感情タグBEST3
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淡々とつづられている文章を読み進むと、何となく泣けてくるような気がする。
文章そのものに鎮静効果があるように感じるのは、少し昔の出来事をあとから整理して書いているからなのかな、と思ったりもする。
コルシア書店、というのは日本によくある町の本屋とは異なり、哲学者や思想家のような人々が集まって議論をするような場でもあったようだ。
日本にもそういうサロンのような雰囲気の書店があるのかもしれないが、自分の周辺には無い。少し羨ましい気がする。
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かつてミラノの小さな書店に集った仲間たち。
その一人ひとりが、須賀さんの静かで温かな眼差しを通して細やかに描かれている。
須賀さんは彼らをいつも真っ直ぐに見つめ、深い愛情を持って接していたのだろうと思う。
扉のウンベルト・サバの詩がすごく好き。
生きることに疲れてしまった時、そっと寄り添ってくれそうな言葉だと思う。出会えてよかった。
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本好きが集うオフ会で須賀敦子の『ミラノ 霧の風景』をいただいたのが昨年の春。以来、この著者の本は「村上春樹翻訳ライブラリー」シリーズと並んで、ワタシの積読棚に常に鎮座することになった。
心が乾いて荒れた時、心が乱れて雑になった時、この著者のエッセイを手にとって、治癒してもらう。美しく繊細でしなやかな文章は心を穏やかにする、ということを実感できる。
1960年代、著者がミラノ在住時に関わった書店には、理想を求めて若者たちが集まった。その個性あふれる面々を綴ったこのエッセイは、楽しくもあり、物哀しくもあり。ミラノに行ったことのないワタシが読んでも、その美しい街並みとその街で正直に生きていた若者達の躍動感は、しっかり伝わってくる。
明日からは少し心穏やかに過ごせそうだ。
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どこか距離を置いた視点で描かれる友人たちの個性。最初こそイタリア語の混じった表現に読みにくさを感じたものの、第2章ともなればぐいぐい引き込まれて行く。それは、東京へ帰った著者が、まるで夢か現実か区別のつかない過去に、友人たちという輪郭を描くことによって亡き夫の影を求めて暗中模索あいているかのよう。その夫と結婚した経緯も知らされなければ、突然読者には彼が結婚しばらく後に亡くなったことが知らされる。書かないからこその思い出が伝わってくるよう
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須賀敦子さんが『ミラノ 霧の風景』で女流文学賞、講談社エッセイ賞を受賞したのが1991年と知り「なるほど、あの頃か‥」と強烈に思い出した。平成3年。昭和から平成へ変わってまもない頃。
世界では湾岸戦争が起こり日本では雲仙・普賢岳の火砕流で多くの方々が亡くなった年。(個人的事情で忘れられない年でもある。)
本書はその翌年、1963年に著者がミラノを去ってから二十余年、63歳の時出版されたもの。須賀敦子さんの美しく無駄のない文章からは彼女が住んでいた1960年代頃のミラノの景色、時代の移り変わりがリアルに伝わってくる。
須賀敦子さん入門本としてはずせない一冊。
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以前、新聞で須賀敦子さんのことを初めて知りました。それ以来気になっていて、この書を手に取りました。とにかく、静かな書。心が落ち着きます。哀しみを含んでいるけど、空虚じゃない。
ミラノでの日々が描かれているけど、彼女が日本での日々を書いた本があったら、読んでみたい。
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お布団に入って、
寝る前に聞く、
おばあちゃんの思い出話、のような作品。
イタリアで過ごした若き日の思い出が、
たんたんと綴られています。
小説のように客観的。
感情が抑えられているぶん、
じわーと、胸がくるしくなる。
「もう過ぎたことだけれど」 みたいな、
諦め?のようなもののアンニュイな感じに、
いつも涙ぐんでしまいます。
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ミラノに実在した書店に出入りする、様々な境遇の人たちにまつわるエッセー。
それぞれがそれぞれに不幸を背負い、もがきながら不器用に生きている。
みんながハッピーではないけど、そんなものなのかも知れない。
他人が見たらそう見えてしまうけど、本人はそれなりに時々幸せを感じたり。
結局自分もそうかもと思ってしまう。
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初めて読むタイプのエッセイだった。
エッセイっていうジャンルにくくっていいのかな?
1950年代から1970年代にかけてのイタリアが、ミラノや友人たちが、あまりにも日本の…いまの自分とかけ離れていて、フィクションを読んでいるような気持ちだった。
でも、フィクションでは書ききれない、友人たちの気質、思い出、部屋の様子…明るいイメージのあったイタリアで、こんな人たちがこんなふうに暮らしているのか、と新鮮な思いだった。
印象に残っているのは、ユダヤ人の家族の話…戦争の記憶が鮮明な時代のヨーロッパは、自分が想像している以上に人の暮らしや考えに影響を与えていて、それを経験した人のことを読むのも初めてだった。
著者の体験と友人たちが、遠いものに感じていたけど、最後の一編、
コルシア書店は私たちの理想だった。仲間たちそれぞれが思い描いていた書店には相違があって、でもそれを無視していちずに前進しようとしてた。
でもその相違を知ることで、人それぞれが自分自身の孤独を確立し、人生ははじまっていく。
そのことを長い間知ることができなかった。
というような内容の一文を読んで、懐かしさを感じるとともに、まだ自分は若いので、そういう理想を追い求める場所を羨ましく感じた。
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「…
広場に憩う。星の
かわりに
夜ごと、ことばに灯がともる。
人生ほど、
生きる疲れを癒してくれるものは、ない。」
巻頭の詩。(ウンベルト・サパ 須賀敦子訳 後半)
読み終わってこの詩をしみじみ味わうと、このエッセイを要約しているのだという思いと共に、文学に浸ることはどういうことか、の答えが出る。
遅咲きの作家ということを知りとても興味を持ち、まず読んだのがこのエッセイ。
随筆といえどもフィクションの如きだった。
11章に分けて、著者が1950年代半ばから71年までのイタリア留学、滞在中知り合った人々の話。だけれども一章一章その友人の人生が凝縮されていて、なおかつ文章がなんともうまくて心揺すぶる。さながら11の珠玉の小説。
それは著者が「オリーブ林のなかの家」で友人の文体について書いているのに表れている。
友人アシェルが創作した自伝的小説を読んでの批評に
「自分の言葉を、文体として練り上げたことが、すごいんじゃないかしら。私はいった。それは、この作品のテーマについてもいえると思う。いわば無名の家族のひとりひとりが、小説ぶらないままで、虚構化されている。読んだとき、あ、これは自分が書きたかった小説だ、と思った。……」
著者がイタリアから帰朝し30年も過ぎて、昇華したように書いた文章。
イタリアのミラノにあった「コルシア・デイ・セルヴィ書店」。
教会の物置を借りた小さな本屋さんだけれども、ある思想を持った共同体でもあった書店につどう仲間にはいった日本人の著者。
友人たちの人生は様々、ヨーロッパは人種のモザイク模様、ことさらそれを強調するでもなく淡々と書き綴る。一人一人への熱い思い、人間として息づいている認識。
やがて「コルシア・デイ・セルヴィ書店」は無くなるのだし、人々も老いていなくなる。けれど熱い人恋しさにみちあふれる喜びが残る。人懐かしくなければ孤独もない。孤独を恐れることはないと悟る著者。私も泣いてしまった。
章ごとに魅力的な人物像ではあるが、私は「家族」の家族たちが通ってきた道に強く印象を残こした。これだけでも映画になりそうだ。たった37ページなのに。「小さい妹」もモーパッサンやサキの短編の如くで魅力的である。
ああ、しかし私はどれともいえない、全部よかった。
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戦後間もないイタリアでの結婚生活。
今でも留学や国際結婚も想像つかないけど、70年前のこのお嬢様の行動力すごいな。
人生の節目に出会った仲間たち。
そして晩年。
大学時代や就職した頃の、今では消息も分からない仲間たち、元気かなと思うと泣けてきた。
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著者がイタリアで暮らし、そこで交流したコルシア・デイ・セルヴィ書店に集った仲間たちについて一人ずつ書いている本。
仲間たち、と言うけれど、文章の距離感は彼ら自身からは少し離れて、ゆったりと取ってあるように思う。優しいというよりは、ただあるがままに、偏屈さや悪癖もその人の一部としてユーモアを持って観察していて、まるごと受け取っている感じ。好きな作家の梨木さんのエッセイと同じ雰囲気を感じる。とても好き。なんとなく、二人とも神学に触れていてヨーロッパ留学、現地で暮らす、そのことをエッセイに…というあたり気質が似ているのかもしれないと思ったりする。
いろんな人のいろんな人生があり、その中のほんの少しの間、列車に乗り合わせたみたいに書店を介して触れ合う。あっという間に通り過ぎていく付き合い、悲喜こもごもの人生を振り返るのは切ないけれど、それだけにきらきら輝くものでもあるし…。
そのあっという間を私たち読者はさらにあっという間に駆け抜けて、振り返って寂しくなったときに来る最後の段落が沁みる。そう、怖くはない、本当は悲しいことじゃない、これこそが必要だったということが、わかるような気がする。
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階級も信条も異なる人々が集う書店。
生きてゆくことは出会いと別れの繰り返しであること。
読み終わった後、少しの切なさと
静かで温かな喜びに包まれる感覚がしました。
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読めば読むほどに味わいが深くなり、ミラノの街の風景とその世界にどんどん引き込まれていく。
でも何だかもの悲しく感じる。
30年の時を経て紡ぎ出される、遠い昔になじんだ人たち。
年老いてもなお、心に寄り添うさまざまな想い。人生は儚い。
やがて孤独と向き合い、それでも想い出は人の心に生き続ける。
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コルシア書店の仲間たち 須賀敦子 文藝春秋
昔読んだ事があるのに
なぜまた手にしたのかわからない
エッセイという知識を転がす
乙に済ました遊びが好きでないのに
重たい本に気が滅入っている間の気晴らしだったのか
いずれにしても外を描くことで間接的に自分を押し出す
こうした表現には貴族趣味を覚える
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著者が出会った個性豊かな人たちが、イタリアの生活や時代背景とともに描かれている。どんな人にも魅力的なところがあるのだということを気付かされた。
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たしかに、最初の方はとっつきにくくて、大丈夫かなと思ったがだんだんこの書店の魅力、ミラノの雰囲気、詩的な表現に取り込まれていった。
こういう穴ぐらのような場所というのは、みんなが求めていて、たとえば大学の部室なのか、行きつけの飲み屋なのか、なんとなく誰かが集まる親友の家なのか、そういう人間くさい、人があつまってしまう場所というのは居るだけで居心地がよくて、理念や目的があってもなくても、結局はそこにいる居心地の良さが目的になるのだと思う。
そして、それぞれが目的をもってそのねぐらを離れていくときがくる、やはり心の指針を定めることができるのは自分だけであり、それなくして、本当の意味での心の平静を手に入れるのはできないと気がつく。
第二、第三の、大人の思春期、青春の物語だなあと思った。それが、自分たちから程遠いイタリアのそれも戦後の混乱のなかでという、この距離感と運んでくる風のおしゃれさが、半端なく気持ちよかった。落ち着いて読めた。そして自分の身に照らすことができた。こんな場所が欲しいけど、いつまでもこんな場所にはいられないのではないかという、憧れと焦りと日常の無機質さをほどよく埋めてくれる物語だった。
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須賀敦子氏の作品を読むのは「トリエステの坂道」に次いで2作目。ミラノのコルシア書店での仲間たちとの思い出を語っている。
出会いと別れ、年月の経過による人の変節など少し物悲しいけれど、どこか心温まる話が散りばめられている。それと文章が美しい、というか洗練されている。
大切な人との死別、友人との別離等があっても、人は全くの孤独ではない。
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かつてイタリアのミラノに存在した小さな書店を共同体として集まった仲間たちを、著者の目線で綴ったエッセイ。
回顧録といってもいいかもしれない。
時は1960年代。
情熱を燃やして集う仲間たちの生き生きとした姿、人間味溢れる姿は最後までとても美しい。
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1930年代から1960年代にミラノにあった コルシア・デイ・セルヴィ書店に集まった共同体を作者は1992年に描いている。
土地を離れる者、死別する者……記憶と共に生きる友情
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著者の静かで暖かい、それでいて透明な視線が、コルシア書店のメンバーに注がれているのがよくわかる。
噛みしめるように読みたい名文。
書き出しと終わりが上手い。
年末にBS放送で特集があってて、視覚的にも補強された状態でよんだせいか、とても印象的。
出てくる一人一人が個性的ででも、どこかイタリア人らしいなぁ、と思わずにはいられなかった。
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1992年発表の須賀敦子の第2作であり、他の多くの作品集と異なる書下ろしのエッセイ集である。
題名の通り、著者がミラノに住んでいたときに生活の中心となっていたコルシア書店に関わりのあった人々が、20余年のときを超えて生き生きと、篇ごとに主人公となって現れてくる。
登場するのは、特別な人生を送った人々ではなく、1960年代に著者と生活・活動を共にした市井の人々なのだが、読み進めるうちに引き込まれていくのは、著者が『ダヴィデに~あとがきにかえて』で、「コルシア・デイ・セルヴィ書店をめぐって、私たちは、ともするとそれを自分たちが求めている世界そのものであるかのように、あれこれと理想を思い描いた。・・・それぞれの心のなかにある書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視して、いちずに前進しようとした。その相違が、人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣りあわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う」という思いを、いつの間にか共有しているからなのだろうか。
振り返る過去を持つ歳にして、心に沁みる作品集である。
(2008年4月了)
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イタリア在住時に著者が過ごすことになった、志を共にする仲間たちとの共同体。理想に燃えるそれは青春そのもののような蒼い美しさに溢れているが、青春であるが故にゆっくりと離ればなれになっていく。須賀さんの繊細で丁寧な文体はそんなノスタルジアな感傷を優しく包み込み、諦観に溺れないだけの凛とした強さも携えている。最後の1頁が破格なまでに素晴らしく、本当に大切なことを教えてくれている。そう、孤独とは決してそこから逃れ目を背けるものではない。自身の孤独を抱きしめることが出来ない者が、一体誰を抱きしめられるというのかと。
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『ヴェネチアの宿』が気に入ったので、須賀敦子 2冊目。1960年代にミラノで開いた書店(というよりは、サロンに近いものだったのだろう)を回想しつつ、当時の日常や現在のできごとを綴る。多くの人が一度は経験する「共同体」幻想は、まるで昨日のことにように詳細に描かれるが、しかし、その登場人物たちは遠く霧の中にいるかのように静かな雰囲気をたたえる。解説の松山巖が言うように、約30年という長い長い年月をかけて、この静謐な文章が生み出されたのであろう。
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イタリアミラノにある書店に出入りする仲間達について書いた本。
自分にはこのスタイルが合わなかったのか次々に語られていく書店の仲間たちのエピソードがあまり頭に入らなかった。
時間を置いてもう一回読んでみたいと思う。
2023/10 評価3.5
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自分と時間軸が異なる方が、経験されたイタリア。どんな景色が人が見られたのだろうか。旅行者ではない著者が感じた思いは、稀有な事で追体験出来る事が、嬉しい。日本とは異なる価値観、環境。
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初めて読んだ須賀敦子さんの本。
回想録なのに、これほどまでに明瞭に描写できるのが素晴らしいと思うし、観察眼もまたそう。
このような眼を持てたら、日常がもっと深まるように思うのは気のせいだろうか。
コルシア書店、小遣いにも満たないほどの給料で書店を切り盛りしていた人たちは、「自分の信念を生きるために、からだを張っていた」と須賀さんは書いている。
そんな書店があったことが羨ましい。そんな書店が近くにあればいいなとも思う。
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著者がイタリアに留学し、ミラノの小さな書店に集う人々と交流した若き日々をたどるエッセイ。
当時はまだ日本人女性が珍しかったせいか、さまざまな人に紹介されたり、招待を受けたり。
何かをスルドク分析するとか考察するとかではなく、とても素直な目で、書店の仲間たちの姿が、丁寧に淡々とつづられているのが心地良い。
その昔、学生時代に冷やかしによく立ち寄った、見たことのない雑誌や単行本、自費出版本ばかりの書店を思い出した。
最近、店内でくつろいでお茶を飲めるとか、読書会を開くとか、店主の個性を反映したユニークな書店がちらほら。
いつかそんな書店で時を過ごした誰かが、こんなエッセイを書くかもしれない。
ネット書店は便利だし、電子書籍もいいけれど、やっぱり街でへ出て、本を買おう!