吉本隆明のレビュー一覧

  • フランシス子へ

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    たぶんばななさんの本経由(もしかしたら別の作家さんの書評かも?松田青子さんとか?)で『隆明だもの』に行って、そのなかで担当ライター&編集さんがよき雰囲気で描写されていた流れから手にとれた1冊。
    ばななさん宵子さんの影響をおおいに受けつつ、隆明さんがますます素敵なお父さん像に。それだけの人ではないとはもちろん承知しているが。「子ども扱いせずに、ちゃんと長尺で真摯に正直に話してくれる」というのは、子から見て、親の素敵像になるらしい。たしかにそうかも。私が両親をいまいち尊敬できないのは、ちゃんと話していないからだ。知のレベルでは隆明さんなんて遠く及ばないけれど、それでも私の知の範囲内にはなるけれども息子たちと今後もちゃんと話そうと思ったり。

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    2026年02月15日
  • フランシス子へ

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    ヨシモト先生の次の言葉を目にして、胸にジーンと来た。

    <フランシス子はもうお骨にしてもらいました。
    いなくなっても、なんとなく気配を感じるというようなことを言う人もいますが、僕は別段そういうことはないですね。
    イメージはまだ歴然と残っているけど、それ以上のことはとくにない。

    いないもんはいない。

    亡くなったんだから亡くなったんだってことはわきまえていますから。
    フランシス子は死んだんです。>

    ヨシモト先生は、フランシス子亡き後の心境を夢遊しているようにしかも健気に語っているが、その寂しさが痛く伝わってくるようだ。ヨシモト先生の長女・ハルノ宵子さんほ、『開店休業』(プレジデント社、2013)の中で、最晩年のお父さんの様子を次のように語っている。

    <フランシス子は、2011年6月に急性腎不全で死んだ。その時父の中で何かが終った。”守り守られる”対の関係を喪失したのだ。妻も娘たちも最早その対象ではない。父にとってフランシス子が唯一、愛せば同等の愛を返してくれる対象だったのだ。
    その頃の父は眠りがちになり、半ば夢の中で思考するようになった。父が亡くなったのは、フランシス子の死から9ヵ月後だった。>

    ヨシモト先生の娘さんの言葉から、『最後の親鸞』の一節を思い出す。まだお元気な頃(60歳前後)のヨシモト先生はこう述べている。

    <どんな自力の計いをもすてよ、《知》よりも《愚》の方が、《善》よりも《悪》の方が弥陀の本願に近づきやすいのだ、と説いた親鸞にとって、じぶんがかぎりなく《愚》に近づくことは願いであった。愚者にとって《愚》はそれ自体であるが、知者にとって《愚》は、近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題である。>(『最後の親鸞』)

    <《知識》にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、そこから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに《非知》に向って着地することができるというのが、おおよそ、どんな種類の《知》にとっても最後の課題である。この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能に近いので、いわば自覚的に《非知》に向って還流するよりほか仕方がない。しかし最後の親鸞は、この「そのまま」というのをやってのけているようにおもわれる。>(同上)

    転記していると頭がクラクラしてくる。「知者にとって《愚》は、近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題」は、《愚》それ自体である愚者の私にとっては、いとも簡単なことなのにと嘆息が出る。
    詳しいことはわからないが、親鸞さんは「愚者でいいではないか」と仰っていると思うが、一方、ヨシモト先生は「愚者になりたい」と語っている。愚者の私から見るとものすごく贅沢なことを、ヨシモト先生は語っている。
    ヨシモト先生は最期に「眠りがちになり、半ば夢の中で思考するようになった」ということは、最後のヨシモト先生は、「頂きを極め、そのまま寂かに《非知》に向って着地すること」をやってのけているのかもしれない。
    現実は、知者であっても、その意志に関わりなく認知症になることがある。

    最後に、こういう話もある。
    栗本慎一郎氏の『鉄の処女 血も凍る「現代思想」の総批評』(カッパ・サイエンス、1985)に収録されたマンガ「そして彼もいなくなった」(高橋春男 作)の中で、ヨシモト先生は「古本」という名で登場し、「古本もテレビを見ながら、ねむるようにあの世にいったのである(寿命だったとゆう説アリ)」。

    お終い

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    2025年10月23日
  • 吉本隆明初期詩集

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    本書について、『現代詩文庫8 吉本隆明詩集』(思潮社、1968)の感想にも書いてある。
    付け加えるとすれば、『吉本隆明詩集』(思潮社、1963)、『現代詩文庫8 吉本隆明詩集』(思潮社、1968)と比べると、本書は『固有時』以前の詩篇をたくさん収録している。
    大作「エリアンの手記と詩」が入っているのは有り難い。このようなメルヘンチックな詩を書いたヨシモト少年がやがて「ウルトラ・ナショナリスト」になっていくことが、自然でスムーズな流れなのか、あるいは変貌・豹変なのか、異なる時代に生きている私は想像し難い。
    それから、「童子像」という詩はカッコイイと思う。

     童子像

     大道は無門である
     ただおまへは千差諸異にみちをゆくのだ
     もしおまへが孤独な無の門を透ることができたら
     いゞか
     そのときさびしい天の河原に立つだろう


    以上

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    2025年10月18日
  • 15歳の寺子屋 ひとり

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    ネタバレ

     司書の姉から、いい本があるらしいよ、と教えてもらった一冊。パラパラと数ページ流し読みしただけで、これはすごい本だぞと直ぐにわかった。

     著書をほぼ読んだことがなかった。この方の考え方を知らないなんて、勿体なさ過ぎた。全ての15歳に、国からプレゼントしたらいいのにと思うほどの一冊。自分に余裕があれば、関わっている全ての子達にプレゼントしたいところだ。鬱陶しがられるとは思うが、そんなことどうでも良いほど、価値ある一冊だった。
    大人が読んでも、親の立場の人が読んでも、もちろん良いと思う。早く読みたかったとは思うと思うが…

    特に好きだったところ…
    ◯誰にわかってもらわなくてもいいから、自分がなぜそう感じるのか、自分の考えを自分で知っておく。書く事はそういうときの手助けになるはずです。自分と向き合うための方法でもあるし、そうやって、自分自身の実感を繰り返し探っていくことが心が鍛えられるというのかな。

    ◯才能なんてものは問題にならない。問題になるのはせいぜい最初の2 、3年位のもので10年経ったらそんな事は全然問題じゃなくなる。結局は手の問題なんですよ。手が知ってる。手を動かしていると、2.3年は同じでも、10年経つとその人らしさというのかな。その人にしかできない表現というものが必ず出てくるものなんです。28

    ◯人は自分が自分を思うほど、君のことを気にかけてるわけじゃないんだぜ。36
    人がその人が1番重要だと思うことを大事にして生きてる。それが人間てものなんだ。

    ◯「こうしたから、こうなった」なんて、何かを学んだ気になってると、人生まちがっちゃう。そんなふうに原因と結果が安直に結びつくことは、現実にはまずないんだって思ってた方がいい。45

    ◯優劣があるわけじゃなくて、〈段階〉が違うだけ。63

     夏目漱石の恋愛においての失敗のエピソードが紹介されていたが、普通なら今の時代だと、何かしらの発達障害だと一言で終わらせてしまうような漱石の言動も、吉本隆明は、
    「漱石って人はきっと頭が良すぎたんでしょう。当人の中では、ちゃんと脈絡がついているんだろうけど、どうにも飛躍しすぎるところがある。それで副次的な考えが先走って、そのせいでことごとく失敗している」と分析している。なんて思索が細かいんだと、驚いた。

     寺子屋の講義を受けた子供の感想が紹介されていた。その中で、
    「吉本さんは経験の活かし方が違うのかもしれません。いずれにしても、経験を表現する時、他の大人とは違う表現をする、そんな大人に思えます。」
    という言葉があった。吉本隆明さんの、ちゃんと平易な表現にして伝えようとしてくれる言葉が、確かに子供達にも届いたんだなと感じさせてくれた。



    以下、備忘録…


    [話し言葉]が相手に何かを伝えるための道具なら、[書き言葉]は自分の心の中に降りていくための道具だと言ってもいい12
    思春期と言うのは、[1人]から[2人]にスイッチが入る時期なんですね14

    なんかよくわかんないなって思ったら、わかったふりをしないで、わかんねぇなって思ってる。そこでいいことを言おうとすると、大抵間違いだぞっていうのがある。21
    今の若い人は、自分が本当に思っていることも、周りに遠慮していえないじゃないですか。若い人たちが謙虚になったといえばいえますけど、変にものわかり良くしないで、もう少し本当のことハッキリさせたほうがいいですよ。誰にわかってもらわなくてもいいから、自分がなぜそう感じるのか、自分の考えを自分で知っておく。書く事はそういうときの手助けになるはずです。自分と向き合うための方法でもあるし、そうやって、自分自身の実感を繰り返し探っていくことで心が鍛えられる。22

    何になるにせよ、手をたくさん使えば誰でもなりたいものにちゃんとなれます。25

    才能なんてものは問題にならない。問題になるのはせいぜい最初の2 、3年位のもので10年経ったらそんな事は全然問題じゃなくなる。結局は手の問題なんですよ。手が知ってる。手を動かしていると、2.3年は同じでも、10年経つとその人らしさというのかな。その人にしかできない表現というものが必ず出てくるものなんです。28

    世界の信用するのはどこかに所属している人間なんです。自分では良いことをしたんだと思っていようが、組織を離れた人間が信用してもらうのは難しい。36
    人は自分が自分を思うほど、君のことを気にかけてるわけじゃないんだぜ。36人がその人が1番重要だと思うことを大事にして生きてる。それが人間てものなんだ。

    「こうするよりほかなかったんだ」とでもいうような消極性だけが唯一、自分の人生を決定づけてきた気がするんですよ39

    「こうしたから、こうなった」なんて、何かを学んだ気になってると、人生まちがっちゃう。そんなふうに原因と結果が安直に結びつくことは、現実にはまずないんだって思ってた方がいい。45

    子供の頃から「これを習わせておけば、こうなるだろう」みたいなことは、あんまりやらせない方がいいんじゃないかなぁ。それよりも、もう少し時間の隙間をあけてやったほうがいい。43
    自分で、「自分はこうだ」とあんまりせっかちに決めないで、親の脛をかじれるうちは齧って、いろんなことを経験しながら成長するのが一番いいと思いますよ43

    親鸞について調べる46

    宮沢賢治春の修羅の一巻。速さ時間の戦い方っていうのがすごい。60
    宮沢賢治は自分が文学者と言うより宗教家だと思っていた。あの人は「ほんとうのほんとう」にたどり着きたいと思って生きた人。61

    優劣があるわけじゃなくて、〈段階〉が違うだけ。63

    大人になるとはどういうことか75
    問題は歴然としてあるんだけれど、それに対して、誰にも言わないでも、わからないでもいいから、自分はこういうやり方で緩和しているんだという、自分なりのやり方を編み出すようにするのが1番いいんじゃないか。やり方はそれぞれに違っていいと思うので、考えて考え抜いて、自分で確立できたら、それはもう、立派に大人になったと言えるんじゃないでしょうか。 76

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    2025年02月23日
  • 【合本版】定本 言語にとって美とはなにか

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    鷗外とか

    ちょっと難しいけれど、読み進めています。
    連続してではなく、時々開いてみています。
    今回、鷗外のところが目に留まりました。
    『阿部一族』をこの前読んで、ホメロスの
    『オデュッセイア』での屋敷内での戦いが
    違いはあるけれど似ていると思っていましたが、
    『ヰタ・セクスアリス』が鷗外の転回点と
    なっているというのを読んで、ラテンつながりで
    興味を持ちました。

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    2025年02月19日
  • 今に生きる親鸞

    購入済み

    難しいことは言ってないのに、思想としての底があまりにも深すぎてどれだけ理解できたのか分からない。多分善行にせよ悪行にせよ人間の為し得ることはどれもちっぽけなもので、どれだけ良いことをして威張っても阿弥陀如来の規模の大きさからすれば取るに足らないことだと、一番大切なのは善行を為すことではなくて、善行とか悪行とか意識せずに自分の内心の声を聞いてその通りに物事を行なっていくことだと、恐らくそんなことなのかな。吉本隆明流親鸞は恐らく浄土とか善悪とかあまり興味なかったのではないかな。難しいこと言わずに、自分の計らいから発することなく、心を込めて念仏を唱えれば寺も何もいらない。それでいいなんて、かなりいい加減に見えるけど衆生を救うということを一番に考えた時にそういう結論に至ったんだろう。
    「これが善であって、悪に陥らないように」という価値規範体系を提供するのは宗教に限らず、人間の道徳感や倫理観に照らして当たり前のことのように思いますが、親鸞的にはそんなことにあまり興味はなさそう。阿弥陀如来に全てを任せて、絶対的に信頼して、もはや信頼していることすらも忘れて、自分の心の声を聞いて、自己欺瞞なく生きていくと。一見アナーキーに見えるが、救済というところに結びついている以上アナーキーでも無いのかな。一度ではとても理解しきれない。

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    2024年08月17日
  • 真贋

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    吉本隆明氏の著書をはじめて読みましたが、これまで読まずぎらいだったとおもいました。
    けっこう醒めていて、乾いた感情かとおもいますが、分かりやすい内容でした。
    ものごとには両面があり、必然がある。
    人の多少の努力や考えなどは、大勢を変えることなく、ゆきつくところまでいってしまう。

    気になったのは以下です。

    ・いじめるほうもいじめられるほうも両方とも問題児だ、ということだ。
    ・いつも明るいところばかりを見ていたら、暗いところにあるものが見えなくなってしまいます。そもそも、暗いところにこそ、真実が隠されているのではなにでしょうか。
    ・いくら科学技術が発達しても、人間の魂、精神が発達するわけではありません。むしろ、人間の精神というものは悪くなっていくものだという考え方もある。
    ・天然自然を主体に考えたら、いいことも、悪いこともあるのが当然であって、悪いことを言わないというのは、それだけで、もうだめな証拠だということです。釈迦、キリスト、孔子、老子たちがいいことしか言わないのは、世の中に悪いことがたくさん現れてきたためというのです。
    ・現に、日本の現代を例にとっても、少しもいい時代になっていないことを実感します。
    ・本を読んだことによって毒がまわったかもしれないと考えるようになりました。
    ・何かに熱中するということは、そのことの毒も必ず受けるということです。
    ・人間自身もそうですが、すべてのものは善と悪を併せ持っています。
    ・毒が回っている人の特徴は、何でもやりすぎるということです
    ・いい生き方:自分が持って生まれた運命や宿命というのがあるとすれば、それに素直に生きていくことではないかと。
    ・蓮如:「白骨の御文章」 朝に紅顔を誇っている身も夕には白骨と化す
    ・親鸞:修業なんかしても浄土に行けない。浄土は実体ではないから、行くも行かないもない。ある意味で仏教にとどめを刺した人です。

    ・「いいもの」は好き嫌いで判断できない何かを持っている
    ・期限をみれば本質がわかる

    ・僕は噂話や消息通の話など一切信用せず、自分の目や感覚で人やものをみるようにしてきました。良し悪しというのは、バランスのようなもので、全否定も、全肯定もなかなかできない者だと考えています。
    ・一般の人間関係においても、いい関係かどうかを判断する基準というものを持っています。それは、お互いが言いにくいことをきちんと言えるかどうかです。
    ・親鸞だけが、死ぬことは不定だと言い切って死ぬ時のことをあまり考えない方がいい、どういう風に死ぬかはわからないのだから考えても無駄であるという意味のことを言っています。

    ・誰も教えてなんかくれないよ、自分で考えて、自分でやらないとやっていけない。
    ・理想の自分と現実の自分が違うことがほとんどです。
    ・自分がなりたい仕事と、他人から見た向き不向きが違うことはよくあることです。そういうときには両方やって、両方の修練をすればいいと僕は思います。

    ■結論:すべてが逆な方向へ進んでいる
    ・いまの日本は、道徳的にもよくないから、品格とか愛国心とか武士道精神といったもの復活させようという考えがブームになっているようです。しかし、僕はそういくことは無駄である、初めから無駄なんだと考えています。
    ・こういうのがいいんだ とわかっていても、そうはできないし、そのとおりにはならないのが現在の大きな問題なのです。やる人がいないし、耳を貸す人もいません。もしいても、それは少数だけで、根本的にはならないでしょうか。
    ・一つはっきり言えるのは、いいことをいいと言ったところで無駄だということ、何はともあれ、いまは考えなければならない時代です。考えなければどうしようもないところまで人間がきてしまったということは確かなのです。
    ・いま、行き着くところまできたらこそ、人間とは何かということをもっと根源的に考えてみる必要があるのではないかと思うのです。

    目次

    まえがき
    1 善悪二元論の限界
    2 批評眼について
    3 本物と贋物
    4 生き方は顔に出る
    5 才能とコンプレックス
    6 今の見方、未来の見方
    あとがき

    ISBN:9784062770057
    出版社:講談社
    判型:文庫
    ページ数:260ページ
    定価:620円(本体)
    発行年月日:2012年03月21日第3刷

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    2023年03月30日
  • 今に生きる親鸞

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    もうただ唸るしかない。これまで何冊も仏教に関する書物を読んできたが、このわかり易さは別格である。並ぶものなし、まさに無双だ。
    一念義も悪人正機もその直接意味するところは知っていたが、どうしてそのような思想に行き着いたのか、これを読んで疑問が氷解した。今までなんと浅い理解しかできていなかったのかと愕然とする。
    親鸞が浄土門の最終解だとすれば、この本は彼の思想解釈の最終解であると言える。

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    2023年02月04日
  • 吉本隆明初期詩集

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    ネタバレ

    最後に載っている「転位のための十篇」でやっと読書となった。それまでは文章の隙間に居る暗号のような(僕の学力不足による)思想を感じるに留まった。ある一文に目が留まっても、なぜ留まってるのかはさっぱりみたいな。
    「転位のための十篇」は、戦後になって失ったものがあるのにへらへらとしているのか、わたしはわたしを持って今を絶対に把握しながら生きていく、というようなつよい思想を受け取ることができた。
    荒地派という言葉が読みながら浮かんだが、どれくらい関係があるのだろう。解説にはちらと荒地派についての言及もあった。

    ちひさな群れへの挨拶とメモした。今改めて頁をめくったら、一行目からオッというような気持ちになった。資料室に返すまでにこの詩はもう一度読もう。

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    2022年05月25日
  • 吉本隆明初期詩集

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    17の青年の私には深く刺さる作品だった。考えることを諦めないで、一人の自立した人として生きていこうと思う。

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    2022年04月03日
  • 定本 言語にとって美とはなにかI

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    ネタバレ

    画期的な言語論。
    言語をウィットゲンシュタインのように本質的な起源から構想したというよりは言語を意味論的なものとし、表現形式としての単語を解体し、それを文法表現から自己表出(最も自己表出性を帯びたのは感嘆詞)と指示表出(前略 名詞)に分けている。また、彼の美意識によって日本文学から引用しながら作られた表出史なるものは文語体と話体で区別し、前者を自己表出性のある文学と区分し、それぞれ表出史に出てくる文学を解説する試みであるが、これはスゴい。しかし、一読しただけなので、私はまだ、半分も理解できてないだろう。
    これは素晴らしい言語論だ。

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    2022年01月24日
  • ひきこもれ~ひとりの時間をもつということ

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    stayhomeも在宅勤務も、コロナ禍ではひきこもざるを得い状況になったからこそわかること…。ポジティブなひきこもりは、むしろ、人生には必要で。ひとり時間をもつことも必要で。このタイミングでであえてよかった本。

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    2020年06月23日
  • 真贋

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    本書が刊行されてから12年余り。日本の状況は、吉本氏が最低と評してから留まるところを知らず落ち続けているようにみえる。おそらく吉本氏の言う、本質を考えなかった結果なんだろうと思う。現政権がここまで民意を無視してやりたい放題なのも、私達が考えなかった結果に違いなく、私達が育て上げた政権なのだろう。ではどうすればいいのか?やはり考え続けることでしか解決法は見つからないのだ。
    思考停止状態から脱するには、或いは底の底まで行く必要があるのかもしれない。
    失わないと気づけないところまできてしまった。

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    2019年12月14日
  • ひきこもれ~ひとりの時間をもつということ

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    ひきこもりがち気質の自分には、こういう考え方でもいいんだ!という安堵が得られる内容でした。非常に共感できる内容が多かったです。

    自分なりの社会との付き合い方を考えるきっかけになりました。

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    2017年06月28日
  • 開店休業

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    単行本の時から読みたくて仕方がなかった本。文庫になったので、購入。楽しく読めました。吉本隆明さんという方はもっと難しいことをたくさん書くようなイメージがあったのですが、エッセイという形だからか、読みやすくて驚きでした。ハルノ宵子さんの文章も非常に読みやすくて、他の作品も読みたくなってしまいました。

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    2016年01月08日
  • 真贋

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    ・「平家は明るい。明るさは滅びの姿であろうか。」太宰治
    →明るいからいい、暗いからだめ、の二元論ではなく。

    ・倫理的にいいことしか言わないのはおかしい。安藤昌益
    天然自然を主体に考えたら、いいことも悪いこともあるのが当然。
    →いいことを言うやつが増えたら、時代が悪くなってきた証拠。

    ・本にも、お金にも、毒がある。

    ・いい作品とは。
    そこに表現されている心の動きや人間関係というのが、俺だけにしか分からない、と読者に思わせる作品。

    ↓

    読んだ人ぜんぶが、俺だけにしかわからない、と感じれば、普遍性があるということ。

    ・「歩きながら書かれた文章でなければ読む気がしない」似ーチェ
    =運動性を伴うことで、自分の資源となる。

    ・天皇は、神主である。

    ・言いにくいことを言う。その解放感。

    ・日本人には、包容力がなかった。だから、カッとしてしまう。島国ゆえの。

    ・人を見る上で大事なこと。
    その人が、何を目指しているか、何を志しているか、という、生きることのモチーフ。

    ・老人とは、人間の中の動物性が極限まで小さくなった、より人間らしい人間である。

    ・自分にとって重要なこと。
    その時代その時代で、みんなが重要だと思っていることをすこし自分の方に引き寄せてみたときに、自分に足りないものがあって行き得なかったり、行こうと思えば行けるのに気持ちがどうしても乗らなかったりする、その理由を考えることだ。

    ・いまは、行き着く所まで来てしまったので、人間とは何かについて考えなおさねばならない時代。

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    2015年06月16日
  • 真贋

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    おこがましいけど、もし私がどんな考え方をする人間なのか知りたかったらこれを読んでって言えるくらい自分の分身みたいな本だった。

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    2015年05月26日
  • ひきこもれ~ひとりの時間をもつということ

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    ネタバレ

    ひとりの時間をもつということは実は大事なことなんだ、
    と吉本隆明さんが平易な言葉で語ってくれた本。

    ひきこもっていることを悪いことだとみなして、
    そういった人を表に無理にひっぱりだそうとする行いを、
    たとえば吉本さんはテレビで見たといいます。
    それは、スーパーの店長がひきこもり傾向の人々を集めて、
    その気質を矯正しようとする行いでした。
    そして番組では、それを善いことだ、とする文脈で語っていたそうで。
    著者はそれは違うよ、と丁寧に、中学生でもわかるような言葉で語ってくれます。
    「分断されない、まとまったひとりの時間をもたないと、人は何者にもなれない」
    というところから始まって、
    不登校について、いじめについて、死について、自分の引きこもり気質について、
    世間の風潮についてまで、おしゃべりの感覚で語ってくれています
    (本書は口述を録音編集してテキスト化したものか口述執筆だったようです)。

    また、生まれてから1年くらいまでの間の経験、
    それは母親が健康で安定しているかどうかで、
    そのひとがいじめっ子になったりいじめられっ子になったりする理由となる
    心の傷を持つかが決まってくるという持論を述べておられます。
    なんとなく理屈もわかって、なるほど、そうなのかな、と思って読みましたが、
    そういった傷のせいで、最悪の場合には自殺してしまうことにもなるそうです。
    親の心が不安定なせいで、それに暗に影響を受けて、親の代理死という意味で
    自殺してしまうということでした。
    著者は、そこで、三島由紀夫や太宰治を例に挙げていました。

    ひきこもりの気質であっても、社会とかかわりを持たないで隔絶されたまま
    ずっと生きていこうなどとは言っていません。
    そういった気質であっても、社会とはかかわれると説明しています。

    右ならえの価値観というか、
    一つの方向性の一つの見方しか認めないというような
    気持ちの持ち方をしている人って多いなと思うのです。
    ともすれば、僕だってそうならないためにいろいろ考えたりもしているのですが、
    盲点だったりするものもあって、なかなかうまく解きほぐして考えられなかったりもする。
    そこに異を唱えてくれる吉本さんの発するような言葉はありがたいなと思います。

    吉本さんは亡くなられても残された言葉たちが今も生き生きとしています。
    また、彼の他の本も読んでみたいですね。

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    2015年03月06日
  • マチウ書試論 転向論

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    関係性の絶対性、不可避なそれは、体制に反逆することが、体制に加担している逆転、体制のなかにあることが、反体制である逆転、個の逆立を見事に分析した。もちろんその反対の現象も起こるという、一見、自由な選択に対して、関係の絶対性が先立つ人間のありかたは、真実をついている。

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    2013年12月22日
  • 15歳の寺子屋 ひとり

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    思想界の巨人と呼ばれるだけに、とっつけないでいたけれど、これならとっかかるのに良さげだと、ついにチャレンジ吉本隆明氏。


    •沈黙も言葉。
    •生きるとは、かわいそうなこと。

    深々と沁み入りました。
    ほんとうだ。

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    2013年11月24日