1人作品一覧
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5.0「秘め事は男子寮で」シリーズ、スピンオフ! 「頼めば誰でもヤらせてくれる」と寮内で噂の青柳悠。「一人でするより気持ちいいし」と噂を肯定するものの、彼にだって信条はある。無断外泊はしないし、しつこい男はNG、好みじゃない男は問題外なのだ。 …とは言いつつ、門限破りは常習犯。セフレがなかなか離してくれず門限に間に合わなかったある日、ついに寮監に罰として風呂掃除を命じられてしまった…。28歳で落ちついた寮監・鳥海はすべてを見透かしているような佇まい。青柳の“噂”も知っているようだが、説教する気はないようで…? 物憂げ寮監守×欲望従順高校生の追いかけっこラブ! 【シリーズ第2作】
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-岡本かの子短編集。圧倒的な情景描写と心理描写によってまさにキラリと光る珠玉の五編。「鮨」鮨屋の娘ともよは先生とよばれるその男が気になっていた。ある日偶然町で先生を見掛け、身の上話を聞いたのだった。鮨にまつわる話とは……。「東海道五十三次」東海道の魅力にはまった男は言う「東海道というものは山や川や海がうまく配置され、それに宿々がいい工合な距離に在って、景色からいっても旅の面白味からいっても滅多に無い道筋」読むほどに旅情がそそられる作品。「蔦の門」近所のいたずら娘ひろ子は家の蔦をむしっては老婢を困らせていた。しかし早くに両親を亡くし境遇が似ていることから二人は心を通わせるようになる……。「鶴は病みき」 避暑の為訪れた鎌倉での芥川龍之介とのひと夏の交流を描いた作品。偉大なる文学者芥川龍之介の意外な一面とは。「老妓抄」永年の辛苦で財産もできた。老妓の小そのは言う「何人男を代えてもつづまるところ、たった一人の男を求めているに過ぎない……」小そのは電気技師の若い柚木を自分の家に住まわせる。そのうち養女のみち子が柚木に興味を持ち始めるが……「仕事であれ、男女の間柄であれ、混り気のない没頭した一途な姿を見たい」老妓はそう願うのだった。著者岡本かの子の夫は漫画家岡本一平、息子は岡本太郎。
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-なぜだかツイてない…普通に暮らしているだけなのにどうしてこんなにも?けれど、たった一人の友達が私に教えてくれたことがある…
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3.5
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-ドレスを剥ぎ取られ紅潮するメグ。「さあ、この生娘の最初のお相手は一体!」…次々に上げられる下卑た男たちの手。そんな中、一人の美しい紳士が最高額で彼女を落札した…。裕福な家庭の令嬢として不自由なく育ったメグ。しかし両親の死で彼女の人生は転落していく。行き着いた先は…淫らな娼館だった。煌びやかなセクシーロマンス誕生!※本作品はアンソロジー「蜜愛エスカレーション」で連載していた「失楽のヴィクトリア」と同一タイトルになります。お間違いないようにお願いします。
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4.2菅と原は中学以来の幼なじみで、大学からは一緒に暮らしている。クールで女子にモテる原。それを気取ることもない彼は菅の自慢の親友だった。時どき自分に甘過ぎるところにむずがゆくなるけれど、実は少し嬉しくもあって……。菅は原に対する親友以上の気持ちを自覚していた。かと言って、今以上のポジションを望んでいるわけでもなかった。一番近くにいれたらそれで――。ある晩、原からは帰りが遅くなるとの連絡が。久しぶりに家で一人過ごす菅は、ソファに置きっぱなしの原のジャケットを見つける。手に取れば鼻腔をくすぐる原の匂い。それに思わず欲情してしまった菅は……ちょっとエッチでとびきりトキめく、ニコイチ・ラブストーリー!
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-ある日うちの公立中学に場違いなお嬢様が転校してきた。名前は津田島絵留。津田島と聞けば誰でも知ってる世界的な大企業の一人娘だ。何でこんなコがこんなところに?私、横溝美也が先生のご指名で学校を案内する事になったんだけど、絵留に「私、男の子は苦手なので女の子に案内してもらいたいのですが…」と言われてしまい…!?あ、あの~、私、一応女なんですけど…。そんな訳で第一印象は最悪。なのに何故かなつかれてしまって…。しかもなんか…恋愛感情持たれてる!?私、ずっと昔から好きな人(もちろん男)がいるから無理なんですけど!!大長編グランドロマン(!?)百合コミック第1巻遂に登場!!女同士な上に身分違い!障害有り過ぎな格差恋愛の行方は!?※この作品は【秘密の恋愛授業】vol.25でもお読みになれます。
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1.6「俺のこと、探してたんだろ?」最近渋谷で噂になってるナンパ師、通称“ハンター”。夜な夜な女の子をナンパしてはHしているという彼の素顔を誰も知る人はいない。ナンパされた女の子たちは、気持ちいいHでとろかされてめろめろにされて、目覚めたときには一人、ハンターの素顔をはっきりと覚えていない、というのだ。謎めいたハンターを探そうと、友達と渋谷に赴いたヒカリ。路地裏でセッ●スしている男女に遭遇してしまう。ひとめもはばからず喘ぐ女にあてられて、あわてて逃げ出したヒカリ。ちらりと見えた男――たぶん、ハンター――はヒカリの知ってる男だったが…。
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5.0春の川に横たわる美しい少女の死体。彼女の亡骸を囲むように浮かんだ無数の桜の花びら。その光景は驚くほどの美しさで…。英都大学の一回生、アリスこと有栖川有栖は、ふと立ち寄ったキャンパスのラウンジで、先輩の江神二郎に出会う。アリスは、そのまま江神に誘われ、ふたりが所属する推理小説研究会の創部メンバーの一人、石黒に引き合わされる。石黒は、かつて自分の郷里で起きた事件について、江神に相談を持ちかけるのだったが…。江神シリーズ第四弾『女王国の城』につながる、ファン必読の読み切り短編!!(本作は「川に死体のある風景」をテーマとする読み切り連作小説の一篇です)
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-精霊の国から理化学の町へ外遊中の皇子に突如、帰国の指示が下った。謎の男を供に付けられて故国へ向かってみれば、自分は誘拐されたことになっていて……!? 一人の少年が体験した大冒険、その背後に蠢く思惑がかいま見える本篇前日譚、登場。『CN25』(2007年11月25日刊行)所収
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-28歳のサラリーマン・右京は気ままな独身生活を送っていた。ある日、両親の死後、苦労して育ててくれた姉・豊子が一人娘を残して急死する。豊子の夫は娘が生まれて間もなく失踪していた。右京は5歳になる姉の遺児・千春(杉田かおる)を引き取って育てようと決意。今までのアパートを引き払って、素人下宿を探し始める。自分が勤めに出ている間、幼い千春がひとりでも安心していられるようにと考えたのだ。そんな条件にピッタリだったのが、佃島で米屋を営む井上家だった。出演はほかに大坂志郎、三崎千恵子、松尾嘉代、有吉ひとみ。昭和47~48年に日本テレビで放送。全40回。向田邦子執筆(14回)のうち、第14話(一部)、23話を掲載。
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-東京で看護師をしている厚子は、新宿で知り合った良司と交際している。良司は勤めていた会社が倒産し失業中だ。妊娠が分かり結婚の許しを得ようと、二人は厚子の故郷・長野を訪れる。長野には父の死後、洋服のリフォームをしながら一人でつつましく暮らしている母・とし江がいる。実家の前まで来た厚子は、男物の洗濯物が干してあるのを目にしてビックリ。実はとし江は米倉という男と半ば同居生活をしていたのだ。米倉は東大卒だが、現在は定職についていなかった。ともに失業中の米倉と良司は意気投合。母と娘はその夜、枕を並べて寝る。「びっくり箱」のように、何が飛び出すか分からない人間のおかしさを描く。出演・大竹しのぶ、京塚昌子、高橋昌也、真夏竜ほか。演出・宮原昭夫。昭和52(1977)年10月9日TBS系「東芝日曜劇場」で放送。
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-ミュージシャンとして大成功し、若くして人生を充分すぎるくらい生きてしまった一人の男。すべてを手に入れ、彼が最後に目指すのは、大陸の奥地にあるという“この世の果て”だった――。 『CN25』(2007年11月25日刊行)初出、『あなたの本』(2012年2月25日刊行)所収
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4.0隣町で起きている連続通り魔事件は、裁ちバサミで髪を切るのが犯行の手口だという。しかし狙う髪型は――ポニーテール限定!? 果たして犯行の真相は!? さらには私立御伽学園1年乙組では、実験で使用していたマウスが逃げだしたという。マウスを逃がした犯人は? 私立御伽学園1年乙組に起きた最初の事件。すべてが絡み合うとき、真の1年乙組の姿が見えてくる。ここから愛すべき31人の問題児たちの記録が始まる――!!
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-館林凛子はランジェリーを通信販売する会社の事務。同僚の容子は期待されているデザイナーだが、凛子は自分の仕事に不満はない。恋人の和也とは順調だし結婚したら専業主婦になるつもりだからだ。しかし凛子は自分が和也を含めて人生で三人の男としかセックスしていない事に気付き愕然となる。そして和也と付き合いながらも他の男とセックスしようとする。都内のバーをリストアップし、そこで男から声をかけられるのを待つ凛子。なかなかの美人でスタイルも良い凛子はすぐ声をかけられる。そしてラブホテルに…。凛子は一人、一回と決めていた。月火水木金と平日の会社帰りにさまざまなタイプの男とセックスをする凛子。そして土曜日は和也とのデート。日曜日だけが凛子にとって休息の日だった……。
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-生産量世界一を誇る、リンゴの世界ブランド「ふじ」。昭和30年、青森県の農林省園芸試験所東北支場でたび重なる品種交配の末、開発された。輸入農産物の自由化がうわさされる中、青森のリンゴ農家の将来を託したリンゴだった。しかし、「ふじ」の色づきは悪く、すぐに果実が割れる欠点があった。その時、一人の農家が立ち上がる。リンゴ作りの名人・斉藤昌美だった。青森の農家たちの壮絶なドラマ。
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-北海道東部の、小さな漁村・霧多布の地域医療を支えた、一人の医師と小さな診療所のチームのドキュメント。
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4.5昭和45年、一台の日本製スポーツカーが登場した。 フェアレディーZ。発売後たちまちアメリカ市場を席巻し、スポーツカーとしては世界一、140万台の売り上げを記録した伝説の名車である。開発の陰には、日の当たらない部署で仕事に打ち込んでいた自動車マンたちの執念があった。 昭和35年、一人の男がアメリカに渡った。片山豊、50歳。日産自動車で宣伝畑を歩いていたが、突然渡米を命じられた。当時、日本車の輸出は始まったばかり。片山は売り込みに走るが「二流の車」と言われ、全く売れなかった。 ある時、片山はスポーツカーに目をつける。ポルシェやジャガーなど人気のスポーツカーは、庶民には高嶺の花。「手頃な値段で高性能のスポーツカーを作れば、きっと売れる。二流のイメージも払拭(ふっしょく)できる。」 しかし、当時は大衆車が主流。スポーツカーなど売れないと猛反発にあう。 開発は、デザインとハードの激しいせめぎ合いとなった。デザイナーが思い描いたのは、斬新な低い流線型のシルエット。しかし、新型6気筒エンジンを積み込むと、ボンネットに収まらず出っ張った。特徴的な短い後部のため、ガソリンタンクとギアがぶつかり、故障した。メンバーは試行錯誤を重ね、東名高速でテスト走行を繰り返す。 全くの手探りで開発に挑んだ日本製スポーツカーが、世界的評価を獲得するまでの知られざる自動車マンたちのドラマを描く。
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-かつて、6千年に渡り人類を苦しめた病があった。「天然痘」。 感染すると、発疹が全身に広がり、激しい痛みをもたらす。奈良の平城京、南米のアステカ文明を壊滅的な状況に追いやった悪魔の病である。今から20年前、その根絶を成し遂げたのは、日本人リーダーに率いられた国際プロジェクトチームだった。 厚生省職員の蟻田功(ありたいさお)。1962年、蟻田は、出張したアフリカで、子供が次々と天然痘の犠牲になる現実に直面 、衝撃を受けた。その後、蟻田はスイス・ジュネーブに飛ぶ。WHO(世界保健機関)の天然痘根絶計画に参加するためだった。しかし、メンバーは何とただ一人。予算もなかった。しかし、蟻田の情熱に打たれ、国も民族も宗教も異なる40人の男性が集結。人類最強の敵との闘いに挑んだ。 しかし、天然痘の最後の巣窟は、ゲリラが跋扈(ばっこ)するアフリカの紛争地帯。しかしプロジェクトメンバーは現地に残り、命がけのワクチン接種を続ける。そして、遂に、天然痘根絶に手が届いたと思われた時、メンバーの一人がゲリラに拉致され、消息を絶ってしまう。 このまま、天然痘根絶は、夢と消えるのか。日本人リーダー蟻田は、その時、想像を絶する決断を下した・・・。 日本人リーダーを中心に、のべ73カ国、20万人が参加し、1980年に成し遂げられた奇跡のプロジェクト、天然痘根絶。その壮大なドラマを描く。
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-「一人で自由にどこへでも歩いて行きたい。」昭和32年夏、光を失った若者の夢を叶えた一頭の犬が登場した。名はチャンピイ。日本初の盲導犬となったシェパードである。 チャンピイを育て上げたのは、絶望の淵で出会った二人の若者だった。 18歳で突然失明した河相洌。大学中退を余儀なくされ母の付き添い無しには一歩も外に出歩けなかった。その時、生後半年のチャンピイをもらった。「この犬を訓練して街を歩けないか。」 訓練をかって出たのは塩屋賢一。 しかし、二人の行く手には難問が山積していた。 しかも、盲導犬には高度な判断力が必要だった。しかし、盲導犬育成マニュアルは世界中どこにも存在しなかった。塩屋は手探りで訓練方法を考え出すしかなかった。 そんなある日、塩屋は、妻子そっちのけでチャンピイと24時間寝食を共にすることを決意する。 日本初の盲導犬チャンピイ誕生に命をかけた人々の愛と絆の物語を描く。
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3.6
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3.0広島カープ。県や市が出資する日本で唯一の“市民球団”として、昭和25年に誕生した。原爆で深い傷を受けた広島にとっては、復興への大きな希望の星だった。 初代監督を引き受けたのは、石本秀一(52)。広島商業を3度の全国制覇に導き、その後タイガースの監督も務めた、野球の鬼だった。両親と兄弟を原爆で失った石本は、故郷復興へに役立ちたいと、広島に駆けつけた。 しかし大企業の後ろ盾がない球団は深刻な資金不足だった。有名選手を集められなかった。石本は、高卒の新人や、喫茶店のマスターをしていた元プロ野球選手までかき集めた。合宿所の窓は閉まらず、雨が吹き込んだ。遠征の時は3等列車の床で寝た。シーズンが終了してみれば圧倒的な最下位 だった。 そして、結成翌年の3月、資金難から、カープの解散が発表された。石本と選手たちは唖然とした。 その時、立ち上がったのが広島の市民たちだった。路面電車の運転手、坂田政利(23)は私設応援団を結成。球場の前で一人一人に募金を呼びかけた。 「復興への希望の灯を消すな!」。それを合い言葉に、全市民を巻き込んだ募金作戦が展開されていく。それは想像を超えた壮絶なものとなっていった・・・。 “市民球団”広島カープが、存続の危機を乗り越えていく感動のドラマを描く。
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-日本と中国、かつて戦火を交えた両国が、国境を超えて協力しあった壮大なプロジェクトがある。戦争の悲劇の象徴と言われた『中国残留孤児』の身元捜しのプロジェクトである。史上例のない、日中協力の一大プロジェクトのドラマ。 昭和48年3月。壮大なプロジェクトの発端となる会が生まれた。『日中友好手をつなぐ会』。それは、一人の男の執念が生み出したものだった。長野県阿智村で寺を営む住職、山本慈昭、73歳。昭和20年5月、最後の満蒙開拓団の教員として、満州に赴いた男である。敗戦の混乱の中、山本はシベリアに抑留、妻と二人の娘は、極寒の満州で亡くなった。330人の開拓団のうち、生きて日本に帰ったのは、わずか42人だった。昭和44年夏、山本は驚くべき事実を知る。中国で死んだと聞かされていた娘の啓江は、中国人に預けてきた、生きているかもしれないというのである。山本は、一人、中国に残された娘を捜し始めた。 孤軍奮闘する山本の周りには、同じ思いの32人が集まった。『日中友好手をつなぐ会』の誕生だった。しかし、時の中国は文化大革命の真っ只中。孤児たちと自由に連絡を取り合うことも出来なかった。しかし、会のメンバーたちは、執念で孤児捜しへの闘いを続けていく。そして、その執念は、最後、感動の奇跡を呼び込むことになった。
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1.0日本を代表する名刹・薬師寺。その中心にそびえる金堂は、400年前に消失したものを復元した、昭和最大の木造建築物である。実に5年の歳月をかけ、昭和51年に完成した。 僅かな資料をもとに、400年前の姿を復元するというこの難工事。その総指揮を執ったのが、「鬼」と恐れられた日本一の宮大工、西岡常一である。 この西岡のもとで工事に当たったのが、青森から九州まで、全国から集まった37人の大工たち。しかし、その多くが民家の仕事しか経験がなかった若い大工たちだった。 西岡には宮大工の仕事を通じて培ったある哲学があった。 「木には強い木と弱い木がある。しかし、強い木だけではいい建物は建たない。大工も同じだ。腕のいい大工も出来ない大工も必要なのだ。それをまとめていくのが棟梁の仕事だ。」 西岡は経験のない若手たちに、一つ一つ役割を与え、黄金の堂をよみがえらせていく。そして、最後の難関、大屋根の建造では、もっとも重要な「隅木」の製作を、若手の中でもっとも不器用だった一人の若手に任せた。若手は、見事な仕事で西岡に答えた。 日本古来の伝統技術の復活を目指し、金堂再建に挑んだ男たちのドラマを描く。
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5.0全国で「校内暴力」の嵐が吹き荒れていた昭和49年春。京都一「荒れた」高校、伏見工業に一人の新任教師が着任した。山口良治、31歳。かつてラクビーの日本代表キッカーとして活躍した山口は、ラグビー部の指導に情熱を燃やしていた。しかし、伏見工業の荒廃ぶりは想像を超えていた。校舎の中をバイクが走り回り、授業中はみなトランプや麻雀をしていた。教師たちも見て見ぬふりをしていた。 最初の職員会議で山口はなきながら訴えた。「それでも、あなた達は教師ですか」 会議の後、校長と二人の若手教師が山口を追ってきて言った。「山口君。一緒に学校をたて直してくれ」。こうして熱血教師たちの取り組みが始まった。 子供たちを立ち直させるためには、母校に「誇り」を持たせることが必要だった。そのためには不良の巣窟、ラグビー部を鍛え直し、全国大会に出ることを目標とする。 初の公式戦は、強豪・花園高校を相手に「112対0」で歴史的大敗。その屈辱をバネに、プロジェクトの闘いは始まった。泣きながら、身体ごと不良たちにぶつかっていく山口は「泣き虫先生」と呼ばれるようになっていった。そして、子供たちも次第に心を開き、全国優勝への夢に向かって突き進んでいく・・・。 今も教育界に語り継がれる、伝説の物語を描く。
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-昭和57年以来、販売シェアの全国一をキープし続けるコシヒカリ。日本一うまいと言われる米である。その作付け面積は、今や日本の全水田の3分の1を占める。戦後まもなく、福井の農業試験場で開発されたコシヒカリは、「越南17号」と名付けられた試験品種だった。味はうまいものの、肥料の管理などが面 倒で、「増産」が至上命題だった当時は、全く相手にされない米だった。その「越南17号」に目を留めたのが、新潟県長岡農業試験場の職員、杉谷文之40歳。杉谷は土地のやせた新潟の農業を救う「うまい米」を探していた。しかし、期待の越南17号は、刈り入れの直前、生育のしすぎでバタバタと倒れていった。杉谷たちは、過剰な生育を押さえるために、肥料の与え方で対処しようと試行錯誤を重ねる。この米に、一人の若い農家が着目する。やせた土地に苦しんでいた魚沼地区の小林正利だった。小林は、村を救うのはこの米しかないとプロジェクトに加わる。このうえなく痩せていた魚沼の土地は、偶然にも「越南17号」には最適の土地で、以後、魚沼は、この米の開発に地域の存亡を賭けるまでになった。 貧村を救おうと研究に打ち込んだ研究者と、地元農民の心の交流を軸に、日本一の米、コシヒカリ誕生のドラマを描く。
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4.0日本ラグビー史上、前人未到の7連覇を達成した伝説のチーム、新日鐵釜石ラグビー部。彼らは大卒中心の社会人ラグビー界にあって、地元出身の高卒選手を中心とした「雑草集団」だった。 チームが生まれたのは昭和35年。部員は、ずぶの素人の鉄鋼マンばかりだった。しかし、仕事をこなしながらトレーニングを続け、やがて、全国大会に出るまでになった。 そんな鉄の男たちを、突然の不況が襲う。部員がリストラされ、部は存続の危機を迎えた。その時、一人の男が立ち上がった。市口順亮(よしあき)。本社から赴任したエリート技術者だった。 市口は、釜石の町の暗い雰囲気に驚いていた。沈みきった繁華街、士気の下がった社員。熱血漢、市口は監督に就任、ラグビーで町を盛り上げようと動き出す。 市口はイギリスの本を自ら翻訳し、部員に最先端のラグビー理論を教え始めた。しかし、市口の指導に高卒の部員達は反発した。過酷な現場での仕事を終えた後の厳しい練習、退部するものも相次いだ。「所詮監督はエリート。俺たちの気持ちはわからない。」市口はそんな部員達をグランドで殴り合いをしながら議論、家に呼んで「釜石から日本一のチームを作ろう」と語りあう。 そんな折り、「釜石の製鉄所が合併される」という衝撃的なニュースが飛び込んでくる。市口は会社の上層部から告げられた。「ラグビー部は同じ会社に2つもいらない」ラグビー部は、勝たなければ廃部という瀬戸際に追い込まれる。 背水の陣で臨んだ社会人選手権。釜石ラグビーは快進撃を続けた。そして、日本一をかけ、名門・早稲田大学ラグビー部との試合を迎える。会場に駆けつけた大勢の市民。「廃部か存続か」。運命の試合は、劇的な結末を迎える。 故郷を愛し、共に生きた鉄鋼マンたちの不屈のドラマを描く。
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-昭和42年、大阪の北千里駅に、一台の機械が設置された。 「自動改札機」──いまや日本全国に行き渡った夢の機械の第1号機である。 膨大な情報を磁気で記録し、それを一瞬で読みとる。その技術は、ラッシュの混雑を劇的に緩和しただけでなく、銀行の自動支払機CDやATMの元となる画期的なものだった。 高度経済成長下の昭和30年代、人口集中に伴い、鉄道の混雑が大きな社会問題になっていた。ダイヤの乱れ、ホームからの転落事故などが多発。鉄道会社は、各メーカーに自動改札機の開発を打診した。 「不可能だ」と各社が後込みする中、手を挙げたのが立石電機(現オムロン)だった。社長の立石一真(67)は、極貧の中で妻を亡くし、7人の子供を育て上げた苦労人。以来「人の役に立つ機械の開発」をモットーにしてきた立石は、採算度外視の開発を決意。「立石電機7人の侍」と呼ばれた若手技術者を集め、開発に当たらせた。 人の流れを止めないためには、1分間に80人の切符を処理しなければならない。更に、大人と子供の区別 、男女の区別、不正な券の発見、荷物と人との判別など、膨大な磁気処理が必要だった。若手技術者の一人、田中寿雄(27)は、試作機を作っては、近所の主婦や子供たちを集め、試行錯誤を重ねた。 それらの課題を解決した矢先、さらなる難題が襲いかかる。それは、濡れたり折れたりして、磁気が乱れた切符の判別 だった。若手技術者たちは、一からの開発を迫られることになった……。 完成までに6年を費やし、磁気の技術に革命を起こした自動改札機の壮絶な開発物語を描く。
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-昭和63年、18年の歳月を経て完成した「瀬戸大橋」。1000メートルを超える橋の上を列車が行き来するという世界でも例のない巨大橋である。未曾有の巨大橋建設のきっかけとなったのは、昭和30年に起きた悲劇の事故だった。修学旅行中の子供達100人が瀬戸内海に消えた紫雲丸の沈没事故。「瀬戸内海に橋をかけてほしい」四国各地から切実な声が巻き起こった。 瀬戸大橋建設に挑んだのが、「不可能を可能にする男」と呼ばれた、天才技術者・杉田秀夫だった。猛烈な速さで潮の流れる瀬戸内海に、どうすれば巨大な橋台を建設できるのか。杉田は、前代未聞のこの難問に、果 敢に立ち向かった。 一人の男が協力を申し出た。瀬戸内海のことなら何でも知り尽くしている男、ダイバーの飯島靖郎だった。飯島は、昭和30年、紫雲丸事故の遺体引き上げ作業に携わっていた。相次ぐ実験失敗、石油ショックによる着工凍結。様々な困難を乗り越え、技術者たちは、瀬戸大橋の建設工事を成し遂げていく。番組では、技術者たちの心の交流を織り交ぜながら、瀬戸大橋架橋の最大の難関であった海中基礎工事にかけた男達の物語を描いていく。
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-昭和30年代、日本は登山ブームを迎え、山での遭難事故が増え始めた。昭和38年、後にサンパチ豪雪と呼ばれるドカ雪で、北アルプス薬師岳を登山中の愛知大学山岳部13人が全員死亡。前代未聞の大量遭難となった。この事故で、救助チームの隊長を務めたのは富山県警上市署の鑑識係、伊藤忠夫40歳。伊藤はかつて最愛の弟を山で亡くしていた。昭和40年、伊藤を指揮官とする山岳警備隊が発足。しかし県内の警察署から集められた隊員達は、山歩きの経験が無い素人集団。伊藤は助っ人を頼もうと、北アルプス麓の集落、あしくらじ芦峅寺を訪ねた。黒部ダム建設の際、資材を運搬。第一次南極観測隊にも選ばれた山のエキスパート達が住んでいた。隊員は、あしくらじ芦峅寺の男達に山登りの技術を学んだ。昭和44年正月、剣岳を記録的なドカ雪が襲った。15パーティー81人、史上空前の大量遭難が発生。山岳警備隊はあしくらじ芦峅寺の男達に応援を頼み、山頂付近にいた金沢大学山岳部17人の救助に向かった。しかし猛吹雪の中、先頭を切っていたベテランガイドが谷に転落。あしくらじ芦峅寺の男達は仲間を救出、山を降りた。後には、3人の若き警備隊員が残された。「今こそ厳しい訓練の成果を見せる」遭難者が待つ山頂に、足を踏み出した。生死をかけ、山岳救助に挑んだ若者達の熱きドラマを描く。
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-1986年11月21日、伊豆大島の三原山が大噴火。流れ出た溶岩がゆっくりと住宅地区に迫り始めていた。島内4地区に散らばる一万人の島民をどう脱出させるのか、町役場では関係者の知恵を寄せ集めた急造の対策プロジェクトが動き出した。 島民を輸送するバス・船会社、避難を誘導する消防団、無線網を握り溶岩を監視する警察…家族を心配しながらも、男たちは自分たちの職分を尽くそうと立ち上がった。東京電力の出張所では、発電機を回し、夜間の避難と防災活動を支えるため、3人の職員が島に留まらざるを得なくなった。勤務していた職員は6人、すべてが幼い子持ち。しかし、まず、自分が残ることを決めた所長が「あと2人頼めるか」と涙ながらに聞いたとき、すべての男たちが静かに手を挙げた。 夕方から早暁にかけての13時間、一人の犠牲者もなくパニックを起こさずに島外脱出ができたことは、奇跡といわれた。自分をおいて島民全てのために動いた男たち。島民たちの結束力の強さに裏付けられたその13時間のドラマを描く。
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-「東京―大阪3時間への可能性」。昭和32年5月、国電の車内に張り出された講演会の吊り広告が、戦後日本最大のプロジェクト「新幹線」建造の道を開くことになった。 この講演会は、国鉄鉄道技術研究所にいた旧陸海軍出身の技術者たちが中心となって企画したものであった。中心人物の一人、三木忠直は戦時中、爆撃機の設計を行っていた航空技術者。人の命を奪うための技術開発に心を痛めていた三木は、戦後、「人の役に立つものを作りたい」と鉄道技術研究所に入所。「飛行機」の理論を「鉄道」に持ち込み、「夢の超特急」を設計する。この計画は、当初国鉄内部では「非現実的」と受け入れられなかったが、講演会の発表が世論を動かし、翌年、新幹線プロジェクトが動き出す。 流線型の車体、振動を吸収する新型の台車、ATC(自動列車制御装置)…。旧陸海軍出身の技術者は次々に新しい技術を開発し、昭和38年、新幹線は、世界最高速度256km/hを記録。新幹線は世界に日本の技術の高さを見せつけると同時に、欧米の鉄道界をも劇的に変えていく。 戦争の負の記憶を心に秘めながら、戦後、「新幹線」に第2の人生を賭けた技術者たちの姿を描く。
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-一度しかないこの瞬間を記録に残したい、その素朴な願いを叶えたAFカメラ。 シャッターを押すだけで自動的にピントを合わせてくれるAFカメラは、かつて世界中の技術者から「夢のカメラ」といわれてきた。この夢のカメラを商品化を、世界で初めて成功させたのは、小西六(現コニカ)の若き技術者たちだった。 昭和38年、AFカメラの開発は、たった一人の電気技術者・百瀬治彦の情熱から始まった。シャッターを切る僅か0,1秒の間に、被写 体までの距離を電気信号によって瞬時に読みとりピントの合う所にレンズを作動させるというAFカメラへの挑戦は、地道で気の遠くなるような技術の積み重ねを必要とした。思うように成果 を上げられない。百瀬への社内の目は厳しかった。次第に研究費は削りとられた。しかし百瀬は決して諦めようとはしなかった。 百瀬の粘りを認め陰で支えていたのはカメラ開発部リーダーの内田康男。内田の援助によって、AFの研究は上層部には秘密の「闇研究」で続けられたきた。 完成まで14年、激しい開発競争の中で、みごと世界初の栄光を手にした技術者たちの執念と、陰で支え続けた家族のドラマを描く。
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-レーザー光線。その強力な出力から「殺人光線」と呼ばれた技術を医療に用い「神の指先」と言わしめたレーザーメスを開発した男たちがいた。立ち上がったのは脳外科医、滝澤利明。昭和40年代、脳外科では摘出困難な腫瘍や出血に悩まされ、余命宣告せざるを得ないこともしばしばだった。「レーザーを照射すれば正確に患部が切れ、しかも一瞬で血管が塞がり出血がない」ことを自ら動物実験で確認した滝澤は、小さな町工場とともに開発に乗り出した。町工場のメンバーは全員が手に火傷を負いながら開発に取り組んだ。しかし当時まるで「巨大な大砲」だったレーザー発射装置を手術室に出し入れできるほどコンパクトにし、直進するレーザー光線を医師の手元まで送り、自在に照射することは至難の業だった。しかも開発から3年後、町工場は倒産。技術者達は妻子を実家に帰し、債権者から身を隠しながら開発を続けた。昭和50年、様々な困難を乗り越え、ついにレーザーメスが完成した。残るは医療機器として当時の厚生省から認可を得るための臨床例が必要だった。昭和54年、滝澤は悪性の脳腫瘍を患い余命1年と宣告された8歳になる女の子の手術に成功。翌年、レーザーメスの製造が正式に認可された。一人でも多くの命を救いたいと願う脳外科医と町工場の技術者達の執念のドラマを描く。
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3.0携帯電話、デジタルカメラ、カーナビゲーション。日本が世界をリードする多くの製品を動かす基本ソフトがある。トロン。世界で最も使われている基本ソフトの一つである。昭和59年、トロンを考案したのは一人の日本人学者だった。東京大学の坂村健。パソコンから家電まであらゆるもの動かせるよう設計した。「基本ソフトは情報化社会の基盤。空気や水と同じ」と考えた坂村は、トロンの仕様書をなんと全世界のメーカーに無料で公開。たちまち内外140社が集まりプロジェクトが結成された。大手メーカーは次々とトロンで動くパソコンを試作。誰でも簡単に使える分かり易さと軽快な動きで評判となった。しかし、平成元年、そこに超大国アメリカが立ちはだかった。日本に対し、小中学校で使うパソコンの規格をトロンに決めるなと迫ってきたのである。自動車やVTRで日本に圧倒され巨額の貿易赤字を抱えたアメリカは、輸入制限や報復関税の制裁措置をちらつかせていた。メーカーは次々とトロン・パソコンから撤退を余儀なくされた。まもなく世界市場を制したのはウィンドウズだった。パソコンの心臓部を握られた日本メーカーの利益率は低下し、基本ソフトを持たない弱さを痛感させられる。窮地に追い込まれたトロン・プロジェクト。しかし、坂村と技術者たちは諦めなかった。「もの作りには自由に改良できる自前の基本ソフトが欠かせない」と各地で技術者たちに訴え、トロンのバージョン・アップを重ねた。逆境の中で技術立国のもの作りの将来のために闘い続けるメンバーの情熱は、革命的な新商品との運命的な出会いを呼び込んでいく。日本発信の世界的基本ソフト・トロン。育て上げた男たちの執念の逆転劇を描く。
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-昭和35年、奥飛騨山中で敢行された大木の移植工事に世界中の植物学者の注目が集まった。大木はエドヒガン。繊細で幹が傷ついただけで枯れてしまう老桜。その移植は世界でも例がなかった。「絶対不可能」と囁かれた世紀の工事をやり遂げたのはダムに沈む村を思う男たちの執念だった。 合掌造りで名高い白川郷の近隣、岐阜県荘川村に、かつてその桜はあった。樹齢400年、高さ20メートルの大木。春は村人総出の花見。子供たちは桜吹雪の中で 入学式を迎えた。しかし、42年前、衝撃的な知らせが飛び込んできた。ダムの建設が決定。村は水底に沈むことになったのである。村人たちは桜の木にすがって泣いた。しかし一人あきらめられない男がいた。 高碕達之助。ダムの開発責任者。かつて満州で事業を立ち上げた高碕は敗戦で従業員の故郷を喪失させたと14年にわたり苦しみ続けていた。高碕は桜を見上げる村人を見て思った。「桜を別の場所に移して故郷を残したい」しかし専門家は冷ややかだった。「桜切る馬鹿。梅切らぬ馬鹿」桜の老木は少しでも 根や枝を傷つけただけで枯れる。移植に耐えられるはずがない、というのである。 その時、意外な助っ人が現れた。豊橋の植木職人・丹羽政光(にわまさみつ)。丹羽は弟子の植木職人たちと前代未聞の「桜移植プロジェクト」を立ち上げる。ダムに水をため始めた昭和35年11月15日、世紀の移植工事が始まった。移植先は600メートル離れた国道沿い。運搬はダム工事で使われていた最新鋭のブルドーザー。植木職人、ダム従業員総出の作業が続いた。 日本人にとって特別な花「桜」の移植工事を成し遂げた人々の奇跡の物語を描く。
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-昭和34年、信州の人口6000人の小さな村・八千穂村で、日本の医療を変えた画期的な試みが始まった。全住民を対象にした「集団検診」である。 高度成長に向かう日本の中で、農村医療は取り残されていた。過酷な暮らしで、脳卒中や結核が絶えなかった山間の村々。しかし、現金収入のない農民たちは「病気は恥だ」と我慢した。医者にかかるのは手遅れになってから。死亡診断書を書いてもらうためだった。 「農民たちを救いたい。」立ち上がった一人の医師がいた。佐久病院院長・若月俊一。信州の赤ひげと呼ばれた男だった。新米医師や看護婦、そして村人の代表も集まった。 「手遅れの患者を減らすには、病気を未然に防ぐことが必要だ。」若月たちが始めたのは、前代未聞の「全村集団検診」。農閑期の冬、医師たちは集落の公民館を回った。 しかし、幾多の困難が待ち受けていた。問診で衣食住を聞かれることに、村人は抵抗した。村議会でも不要論が出た。医師たちは、皆に足を運んでもらえるよう、手作りの芝居を上演した。検診会場で高血圧を減らすための味噌汁も作って見せた。 やがて集団検診がきっかけで、一人の糖尿病の男性の命が救われ、人々の見る目が変わった。昭和41年、ついに八千穂村の一人あたりの医療費は全国平均を大きく下回った。集団検診はその後全国に広まってゆく。 医師たちの熱い思いと、農民たちとの交流を通して、農村医療の基礎を作った姿を描く。
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5.010年に及ぶ内戦が続いたカンボジア。世界遺産アンコールワットは、無残に破壊、放置された。35人いた遺跡保存官はポルポト派によって虐殺され、生き残ったのはわずか3人だった。アジアの宝は崩壊を待つばかりだった。 「亡くなった友のために、そして民族の誇りを取り戻すために、アンコールワットを修復したい。」生き残った保存官の一人、ピッ・ケオさんは、助けを日本の友に求めた。その男は戦前、カンボジアの技術者と共に、アンコールで修復に汗を流した鹿児島大学の教授(現上智大)・石澤良昭だった。 「金だけの支援はしない。一から修復技術者を育て、彼らの手でアンコールワットを蘇らせる。」石澤は、アンコール遺跡国際調査団を組織し、「石の心を読む」といわれたベテラン石職人、小杉孝行の協力を得てカンボジアへ渡った。 集まった現地の若者は20人。しかし修復への道のりは、困難を極めた。「伝統的な石職人の技を全て伝えたい。」小杉は、日本と同様、厳しい修行を始めた。しかし、生活のためと割り切って働くカンボジアの若者達に、職人の心は伝わらなかった。重い石に負けない体力を付けさせようと米や肉を持たせても、家族に食べさせてしまう貧しさが立ちはだかった。「一人前の石職人になって欲しい。」時には、手が出るほどの厳しさに耐えられず、辞めていく者が相次いだ。「アンコールワットを作り上げた君たちの祖先の仕事はいかにすごいか。」団長の石澤は、歴史を知らない若者達に必死に説き、懸命に皆をまとめた。 7年に及ぶ修行期間が終わり、今年ようやく本格的な修復作業に入ったアンコールワットの西参道。日本人とカンボジア人が、激しくぶつかり合う中で心を通わせ、一人前の石職人が誕生するまでのドラマを描く。
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-今や日本のトイレのほぼ2軒に1軒の割合で設置されている「温水洗浄便座」。心地よいお湯でお尻を洗い温風で乾かす。古来「ご不浄」と呼ばれ、不潔の代名詞だったトイレのイメージを、「快適」で「清潔」な空間へと変えた革命的な製品である。清潔志向の高まりから、不況の中でも売り上げを伸ばすヒット商品でもある。その開発の影には、ひたむきにトイレと向き合い続けた技術者たちの姿があった。 昭和36年、北九州の街に降り立った男がいた。本村久。早稲田大学理工学部を卒業、就職したのは東洋陶器(現TOTO)。戦前から続く国内最大手のトイレメーカーだった。 折からの建築ブームの波に乗る住宅産業界。しかし、当時、まだ下水道整備が行き届いていない日本のトイレは「不浄なもの」の代名詞。水洗トイレの金具を設計する部署に配属された本村も、その技術を甘く見ていた。 しかしある日、本村は上司から一喝される。「トイレは人々の暮らしを豊かにする商品だ。ひとつひとつの商品に魂を打ち込め」。金具の鬼と言われた杉原との出会いによって、本村は技術者の誇りに目覚める。 その矢先だった。二度のオイルショックの波が会社に襲いかかる。「新しい柱となる商品を開発せよ」。本村たち若手技術者に社運を賭けた指令が下る。任されたのは、痔の患者などの医療用に細々と売られていた「洗浄便座」。これを一般向けに全て設計し直し、新しい需要を掘り起こす。 その開発は困難を極めた。人にとって心地よいお湯の温度は何度か。汚れを完全に落とすには水は何リットル必要なのか。男達は自ら実験台となり試作を繰り返す。さらに、微妙な温度を制御するには最新式の電子回路技術が必要だった。しかし、感電の可能性のある電子回路の使用は危険な賭けだった。 そして運命の発売日。「トイレ」「おしり」の文字は当時のメディアでは「タブー」。宣伝もままならないなか、営業マンたちは全国を走り回った。さらに、追い打ちをかけるように殺到したクレームの嵐。プロジェクトは夜を徹して商品の改良に当たる。そして温水洗浄便座「ウォシュレット」が完成。男達は一人の天才コピーライターとともに誇りをかけた、一か八かの大勝負に打って出た。 数々の困難を克服し、「不潔なトイレ」のイメージを覆した「トイレ革命」を成し遂げた男たちの逆転のドラマを描く。
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-日本語。48字のひらがなと5万もの漢字がおりなす世界に冠たる美しい言葉。しかし戦後、日本語はその複雑さゆえ、経済復興の足かせとなった。 昭和40年代、高度成長期の日本は企業間の取引が増大。サラリーマン達は契約書の作成に追われていた。欧米の企業は26文字のアルファベットを駆使、誰もがタイプライターで契約書を作った。一方、日本では数少ない和文タイピストに依頼するしかなかった。誤字があれば、また打ち直し。公の文書を作るコストは、欧米の3倍と言われた。「誰もが使える日本語ワードプロセッサー、ワープロを作ろう」立ち上がったのは、東芝の若き技術者と、どん底にあえいだ工場の男達。ひらがなを漢字に変換する、不可能と言われた技術に挑んだ。しかし、日本語の壁が立ちはだかった。 同音異義語、同じ発音の言葉を機械は区別できない。「貴社の記者は汽車で帰社する」どうやったら正しく変換できるのか。また、変換するのに20秒以上かかる言葉もあった。そして突然、商品化を決定する事業部長から開発中止命令が下った。 絶体絶命に陥ったプロジェクトは、一度限りのワープロの性能テストに全てをかけた。リーダーの森は、機械の操作を一人の女性に託した。タイピストではなく、総務の事務員。「素人でも使えなければ意味が無い」大ばくちに出た。 累計3千万台を売り上げ、国民的商品となったワープロの執念の開発物語を描く。
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-クラブホステスが殺害され、夫が殺人容疑で逮捕された。しかしその後、次々に容疑者が現れ!?犯人は一体誰なのか?そして、夫を信じる妻の本音は…? ※本作品は、他コンテンツに収録されている場合がございます。重複購入にご注意ください。
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-不倫の末、恋も仕事も失った詩織は、傷心のまま一人旅で訪れた島で、島唄の唄い手・孝介と出会う。誰もいない夜の森で、詩織は孝介に体も心も甘く激しく解放されて…。
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1.0人類初の有人宇宙飛行を競うソビエト連邦(ロシア)とアメリカ。ソ連は空軍から20名を厳選し”最初の宇宙飛行士”にするための訓練を開始した。時代が求める英雄になる事を目指し集まった20名だが”最初の飛行士”になれるのはたった1人…!!
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3.7両親が離婚して1人暮らしをすることになった女子大生・六月一日すず(くさか・すず)。一人は気楽でいい、そんなふうにポジティブに考えるすず。大好きな小説家のイチジク先生に、心の中やSNSで話しかけたりしながら、やってみたかったことをたくさんやって楽しく生きていこうとする。でも、なぜかだんだんうまくご飯が食べられなくなり、寂しい気持ちが溜まってゆく。初めての一人。色んなコトをうまくやっていきたいのに、全然うまくいかない。そんな時、すずのことを気にかけてくれたのは、階下に住む大家さんの宮生九太(みやお・きゅうた)と小さな弟・十和だった。すずに何かを押しつけたりすることなく、ゆるやかに優しく見守ってくれる九太に、すずの心も段々ほぐれていって……。いじっぱりでさみしがりで頑張り屋な女子大生と、実はその正体はすずの憧れの小説家な大家さん(とその弟)が紡ぐ、優しく柔らかな再生のラブストーリー。「第1話:黒猫と目玉焼きパン」を収録。
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-姉1人、弟3人の4人姉弟だと思っていたら、なんと姉の京子は養女だった!!一緒に暮らすのは変だと家を出た京子だったが、姉大好きな弟たちが毎日やってきて、しかも今までよりなんだかエッチに迫ってくる~!?
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5.0車に轢かれ転生したのは、童話「シンデレラ」の世界! 生真面目でバリバリ仕事一筋だった私が生まれ変わったのは、シンデレラの義姉・ペトラ。美人なのにズボラ干物女な義妹を「シンデレラ」の筋書きどおり王子の元に嫁がせるべく、もう1人の姉と一生懸命に育成! しかしスパルタぶりを誤解した世間からは「意地悪な義姉達」と噂される日々…。 そんな苦難を乗り越え、無事に王子と結婚したシンデレラの姿を見届けて、物語はハッピーエンド!!…と思いきや、エリクと名乗る謎のスパダリに、舞踏会で「嫉妬のあまりシンデレラを虐げている」と不躾にも糾弾されて――!? 悪役&脇役の義姉がまさかの大逆転★人気異世界ファンタジー、待望のコミカライズ!!
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-ごはん×自然×しゃべる猫又!? 不器用な「とーちゃん」と元気いっぱいな猫又「ニイ」のおいしい日常がはじまります。 余生を田舎でくらす「朝野宗一郎」。 妻が亡き後、ひとり寂しくなるところに…なぜかしゃべる猫又が!? 「とーちゃん」と猫又「ニイ」の1人と1匹が おいしいものを作って食べる、ほのぼのスローライフ。 焼きたてパン・手作りのジャム・ふわふわのオムレツ・旬の野菜…… ―ふたりでいっしょに 「いたにゃきまぁす!」 ※1話「ぷろろーぐ」、2話「あしゃごはん」、【4コマ】ぽんする が収録されています。 ※この作品は、単行本とは一部異なる内容となっています。
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-「暗殺者のノアがいるとパーティに不利益な噂が流れるかもしれない」。そんな理由で、突然勇者パーティを追放されてしまったノア。孤独で辛い訓練の毎日の中で育ったノアにとって、勇者パーティの仲間たちはやっと見つけた信頼できる友達だと思っていた……。途方に暮れるノアの前に、幼馴染で王女のルビアが現れる…「私の護衛をしない?」。護衛としてノアを推薦するルビアに、国王はある条件を提示。それは、世界最強と言われる十二騎士の1人、トニーブラウンに模擬戦で勝利することだった。果たして、ノアはルビアの護衛になることができるのか――。
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