あらすじ
永遠の巨人の哲学と思想が現代の知の巨人を魅了した!! 仏教界の戒律を破り肉食も妻帯もした親鸞。貴族や武士のものであった仏教を、念仏を称(とな)えるだけで往生できるとし、民衆の心を掴んだ巨大な宗教家の、現代を癒す力!!
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難しいことは言ってないのに、思想としての底があまりにも深すぎてどれだけ理解できたのか分からない。多分善行にせよ悪行にせよ人間の為し得ることはどれもちっぽけなもので、どれだけ良いことをして威張っても阿弥陀如来の規模の大きさからすれば取るに足らないことだと、一番大切なのは善行を為すことではなくて、善行とか悪行とか意識せずに自分の内心の声を聞いてその通りに物事を行なっていくことだと、恐らくそんなことなのかな。吉本隆明流親鸞は恐らく浄土とか善悪とかあまり興味なかったのではないかな。難しいこと言わずに、自分の計らいから発することなく、心を込めて念仏を唱えれば寺も何もいらない。それでいいなんて、かなりいい加減に見えるけど衆生を救うということを一番に考えた時にそういう結論に至ったんだろう。
「これが善であって、悪に陥らないように」という価値規範体系を提供するのは宗教に限らず、人間の道徳感や倫理観に照らして当たり前のことのように思いますが、親鸞的にはそんなことにあまり興味はなさそう。阿弥陀如来に全てを任せて、絶対的に信頼して、もはや信頼していることすらも忘れて、自分の心の声を聞いて、自己欺瞞なく生きていくと。一見アナーキーに見えるが、救済というところに結びついている以上アナーキーでも無いのかな。一度ではとても理解しきれない。
Posted by ブクログ
もうただ唸るしかない。これまで何冊も仏教に関する書物を読んできたが、このわかり易さは別格である。並ぶものなし、まさに無双だ。
一念義も悪人正機もその直接意味するところは知っていたが、どうしてそのような思想に行き着いたのか、これを読んで疑問が氷解した。今までなんと浅い理解しかできていなかったのかと愕然とする。
親鸞が浄土門の最終解だとすれば、この本は彼の思想解釈の最終解であると言える。
Posted by ブクログ
追悼・吉本隆明コーナーからチョイス。
親鸞って女犯とか肉食とかやりたい放題の破戒僧。いや、もはや僧ですらない。たぶん自分でも認識していたのでしょう。
親鸞がスゴいのは、自分が修行しまくって菩薩になって救済するっていう、これまでの僧侶たちの常識を覆したこと。現実現場目線で今必要な教えをシンプルに実践し、仏教界のパラダイム・シフトを牽引してきた。本人はあまり執着ないようだが。
第十八願:煩悩具足のままに絶対の他力によって、阿弥陀にすがるだけだという考え方。これをさらにシンプルに一念義へ昇華させた。「悩んでる自分自身を悩まない」とカンサンジュンも言ってたけど、何か通ずるものがあると感じた今日この頃。タイトルどおり、親鸞は今のこの先の見えない世の中に生きている。