    表紙もとても素敵だ。

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    2014年06月05日
  • 本に読まれて

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    書評集。文章に著者の知性と教養がにじみ出ている。そして、著者が本との出会いを大切にしていることがよく伝わってくる。

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    2013年07月18日
  • 遠い朝の本たち

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    書物をたよりに、フランス、イタリアへ。そして故郷である日本へ。

    “吸い込まれるように”本を読み、“本にのめり”こんだ少女は、訪れた街や出逢った人を手掛かりに、書物の続きを紡ぎ出す。

    須賀さんの、幼いころからの身の廻りに起きたこと、そしてそれらと処を隔てずに在る書物をめぐる記憶。


    ワーズワース
    “ダフォディル”
    谷や丘のずっとうえに浮かんでいる雲
    みたいに、ひとりさまよっていたとき、
    いきなり見えた群れさわぐもの、
    幾千の軍勢、金いろのダフォディル。
    みずうみのすぐそばに、樹々の陰に、
    そよ風にひらひらして、踊っていて。

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    2013年04月15日
  • なぜ古典を読むのか

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    カルヴィーノはイタリアきっての知識人。彼の前には偉大なイタリア文学者、作家がいて、彼はそれを担わなければ行けないと自覚していたのか必然とそうなったのか、彼は特異の冷静さを持って文学に向かっているような気がする。その冷静さが、レビューという形でも現れているがしかし、私が知りたいのはあなたのことなのだ。他人について語りながら自分について語るような狡猾さが欲しい。紹介など、二の次だ。

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    2012年09月23日
  • 遠い朝の本たち

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    サンテグジュペリの「星の王子さま」の記述、アン・リンドバーグに関する記述、お父さんやお婆さんに関する思い出と本との接点。柔らかく、優しい文章で、読んでいると何故だかすぐに眠気に襲われてしまって、それはつまらないからではないもので、なーんだ、これ、不思議だなぁ、不思議だなぁ、と思いながら、読み進んでいた。(10/10/23)

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    2012年08月17日
  • なぜ古典を読むのか

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    カルヴィーノと須賀敦子の組み合わせはいい感じ。
    訳者自身が後書に書いたように、これらの文章を遺してくれたお二人に心から感謝する。

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    2012年05月29日
  • ヴェネツィアの宿

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    硬質な文章から情緒が立ち昇る。

    「意志」を文体にすると
    こうなるだろうという
    硬質さで綴られるエッセイだ。
    ヨーロッパのホテルの一室から
    父の思い出へと回想は広がり、
    感情を抑制した文章から、
    ときおり立ち昇る思いは
    読む者の気持ちを瞬時にかきたたせる。

    そして奔放に
    ヨーロッパと日本を、
    時を行き交うエッセイに見えた物語は、
    解説で関川氏が書くように最後の一章で、
    融和と和解の物語へと昇華する。

    父との葛藤と融和。
    それは大きな余韻を
    読み手の中に響かせて消えていく。

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    2022年04月18日
  • ユルスナールの靴

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    桜庭一樹読書日記から。
    もっと難しい評論かと思ったら、ものすごく読みやすかった。そのぶんするする進みすぎて気をつけないと色々読み飛ばす。多分いろいろ見落としてるまま読み終わってしまったので、文章が大好きなこともあって他の作品も読みたい。
    ひらひら混じってくる回想が優雅でわかりやすいのになんとなく不穏なような感じで、好きというにはよくわかってない。
    色々おぼつかないので再読したほうがいいと思いつつ。

    「東洋綺譚」「恭しい追憶」も気になる。

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    2011年04月17日
  • ユルスナールの靴

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    題名にひかれて探していました。
    復刊フェアでげっと。
    モチーフからつむがれる文章と景色。
    乾いた砂、紺碧の水。
    素足に白い革のサンダル。
    どこにもない季節の海。

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    2010年06月08日