菊地成孔のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレなんでこの本を「読みたい本リスト」に乗せたのか思い出せない。
サッカー本でも読みたい気分だったのか?
タイトルのフットボールとは、歌舞伎町の客引きたちの腕を、アメリカンフットボールの選手のようにひょいひょい躱してゴールする(ホテルに帰る)こと。
サッカーではありませんでした。
で、ジャズや映画や精神分析など、興味はあるけどまったく詳しくない分野の話は、とてつもなく難しかったのです。
言葉の意味は分かるのに、文章になると意味が読み取れない。
零れ落ちた意味をひとつひとつ拾い集めるように読むのは大変でしたが、面白くもありました。
そして、自分でつけた付箋すら、なぜそこに貼ったのかわからなくなると -
Posted by ブクログ
真・女神転生をやったことのある人はご存知かもしれないが
退行というものには二種類あって
すなわち、カオスへの退行と、秩序への退行である
東京オリンピック招致を決定したとき
石原慎太郎はこんなことを言った
「歌舞伎町を浄化する」
「あんな三国人だらけの街」
「世界じゅうのお客様に見せられますか」
そこから菊地成孔さんの退行が
限定的・抑制的にせよ、開始されたのかもしれない
歌舞伎町在住で、歌舞伎町をこよなく愛する彼が
いくら菊地秀行の弟だからって
「魔界都市じゃねんだぞ」
なんてことはさすがに言わないだろうけど
おそらくはその退行により
オリンピックがロクなことにならない未来を幻視した
それ -
Posted by ブクログ
この人ってやっぱ享楽主義者って感じがするなぁ。トランプ支持についても色々小難しくレトリックにレトリックを重ねて書いてるし、その件でSNS上に於いて紛うことなき現代的な炎上をしていたけど、結局「なんか面白そう」みたいな理由で支持してるに過ぎないんじゃないかと思うんだよね。2度目の東京オリンピックに批判的なのも「失敗したら面白いなぁ」みたいな、当事者意識のない好奇心からその立場を標榜しているんじゃねえかな。
とはいえ、文章自体はめちゃくちゃ面白い。好きだ。爆笑した記事もある。川島小鳥さんの表紙もめちゃくちゃ好きだ。部屋に飾っておきたい本。アイーン。 -
Posted by ブクログ
ワタシが愛聴しているラジオ番組『粋な夜電波』のパーソナリティであるジャズサックス奏者・菊地成孔氏が書いた一冊。
ラジオでは、歌舞伎町在住であるからこそ話せるようなWBO話(悪くてバカで面白いヤツらの話)が最高に面白い。そこで、そんなノリを期待して今回その著書に手を伸ばしてみたのだけれど、その結果は期待以上の面白さだった。ただ、それはWBOなノリが期待以上だったということではなくて、氏の深さ(教養、雑学、経験、など)と文筆家としての才能がよく分かったという意味で期待以上だった。本人曰く「書きとばした」ものばかりとのことで、音楽評、講義録(氏は私塾を開講していて、東大で講義を受け持った経験もある) -
Posted by ブクログ
新宿歌舞伎町のコントめいた話やあっけらかんと性的雰囲気に身を任せるラジオを聴いて、
面白い人だなぁと思ったので、読んでみた。
読みながらDCPRGやスパンクハッピーの音楽も聞いたが……
音楽面で好き! といえるのは、「Vendome,la sick KAISEKI」くらい。
あの曲は歌詞も雰囲気も歌っている姿も、すべてが衝撃だった。
(チャイナドレスの瞳ちゃんとスケベな中年親父のセクシュアルなデュエット。)
さてこの本は、上機嫌と饒舌とビザールと悪趣味と趣味とグルメとファッションと人形のような女の子があふれた、優れたエッセイ集だ。
決して文章が練られているわけではない。
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Posted by ブクログ
菊地さんの本はいつも現代思想書といて読んでいて、それは他の誰よりもジジェクよりも東浩紀よりも断然そうで、いくら学術的概念やジャーゴンは持ち出さないと言っても、デザイナーやミュージシャンの散りばめられたら名称が、それじたいシンボル化されてすでに凄まじい現代思想なのである。
ファッションショーという摩天楼の最上層にのみ存在する(らしい)幻想の世界の空流を埋めつくすサウンドと天使たちの歩行の関係とは何か。
これはやっぱり時間論でありエロス論である、ということは哲学史上の最重要課題への取り組みなのだ。
菊地さんを聴くたびに、読むたびに浮かんで来るのは夜の都会の曳光だ。これはやっぱり思想である。 -
Posted by ブクログ
菊地成孔に惹かれる理由の一つは、彼のように真っ向から受容し格闘しつつ生きることができなかった自分自身の"あの時代”への郷愁と悔恨のせいだ。わけのわからない憂鬱と焦燥に覆い尽くされたアドレセンス。わずかな救いは遅れて生まれてきたことを嘆きつつ前時代への憧憬に浸ることで、ジャズ喫茶と映画館がシェルターだった。したがって菊地のダブ・セクステット=マイルスの60年代、DCPRG=70年代という符牒が21世紀の妄迷にジャスト・ミートしてしまったのだろう。欲求不満の地点への退行、固着だ。
80年代のマイルスは不思議な機械装置のようだった。その裏返しがウイントンで、どちらにも興味が持てず古いR&a