加賀乙彦のレビュー一覧
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実家にあったので。あるがままに受け入れる、自分の幸せを見つける。以降は本からの引用です。/不幸な国の幸福論
外見の方が簡単かつ正確に把握できるため、内面への関心や内面を見ようとする努力が失われつつあること。見られる自分に対する意識の強さと、悩み抜く力の欠如…。考えずに受け入れることが当たり前になっている。あるがままのその子を受け止め愛するのではなく、誰かとの比較でまるやバツをつける。快楽の踏み車。プライバシーの権利への要求…自我意識を発達…。子供の秘密を暴いてはいけない。KYという同化圧力。自分の評価を他人にゆだねてしまっている。社会保障は先進国で最低基準。先進六カ国より多い公共事業費。権力者 -
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精神医学者であり作家の加賀乙彦先生の死についての随筆。
著者は人生を通して死に多く触れてきた人物。少年期は第二次大戦期を生き抜き、精神医学者となって以後殺人など重犯罪者を対象とした犯罪学研究に尽力。留学先フランスでの落下事故、奥様の死、自らの臨死体験。それだけに著者は死に対して考えつくされた不抜の理念を持った方なんだなという印象をもった。
タイトルについて。「科学」は医療と原発があげられる。医学の究極の目標は不老不死なのか。されば死なない人間は幸福か。医療とは治すことだが、本書を読んで直すことなんだなと感じた。つまり寿命を全うするという本来の人間の生き方へ戻してやるということである。また、原発 -
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① 今回の厄災が、集団の不幸という戦争中の不幸に似通った面をもつ
② 義は山岳より重く、死は鴻毛より軽し
③ 人間は生きている限り、何かに興味を持つことによって救われると思う。何かに熱中すること、何かを好むこと、何か人と違ったものに向かうこと、それが人間に幸福をもたらします。
④ 死を遠ざけたことによって、逆に生をも遠ざけてしまったと言えるでしょう
⑤ ところが日本人は宗教を忘れてしまいました。宗教の力がないところに、科学の力だけがのさばっている。ここに私は危険を感じるのです。科学や技術を学んだとしても、それをどう生かしていくのか、どのように人間の幸福や豊かさにつなげていくのか。そこに -
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「死は鴻毛より軽し」
という話から始まり死を見つめ、精神科医として犯罪者を多く見た著者の話で印象に残ったのは死刑囚と無期懲役囚の精神状態の違い。無期懲役の方が緊張が無く抜け殻のようになるのだろうか?
親しかった死刑囚がキリスト教徒になり、著者も後にキリスト教徒になる。著者はその時目から鱗が落ちたような気分になったらしいが、いかんせん話を読むだけではどのようにその瞬間を感じられるのかがわからないのが少し残念。これは著者の文章に問題があるのではなく、自分自身がその気になって神父から話を聞かねばわからないことだろう。
さて、戦争を経験した著者にとって先の震災は重なるものがあったらしい。それは大勢 -
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再読本。
改めて以下の点を考えさせられた。
人間、ここで著者が言う「悪魔に囁かれた」という瞬間は存在する。
自分だけは大丈夫という自信を持ちすぎない。その歯止めは決して自分たちが思っているようなスチールのようなものではない、波打ち際の砂の城のように脆いものなのだ。
大事なことは、自分で物事を考え、自分の好きな道を見つけ、個人として生きていくことをないがしろにしないこと。
そのためには、広い視点をもつこと。自分とまわりさえよければ良いという考えをやめること。
著者の分野より宗教の部分の話もあるが、改めて大切なことは自分だ、ということを再認識した。 -
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ネタバレ<概要>
前半部では、欧米諸国と比較をしながら日本の現状やその原因などについて書かれている。
後半部では、主に1人の人間としての幸福とは何か、どのように考えたらいいのかなど、少し自己啓発系の内容になっている。
私としては、前半部分の方が知らない事が多く、発見が多かった。
*日本の障害者自立支援法が実際は障害者の方達にとって働きやすい環境作りなどの支援により、むしろ自己負担が大きくなってしまっていること。
*日本の公共事業の額が一時は50兆円を超え、日本の特別予算の4分の1を〆ていたこと
→地方の人々の多くが土木産業に関わっており、なかなか手が引けないという現状があること
→社会保障に関連す -
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口述筆記ということもあって、わかりやすく平易な文章です。
「悪魔のささやき」としか言いようのない、心理的な動きはありますね。
拘置反応やプリズニゼイションなど、なるほどなと思わせてくれる記述もありました。
悪魔の誘惑を避ける方法で、自分の考え方を持つと言うのがありましたが、別の言い方をすれば大衆であり、愚衆であるということかなと思いました。
大衆は流されやすく、自分を見失いやすく。
だからこそ、おろかであると思うのです。
加賀乙彦氏の言わんとすることろは理解できますが、万人に期待することは不可能な気がする。
歴史は繰り返さざるを得ないということです。 -
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凶悪犯罪、自殺等を起こす瞬間、人間に囁く”悪魔”について書かれた本。
つい先ごろ「悪魔に命令された」という理由で犯罪を行ったケースがありましたが。
そこまで明確な存在として認識される場合でなく、”魔がさす”や”なんとなしに”といった虚ろな状態での話。
だから命令ではなく囁き。もっと曖昧なもので誰もが起こり得る状態について扱っている。
人間は昔から善にしろ悪にしろ影響力をもつ自分ではない”何か”の存在を感知するようで。
自らの言動を外的要因にする心の構造…とか読めたらいいなと思いましたが、ちょっと違った。
本当に悪魔の存在を肯定する本でもないですが、罪に対する言い訳ではない”悪魔に取り付かれたよ