須賀敦子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
著者の読書遍歴とその作品たちへの思い。夫と噂話をしていたらイタリア人の義母が、ひとりの人を理解するまでには、少なくも一トンの塩を一緒に舐めなければだめなのよ、とやんわり諭したことに由来する書名。
読んだ本、これは読んでみたいという本がいっぱい。特になるほどと思ったのは、谷崎の「細雪」について。作者が源氏物語の現代語訳をやっていた時期に書いたのだそうで、蒔岡家の雪子と妙子を日本古来のあでやかさと奔放さと表現し、作品中の文章についても和文の優しさをつたえる文章と、漢文のかっちりした味を伝える文がある、源氏物語派と非源氏物語派だと。
塩1トンの読書。読んでも読んでも、どんなに長生きしても、人の一生では「読み足りる」ということはないだろうと思いつつ読み終えた。 -
Posted by ブクログ
イタリアはミラノの教会の一部を改造して設けた書店。そこに集った仲間たちとの思い出や書店が辿った運命を綴ったエッセイ集。
著者は1929年生まれ。まず、この年代に生まれた女性で、日本から遠く離れた異国に留学していた方がいたことに驚きます。
私にとって本屋は、まだ見ぬ面白い物語を探しに行く場所ですが、彼女がいたコルシア書店は、理想的な共同体や自分たちがどう生きるべきかの意見を交換したり詩や書物にまとめたりして出版する重要な活動拠点であり、政府や教会側から監視され活動を制限されるほど、存在感のある場所だったようです。
当時の思想や国を取り巻く環境、理想とされた共同体について、私は正直「難しいことは全然わからんな……」状態ですが、登場人物たちの本に対する情熱や人から忘れられることの寂しさ、わかり合えずにすれ違ってしまうことや変わっていくこと、居場所があることのありがたみなどの描写がとても好き。
ページをめくれば、生きている彼らに出会えます。例えるなら、当時の書店に、本の外側から飛び込んでいけそうな程に。美しくて強度のある文章。色褪せることの無い、素晴らしいエッセイだと思います。 -
Posted by ブクログ
つい先日イタリア旅行から帰って読んだ本
淡々とした筆致なのに妙に惹きこまれ、読み終えたとき何とも言えない不思議な感動があった
海外留学、ましてや移住する日本人なんてほんの一握りだった時代の空気感
生活もものの考え方も違う人々とこうして心を通わせることができたのは、人柄や語学力だけでなく、幼い頃から筆者の中にキリスト教が根付いていたからだろうか
私はたった数日のイタリア旅行に行っただけだけど、やや不安や心細さを感じつつも、その歴史や文化に圧倒され、街並みの美しさに惚れ惚れとしたことを思い出した。
日本の文化もそれはそれで素晴らしいと思ってるけど、西洋への憧れはいつの時代も変わらない。
遠い国で生きる人々の人生を垣間見たような話だった。 -
Posted by ブクログ
読書会で須賀敦子の存在を知り、手に取る。
自分もイタリアが好きで何度も訪問しているので、懐かしさもあり。
ただ、内容的には家族のこと、特に父との関係がテーマになることが多く、その家族史も興味深く、且つ心を動かされる。(「オリエント・エクスプレス」は涙を誘う)
時代は60年代~70年代のイタリアなので、時代背景の理解は必要かもしれない。
文章もとても読み易く、巧い。
以下抜粋~
・そのころ読んだ、サン=デグジュベリの文章が私を揺り動かした。「自分がカテドラルを建てる人間にならなければ、意味がない。できあがったカテドラルのなかに、ぬくぬくと自分の席を得ようとする人間になってはだめだ」
・たえず自分というものを、周囲に向かってはっきりと定義し、それを表現しつづけなければならない大陸と違って、暗黙の了解のなかで相手の領域を犯さない、他人を他人としてほうっておいてくれる英国人の生き方は気の休まるものだった。
・「建築成った伽藍内の堂守や貸椅子係の職に就こうと考えるような人間は、すでにその瞬間から敗北者であると。それに反して、何人にあれ、その胸中に建造すべき伽藍を抱いている者は、すでに勝利者なのである」(戦う操縦士:サン=テグジュペリ)
・「ヨーロッパにいることで、きっとあなたの中の日本は育ちつづけると思う。あなたが自分のカードをごまかさえしなければ」 -
Posted by ブクログ
須賀さんの本は、三冊目。
本書はエッセイ集。
芦屋で暮らした少女時代から、フランス留学時代、イタリアに移ってから、そして東京に戻ってから、さまざまな時期の思い出が、各編でさらりと描かれていく。
たとえば、アスパラガスひとつとっても、アスパラガス農家の娘として育ったアドリアーナという女性の来歴から、小学生時代に叔父が庭に植えたアスパラガス、そしてパリの学生寮で出るアスパラガスの料理と、自由に思い出が綴られる。
二十年以上もたって、アドリアーナがアスパラ栽培でどんな苦労をしていたかやっと思い至るようになった、という苦い思いとともに。
ミラノ、ジェノワ、フィレンツェなどの街を歩いた印象を書き留めた文章も素敵だ。
ローマを歩く文章が特に印象に残っている。
ゲットという地区がある。
いわゆるゲットー、ユダヤ人が集められた地区のことで、はじまりはローマだそうだ。
そうした歴史が刻まれた町の中で、仕事に打ち込み、ふと温かい表情を浮かべる人々の暮らしを垣間見て惹かれていくことが描かれている。
観光客と、難民と、出稼ぎの人々でごった返す当時のローマのエネルギーを、いろいろと想像させられた。
大洗濯の日という風習をめぐる話も面白い。
一年に一度、何もかも洗えるものを大鍋に入れて煮沸する春の行事だそうだ。
須賀さんは、この話を姑さんから聞いたそうだ。
彼女の滞在時に、すでに廃れつつあったようだ。
ユルスナールの自伝の中で、同じ風習が書かれていることを知り、古くはオデッセウスにも似たようなことがある…と気づいていく。
それだけの話といえばそうなのだけれど、背後に共通する風習があるのかと想像を掻き立てられるところが面白い文章だった。 -
Posted by ブクログ
本書は、単行本にこれまで未収録だったエッセイを中心にまとめた一冊で、書評集や日記などを除いては、おそらく最後の作品集になるそうで(江國香織さんの解説より)、読む順番は間違えてしまったが、その分、全方位に広がるような様々な出来事を通して、彼女がどのようなことを感じ、思い、日々を生きていたのか、そして、そこから私は何を得たのか、より実感出来た思いでいっぱいとなった。
須賀敦子さん(1929-98年)は、慶應の大学院を中退してフランスのパリに留学し、その後、学生たちの団体旅行に参加したのがきっかけとなり、29歳の夏に、ローマのレジムナンディ大学に留学し、以後イタリアに惚れ込み、後にペッピーノさんという、最愛の人とも出会うと共に、翻訳家でもあり、その仕事の側面を映し出した、ナタリア・ギンズブルグと何度か会うエピソードでは、静かに燃え続ける、彼女の文学への確固たる思いを垣間見たようであったが、その情熱と共に、達観して見ることの出来る客観性も感じられたことが、本書に於いて、静かに紡ぎ出されながらも、どこか心を捕らえて離さない、そんな不思議な魅力が、彼女の文面に表れている気がしてならない。
そして、その不思議な魅力に色取り取りの華を添えているのが、イタリアに纏わる出来事なのは、おそらく間違いないと思われ、しかも私が心を打たれたのは、そのイタリアでの出来事と彼女自身の人生とが、たとえ僅かでありながらも確かに触れ合って交差したと思われた、そんなささやかな点にこそ、忘れられない思い出や幸せを感じさせるといった、共感を呼び起こしてくれたことで、そこには、国内や外国による相違点は関係ない、人と人とが織り成すことによって生み出された、お互いにとっての、ささやかで素敵な思い出なのである。
それは、最初の「七年目のチーズ」から、いきなり驚愕のエピソードでありながら、須賀さんと共に、私もドキドキして、最後は不快感よりも『みんなの笑い声』の温かさが強く印象に残ったことや、マナローラの入江のそそりたった岩の上に建つ、「ビアンカの家」の、30メートルほど下に見える海の上に突き出したようなヴェランダに立った時の、彼女の率直な気持ちからも感じられた、全く想像出来ないような現実からかけ離れた話ではなく、イタリアに居ながらも、同じ日本人としての率直なありふれた感情表現に、とても親しみやすさがあるように思われた。
また、それとは別に、「思い出せなかった話」の、ミラノの市電内で突然声をかけられた、上品な女性は果たして誰だったっけと思いを巡らせる、一見、シンプルなエピソードに思われても、そのかけてくれた言葉、『ご主人がなくなったんですって。うかがって、びっくりしましたわ』に込められた、女性への思いから、もし、このエピソードを書こうと思ったのであれば、夫のいない感傷が、ミラノの秋の到来を普段より早く思わせたことに加えて、その同じ時期には重病を患った母を看取るため、日本に帰国していた事も知ることによって、その市電内でのエピソードには、一種独特な須賀さんだけにしか分からない、ちょっとした戸惑いと温かさを同時に抱かせる心境にさせてくれた感覚に、彼女の中では、イタリアと日本は確かに繋がっているのだということを実感させてくれて、しかもそこには、どこか素朴で家庭的な雰囲気も内在している点に、彼女ならではの視点も感じられた、それは何時の時代に於いても大切な、光と影、表と裏を見ることの大切さなのではないかと思った。
たとえば、彼女がローマを見るとき、そこには永遠の都というよりは、『なにか暗いゲットに、そしてじっと耐えてきた、ローマの庶民といわれる人たちに、つよく惹かれた』や、『二千年もむかしから、あらゆる権力に搾取され続けてきたローマの庶民の自己防衛の表現なのかも知れない』、更には、フィレンツェやピサのあるトスカーナ地方のすぐ隣のウンブリア地方に関して、『中世そのままの姿、といっても塔や城壁やカテドラルの中世ではなくて、山羊や羊と暮らしていた遊牧民の中世が、ふいに目の前に現れることがある』等から感じられたのは、いずれも表向きの華やかな一面だけではない、その裏で確かに生き続けている者たちへの、素朴な温かさや優しさを抱いている者の眼差しなのであり、そこには、私がイメージしていたイタリアからは、おそらく想像出来なかったであろう、彼女ならではの人間性で触れ合い暮らしてきた、イタリアの一つの素顔が内在していたのである。
そして、それは旅行ガイドとは一線を画した、彼女とそこで暮らす人たちの交わる人生だからこそ、知ることの出来たものであるのならば、エッセイという本の素晴らしさというのは、その人の人生に於いて、見たもの感じたものを率直に知ることに加えて、それを通さなければ実感出来ない、海外で暮らす人たちの人生の一部を知る喜びもあるのだなと感じ、そこには貧富の差も、素朴な風景に心安らぐ感情も、お葬式でも水と縁の切れないヴェネツィアも、どうしても見てほしくてフランスの友人を連れて行って一緒に眺めた、アッシジの町を一望出来る夕焼けも、全てがイタリアでなくても体験出来そうでありながら、それは確実にイタリアならではのものなのであって、イタリアといえば、パスタやピッツァ、ルネッサンスにコロッセオ、皆陽気で明るい人だよねって、そんな訳無いでしょう、ということに、何故、私はこれまで気付かなかったのかと恥ずかしくなるくらい、世界は驚くほど、未知で身近で不可思議で温かかったのであり、そう感じさせられた点に、改めて、須賀さんの人柄が垣間見えるような気がした。
そう思わせる一つの側面として、彼女の可愛らしい部分があると書いたら失礼なのかもしれないが、それはクロスワードパズル好きの(もちろんイタリア語)彼女の、『夜、床についてから、明りを消すまでに、いっちょうやる』の言葉に加えて、イタリアのちょっと田舎ふうの煮込み料理が得意だと、自信満々の彼女の言葉の裏には、姑の料理がそうだったからという、家族の温かな絆があり、ここにもイタリアと日本との確かな繋がりを感じさせられたのは、夫のペッピーノさんの存在も大きいのだと思う。
それは、書店で働いていた本好きのペッピーノさんが、彼女に初めて贈ったプレゼント、「パラッツィ・イタリア語辞典」を、彼の死後も、彼の書斎でひとり翻訳をしていた彼女を証明するものとして、ずっと大事に書斎に置いていたことや、彼が買ってきてくれた古いイタリアの料理書「アルトゥージ」は、初版が1891年にもなる実用性の薄さながら、台所に立てなくなっても、それを小さな空き時間に読み耽る愉しみは続いていたり、はたまた、彼との最初の出会いの地である、ジェノアは、彼女が初めてイタリアに上陸した地でもあるといった、そんな因果関係までもが、俯瞰してみると、まるで最初からそう運命づけられていたかのような、ひとつの大きな繋がりを感じさせられながらも、彼女自身は悠々と自然体で、そこにドラマ性は一切感じさせない、そんな生き方には、彼女のフィレンツェから思いを馳せた言葉、『フィレンツェがつくられたころ、人々はゆっくり考えてものをつくっていたことを、忘れないほうが、いいのではないか』のような、変にきっちりせずに、ある程度の気楽さと心に余裕を持った方が、きっと人生も世界の見方も人間関係も上手くいくのではないか。そんな忙しない現代に於いて忘れかけているような、自然体が織り成す人生の不思議な美しさを、彼女は私に教えてくれた気がしてならないのである。