加賀乙彦のレビュー一覧
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精神科医であり、作家である著者の文章は読みやすく、取り扱う内容も非日常的で引き込まれる内容でした。17時台のニュース番組の特集を見ているような感覚でした。
死刑囚がどういう精神状態で日常を送っているのか、さまざまな死刑囚と面談した著者がタイプ別にまとめており、非常に興味深かったです。
死刑囚は濃縮された時間を過ごしているため、躁状態になる人が多く、一方で無期懲役囚は希薄な時間を過ごすことから無気力な傾向にあるという部分に、「なるほどなぁ」と妙に納得してしまいました。死ぬことは決まっていて、その死が近くにあるか遠くにあるか、その違いが囚人の性格に影響を与えるという点に人間の動物的本能を感じ、興味深かったです。
たまたまですが、作中にドストエフスキーの名前が何度も登場し、最近『カラマーゾフの兄弟』を読み終えた身としては、その偶然性に驚きました。ドストエフスキーも死刑囚として、留置されていたことがあるとは知りませんでした。 -
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河合:異教徒も殺してはいけないといった宗教はないでしょう。
加賀:ないんですよ。異教徒も殺してはいけないと言ったのは、世界中探しても、日本の平和憲法しかない。(中略)日本国憲法の「戦争の放棄」条項は、いろいろな国の人から「なんだ、これは」といわれる。
という対話が意外だった。異宗教は排除すべきという考え方が外国ではノーマルなんだ。日本人は差別はいけないともっともらしく言っているが、宗教だけは例外なんだということがわかった。
興味深かった話は、加賀乙彦さんの東京拘置所の医官の時の話で、メッカ殺人事件の死刑犯が、3年間で600通もの手紙をある人物に出していた内容と、母親が持っていた拘置所での日記の内容と、拘置所で面談した時の加賀さんとの会話が、三種三様で全く食い違っていると言う話。
加賀:「(日記には)行いすました第一の彼でもなければ、しなやかな第二の彼でもなくて、獄中で悩み、もがき、苦しんだ、惨惰たる人間の姿だったのです。自分の信仰に疑いをもち、しょっちゅう神を呪い、ときには神父の悪口も書いてありす。私は一人の人間にこの三つの側面を見たときに、すっかり自信を喪失しました。人間というものはとてもわからない、いくらわかろうとしてもも、まだわからない面がある。それほど、人間の心というのは広く、大きく、多くの側面をもっているんだと思い知らされました。」
この人物は悪人として有名になってしまったが、犯行時24歳の慶大卒の、この人物像を考えるに、相当な秀才で純粋な人物であったことが伺えることから、道徳的に踏み外していなければ、それ相応の名をあげた人物だったのではないか、と思いました。 -
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『高山右近』
1.高山 右近(1552年 - 1615年)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、熱心なキリシタン大名でした。洗礼名はジュスト。
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2.生涯と信仰の試練
1564年に12歳で父と共にキリスト教に改宗。織田信長、豊臣秀吉に仕え、高槻城主を務めました。
しかし、1587年に秀吉がバテレン追放令を発布すると、信仰を守るために領地と財産を捨てて浪人となります。
これは当時の武士としては異例の決断でした。
その後、前田利家の庇護を受けましたが、1614年に江戸幕府がキリシタン禁教令を出したため、国外追放を命じられます。
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3.流浪と死
1614年11月、家族や同志と共に長崎からマニラへ渡航。しかし、過酷な航海と高齢が重なり、翌1615年2月3日にマニラで病没しました。彼の死は、現地の人々によって深く悼まれました。
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4.信仰が熱かった理由
高山右近の信仰が篤かったのは、単なる信仰心ではなく、信念を貫く強さと清貧の思想にありました。
彼は武士の「潔さ」をキリスト教の「愛」と融合させ、地位や財産よりも信仰を選びました。この揺るぎない生き方は、後世の人々に大きな影響を与えています。
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5.書籍を読んでの感想
高山右近の生涯を描いた書籍を読むと、権力や財産を捨ててまで信念を貫いた彼の人間像に心を打たれます。
彼の生き方は、**「信仰の力」と「信念を貫く生き方」**の模範として、現代にも通じる普遍的なメッセージを持っています。
彼の人生は、歴史上の出来事としてだけでなく、人間としての生き方を問い直す深い物語として胸に響きます。
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キリシタン弾圧の時代、ローマで司祭となったペトロ岐部カスイの生涯。
1615年、キリシタン禁教により日本からマニラに渡ってからの、足跡がもうフィクションのように過酷で、驚きの連続でした。
この時代にラテン語を学び、異国の地で交渉して水夫になって船に乗せてもらったり、駱駝の隊商に雇ってもらって砂漠を超えたり、手に入れた地図を片手に1人でひたすら歩き続け、日本人で初めて聖地エルサレムを訪れることになります。
その後も信仰を深めるべく学び、祈り、ローマに辿り着いて司祭となり、再びリスボンからゴアまで嵐や疫病などの苦難の14ヶ月、ゴアからマニラ行きの船を待つのにさらに1年、オランダ船に襲撃され海に飛び込み、陸まで泳ぎジャングルを2週間さまようなどして、日本を出てから15年経って帰国を果たしました。
父から渡されたこの本、何気なく読み始めたのですが、恥ずかしながら私はペトロ岐部カスイのことを知らなくて、最初はフィクションかと思っていたくらいでした。
途中で知ってからひとつひとつの行動に重い意味と深い想いを感じました。
「殉教者」
信仰のために命を落とすって何だろう、神様って本当にそれを望むのだろうか、命を大切にした方がいいのではないだろうか、といろいろと考えてしまいます。
信仰を守るために命を落とした人々が天国で幸せでありますように。
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・加賀乙彦も留学中(仏)に、ひどく心を閉ざしていた時期があった
「自分がたった一人の黄色人種であることを突きつけられたような気がしてしまう。パリの医者のように外国人を小馬鹿にしたりしない朴訥で人のいい人物ばかりだと思っていた同僚たちとのあいだに、心底からは打ち解けられぬ冷ややかな者があるように感じられる。とにかく気持ちが沈んで、毎日が憂うつで、身体もだるくてしょうがないのです。・・・こうして留学までしたけれど、おまえは本当に犯罪学をやりたいのか?やがて、死を願う気持ちは次第に薄れて行きました。日本語の本を読み、日本語で考えるのを自分に許してからのことです。・・・ネイティブな言語という者がいかに人間を元気づけてくれるか、それは驚くほどでした」(pp.46-7)
・肉体を介したコミュニケーションで、前頭前野を刺激!(p.162)
「お互いの肉体が発する表情や雰囲気、手振りや身振りも非常に大切な者なのです。・・・前頭前野は人間だけが特別に発達している部分で、考える力、記憶力、コミュニケーション力、自制力、自発性などに大きく関わっている」
・現代人は悪魔に「さあどうぞ、お入りください」と言っている(p.179)
自分の目の前、身の周りだけに関心をとどめてしまわず、視界を360°に広げ、できるだけ遠くまで見はるかすこと。それが悪魔を避ける方法、その一なのです。
→現代人は誰にでも悪魔に囁かれる可能性を持っている。 -
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幸せとは幸せだと認識できること
自己の認識を変える以外に幸せになる方法はないと思う
今の自分が不幸だと思うとき、周りの環境や人がそう思わせているのであって、それが事実ではないということを認識しなければいけない
✏自分の苦悩にばかりアンテナを向けていると、どんどん視野が狭くなり、客観性も失われていく。自分が誰よりも不幸に思えてきて、周囲の人が抱えている痛みに鈍感になり、人間関係にも悪影響を及ぼしかねない。
✏真に悩む、悩み抜くとは、自分の苦悩を材料に考え抜くということ。普段から何か問題が起きたときに、その遠因と近因を多角的、客観的に分析し、今の自分にできる対策は何かと考える習慣のある人は、自己憐憫の罠や自分の不幸を誰かのせいにしたくなる心の動きに、そう簡単に飲み込まれない。
✏人はときどき、何が自分を幸福にするかについて間違った理論を作り上げ、それに基づいて欲望を形成した結果、ミスウォンティングをおかすことになる。
✏確固たる「個」は、自分の頭で考え抜くと同時に、互いの意見をぶつけ合いながら人間関係を深めていったり、ときには周囲の声に抗ってでも自分の意思で選択し行動することによってしか鍛えることができない。
✏必要なのは、変えることのできないものを受け入れる冷静さ、変えることのできるものを変える勇気、その2つを見分けるための知恵
✏周囲の環境や運ではなく、その人が世界とどう関わっていくかという、人間の生きる姿勢が幸福を作る。 -
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小説家・精神科医・キリスト教徒である著者が生と死について説いている
人の行動原理を心理学だけで説明することはできないという点は同意
著者はその根底には魂があると述べていたけど、私は実存主義寄り(?)なのでそれだけでは弱いと感じた
どんな現象も分子生物学的に説明できるはずだとどこかで思っている節がある
だが実際にそんなことは不可能であることも理解はしていて、それを補う(という言い方は違うかもしれないけど)うえで宗教という存在は必要なのかもしれないと本書を通して感じた
著者はキリスト教徒の立場から宗教の必要性を説いていたが、フラットな感情で書こうと努めている様子が伝わってきたのが良かった
個人的には必ずしも信仰を持つべきだとは思わないけど、幼少期から宗教について考えることに意義はあると思う
宗教について理解することで人間の力の及ぶ範囲に限界があることを知ることができる
私は大人であることの条件の1つとしてメタ認知できるようになることがあると思っていて、それはこのことに寄与するのではないかな -
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ネタバレ■死刑囚が犯罪に至った経緯を、生い立ちを含めて生々しく聞き取ったドキュメント…ではなく、死刑囚の精神状態をちょっと突き放すくらいの距離感で淡々と観察するレポートです。ですが、初期は若さ?ゆえなのか、まだ突き放しきれてない感じ。嘘で固めて世界を構築しちゃってる死刑囚にまんまと呑み込まれて、それに気づいて憮然としてる記述は、ちょっと面白い。
■著者は最後に死刑に反対だと、さらっと結論づけています。私は死刑反対論者ではないのですが、読み終えて、ちょっと心が動きました。死刑囚は、みんな自分が犯した罪や傷つけた人と対峙はしてない。心穏やかに死んでいく死刑囚すら。ある者は突然圧縮された生に怯え、ある者はその密度に胸を締め付けられ、でもみんな向かい合ってるのも語るのも「自分」。
死刑を告げるのって、こういうことをさせたいんだっけ?という疑問は生まれました。あと、「恥ずべき死」を与える、っていうフレーズにも重くのしかかります。
■凝縮された生を急に突きつけられて、壊れていく様子には、描写が淡々としているのが余計に寒々しくて、ぶるっと来ました。しかもそれがいつまで続くかわからない。逆に弛緩した生を受けるしかない無期刑も。
今のところ反対も賛成もきっぱりとした答えは出せないのですが、この本を読んで、死刑という「罰」の実態を垣間見ることができてよかった、と思います。 -
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時は、安保闘争から学園紛争へ移り、アングラや全共闘、家族の断絶など戦後復興から高度成長へ入っていく。高度成長は経済のみならず、戦後の焼け跡に我先に石を積み上げるように敗戦による価値観の喪失からさまざまな価値観の鬩ぎ合いの奔流の時代を向かえ、文化的対立や創世、成熟となっていく。
透と夏江の娘の火之子の出生の秘密が明らかとなり、透と火之子の仲に溝が深まっていく。火之子はアングラ劇団の一員となり行方知れず。
悠太は学園紛争の中、当時の言葉で言えばノンポリでモラトリアム世代的な雰囲気を持っている。小説的にはおもしろくないキャラなのだが、一応主人公のよう。しかし、それが関わる人間のキャラクターを強烈なものにし物語の色を豊にしコントラストを高めている。