バークリーメソッドとは、アメリカのバークリー音楽院で教えられている音楽理論。20世紀商業音楽の作曲、編曲に多大な影響を与えたと言われている。この本は、とにかく二人の講義内容、語り口が面白い。
『さて、商業音楽が発展する起爆剤っていうか、根本的なエネルギーは何か? それは今あるものに飽きるってことです。飽きなければ商業音楽は発展しません。えー、なぜソヴィエト映画はつまらないのか? 「飽きる」という市場原理をソヴィエト連邦が持たなかったからですね。誰も何も飽きない。という前提でソヴィエト連邦は国民に対する娯楽を国家が制作したわけですけれども、国民はそんなのにもう飽き飽きしながら、でも、「これは面白い!」と強制的に信じ込んで、飽き飽きしながらも楽しく観ていたという。えー、何言ってるんだかわかんなくなってきましたが(笑)、そんなことしているうちに国全体が潰れてしまいました(笑)。飽きる。飽きるので新しいことをしたくなる。皆さんもご存知な感覚ですね』(p.131)
『教養主義と近代っていう話についてもちゃんとやると本当に大変で、滅多なことは言えないんだけど。あの、要するに四つあるわけじゃない。「教養があるから、いい」、「教養があるから、ダメ」、「教養がないから、いい」、「教養がないから、ダメ」。これ四つとも嘘だからね。教養といい悪いはまったく何も関係なくて、教養のあるなしと、良し悪しはまったく関係ないってことは、すごく重要です。アート方面ではこういう問題を「アウトサイダー・アート」なんつって区分をつけたりしてるけど(…)無教養によって大胆になることはありますよね。で、教養によって臆病になることも起こるでしょ。んで、それぞれその逆もあると』(p.283-284)
(バークリーメソッドに対立する音楽理論、ジョージ・ラッセル著『リディアン・クロマチック・コンセプト』について)
『リディアン世界、リディアンを中心にして考えた世界においては、目的に到達しろっていう圧力がないから、抑圧がない。だから欲求不満がそもそも生まれない。すでに完成されている状態がまず設定されていて、人はそこで自由に運動できるっていう哲学が根本になっているんです。これはものすごい魅力的です。近代総体に対するアンチって言ってもいい。
近代っていうのは、われわれを欲求不満にして、欲望の発生装置を外部に求めて、街に出るとものが欲しくなって、家に引きこもると何もしたくなくなってしまう、っていうような(笑)、われわれを商業主義に飼いならされている家畜みたいにしてしまう側面を一面では持ってるのね。だから近代が悪いってわけじゃないよ。でもこれは近代の弱点でもあるし、悪い面と言われることも多い。それをこの本はズバッと突いています。欲望の無限循環を生み出すシステム、それが資本主義なんですけど、そんなんでいいの? とこの本は言っているわけです。
「反対にメジャー・スケールは『何かを成し遂げよう』と努力」する、と。「メジャー・スケールは常にその線上のどこかにたどり着こうとし、常に目標に到達し目標と一体になろうと努めています」。で、そんな発想ではダメだ、と。ここのつかみは強烈ですよね』(p315-316)
『完成しているから動かなくていい、ってなっちゃうと、それは非資本主義なんだけど、ま、非近代的にね、欲求不満も何もなく完全に満足された状態のまま、何かの違う事情によって、和声が進んだりメロディーが進んだりする、っていうのが、リディアン・クロマチックのコンセプトです』(p.317)