須賀敦子のレビュー一覧
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初めて読む須賀敦子は、引き込まれるように読み終えた。
本書の解説を関川夏央が書いているが、その解説と、Wikipediaで調べた須賀敦子の生涯は、おおよそ下記のようであった。
■1929年生まれ。
■20代の終わりからイタリア在住。1961年にイタリア人と結婚するも、1967年に夫が急逝。
■1970年に父親が亡くなる。翌年1971年にご本人も帰国。大学の講師から教授まで務める。
■作家としてのデビューは、1990年、61歳の時。「ミラノ 霧の風景」がデビュー作。
■1998年没。
本書、「ヴェネツィアの宿」は、1993年の作品。
少女時代から、ヨーロッパ滞在中の出来事を綴った12編から成るエッセイ集。とても美しい文章。
特に最後の2編は、夫と父親の死を題材にしており、淡々とした中に哀しみが感じられる。死後20年以上を経てからの文章であり、逆に言えば、このような文章として仕上がるためには、20年以上が必要だったのだと思う。
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ネタバレ役に立たない原典探しでたどり着いた本。読んで良かった……。会話文と地の文がひと続きになっているだけでなく虚構と現実もひと続きになっていて、詩情におおいに溢れており、女をめぐる断片とクジラの断片には感嘆させられてしまった。
女は名前以外全て嘘をついていたということは、下男だと言い放ったのも嘘だったのだろう。そう思うと、裁判で真実が明らかにされて男は後悔したのかもしれないが、大陸から追いかけてきた奴から女が逃げるためには男に銛で殺してもらうしかなかったのかもしれないので、確かに男(ルカーシュ・エドウィーノ)と女(イェボラス)の間には愛があったのかもしれない。
クジラから見た人間の姿は本編を総括するのに良かった。ついでに訳者あとがきも解説も本書の余韻を損なわない面白さでよかった。 -
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イタリア文学者でエッセイストの須賀敦子さんの『ユルスナールの靴』を読む。
マルグリット・ユルスナールはフランスの女流作家で、出口治明さんが激賞された『ハドリアヌス帝の回想』の作者。
生まれてすぐ母を亡くし、父が亡くなった20代半ば以降、パリ、ローマ、ヴェネツィア、アテネと旅に過ごした人です。第二次大戦の難を避けて恋人の女性と渡米した後は、生涯ヨーロッパに戻ることなく、アメリカ東北部メイン州のデザートアイランド島の小さな白い家で人生を終えました。
このユルスナールという、私たちにはあまり馴染みのない作家の人生を須賀さんは追っていきます。
「きっちり足にあった靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」という言葉を胸に、須賀さんもまた20代のころパリに渡り、ミラノで結婚され、夫の死後に帰国、と生涯を旅に過ごしました。
本作は一章ごとに、ユルスナールの足跡に自らの人生を重ねていきます。二千年前に生きたハドリアヌスの行跡を通奏低音として響かせ、三つの異なる旋律を重ねて一つの音楽に昇華させていく作業。
『ミラノ霧の風景』や『ヴェネツィアの宿』でも発揮された須賀さんの、しっとりと洗練された文章にのって、私たちは、ユルスナールの霊魂の闇や、ハドリアヌスの情熱、須賀さんの思索のそれぞれがうねり、互いに絡んでいく瞬間を追体験することができます。
作品の中で何か劇的な事件が起きるわけではありません。
あたかも、日曜の午後、親戚のおばさんのお家にお邪魔して、紅茶を飲みながら、おばさんの「どこまで話したっけ」という言葉で始まる昔語りに耳を傾けるような、ごくありふれた日常の風景。でも、後から振り返ると自分の人生にとって、すごく大切な時間だったと認識するような体験。
須賀さんの思索に自らを投影して読み進める喜びを感じつつ、しかし、物語が終わりに近づくのが惜しい。そんな貴重な本に出会うことができました。 -
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須賀敦子さんが『ミラノ 霧の風景』で女流文学賞、講談社エッセイ賞を受賞したのが1991年と知り「なるほど、あの頃か‥」と強烈に思い出した。平成3年。昭和から平成へ変わってまもない頃。
世界では湾岸戦争が起こり日本では雲仙・普賢岳の火砕流で多くの方々が亡くなった年。(個人的事情で忘れられない年でもある。)
本書はその翌年、1963年に著者がミラノを去ってから二十余年、63歳の時出版されたもの。須賀敦子さんの美しく無駄のない文章からは彼女が住んでいた1960年代頃のミラノの景色、時代の移り変わりがリアルに伝わってくる。
須賀敦子さん入門本としてはずせない一冊。 -
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イタリア語翻訳者の須賀敦子さんのエッセイ集。彼女が翻訳した本は読んだことがあったが、エッセイを読むのは初めて。
どれも心にしみて、とても良かった。でも妙に共感できたのは、私がヨーロッパに住んで似た人生を送っているからだろう。それにしても、彼女の感性はすごい。本書は、彼女がフランスやイタリアへの留学時代や結婚してからの生活のなかで出会った人々や、訪れた場所、日本でのミッションスクールで暮らしながら考えたことなどが綴られている。全く偉そうでないのに、教養がにじみ出る文章である。
イタリア人の夫に先立たれるところは、胸が痛んだ。ドイツ人の友人の話もとても良かったし、オリエント急行の話も素晴らしかった。 -
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ネタバレエッセイと小説の違いを厳密にはよくわかっていなかった。前者は真実であり、後者は創作なのだそうだ。本書に収められているのはすべてエッセイであり、筆者は生涯小説を書かなかったという。それにしても、すべてが真実であるならば、何と楽しい人生であったことか。勿論、両親から猛反対された結婚や、その夫に先立たれたことは、さりげなく表現されているものの、大変つらい出来事であったと想像する。それでも本作の多くには、たくさんの友人たちと過ごした人生の楽しさにあふれている。筆者の愛するサバの詩がもっともそのことを象徴しているだろう。「人生とは、生きることの苦しみを癒してくれるものである」
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名文。
これは読む人を選ぶと思いますが、本好きなら一度は読んでほしい。
水のようにすらすらと読めて楽しいエッセーもいいけど、たまにはこういう文も読まないとダメになってしまう。
しっかりと意識して読まないと一つ一つの文が意味を持って入ってきません。でも、読めば読むほど、面白いし情景が心に迫る。
塩野七生や米原万里をおもわせます。
しかし、上記の二人にも通じるけど、時代から考えて外国に飛び出してそして一端の人となることのむずかしさ。その才智。憧れます。バックアップがあるとはいえ、やはり尋常ではないエネルギー。でもそれをひけらかさない。
すごいなぁ。 -
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須賀敦子さんの本が書店の平台に乗るようになってから亡くなるまで、その数は決して多くはなかったけれど、だからそれらを折りにふれて大事に読み返してきた。もう新しいお話を読むことはできないのだ。好きな作家が居なくなってしまうというのはそういうことだ。
没後に編まれた数々の本にも限りがあるから、なんとなく、ときが来るまで、と思って読まないできた。
文庫として書店に並んだのをきっかけに手にしたこの本も、そんな中の一冊。
思いがけず、ずいぶん時間が経ったわりに、世の中も自分もいろいろなことが変わったと思っていたのに、あの頃と同じような感慨とともにいまこれを読んでいる。
先に読んでしまった江國香織さんの文庫版解説も良かった。 -
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ここで紹介されている作品や解説は日本人には馴染みが薄いと思う。が、それ自体は問題ではない。
最新作のレビューではなくなぜ古典なのか、古典というものをどう捕らえるかが問題なのだ。
たしかに理解しづらくはあるが、カルヴィーノの古典に対する精神に触れられることは、日本においても素晴らしい特権である。
彼の気質をなぞりながら読書したいと願ってしまう。
池澤夏樹氏の善きおせっかいなカルヴィーノ擁護論。
それぞれ別個の古典作品が、読み手の中でつながって、あらたな物語を紡ぐ。
これぞ、古典多読の醍醐味!
「なっちゃん、よくぞ言ってくれました!」の拍手喝采である。 -
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ずっと読んでいた本。借用本で一区切り。
ヴェネツィアの宿
夏の終わり
寄宿学校
カラが咲く庭
夜半のうた声
大聖堂まで
レーニ街の家
白い方丈
カディアが歩いた道
旅のむこう
アスファデロの野をわたって
オリエント・エクスプレス
イタリアに住んでいた頃のことと日本にいた時の話が交互に綴られている。何故か音が聴こえない風景ばかり思い浮かべて読んでしまう。ゆえに、何も考えず、静寂の中に浸りたいと思うとき、著者の本を手にとってしまう。著者は恵まれた環境の中で好きな勉強に没頭できる身分。なるほど、戦中戦後と外国へ女一人旅立てるのだから。エッセイストとして右に並ぶ人がいないと思うくらい。 -
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修学旅行の感想を高校時代の恩師に読んでもらった時に、「須賀敦子を彷彿とさせられました」という言葉を渡されてから、ずっと心のどこかにひっかかっていた名前を、ようやく手に取る。
わたしの須賀敦子処女をこの本に、このタイミングで捧げられたことをほんとうに幸運におもう。
ユルスナールという数奇な人生を辿った女流作家と、須賀敦子という稀有な言語感覚を持った翻訳家の生が、時に伝記的に、時に紀行文的に、あるいは随筆的に語られる。
何より書き出しがいい。こんな風に書きたい、というお手本のような文章。(引用参照)
ふとじぶんの足を見る。扁平でいびつで小さく、大地を踏みしめるにはあまりに頼りなく、恥ずかしくなってしまう。
それでもこの足で歩いてきたし、歩いてゆくのだから、愛してやらないわけにはいかないだろう。
いとしさをこめて、いつか出会えるその靴を探しながら、いや、探すため、歩いてゆく。生きてゆく。 -
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ネタバレ「遠い朝の本達」と同様、著者の少女時代や父に対する反抗と愛情、母への想いなど日本や日本人に関する随筆が半分を占める。特にこの本は父の生き様や、著者が奔走の末になんとか修復にこぎつけた父母の関係がはっきりと描かれており、驚くことも多かった。いままでの彼女の文章からは、そのような家族のもめ事は感じ取れなかったからである。若き日の彼女は、密かに心痛めていた両親の関係にも、自身の内側の問題同様、真摯に向き合い行動してきたのだなぁ。著者の常に精神的に学問的に(?)向上し続けようとするストイックな姿勢と、それ故に日本でもヨーロッパでもがき苦しむ内面の遍歴をたどることができる。それがとてもうれしい。このような文章を残してくれた著者に感謝せずにいられない。特に日本の女性たちは彼女の文章を読んで勇気づけられることが多々あるのではないかと考えるのだが。