吉本隆明のレビュー一覧
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ネタバレ世間では、ひきこもりって響きは、マイナスのイメージばかり。
でも、吉本隆明さんは、かなり肯定的に捉えている。
ひきこもりの人は、明るくて社交的ではないかわりに、考えること、感じて自分で内密にふくらませることに関しては、人より余計にやっているのです。それは、毎日毎日、価値を生んでいるということなのです。
う~ん。深い。確かに、自分の考えや思考を深めたかったら、どっぷりと1人になる時間って必要。人生の一時期、どっぷりと「人生」とか「社会」とか、「自分」と向き合ってぶつぶつ考える時間って必要だよなあって最近思う。
”きのこ”の時間。大切にしたい。 -
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引っ込み思案の気質を持て余すとき、病的なものと区別するためには
「大勢の中の孤独」に安堵するといいと作者は言う。
その例として、銭湯と神社のお祭りをあげる。
これは、すごく面白いと思う。
僕は、自分ならば、そこに秋葉原と映画館と場外馬券売り場を加えたい。大勢の中の孤独って心地いいと、改めて納得する。
キャスターのように、オピニオンリーダーだったり、生き方そのものが「善」で成り立っていそうな人が志す仕事ってあるよなあ。
反対に、ひねくれてたり、劣等感の塊だったり、不器用だったり、そのような気質は本人はどうすることも出来ず、育てられた環境で規定されると吉本さんはいうけど、実際のところどうなのかな?
試行錯誤しながらも、親や周囲の大人が、こどもに対して文章や態度で示し、共に考えることが出来たら、こどもは大人になるときにそんなには失敗しないだろうか??この辺はちょっと議論が簡単すぎるきらいもある。
人の親になるということ、教えるということ、そして困難を打ち破る視点がつまった一冊だと思う。 -
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ネタバレ16日に亡くなられた吉本隆明さんの本です。
児童(中、高校生)向けの哲学書です。
この本の言葉は優しくて分かりやすく、そして子どもにも大人にも届く言葉で語りかけてくる。
生き方、考え方、人生、恋愛。それらについて語っています。私は思いついた様に時折この本を読みます。
目に見える事、瞬発力が重視されがちな昨今にこの本を読むと「そうでなくても良いのでは?」と思えたりします。
"人は誰でも、誰にもいわない言葉を持ってる。
沈黙も言葉なんです。
沈黙に対する想像力が身についたら、本当の意味で立派な大人になるきっかけをちゃんと持ってるといっていい" ー本文よりー -
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日本における戦後思想の巨人とも言われる吉本隆明(最近はむしろ娘さんの吉本ばななの方が有名だけど)。彼の立ち位置を簡単に言うとするなら、「お前ら、戦争体験というものをきちんと考えているのか」「知識人とかって観念的な事を適当に言ってるけど、本当に現実を見た上で言ってるのか」という感じか。とはいえ、詩的かつ難解な語彙を用いたその文章は読み解くだけで一苦労。『共同幻想論』とか本当に皆ちゃんと読んでいたのか?
で、1958年に発表された転向論なのだけど、ここで主張されているのは、戦前におけるマルクス主義からの「転向」というものは権力からの弾圧・強制だけによるものではなく、むしろ彼らが日本の社会構造の相対を捉えそこなったが故に大衆から孤立していた事に原因があるのであって、そうした意味では非転向を貫いた者でも現実と断絶し、大衆的動向と無関係なまま保持されていたのでは同種ではないかとという主張だ。
基本的に、このような捉え方に異論はない…のだが、どうしても違和感が残るのは、「大衆」という言葉を肯定的な面で用いている事。現代に於いては、むしろ大衆という言葉は"愚かな大衆"みたいな批判的な文脈で用いられる事が多く、またそもそも大衆って言った時にアンタはどうなのよ?といった具合に、正直「大衆を批判している自分」を肯定するための手段としか思えない物言いも多々見受けられる気がする。
むしろ、今、語られるべきなのは「他者」についてだ。大衆と言うものの最小単位であり、かつ自己の理解外にありながら自己と関係しようとする他者。あらゆるものが断片化し孤立化してしまっても、それでも自己の中から想起されうる他者。この他者というものについて考えてきたレヴィナス、を研究していた内田樹がこれ程までもてはやされるのも、そうした文脈があるのかも。勘だけど。 -
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1に続いて、前半は各論。詩や物語や劇などが(それこそ宗教の儀式の前の発生の所から)どういった構造で生まれて、発展してきたかを確実に説明してくれる。
自分がこういう本を読まないせいもあるかも知れないけれど、言語や芸術についてここまでとてもとても考えられない、極みまで明らかにしてしまっているので全く鵜呑みにしそうで怖い。と言うかしている。
共同幻想論でもそうだけれど、最初から最後まで、基本的には同じ事を言っている(ある一つの考えに達した人が書いているのだから当たり前だけれど)意味、価値、内容、形式、表現のあらゆる事は自己表出と指示表出、その構成や広がりである事を示してしまうと、ヘーゲルもサルトルも、他のあらゆる評論もその中の端で水掛け論をしていた様に見える。と言うかそう言っている。
如何に言葉を無自覚に使っているか思い知ったし、言葉とは何かと言う何の足がかりも無い様な事を、こんなに自在に動いて目の覚める様な精確さで捉える人がいるのだなぁと、感動した。
影響を受けすぎるので、早く違う本を読みたい。二冊を通して掴んだ言語観で、周りの言葉全てが一枚奥まで透かして見える様。 -
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作家や文学研究に携わる人でなくとも、読書好きな人なら「文学とはなんだろう」という疑問を抱くことがあるだろう。しかしその疑問も私たち一般読者は、作品を読み重ねていくうちに独自の文学観なるものが形成され漠然した答えが導き出されることで解消されてゆくように思う。それは大抵、自分の「好み」がはっきりすることと、名著と評価された作品(一般的な価値基準)を取り入れることである種の(独自の)価値観が形成されるからではないだろうか。
この著書は、研究対象としての文学の捉え方といった堅苦ものではなく(この著書の学術的な価値を批判するわけではない)、文芸作品の読み方の一つの例として私たちに貢献してくれる本だと思う。詩人であり、批評家である吉本隆明の文学観を順をおって知ることは、前述した私達が作り上げてきた価値観を明確なものとする手助けになるだろうと思う。 -
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彼は千年に一度の偉大な巨匠だが。現実の世界ではきわめてありふれた生活人である。そうそう。ではなんでそう思うかってこと。ボク等は生まれたときから何らかの条件つきで生涯それらがつきまとう。フムフム。なるほど。だから結果としてボク等が何々であったということは意味がない。意味があるのは何々であった何々になった。ということの根底に横たわっていた普遍性をどれだけ自覚的にとりだしたかである。って。はい。理解。水と空気はいくら使用しても拡大しても調査しても無料(タダ)である。自然で言えばそういうのがシゼンに横たわっている。ではボクが何ものであるかの普遍性を自覚的にどう取り出すかを試みようとしたり。して。春が近いせいか甘ったるい風にどうも自然に眠たくなってくる。これだと幾ら生きても自覚的に試みる段階に立てない。普遍的に邪魔をする何かもあるに違いない。何々になりえない意味とか。ちょっと永遠。すべては人の心の仕組みと深く結びついていることだ。と優しく答える中沢新一氏の件が目を覚ましてくれる。
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ネタバレこれからの人生の気づきのひとつになればと思い手に取った。
タイトルにも帯にもちょっと期待しすぎたかもしれない。
とても柔らかい文章を書く人なんだなと思いながら読んでいたら、インタビューの書き起こしだった。
読みやすいけどちょっと残念。
仏教の宗派による教えの違い、太宰治の逆説的表現、天皇は神主、優れた作品は「俺だけにしかわからないと思わせる」。
このあたりは後々思い返してみたり、ハードルが高いと思っていた本を読むきっかけにしてくれそうに思った。
昔の学者達が説いた社会の姿に当てはめて戻るのではなく、今は誰も想像し得なかった社会の中を進もうとしている。新しい答えを見つけなければいけないみたいな考察はとても今を予言していると思った。これを20年前に言われてもピンと来なかったと思う。
もう滅びが始まっていたのだろう。
ただ、「母親あるいは母親代理の人」との限定や子育て論はすんなり受け入れられなかった。
なぜ母親あるいは母親代理の人なんだ。
なぜ母親が働くのは経済的に困窮してるからなんだ。
母となった女性にも個の人格があるし、意思もあるんだよ。
まぁ、20年前の本であることと子育てをしてきたと言う著者の取り巻く時代などを考えるとそんなものかなと思ってみたり…。
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子どもは大人をよく見ているな、と改めて思った。
本書は15歳の子ども向けで、寺子屋のような塾という形で吉本さんが語った内容をまとめたもの。そのため、わかりやすく噛み砕いた内容になっているだろうと思い手に取ったが、吉本さんは子ども相手にも全力だった。単に回答を与えるのではなく、かといって煙に巻くわけでもない。自身が影響を受けた作家を例に挙げて、子どもたちが興味を持てばさらに深掘りできるように道筋を立てて、自分の考えを自分の言葉で説明していた。
巻末に、子どもたちから吉本さんへ感想が書かれている。
「難しい話もあったが、真剣に話してくれて嬉しかった」「吉本さんの回答が特殊で、考え方が自分とは違うのではと思った。だから、ひとつの考え方に限らず、多少な考えを持って物事を見てみようと感じた」「たいていの大人は嘘をついて知ったかぶりをするが、吉本さんは嘘をつかない」「自分も吉本さんのような大人になりたい。そのためにいろんなことを経験したり、経験した大人の話をしっかりききたい」
これらの感想を読んだ時、本書を読んだ価値があったと思った。
正直、吉本さんの回答は子どもには難しすぎるのではないかと思っていた。自身が15歳の時はそれほど理解力もなく、難しい話は苦手だった。だから、年齢に合わせた解像度で話したほうがわかりやすいのでは、と決めつけてしまっていた。15歳はまだ成人ではないが、もう自分で考えて行動できる年齢でもある。それなりに好みもあれば悩みもある。当時を振り返ると、年上の人から同等に扱われた時、子ども扱いされないことが嬉しくて、自分も少し大人になったような気がした。自分の理解力レベルを超えた話をされると、すべては理解できないものの、新しい世界や価値観に触れて、それが良い刺激になることもあった。そういった経験が子どもの成長の機会になることを忘れてしまっていた。
大人から見ると、15歳なんてなにもわからない年齢だろうと思ってしまうが、彼らも15年間悩み決断を繰り返し生きてきた、知能を持った人間なのだ。こちらが本気かどうか、嘘をついているかどうかなど、簡単に見抜かれてしまう。子どもたちは、無限の可能性を秘めていると思う。今後も生きていくうえで、さまざまな価値観に触れ、自分の中身を拡大していってほしい。もし今後、若者と接する機会があった時には、吉本さんのような刺激になれるよう、正直に接していこうと思った。 -
Posted by ブクログ
少し読んだだけで、この人は深く考えることが好きな人だとわかる。最後のほうで「自分にとって真に重要なことは(略)理由を考えること」と述べており、納得した。一部偏った発言もあるが、個人的な考えを述べる時は断定を避け、「〜と思うのです」で章を締めくくる手法には感心した。
「人が問題を起こすのは表面に出てきた結果であり、それに至るまでの過程に原因があることだ」と著者は言う。さらに幼少期から10代にかけての母親or母親代理から受ける愛情と人格形成にも触れている。私も同じ考えだが、なぜ著者はここまで深く正確に観察できるのか気になる。本人の体験談か、多くの人と触れた統計の結果なのかもしれない。それにしても鋭い観察力だと思う。
また、著名人の名前が多数出てくるのも気になった。著者は「役職と人間を切り離して考えること。なにかのプロだからといって人間性も優れているとは限らないこと。」「一方的な視点で見ると見誤ることが多いため、多角的な視点で見ること。」と述べているので、これまで出会ったプロを相手に、何度も見誤る経験があったのだろうと予想する。
本書を読みながら、この人は考えることから逃げないタイプだと強く感じた。普通の人なら通り過ぎてしまうような自分の中の違和感やルールを、分解して観察して細かく言語化している。それは、「考え方の道筋を深く追わなければ、問題の本質が見えてこない」「今は考えなければならない時代」という言葉で本書を締め括っていることからもわかる。良いところも悪いところも含め、他人のこういう考えに触れるのは楽しい。
以下、本書より抜粋。
「事件を起こしたのは現在のことですが、その素地は成長過程で出来上がってしまっていることだと解釈すると、少なくともその人が社会的にどんな地位だったかということは、あまり関係ないように思います。」
「人間というのは、表面的に見えている性格だけでなく、こうした過去の育ち方が裏に隠されているものです。だから、人を見るときは、過去における人間関係や現在置かれている状況など、多角的な視線で見なくてはいけないと思います。一方的な視点で見ると見誤ることが多いと思います。」
「職を離れたら、人間としては平等、という発想が日本人にはあまりない。たとえ仕事を離れても、どこまでいっても役職を役職だと言うふうに思ってしまう。そして周りもそう扱う。そういうことが中国の人から反感を買う原因の1つではないかなと、僕は解釈しています。」
「役職によって人間の上下は決まらないのと同じように、日常生活ではどういう風な性格の人で、どこが欠陥で、あるいは家庭の中で何か問題があるかどうかなどといったことと、その人自身がプロとして優れているかどうかということとは区別して考えるべきだと思っています。そうしないといろいろな場面で錯覚することがあると思います。例えば漱石でも鴎外でもいいですが、あの人は大芸術家だから、人格、気質その他も、欠陥も何もない完全な人物だというふうに考えると間違えることがあると思います。」