吉本隆明のレビュー一覧
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いい話だな、と思った。
20年前に出された本で、おそらく今よりも「ひきこもり」に対する風当たりは強かったはず。そんな中であえてひきこもりを擁護する吉本はまさに逆張りと言えるのだけれど、その逆張りも時間が経って、自然と頷きながら読めるようになっていた。
コミュニケーション能力や社会性だけが絶対ではない。自分自身の価値を生むには、また自分だけの言葉を作るには、必ず一人でいる時間が必要。考えてみれば、当たり前の話だ。そして、今の若者たちはなんとなくそれを理解しているように思えるし、実際実践していると思う。
ただ同時に、この本が出されてから20年経ち、社会に良い変化しかなかった、というわけではない。当然日本社会もさまざまな面で悪化していて、ひきこもりがいたとしてその社会復帰の問題や、そもそもひきこもっていない人たちまでもがまともな職を得られない環境ができあがっている。そういう意味で、読みながら、ふと吉本はまだ時代に対して楽観的であった(いや、ならざるをえなかった)と思ってしまった。
しかし、引きこもりでもひとつのことを持続すること、社会に何かしらのビジョンを見出さなければならないという、彼の言葉は、現在でも十分な強度をもっているはずだ。
だからこういった本は話半分、好きなところだけを頭に入れておいて、そのほかは有耶無耶なまま忘れることにしている。まさか吉本も自分の本を右から左まで丸暗記しろとは言わないだろう。そしてこの本の気に入った部分を、適宜頭の引き出しから取り出す能力を養うこと、引き出された言葉を自分なりに組み立てること。そしてこれらが、引きこもるあいだにするべき、自分自身の言葉の鍛錬なのだろう。 -
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著者は自分の言いたいことをこの本で言い切ったのだろうか。そんなことはないだろうなと思った。
平易な文体だし、語りかけるような口調で終始話が進むから読みやすいのは読みやすい。そして、人間の性格形成は、幼少期までの母親もしくはその代わりとなるような人との関わり方に決定されるという考え方が、もうこれでもかと何回も出てくる。翻って見て自身は良い育ち方ができたのかどうかは恐らく死ぬまでわからないのだけれど、この本で言うような物事は、そして人物は、善と悪だけに限らないし、ある面で善くともある面で毒がまわってるという考え方を、できる限りしていきたいし、最後の最後までとことん追い込むみたいな真似はしないでいられるような、言ってみれば潔い人間になりたいと、そういう読後感。 -
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ー 原始人がはじめて現実の対象を有節音声としてえらびとったとき、発したその音声は意識に反作用をおよぼした。それは一連の意識の波紋をえがいたにちがいない。こういった一連の意識の波紋は、また一連の音声波紋として表出せられたかもしれない。これを、不完全な言語の段階での文だとかんがえれば、わたしたちは、カッシラアにならって、言語の世界でいちばん簡単なのは、常識的にかんがえるような単語ではなく、むしろ文だとおもわれる。
しかし、こういう仮定にそれほど固執するわけではない。原始人たちは、海を眼のまえにはじめてみて〈海(う)〉といっただけかもしれたない。ただこう仮定したのは、一連の音声波一紋の表出が完結するためには、有節音声は、よりおおく意識の自己表出としてのアクセントで発せられるものと、指示表出として発せられるもののどちらかに傾かざるをえないことをいいたかったからだ。もちろん、言語の本質はこのふたつの面をもっているから、いずれのばあいも他を含んであらわれるといえる。 ー
想像していたより分かりやすくて面白い。
最近、ビジネス書とか地政学とかが多かったので、違うジャンルを読みたく、かなり遠めのジャンルに行きました。
とは言え、佐藤優繋がりで、マルクス主義文学論とかも出てくるので無縁ではない。
言語にとって美とはなにかを問うことは、言語と行動の問題、言語が人々に与える感情の問題、言語と戦争の問題、言語と世界内存在の問題を問うことに繋がってくる。
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糸井さんとの共著である「悪人正機」と重複する内容もありますが、その中でも『才能』に関する吉本さんのお話は、やはり特に心に残りました。
例として挙がった、若い頃から才気溢れていた芥川龍之介と、若い頃は鈍いヤツと言われていた田山花袋が、晩年の作品で比べればどっちも同じようにいいようになってきた、という話には「続けること」の本当の意味を教えられた気がします。
「やってるうちに自分の姿が自分なりに見えてきて、鋭いのは鋭いなりに、鈍いのは鈍いなりに、なんともいえないその人だけの値打ちが出てくるものなんです。それこそがその人の〈才能〉であり、その人の〈宿命〉と呼べるものなんですよ。」
まだ何者でもない15歳くらいの年頃の人には、とても勇気をもらえる言葉ではないでしょうか。
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吉本隆明 「カールマルクス」
解説 中沢新一
マルクス論〜著者は「資本論」でなく「経済学・哲学手稿」「ユダヤ人問題に寄せて」「ヘーゲル法哲学批判」から思想体系を作り直している感じ
マルクスの思想特性
*現実的な自然哲学
*幻想的な宗教、国家、法
*象徴的な市民社会の構造、経済カテゴリー
マルクス思想を ギリシア自然哲学の原子説からフォイエルバッハ「キリスト教の本質」に展開し、人間と自然の疎外関係という概念を用いて、ヘーゲル批判やユダヤ人問題と絡めて体系化しようとしているのだが
ヘーゲル批判やユダヤ人問題を絡めると テーマが広がりすぎて わかりにくい。「経済学・哲学手稿」だけに絞ってギリシア哲学と 幻想的な宗教、国家、法との関係性から体系化してほしかった
「死は、個人に対する類の冷酷な勝利のようにみえ〜特定の個人とは、限定された類的存在に過ぎず、そのようなものとして死ぬべきものである」
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本作品は、戦後の日本思想界の巨人といわれる吉本隆明(1924~2012年)が1968年に発表した代表作で、当時の教条主義化したマルクス・レーニン主義からの脱却を求めていた全共闘世代に熱狂して読まれたと言われる思想書である。
私はこれまで、吉本の著書は、『真贋』、『家族のゆくえ』、『読書の方法』、『悪人正機』(糸井重里との共著)などのソフトなものしか読んでこなかったのだが、本作品についてはいつか読まねばと思い、改訂新版出版のたびに買い替えて来たており、今般やっと、NHK番組「100分de名著」を参考にして一通り読むことができた。(といっても、重要部分の飛ばし読みであるが)
本作品は全11篇から成り、前半の「禁制論」、「憑人(つきびと)論」、「巫覡(かんなぎ)論」、「巫女(みこ)論」、「他界論」、「祭儀論」の6篇は1966~1967年に月刊誌「文藝」に連載されたもの、後半の「母制論」、「対幻想論」、「罪責論」、「規範論」、「起源論」の5篇は書下ろしである。
読むにあたっての技術的なポイントは、まず、吉本が何故この本を書いたのかという問題意識を念頭に置いて読むこと、そして、書下ろしの後半部分から先に読むことであろう。
前者については、吉本は「角川文庫版のための序」に、「国家は共同の幻想である。・・・人間が共同のし組みやシステムをつくって、それが守られたり流布されたり、慣行となったりしているところでは、どこでも共同の幻想が存在している。そして国家成立の以前にあったさまざまな共同の幻想は、たくさんの宗教的な習俗や、倫理的な習俗として存在しながら、ひとつの中心に凝縮していったにちがいない。」、「人間のさまざまな考えや、考えにもとづく振舞いや、その成果のうちで、どうしても個人に宿る心の動かし方からは理解できないことが、たくさん存在している。あるばあいには奇怪きわまりない行動や思考になってあらわれ、またあるときはとても正常な考えや心の動きからは理解を絶するようなことが起こっている。・・・それはただ人間の共同の幻想が生み出したものと解するよりほか術がないようにおもわれる。」と記しており、自らの戦争体験から、平時であれば「正常な考えや心の動き」をしている人間が、なぜ戦地では「奇怪きわまりない行動や思考」ができるのかを明らかにしようとしたことである。
そして、主に『遠野物語』と『古事記』を題材に、エンゲルスが『家族・私有財産・国家の起源』で著した国家の成立の過程と対比して、日本におけるそれを明らかにしていくのだが、その中で、有名な「共同幻想」、「対幻想」、「個人幻想」という概念が展開される。
翻って、半世紀前に発表された本書を、現代の我々がどう読むべきかを考えると、「祭儀論」にある「原理的にだけいえば、ある個体の自己幻想は、その個体が生活している社会の共同幻想にたいして<逆立>するはずである。・・・ある個体にとって共同幻想は、自己幻想に<同調>するものにみえる。またべつの個体にとって共同幻想は<欠如>として了解されたりする。またべつの個体にとっては、共同幻想は<虚偽>としても感じられる。」の部分が参考になる。つまり、現代の共同幻想とは、国家レベルからグローバルレベルに拡大した膨大な情報ということができるが、我々は、その共同幻想を鵜呑みにせず、共同幻想に逆立する(緊張関係にある)個人幻想、地に足の着いた個人幻想によって、共同幻想に対峙していく必要があるのである。
巨大な共同幻想に世界が翻弄される今、改めて読み直されていい作品なのかもしれない。
(2020年8月了) -
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吉本隆明 「 西行 論 」
著者の西行像は、予想より辛辣な面もあるが、西行が生きていた時代の宗教観や政治背景に合わせた新しい西行像が見えてきた。
著者の西行像が 白洲正子氏や山折哲雄氏の西行像より 多くの示唆を与えてくれた理由
*西行の出家動機や何首かの和歌の集合からアプローチしている
*西行の歌の「心」と「世」の言葉の使い方に着目している
*平安末期から鎌倉初期の院政権争いや時代的思想としての出家など 歴史的背景を手がかりとしている
*世捨て人としての西行を讃美していない
歌人としての西行像
*宗教的な歌人→山折哲雄氏と近い
*自然に感応する自然歌人→白洲正子氏と近い
*歴史意識をもたざるえない場所にいた歌人
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この人の本は以前から読みたかったのだが本気の本は内容がまったく理解できそうになさそうで敬遠していたが、書店で見つけたこの本はとてもライトで書かれた時代も10年くらい前のものでしっかりと頭に入ってくるので購入。
著者の考え方がはっきりとしているのですべてに共感できることではないが
・あらゆるものに利と毒がある。
・いい作家とは俺にしか分からないだろうと多くの読者に思わせること。
・良好な人間関係とは言いにくいことをはっきりと言える関係。
・以前は作者の文学的成熟と社会的成熟の時間経過を世の中が待ってくれていたが現在はそれを持ってくれない。
だから大家が生まれにくくなる。
・戦時中など社会全体が悪になっている時は個人個人の倫理観が高くなる。しかし平和な時は逆に個人個人の倫理観が低くなる。
などなど。
おもしろい考え方を教えてもらった気がする。 -
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梶原しげる『ひっかかる日本語』(新潮新書)を買うつもりで書店に行って、たまたま見つけた一冊。どっちにするか少し迷ってこちらを買った。
内容は、吉本隆明の芸術論・文学論をやさしく説いたもの。日本語の使い方云々という内容ではなかったので、そもそも『ひっかかる日本語』と比較する本ではなかった。
のっけから「源氏物語は退屈」と切って取ったかと思えば、漱石『三四郎』は「言語表現として優れている箇所がモチーフとずれている」と指摘したり、若手詩人をかなり否定的に論評したり。縦横無尽な展開は切れ味鋭い。神話と歌謡について語った後半は正直興味を持てなかったが、「日本人は代々曖昧な言葉を法律用語として使ってきた」など唸るような指摘が随所に光った。 -
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ネタバレ「ならずもの国家」と、きつい物言いのタイトルだけど、返す刀で日本をも斬る。
アメリカの言いなりの日本。
国が決めたことには無条件で従う国民性。
根っこは同じだ。
”国家なんて自国の国益を優先的にかんがえるものです。したがってアメリカが自国の国益に反してまで日本を守るはずがない。”
同盟を結んでいるからと言って、全て言いなりになるのではなく、自国の意見をきちんと表明するべきと言う。
当然だよね。それが独立国家というものだ。
日本の景気対策に必要なのは、大企業優遇ではなく、日本の経済を下支えしている中小企業が生き残れるような政策を立てるべき。
中小企業に勤めている人の家族が、安心して消費にお金を使えるようになった時に、景気は上向くと思うんだよね。
〝国家は宗教の最終形態です。大昔からある宗教をつぶそうなんてことは原理的に無理なのです。”
そうか。
国家って宗教と、そして土地だね。 -
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ひきこもるのは悪いことじゃない。人付き合いが苦手な人は、無理に他人に合わせて軽く生きていくよりも、引きこもって自分の時間をしっかりと持つべきと説く。無理にひきこもった人を社会に出そうとしたり、ひきこもった人たちだけを集めて社会を作ろうとするのは逆効果。引きこもって内面が醸成された人は、いつかそのうちその人なりの方法で社会と関われるようになる。
一人の時間を持つことの大切さを説く著者の意見には大いに共感します。その場限りの安心を得るために、無理な人付き合いで、貴重な自分の時間を埋めることはないと思いますし。会社勤めをしていると、なかなかそうはいかないのが難しいところではありますが、そういう気持ちは持っていたい。 -
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吉本隆明氏(2012年逝去)の晩年にインタビューに基づいて書籍化され(2007年)、2011年に文庫化された。
私は全共闘に影響を与えた時代の吉本氏は知らないが、氏が晩年に記した著作やインタビューから、多くの示唆を与えてもらったように思う。
本書では、1.善悪二元論の限界、2.批評眼について、3.本物と偽物、4.生き方は顔に出る、5.才能とコンプレックス、6.今の見方、未来の見方、が取り上げられているが、特に印象に残ったセンテンスは以下である。
◆善悪二元論の限界~「明るいからよくて、暗いからだめだという善悪二元論で考えると、物事の本質を見誤る恐れがあります。無意識のうちに答が決まっている価値判断は、無意識のうちに人の心を強制します」、「いまという時代は、善悪両面から見る、あるいは善悪という価値観を脇において物事自体を見ようとする、そういう見方が必要な時代なのです」
◆批評眼について~「一番大事にしているのは自分の肌感覚というか、身のまわりの印象です」
◆本物と偽物~「僕は、男女関係に限らず、一般の人間関係においても、いい関係かどうかを判断する基準というものを持っています。それは、・・・お互いが言いにくいことをきちんと言えるかどうかです」
◆才能とコンプレックス~「大切なことはその都度変わっていきます。だから何が人生で重要だというふうに言われたら、ずっと一貫して、大切なものと現状の自分との距離について考えていくことだと思うのです」
◆今の見方、未来の見方~「一つはっきり言えるのは、いいことをいいと言ったところで無駄だということです。それは歴史が何回も証明してきました。いいか悪いかではなく、考え方の筋道を深く追わなければ、問題の本質が見えてきません。考え方の微細な筋道をたどっていかないと、解決の糸口を見失ってしまうでしょう」
吉本氏の思想の一端が分り易くまとめられた一冊である。
(2007年5月了) -
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吉本隆明氏が15歳の男女を前に語った言葉の数々。
「行きがけの道」を歩きながら、道中見える景色や生まれる感情を噛みしめながら生きていくのが人生なんだろう。
正解なんて最後までわからないし、存在すらしないものだと思うと、諦めのような気持ちが生まれるけど、だからこそ人生には意味があるんだろうなというような救いのようなものを感じた。
沢山の気づきがあったので以下は備忘録として。
<話言葉>が相手に何かを伝えるための道具だとしたら、<書き言葉>は自分の心の中に降りていくための道具だと言っていい (P13)
人は誰でも、誰にもいわない言葉を持っている。
沈黙も、言葉なんです。
沈黙に対する想像力が身についたら、本当の意味で立派な大人になるきっかけをちゃんと持ってるといっていい。 (P23)
誰に才能があって、誰に才能がないとか、そんなことはないというのが僕の考えです。(中略)大事なのはしょっちゅうそのことで手を動かしてきたか、動かしてきていないかのちがいだけです。 (P25)
人は、自分が自分を思うほど、君を思っているわけじゃないぜ。 (P37)
「生きていくことは、たぶん誰にとっても行きがけの道なんですよ。(中略)人は誰しも行きがけの道を行く。そうして迷いながら、悩みながら、ただただ、歩きにあるいていくうちに、ああ、これこそが自分の宿命、歩くべき道だったんだと思うことがあるんじゃないか。 (P50)
創作の本質はこの<転換>にあるんですよ(中略)文学というのは、その<転換>のうまさ、巧みさに注目して読むと読みやすいんです。 (p55)
戦争が悪なら、僕だって悪党だ (P79)
人間っていうのはかわいそうなもんですよ。生きるっていうのはかわいそうなもんだ。それはもう、いたしかたのないもんなんだと思います
変更がきくもんでもないし、急に納得がいくもんでもないし、やっぱりかわいそうだなぁというのを一種の食べ物みたいにして生きていくよりはしょうがない。
それでもなんで生きていくのかっていったら、それは先があるからでしょう。(P83)