須賀敦子のレビュー一覧
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本好きが集うオフ会で須賀敦子の『ミラノ 霧の風景』をいただいたのが昨年の春。以来、この著者の本は「村上春樹翻訳ライブラリー」シリーズと並んで、ワタシの積読棚に常に鎮座することになった。
心が乾いて荒れた時、心が乱れて雑になった時、この著者のエッセイを手にとって、治癒してもらう。美しく繊細でしなやかな文章は心を穏やかにする、ということを実感できる。
1960年代、著者がミラノ在住時に関わった書店には、理想を求めて若者たちが集まった。その個性あふれる面々を綴ったこのエッセイは、楽しくもあり、物哀しくもあり。ミラノに行ったことのないワタシが読んでも、その美しい街並みとその街で正直に生きていた若者達の -
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ネタバレ役に立たない原典探しでたどり着いた本。読んで良かった……。会話文と地の文がひと続きになっているだけでなく虚構と現実もひと続きになっていて、詩情におおいに溢れており、女をめぐる断片とクジラの断片には感嘆させられてしまった。
女は名前以外全て嘘をついていたということは、下男だと言い放ったのも嘘だったのだろう。そう思うと、裁判で真実が明らかにされて男は後悔したのかもしれないが、大陸から追いかけてきた奴から女が逃げるためには男に銛で殺してもらうしかなかったのかもしれないので、確かに男(ルカーシュ・エドウィーノ)と女(イェボラス)の間には愛があったのかもしれない。
クジラから見た人間の姿は本編を総括 -
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イタリア文学者でエッセイストの須賀敦子さんの『ユルスナールの靴』を読む。
マルグリット・ユルスナールはフランスの女流作家で、出口治明さんが激賞された『ハドリアヌス帝の回想』の作者。
生まれてすぐ母を亡くし、父が亡くなった20代半ば以降、パリ、ローマ、ヴェネツィア、アテネと旅に過ごした人です。第二次大戦の難を避けて恋人の女性と渡米した後は、生涯ヨーロッパに戻ることなく、アメリカ東北部メイン州のデザートアイランド島の小さな白い家で人生を終えました。
このユルスナールという、私たちにはあまり馴染みのない作家の人生を須賀さんは追っていきます。
「きっちり足にあった靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩い -
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須賀敦子さんが『ミラノ 霧の風景』で女流文学賞、講談社エッセイ賞を受賞したのが1991年と知り「なるほど、あの頃か‥」と強烈に思い出した。平成3年。昭和から平成へ変わってまもない頃。
世界では湾岸戦争が起こり日本では雲仙・普賢岳の火砕流で多くの方々が亡くなった年。(個人的事情で忘れられない年でもある。)
本書はその翌年、1963年に著者がミラノを去ってから二十余年、63歳の時出版されたもの。須賀敦子さんの美しく無駄のない文章からは彼女が住んでいた1960年代頃のミラノの景色、時代の移り変わりがリアルに伝わってくる。
須賀敦子さん入門本としてはずせない一冊。 -
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イタリア語翻訳者の須賀敦子さんのエッセイ集。彼女が翻訳した本は読んだことがあったが、エッセイを読むのは初めて。
どれも心にしみて、とても良かった。でも妙に共感できたのは、私がヨーロッパに住んで似た人生を送っているからだろう。それにしても、彼女の感性はすごい。本書は、彼女がフランスやイタリアへの留学時代や結婚してからの生活のなかで出会った人々や、訪れた場所、日本でのミッションスクールで暮らしながら考えたことなどが綴られている。全く偉そうでないのに、教養がにじみ出る文章である。
イタリア人の夫に先立たれるところは、胸が痛んだ。ドイツ人の友人の話もとても良かったし、オリエント急行の話も素晴らしかった -
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ネタバレエッセイと小説の違いを厳密にはよくわかっていなかった。前者は真実であり、後者は創作なのだそうだ。本書に収められているのはすべてエッセイであり、筆者は生涯小説を書かなかったという。それにしても、すべてが真実であるならば、何と楽しい人生であったことか。勿論、両親から猛反対された結婚や、その夫に先立たれたことは、さりげなく表現されているものの、大変つらい出来事であったと想像する。それでも本作の多くには、たくさんの友人たちと過ごした人生の楽しさにあふれている。筆者の愛するサバの詩がもっともそのことを象徴しているだろう。「人生とは、生きることの苦しみを癒してくれるものである」
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名文。
これは読む人を選ぶと思いますが、本好きなら一度は読んでほしい。
水のようにすらすらと読めて楽しいエッセーもいいけど、たまにはこういう文も読まないとダメになってしまう。
しっかりと意識して読まないと一つ一つの文が意味を持って入ってきません。でも、読めば読むほど、面白いし情景が心に迫る。
塩野七生や米原万里をおもわせます。
しかし、上記の二人にも通じるけど、時代から考えて外国に飛び出してそして一端の人となることのむずかしさ。その才智。憧れます。バックアップがあるとはいえ、やはり尋常ではないエネルギー。でもそれをひけらかさない。
すごいなぁ。 -
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須賀敦子さんの本が書店の平台に乗るようになってから亡くなるまで、その数は決して多くはなかったけれど、だからそれらを折りにふれて大事に読み返してきた。もう新しいお話を読むことはできないのだ。好きな作家が居なくなってしまうというのはそういうことだ。
没後に編まれた数々の本にも限りがあるから、なんとなく、ときが来るまで、と思って読まないできた。
文庫として書店に並んだのをきっかけに手にしたこの本も、そんな中の一冊。
思いがけず、ずいぶん時間が経ったわりに、世の中も自分もいろいろなことが変わったと思っていたのに、あの頃と同じような感慨とともにいまこれを読んでいる。
先に読んでしまった江國香織さんの文庫 -
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ここで紹介されている作品や解説は日本人には馴染みが薄いと思う。が、それ自体は問題ではない。
最新作のレビューではなくなぜ古典なのか、古典というものをどう捕らえるかが問題なのだ。
たしかに理解しづらくはあるが、カルヴィーノの古典に対する精神に触れられることは、日本においても素晴らしい特権である。
彼の気質をなぞりながら読書したいと願ってしまう。
池澤夏樹氏の善きおせっかいなカルヴィーノ擁護論。
それぞれ別個の古典作品が、読み手の中でつながって、あらたな物語を紡ぐ。
これぞ、古典多読の醍醐味!
「なっちゃん、よくぞ言ってくれました!」の拍手喝采である。 -
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修学旅行の感想を高校時代の恩師に読んでもらった時に、「須賀敦子を彷彿とさせられました」という言葉を渡されてから、ずっと心のどこかにひっかかっていた名前を、ようやく手に取る。
わたしの須賀敦子処女をこの本に、このタイミングで捧げられたことをほんとうに幸運におもう。
ユルスナールという数奇な人生を辿った女流作家と、須賀敦子という稀有な言語感覚を持った翻訳家の生が、時に伝記的に、時に紀行文的に、あるいは随筆的に語られる。
何より書き出しがいい。こんな風に書きたい、というお手本のような文章。(引用参照)
ふとじぶんの足を見る。扁平でいびつで小さく、大地を踏みしめるにはあまりに頼りなく、恥ずかしくなっ -
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ネタバレ「遠い朝の本達」と同様、著者の少女時代や父に対する反抗と愛情、母への想いなど日本や日本人に関する随筆が半分を占める。特にこの本は父の生き様や、著者が奔走の末になんとか修復にこぎつけた父母の関係がはっきりと描かれており、驚くことも多かった。いままでの彼女の文章からは、そのような家族のもめ事は感じ取れなかったからである。若き日の彼女は、密かに心痛めていた両親の関係にも、自身の内側の問題同様、真摯に向き合い行動してきたのだなぁ。著者の常に精神的に学問的に(?)向上し続けようとするストイックな姿勢と、それ故に日本でもヨーロッパでもがき苦しむ内面の遍歴をたどることができる。それがとてもうれしい。このよう