加賀乙彦のレビュー一覧
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加賀乙彦さんは精神科医でありながら小説家、ということは知っていたが、初読みである。
「キリシタン大名 高山右近」も知っているようで「天草四郎」ほどは知らなかった気がする。
右近のカトリック信者としての伝記的小説ではあるけれど、いわゆる年代を追った人物像を描いているものでもない。その精神的な部分での生き方に迫っていることに感銘を受けた。
と言っても、宗教的にではなく人間の生き方に精神についてであるところが、この小説の神髄であるような、文学の愉悦とでも言いたい。
それは激しいものではなく、静かにわからせてくれるというか、悟らせてくれるものであった。
作者のよほどの手腕と習熟と努力かと思う -
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1968年に横須賀線内に爆薬を仕掛け、死者1人・負傷者多数を出し死刑囚となった純多摩良樹の評伝。正直なところ、死刑になるほどのことをしたのだろうかと思いもする。素直そうに思える一方、ところどころ自己顕示欲が強い人のような感じもする。でもそれは、当時の普通だったようにも思う。生まれる前に父は戦死し、幼少期は母にもつらく当たられ、中卒で大工になり、25歳から32歳までは獄中で暮らした。この人の人生って何だったのだろうと複雑な思い。
純多摩は入獄してから短歌を始めた。書中でも何首も紹介されていて、かなりこなれた感じ。短歌にどういう思いで臨んでいたのかとか、もっと知りたかった。
評伝というけれど、ほと -
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幸田露伴「努力論」。「努力して努力する、それは真のよいものではない。努力を忘れて努力する、それが真の好いものである。」あれこれ陰気に考えるのではなく、人生は心のとり方次第で苦を転じて楽と為すことができる。ただし、そのためには相応の努力が必要。とりわけ、努力を忘れて努力するのが良い。小説を書きたいと努力するのではなく、小説を書くことが喜びになり、努力を忘れさせるようになって初めて良い小説が書ける。努力だということも忘れて努力している。そういう人が幸福を得る。方丈記、徒然草、努力論、養生訓、4つの古典に日本語の変遷、そして時代や生き方の変遷を見る。どの古典も噛んで含めるような解説が施されており、古
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蒲生がおこなった有作の心臓移植手術は無事に成功しますが、大鈴らが舵を取る反対者たちのグループは、蒲生が強行した移植手術を告発することになります。彼らは、蝶子と勇作の母親や姉の間で意見の対立があったことを知り、彼女たちに執拗に事実を開示するように迫ります。
蝶子は、有作が亡くなった後の苦境に耐えながらも、蒲生への信頼を貫き、有作の遺志が実現されて多和田の命を救ったことを力強く肯定する態度を貫き通します。最後は、有作の死から2年が経ち、蒲生が蝶子に求婚し、彼女がそれを受け入れることで、物語は締めくくりとなっています。
前巻で、社会小説としての基本的な問題設定は済んでいるということでしょうか、下 -
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43歳で医科大学の精神科の教授を務める天木有作(あまき・ゆうさく)は、ジャンムージャン神父にある患者を紹介されます。40歳の名和田憲(なわだ・けん)というその患者は、重い心臓の病を患い、まもなくやってくる死に直面していました。絶望に陥っていた名和田は、同じキリスト教を信仰する有作によって勇気づけられます。一方勇作は、妻と2人の子どもを残して死ななければならない名和田の運命に深く同情し、自分が脳死の判定を受けたときは、臓器を提供することを決意します。
ところがその直後、有作は交通事故で頭に大きなケガを負うことになります。病院スタッフの努力にも関わらず、有作は脳死状態に陥り、彼の妻である天木蝶子 -
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シリーズ第1弾。
著者自身をモデルにした古義(こぎ)は、船医をめざすという夢を抱いて医学生となります。しかし、1年先輩で共産党員の成神(なるがみ)に「オルグ」されて、精神科の道を歩み始めます。「ちょっとそそっかしいけど面白い人」という評を受けた古義は、彼に負けず劣らず奇人の教授や医学生に囲まれつつ、精神科の患者たちの対応に追われる毎日を送ることになります。
カバー裏の紹介文に「自伝ふう長編ユーモア小説」とあって、『死刑囚の記録』や『ゼロ番区の囚人』といった作品を執筆することになる著者のインターン時代の体験をもとにしながら、世間からちょっとズレた人間たちの織り成すユーモラスな事件が綴られてい -
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色々考えさせられる本。
死刑制度の是非や問題点は死刑制度の死刑囚のものの考え方や、拘禁反応については、全く想像できないものであったので興味深かった。おそらく、筆者でなければ描けないものだと思う。
あとがきで、筆者が敢えて死刑囚の生活のみを描き、死刑制度の是非や問題点はには本文では触れなかった旨が書いてある。
その上で、最後にあっさり死刑制度は廃止すべきとの結論がアッサリと提示されているが、多少の違和感を感じる。身近に死刑囚と接した筆者にとっては素直な結論なんだろうが、抜けている視点として、遺族感情があると思う。
残念なことだが、時折、信じがたいものすごく残虐な事件ごおきることもある。加 -
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前半は様々な統計データ等により、現代の日本がいかに病んでいるか・・また将来どんな不幸が待ち受けているか・・ということが書かれている。
後半はわりと精神論的な話だった。
この本を読み、幸福って本当に主観的にしかはかれないものだなと思った。
お金や名誉・地位などの客観的指標で幸福をはかりだしたらほとんどの人は不幸になってしまう。
問題は、そのような客観的指標を主観にしてしまってる人が多いということではないだろうか、、。
もう一つの問題として、自分の幸福を追い求める際に他人を不幸にしてないかという視点が要ると思う。
(現時点の他人に限らず、将来の他人も含め。)
そして最終的には、「自分は幸福」 -
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ネタバレ著者の加賀乙彦さんは、作家で精神科医でキリスト教徒。
1929年生まれですから、もう八十余歳になります。
Wikipediaで調べてみると、谷崎潤一郎賞などいろいろな賞を取っていて、
僕が知らないだけで、著名な作家の人なのでしょう。
本書はそんな加賀さんの自伝的要素の濃い、柔らかい言葉で読みやすい論説文です。
東日本大震災によって意を深めたといった感じで、
宗教、そして祈りというものの意味の大きさを読者に問いかけます。
この「祈り」についての考えは、僕がこの間書いた短編、
『忘れられた祈り』のテーマとかなり通じるものがありました。
この小説を書くにあたって考えたこと、書いているうちに出てきた -
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ネタバレ戦争、精神科医として、阪神と東日本の大震災、妻の死と、多くの死に直面してきた著者の、信仰と死についてのエッセイ。
不幸な国の幸福論でも感じたが、この方の意見の述べ方の立ち位置がとてもいい。
意見を押し付けることなく分かりやすい文章で書いてくれているので、意図を受け取り自分の中で租借する余裕を読者に与えてくれている。
第4章が、この本の核となっているが、1章から順番に読むことをオススメ。
新書の場合は速読するようにしている私ですが、2章の途中から精読に変更。時間がかかってしまったのは誤算でしたが、しっかり読む価値がありました。
キリスト教について神父さんをご夫婦で質問攻めにしたくだりは面白かっ -
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まあ当たり前の話なんだけど、死刑囚にもいろいろいるなあ、と。
「自分のウソを自分で信じ込んでしまう」というのは、精神の防衛機能としてなるほどと思わされる。これは死刑囚じゃなくても、一部のジャーナリストとか「一般人」にも当てはまりそうだな。
あとがきの「死刑が残酷なのは、“殺すから”ではない」という旨の主張は納得感がある。
でもだから死刑廃止、てのはねえ。
しかもその大きな根拠の一つとして
「死刑囚100数十人にインタビューしたが、ほとんどが犯行時に死刑のことを考えていなかった」
から死刑に抑止力がない、としているけど、違うでしょ。
抑止力を調べたいなら、「殺そうとしたけど死刑を考えて実行しな -
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死刑囚たちの記録。精神科医という目線から分析している。様々な人がいる。
獄中で後精神疾患にかかる囚人は多いようです。死刑が宣告された後、殺したことを認めてしまうと、よりどころがなくなる。そんな中では精神が心が自分を守るために、刑を逃れるためについていた嘘も本当にあったことと錯覚してしまう。囚人は自分はやっていないと本当に思っている。なんて人もいるようです。心というものは自己防衛機能を備えているんですね。そうしないと精神がもたないようです。
僕は直接は知らないですが印象に残ったのは三鷹事件の竹内さん。冤罪ではないのかと疑ってしまいます。もしそんなことで捕まって、死刑を宣告され、上告も破棄され