加賀乙彦のレビュー一覧
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河合:異教徒も殺してはいけないといった宗教はないでしょう。
加賀:ないんですよ。異教徒も殺してはいけないと言ったのは、世界中探しても、日本の平和憲法しかない。(中略)日本国憲法の「戦争の放棄」条項は、いろいろな国の人から「なんだ、これは」といわれる。
という対話が意外だった。異宗教は排除すべきという考え方が外国ではノーマルなんだ。日本人は差別はいけないともっともらしく言っているが、宗教だけは例外なんだということがわかった。
興味深かった話は、加賀乙彦さんの東京拘置所の医官の時の話で、メッカ殺人事件の死刑犯が、3年間で600通もの手紙をある人物に出していた内容と、母親が持っていた拘置所での日記 -
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『高山右近』
1.高山 右近(1552年 - 1615年)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、熱心なキリシタン大名でした。洗礼名はジュスト。
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2.生涯と信仰の試練
1564年に12歳で父と共にキリスト教に改宗。織田信長、豊臣秀吉に仕え、高槻城主を務めました。
しかし、1587年に秀吉がバテレン追放令を発布すると、信仰を守るために領地と財産を捨てて浪人となります。
これは当時の武士としては異例の決断でした。
その後、前田利家の庇護を受けましたが、1614年に江戸幕府がキリシタン禁教令を出したため、国外追放を命じられます。
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3.流浪と死 -
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キリシタン弾圧の時代、ローマで司祭となったペトロ岐部カスイの生涯。
1615年、キリシタン禁教により日本からマニラに渡ってからの、足跡がもうフィクションのように過酷で、驚きの連続でした。
この時代にラテン語を学び、異国の地で交渉して水夫になって船に乗せてもらったり、駱駝の隊商に雇ってもらって砂漠を超えたり、手に入れた地図を片手に1人でひたすら歩き続け、日本人で初めて聖地エルサレムを訪れることになります。
その後も信仰を深めるべく学び、祈り、ローマに辿り着いて司祭となり、再びリスボンからゴアまで嵐や疫病などの苦難の14ヶ月、ゴアからマニラ行きの船を待つのにさらに1年、オランダ船に襲撃され海に飛 -
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・加賀乙彦も留学中(仏)に、ひどく心を閉ざしていた時期があった
「自分がたった一人の黄色人種であることを突きつけられたような気がしてしまう。パリの医者のように外国人を小馬鹿にしたりしない朴訥で人のいい人物ばかりだと思っていた同僚たちとのあいだに、心底からは打ち解けられぬ冷ややかな者があるように感じられる。とにかく気持ちが沈んで、毎日が憂うつで、身体もだるくてしょうがないのです。・・・こうして留学までしたけれど、おまえは本当に犯罪学をやりたいのか?やがて、死を願う気持ちは次第に薄れて行きました。日本語の本を読み、日本語で考えるのを自分に許してからのことです。・・・ネイティブな言語という者がいかに -
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幸せとは幸せだと認識できること
自己の認識を変える以外に幸せになる方法はないと思う
今の自分が不幸だと思うとき、周りの環境や人がそう思わせているのであって、それが事実ではないということを認識しなければいけない
✏自分の苦悩にばかりアンテナを向けていると、どんどん視野が狭くなり、客観性も失われていく。自分が誰よりも不幸に思えてきて、周囲の人が抱えている痛みに鈍感になり、人間関係にも悪影響を及ぼしかねない。
✏真に悩む、悩み抜くとは、自分の苦悩を材料に考え抜くということ。普段から何か問題が起きたときに、その遠因と近因を多角的、客観的に分析し、今の自分にできる対策は何かと考える習慣のある人は、 -
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小説家・精神科医・キリスト教徒である著者が生と死について説いている
人の行動原理を心理学だけで説明することはできないという点は同意
著者はその根底には魂があると述べていたけど、私は実存主義寄り(?)なのでそれだけでは弱いと感じた
どんな現象も分子生物学的に説明できるはずだとどこかで思っている節がある
だが実際にそんなことは不可能であることも理解はしていて、それを補う(という言い方は違うかもしれないけど)うえで宗教という存在は必要なのかもしれないと本書を通して感じた
著者はキリスト教徒の立場から宗教の必要性を説いていたが、フラットな感情で書こうと努めている様子が伝わってきたのが良かった
個人 -
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ネタバレ■死刑囚が犯罪に至った経緯を、生い立ちを含めて生々しく聞き取ったドキュメント…ではなく、死刑囚の精神状態をちょっと突き放すくらいの距離感で淡々と観察するレポートです。ですが、初期は若さ?ゆえなのか、まだ突き放しきれてない感じ。嘘で固めて世界を構築しちゃってる死刑囚にまんまと呑み込まれて、それに気づいて憮然としてる記述は、ちょっと面白い。
■著者は最後に死刑に反対だと、さらっと結論づけています。私は死刑反対論者ではないのですが、読み終えて、ちょっと心が動きました。死刑囚は、みんな自分が犯した罪や傷つけた人と対峙はしてない。心穏やかに死んでいく死刑囚すら。ある者は突然圧縮された生に怯え、ある者はそ -
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時は、安保闘争から学園紛争へ移り、アングラや全共闘、家族の断絶など戦後復興から高度成長へ入っていく。高度成長は経済のみならず、戦後の焼け跡に我先に石を積み上げるように敗戦による価値観の喪失からさまざまな価値観の鬩ぎ合いの奔流の時代を向かえ、文化的対立や創世、成熟となっていく。
透と夏江の娘の火之子の出生の秘密が明らかとなり、透と火之子の仲に溝が深まっていく。火之子はアングラ劇団の一員となり行方知れず。
悠太は学園紛争の中、当時の言葉で言えばノンポリでモラトリアム世代的な雰囲気を持っている。小説的にはおもしろくないキャラなのだが、一応主人公のよう。しかし、それが関わる人間のキャラクターを強烈な -
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ちょっとしたきっかけで邪悪な考え方が頭に浮かぶ。ちょっとしたはずみでその考え方を行動にうつしてしまう。そして不運が重なってその行動がとんでもない結果を生み出してしまう。こうしたプロセスは程度の差はあれ、誰でも関わったことがあるのではないだろうか。考えだけで終わることもあり、行動してしまったがなんとか深刻な結果だけは免れたこともあったり。犯罪者や自傷行為者はこうしたプロセスの延長線上にあり、知性を持ってしまった人間であれば常にそうした危険にさらされているのである。著者の加賀さんは拘置所で医務技官を努めた後、文学的な執筆活動を続けている。本書は人間を狂気に走らせるきっかけになる、いわゆる「魔が差