天童荒太のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ亡くなった人々の姿を思い、“悼む”旅を続ける青年のお話。前作(?)「悼む人」と違って本作は日記形式で綴られているので、主人公の思いがよりダイレクトに伝わってくるような気がします。
その日記は(ほとんど)毎日違った人を悼む内容になっていて、短い日記の中に死者一人一人の人生や、残された人たちの死者に対する思い、考えが詰まっています。それを日替わりで連続的に読み続けて行くと、畏敬の念に打たれたような気持ちになりました。なんというか…日々、多くの命が生まれ出る反面、失われて行く多くの命もあるということや、「無名」の人生にも記憶に残すべき何かがあるんじゃないかとか、自分の”今”はそうした命の積み重ねの上にあるんだろうとか… 普段考えないようなことをイロイロ思い巡らせられました。
本作は1月1日から6月30日分の日記が書かれていますが、7月1日から12月31日の日記を書く予定があるなら、早く読んでみたいですね。
巻末には作者が東日本大震災の被災地を訪ね、現地の人たちにインタビューした時の記録が掲載されています。自分も被災地を何度か訪れているのですが、そのときに遭遇した様々な出来事を思い出すと同時に、「膨大な数字の底には、一人一人の命のすがたがあり、歴史があり、彼や彼女らを愛している人々がいる」ことを改めて意識させられました。
いろんな意味で気持ちを引き締めさせられた作品でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ読後の常として、わたしは受賞の際の選評を読む。
この作品は山本周五郎賞受賞で、著名人の鋭い指摘がずらりと並んでいる。
いつもながら、その選評には深くうなずいてしまう言葉あり、
また首をかしげてしまう言葉もあり・・・といった具合なのだが、
しだいに、選評にひどく興ざめしてきてしまった。
選定委員の姿勢が間違っているとは思わない。
ただ本来、小説とは、主観的な好みで判断するものであって、
公に評価を下すことに無理があるものである――百も承知のそのことを、強く静かに訴え続ける力が、この作品にはみなぎっているから。
神様や仏様を比べてみたり、
その長所と短所をまじめな顔して討論する会があったら馬鹿げている。
それと同じ感覚だ。
この作品の前には、選定委員会という存在が下劣にすら感じてきて、
長年かかえてきた「形のないものに優劣をつけることへのむなしさ」を改めて痛感した。
さて、ネタバレ。
冒頭から難しい問題提起。
「ぼくは、いい悪いなんて話してません。善し悪しは、どうでもいいんです。金儲けと、暴力をふるうことが、この社会のほとんどすべてだと理解できたということです。・・・中略・・・こんな社会に自分をあわせたくない。なのに、生きるためには、合わすしかない、それがつらいんです。生活すれば、結果的に、知らないうちに誰かを犠牲にしたり、地球を壊したり、世界の誰かが殺されることに自分の税金が使われたりします。それが耐えられないんです」
日々、漠然と抱えている葛藤が、とても正確に理論化されている。
真正面からこういった問題をぶつけられたら、わたしはなにも答えられない。
時間を使って考えても、せいぜいその問題から逃げる理屈を組み立てることしかできないだろう。
そして自分が情けなくなるような記述が続く。
「ニュースは先進国から配信されるんだよ、ママ。だから先進国の被害は、五人でも五千人でも、ぼくたちは知ることができる。同情し、怒って、報復は仕方がないと思える。でもねママ、貧しい国にはカメラはない。大きい国に都合の悪い映像もカットされる。だから・・・中略・・・十万人、百万人と死んでも、ぼくらは涙を流せない。だって、テレビに映らないからね。わかる、ママ? いまは、テレビに映らない死者は、はじめから生きている人としても、存在しない時代なんだ。すごいペテンだと思わない?」
最後の2行が、効く。頭から離れない。
でも、でもさ、しょうがないじゃん・・・と情けないわたしの感情をもまた、この作品は代弁してくれる。
【自分なんてろくなものじゃない。もしも紛争地域に生まれていたら、とても生き延びていられない。・・・中略・・・でも、もしもそうした国に生まれていたら、いまのこんな想いをしないですんだんだろうか・・・・・・。
こっちに生きてることは、わたしの責任?】
そしてこう続く。
【知ってるよ、そんな言い訳めいたことを考えても、頭の上から爆弾が落ちてくるわけじゃない】
思うに、この作品はものすごく読み手の心に沿ってくれるのだろう。
見事にわたしの心を投影したような流れで、登場人物の感情が変化してゆく。
だからこちらも精一杯、彼らの悩みに応えなければと思う。
【祈るしかない。
・・・中略・・・
誰にも、苦しんでいる誰かを、一時的以上に救うことはできない】
多くの自己啓発タイプの小説は、傲慢さが鼻につくことがある。
その説が正しいことは分かるし、今後はその言葉を座右の銘にしたいかも、と思ったとしても、
どこか上から目線だったり、
逆に謙虚さを説く内容だとしつこいほどに、へりくだっていたりもする。
でもこの小説は、すべてにおいて押しつけがましくない。
これが天童荒太氏の訴えなんだ、という主張はよく伝わってくるが、
それを自分にどのくらし活かすかは、読み手に委ねられている。
そこがわたしは憧れてしまう。 -
Posted by ブクログ
平年より12日も早い梅雨の雨が降り濡つ中で、今日もどこかで静人は悼んでいるのか。
『なぜあんなことをしていたのでしょう…何が目的ですか…』 静人にも分からない答を蒔野や倖世が彼らなりに見い出すように、読者も自分なりに見い出すのだろう。
見い出すとすればその人なりにしか出し得ない答。他人に家の中を覗き込むような露悪な表現の中から生への静謐な感謝が湧き出てくる。
蒔野が亡き両親のことを『二人の善い面だけを考えていくと、自分の知る彼らの実像とは離れるが、二人が幼い頃にはまだ持っていたはずの〈無垢な魂〉に、ふれているような気がする』と語る時、巡子が高齢者の老人に対して『あの老人は寝ているだけの存在のようでいながら、老妻にいまも愛され、若い職員には感謝されている』と感じる時、2年前に逝った父のこと、年老いた母のことを思い起こす。
呆けた父の死に様も、看取った母の生き様も、意味あることであったことを知らされる。
父のようにはなるまいと思いながら生きてきて、しかし何だか同じように生きてきてしまったことに嘆息しながらも、この物語を読めば、この世に生かされ血の繋がりを紡いでいく一片としての自分の存在の重さを改めて知る。
そして、様々な愛や感謝が語られる時、一緒に生きる妻や子らとの暮らしの幸福に、私も感謝する。
巡子の鮮やかな彼岸への旅立ちかたに〈悼む人〉が私の中に残したものを思う。
『生きていた者が死んだとたん、数にされ、霊にされ……近しい者以外、どんな人物が生きていたかを忘れていくのに……この男は、死んだ者の生きていた時間に、新たな価値を与える。その人物が、この世に存在していたことを、ささやかに讃える』その意味を。 -
Posted by ブクログ
死者の出た事件現場を訪れては、その死を悼む青年 坂築静人は「悼む人」という異名で呼ばれるようになる。
人の不幸や死を、色と欲で塗り込めたエゲツない風俗記事にしている雑誌記者 蒔野、末期癌で余命宣告を受けた静人の母 巡子、理想の伴侶と信じた夫から自殺幇助を強要されて夫殺しをしてしまった女 倖世、三様の視点から痛む人を描いていく構成になっている。
読み終わっても静人の行為の真意は漠然としていて理解が難しい。しかし、悼む行為を理解することが本作品の真意ではない気がする。
どのように生きるのか、どのように死ぬのか、どのように人と関わるのか、といった死生観を考えさせられる作品だった。 -
Posted by ブクログ
配偶者の呼び方について、あらためて考えさせられた。主人、旦那、夫。奥さん、家内、妻。
自分たちが使うなら「夫」と「妻」が最も相応しいと思える。ただ、他人から「あなたの夫は?」「あなたの妻は?」と問われると、どこかしっくりこない。まさに、配偶者を指すための“ちょうどいい日本語”が存在しないという事実を突きつけられた気がした。
「男は男らしく」「女は女らしく」。
私自身も、そんな言葉を当たり前のように聞かされながら育ってきた世代。疑問を抱くこともなく、その価値観の中で生きてきた。しかし今は、性別だけでなく、家族の形、働き方、さらには人と機械の境界まで揺らぎ始めている。
これまで確かだと思っていた線引きが、少しずつ曖昧になり、溶け合い、変化していく。
この先、様々な境界線がさらに薄れ、融合し、いつかは「人」「機械」「動物」といった区分さえ意味を持たなくなるのかもしれない。
そんな未来を想像すると、不安と同時に、どこか解放されていくような気分にもなる。
今は、何が良く、何が正解なのかは、私には答えを出すことができない。もっともっと考える時間が必要だ。