あらすじ
昭和4年に生まれ幼い時から戦争の時代を生きてきた著者。第二次世界大戦後も死刑囚と接する拘置所の医務技官として、また作家として、常に人間の生と死に向き合ってきた。子どもの頃は怖ろしい存在であった死が、医務技官して接した死刑囚の信仰心によって劇的に変化を遂げたこと。79歳で突然迎えた最愛の妻の死。そして81歳の時に心臓が停止して死の淵をさまよったこと。医師・作家・そして信仰の徒としてのこれまでの人生と、その中で続けてきた死についての思索の軌跡を素直につづる。【目次】はじめに/第一章 少年の心に植えこまれた死/第二章 死へのアプローチ/第三章 迫りくる老いと死/第四章 生を支える死と宗教/おわりに
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軍国主義時代に育った著者は、戦争による多くの死を見て、受けた教育との板ばさみに苦しむ。
精神科医となり、犯罪者の心理学の研究を行う中でも、死についてたびたび考えた。
学問という科学では、限界がある人間の心の深さを感じる一方、長く人間を支えてきた宗教に思いをはせる。
死刑囚との交流やフランス滞在、妻の突然の死、日本を襲った震災。著者の体験も交えた実感のこもる思索に、深く納得させられる。
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加賀乙彦先生は最も尊敬する作家の1人です。
「永遠の都」は2度読みました。
沼野先生とのドストエフスキーについての対談もお聞きしました。
本書を読んで初めて知ったこと。
陸軍幼年学校の御卒業であること。
最愛の奥様を亡くされたこと。
心臓ペースメーカーをつけられたこと。
昔、フランスで自動車ごと断崖に転落されたこと。
加賀先生は「死」と真摯に向き合った最高の作家だと思います。
『悪魔のささやき』も感動しました。
まだ81歳。頭脳明晰。本郷に住むなんて羨ましいです。
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著者の加賀乙彦は、精神科医であり作家でもあります。
そのことと「宣告」という代表作があることとは知っていましたが、著書を読んだことはありませんでした。
阪神大震災のときに65歳だった加賀乙彦は、「東京で小説を書いているよりも医師として被災された方々のために働こうと決心し」、精神科医として避難所の人々の治療に専念したそうです。
そして、今回の大震災、加賀乙彦は81歳であり、自身が心臓病手術後にペースメーカーを装着した障害者となっており、直接的な支援はできない状況の中、今までの様々な経験の中で考えてきた幸福のこと、死のことなどから、「とくに東北の被災者の方々に襲いかかった不幸から希望のある未来を望み見るにはどうしたらいいか」を、精神科医、小説家としての体験から「懸命に書いてみた」そうです。
自身の戦争体験や精神科医としての死刑囚との交流、また若き日のフランス留学時代に断崖から車で転落して奇跡的に助かったこと、さらに奥様の予想もしない突然の死など、死にまつわる自分のさまざまな経験から、加賀乙彦が考えたことがとても読み易い平易な文章で綴られています。
そんな人生を経て、加賀乙彦はクリスチャンになりますが、キリスト教を媒介しながら今の世相や人の生きる道、そして死に至る道を独自の視点で述べている本です。
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小説家・精神科医・キリスト教徒である著者が生と死について説いている
人の行動原理を心理学だけで説明することはできないという点は同意
著者はその根底には魂があると述べていたけど、私は実存主義寄り(?)なのでそれだけでは弱いと感じた
どんな現象も分子生物学的に説明できるはずだとどこかで思っている節がある
だが実際にそんなことは不可能であることも理解はしていて、それを補う(という言い方は違うかもしれないけど)うえで宗教という存在は必要なのかもしれないと本書を通して感じた
著者はキリスト教徒の立場から宗教の必要性を説いていたが、フラットな感情で書こうと努めている様子が伝わってきたのが良かった
個人的には必ずしも信仰を持つべきだとは思わないけど、幼少期から宗教について考えることに意義はあると思う
宗教について理解することで人間の力の及ぶ範囲に限界があることを知ることができる
私は大人であることの条件の1つとしてメタ認知できるようになることがあると思っていて、それはこのことに寄与するのではないかな
Posted by ブクログ
著者の戦争体験と、自身の犯罪者の精神医学的研究より考察された生と死への考察。そして自身の宗教的体験についての、ほぼ自伝的な本とも言える。東日本大震災と原発問題についても触れ、科学と宗教の絡みについても述べられている。いかに生きるか、宗教は理解することではなく、体験することである、ということを述べることは浅い理解、いや読書体験かもしれない。
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著者は東大医学部を卒業したあと、東京拘置所で医務技官を務めるなどした精神科医。囚人を観察していると、死刑囚と無期囚で明らかに違いがあるという。死刑囚は、毎日、「明日殺されるかもしれない」という非情に切迫した濃密な時間を生きているのに対して、無期囚は無限にうすい時間を生きている。無期囚は一つの鋳型にはまって安定し、感情を麻痺させ、無感動となり、刑務所の生活に適応するという。そもそも、モノゴトに関する感心が少ないともいう。
これを自分たちの身辺に置き換えていえば、モノゴトに関する感心が少ない人は、現代社会にという刑務所の中で、無期囚として生きているということなのかもしれない。
「人間は生きている限り、何かに興味を持つことによって救われると思う」という。「現代は死を遠ざけたことによって、逆に生をも遠ざけてしまったと言えるでしょう」ということは、とても説得力があるコトバに感じた。
著者の加賀乙彦さんは、こうした経験を通して洗礼を受け、キリスト教徒になる。そして、本書では「頑張る力」より「祈る力」と説く。それが、本書の題名『科学と宗教と死』ということにつながっていく。
人間の体の中には底知れぬ海があり、宇宙がある。いったい、このような美しいものを誰が作ったのか。何か大きな存在、「神秘」ということばでしか言いあらわせないものを感じる、というのは、著者が医学部出身で人体についてよく知っているだけでなく、囚人と接することで、人の心の奥底に潜むものを見つめてきたからこその言葉だろう。
Posted by ブクログ
「ヨーロッパでは科学が発達してくるのはルネサンスの頃ですが、もともと神の秘密を探るのが科学」だったということに驚きました。だからこそ、科学を「突き詰めて研究していくと結局『神』という概念に行き着いてしまうといいます」とのこと。科学には疎いですが、人間の体の精巧さを思うと、そこに創造者の存在を思わずにはいれない。
本の趣旨とは関係ないが、加賀乙彦の大学時代の教授が内村鑑三の息子、内村祐之だっということが嬉しかった。
もう一点。太平洋戦争時、3月10日の東京大空襲を指揮したルメイ将軍に、戦後航空自衛隊への戦術指導などの功績により、日本政府は勲一等旭日大綬章をおくった、ということに呆れた。このことを知っている人はどのくらいいるのだろう。
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小説家で精神科医でもある著者の自伝的エッセー。生と死についてに主眼を置いて書いておられる。戦時中にあった命を軽視しているとも取れる教育を受けてきた少年時代、心理学と精神医学の研究に没頭した青年時代と、過去を振り返りながら、科学の限界と無力さ、そして宗教を信じることの意味など、老境に達しておられる著者ならではの示唆に富んでいて、色々と学ぶところも多かった。
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著者の加賀乙彦さんは、作家で精神科医でキリスト教徒。
1929年生まれですから、もう八十余歳になります。
Wikipediaで調べてみると、谷崎潤一郎賞などいろいろな賞を取っていて、
僕が知らないだけで、著名な作家の人なのでしょう。
本書はそんな加賀さんの自伝的要素の濃い、柔らかい言葉で読みやすい論説文です。
東日本大震災によって意を深めたといった感じで、
宗教、そして祈りというものの意味の大きさを読者に問いかけます。
この「祈り」についての考えは、僕がこの間書いた短編、
『忘れられた祈り』のテーマとかなり通じるものがありました。
この小説を書くにあたって考えたこと、書いているうちに出てきたことなどが、
加賀さんの「祈り観」と相当な部分で重なっています。
また、政府というものは信用できないものだということを、
戦時中の大本営発表と震災時の「ただちに健康に影響はない」というアナウンスとを
共通するものとして捉え、切り捨てています。
後半になって、かなり宗教論の色合いが濃くなりますが、
その中でも、仏教での親鸞の言葉などが面白かったですね。
吉本隆明さんの親鸞の本を読んだことがあったんですが、
それはけっこう難解なうえに、もうほとんど覚えていないのですが、
本書で触れられた親鸞のことについては、そういえばそうだった、といった感じに
ついていくことができました。
親鸞とキリストの共通点などは、聖者としての高みが両者とも同じくらいだったのかなと
思えました。
生々しい「死」の感覚、それは著者にとっては、「死は鴻毛より軽い」と教えられた
軍国主義の時代での死生観がまずありながら、戦時中の空襲での黒焦げの死体、
戦後まもない頃の新宿駅などでの、復員兵などの餓死した死体などを見て形成された意識で、
現在のように、ドラマや小説や映画などでありふれた
「にせものの死」で濁されてしまう「死」の感覚とはまったく違う、
そういうふうに著者は書いていたと思います。
それが震災によって、人々はそれまでのウソの「死」から生々しい「死」を
感じ直すことになった。
それで、そういう「死」を目前にした今、祈りや宗教が大事なんじゃないかと
主張しているわけです。
柔らかな筆致で、かゆい所に届くように、深い思索をわかりやすく
表現してくれている、そんな本でした。
Posted by ブクログ
戦争、精神科医として、阪神と東日本の大震災、妻の死と、多くの死に直面してきた著者の、信仰と死についてのエッセイ。
不幸な国の幸福論でも感じたが、この方の意見の述べ方の立ち位置がとてもいい。
意見を押し付けることなく分かりやすい文章で書いてくれているので、意図を受け取り自分の中で租借する余裕を読者に与えてくれている。
第4章が、この本の核となっているが、1章から順番に読むことをオススメ。
新書の場合は速読するようにしている私ですが、2章の途中から精読に変更。時間がかかってしまったのは誤算でしたが、しっかり読む価値がありました。
キリスト教について神父さんをご夫婦で質問攻めにしたくだりは面白かった(笑)
そして、突然質問がなにもなくなり、気持ちが軽くなったと。
魂が信仰の領域に入っていったのではないかと思います。
そんな体験してみたいかも。
東日本大震災からの復興についての、頑張ることと祈ることについての考察も興味深い。
ゴスペルのイベントのお手伝いをすると、実際に手配をしたり行動することと、祈ることのバランスについて考える機会が多く、いつも難しいところだなと感じる。
科学の範囲である心理学を追及した著者が、ひとの心は心理だけでは分からない部分があると書いていることが、とても心に刺さった。
Posted by ブクログ
戦争体験と拘置所医務技官の体験から作者独特の死生観、宗教観を述べている。個人的には共感する部分が多い。終盤、科学者の態度として謙虚であるべきとの考えを展開する延長で原子力に言及している。謙虚であることに異論はないが、未知の領域を探究するのが科学者ならば、障壁を作るのではなくて克服して行くべきで、この点は生殖医療等の倫理的に議論のある問題と明確に区別するべきと思う。
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精神科医で作家でキリスト教徒である著者が、死を見つめて宗教のことや科学のことについて思うところを述べた軽い読み物。死刑囚との接触やキリスト教改宗、第二次世界大戦の記憶なんかから、東日本大震災後の日本に宗教は大事なんじゃないかと。祈りの気持ちや宗教的感動を思い出させてくれた。
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内容的には過去の作品の内容と同じ物が多い。
3.11以降の日本について書かれている、よく戦後と似ているという話を聞くが、戦争を体験した人が語るのはまた重みが違う。
80歳過ぎの人が未だに色々と考えているのには勇気づけられるし、戦後すぐの物の少ないじだいでのモーパッサンのエロさについての述懐はなんだか嬉しい。
Posted by ブクログ
精神医学者であり作家の加賀乙彦先生の死についての随筆。
著者は人生を通して死に多く触れてきた人物。少年期は第二次大戦期を生き抜き、精神医学者となって以後殺人など重犯罪者を対象とした犯罪学研究に尽力。留学先フランスでの落下事故、奥様の死、自らの臨死体験。それだけに著者は死に対して考えつくされた不抜の理念を持った方なんだなという印象をもった。
タイトルについて。「科学」は医療と原発があげられる。医学の究極の目標は不老不死なのか。されば死なない人間は幸福か。医療とは治すことだが、本書を読んで直すことなんだなと感じた。つまり寿命を全うするという本来の人間の生き方へ戻してやるということである。また、原発については断固反対の立場であった。その理由も少し書いてあったがせっかくこの時期に出された本ということでもうすこし考えを詳細に聞きたかった(そこまでいくとテーマから離れてしまいますが・・・)。
「宗教」はキリスト教、仏教を通して日本人がもつべき宗教観、それらと死の繋がりについて述べられている。
まとめると、先生の人生の一部を見させていただいたようなそんな本。すごく練られたというか至言のつまった本でした。ただ私にはそれをおぼろげにしか感じ取る事ができなかった気がします。死を目の当たりにした経験もない上、強烈に揺さぶられた体験も少ないからでしょうか。全体的に先生の謙虚さが伝わってくる文章でそれはそれで良かったのですが逆にインパクトがなかったのかな・・・。
Posted by ブクログ
① 今回の厄災が、集団の不幸という戦争中の不幸に似通った面をもつ
② 義は山岳より重く、死は鴻毛より軽し
③ 人間は生きている限り、何かに興味を持つことによって救われると思う。何かに熱中すること、何かを好むこと、何か人と違ったものに向かうこと、それが人間に幸福をもたらします。
④ 死を遠ざけたことによって、逆に生をも遠ざけてしまったと言えるでしょう
⑤ ところが日本人は宗教を忘れてしまいました。宗教の力がないところに、科学の力だけがのさばっている。ここに私は危険を感じるのです。科学や技術を学んだとしても、それをどう生かしていくのか、どのように人間の幸福や豊かさにつなげていくのか。そこには倫理、道徳、思想が必要です。P140
Posted by ブクログ
「死は鴻毛より軽し」
という話から始まり死を見つめ、精神科医として犯罪者を多く見た著者の話で印象に残ったのは死刑囚と無期懲役囚の精神状態の違い。無期懲役の方が緊張が無く抜け殻のようになるのだろうか?
親しかった死刑囚がキリスト教徒になり、著者も後にキリスト教徒になる。著者はその時目から鱗が落ちたような気分になったらしいが、いかんせん話を読むだけではどのようにその瞬間を感じられるのかがわからないのが少し残念。これは著者の文章に問題があるのではなく、自分自身がその気になって神父から話を聞かねばわからないことだろう。
さて、戦争を経験した著者にとって先の震災は重なるものがあったらしい。それは大勢の人が無残に無くなった情景ももちろんだが、政府の対応に関しても。戦時中の政府は正しい情報を流さずにいた。今回の震災でも政府の発表は後手後手に回っている印象だ。また、広島長崎を思い出させる原発事故。
恐らく戦争を経験された方の中には同じように思われた方が多くおられるのだろう。
Posted by ブクログ
加賀乙彦先生がご自身の人生をふりかえり、語りかける。先生はクリスチャンで、宗教的な思想が根底にあり、個人的には相入れない部分もあったが、政府や財界が考える豊かさの定義に疑問を投げかけているのは正しいと思った。
最後は福島原発についても触れているが、生まれてから戦争の中で育ち、陸軍幼年学校在学中に終戦を迎えた戦争体験者が語る生と死は重みが違う。原発、原子爆弾がなくなったのを見てから死にたいど語り、原発を廃炉にして、全部お寺にしたらいいとは、内田先生と通じる考えをお持ちでした。