高野秀行のレビュー一覧
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大好きな著者さんどうしの対談なので、ゆっくり味わって読もうと思ったのに、面白いので、ついつい一気読みしてしまった。
クスッと笑えるところあり、名フレーズありで、またまたお二人の著作を読みたくなってしまう。
印象的だったのは、二人の共通点。
後先考えずに行動して、緻密に文章を組み立てるところ。
何をしたかより、どう文章化しているかで勝負したいところ。
既存のジャーナリズムに限界を感じているところ。
自分が読んで感じていたことは、あながち外れてもいないなぁとと思った。
あと、高野さんが子どもの頃に好きだった本が、私の好きだった本と同じで嬉しかった。『ドリトル先生』のシリーズは、冒険・探検好きの入り口として、案外、王道なのかもしれない。 -
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高野さんの納豆愛・辺境愛が炸裂した一冊。
そして、最強の飯テロ本。
これを読んでいる間、何パックの納豆を食べてしまったことか。
そして、私の故郷である東北が紛れもなく辺境で、納豆文化の中心地であることを実感した。
納豆汁で育てられ、夕ご飯に何を食べたいかと聞かれたら常に「納豆!」と答え、盆にも正月にも納豆餅をしこたま食べる。さらに、土曜日には「ひとりあげ」に納豆をぶちこんで食べていたことをありありと思い出しながら読んだ。
あと、西和賀(夫の実家のすぐ近く)が「何でこんなとこにわざわざ住むのか」って言われたりしてて、ちょっと笑っちゃった。さすが、元無医村。高野さんをもってしてもびっくりの辺境なのね。地吹雪すごいし、道が崩れればすぐ陸の孤島化するしね。でも、それだけに食に関しては個性とエネルギーが凄くて、観光地としては優秀だと思う。まさか、納豆でも有名なところだとは思わなかった。地元民だけど(だから)、蒙を啓かれた思い。
発酵文化は、本当に面白い。
人間が生き延びるための知恵と勇気の結晶だと思う。
それが場所を変え、文化を超えて各地で納豆という最高の食品に結実していることがとても面白いと思わされた。
さて、この勢いのまま『アフリカ納豆』に突入! -
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高野秀行の自伝的小説である『ワセダ三畳青春記』や『異国トーキョー漂流記』が面白かったので、3作品目も読んだ。
『ワセダ三畳青春記』では個人的な出来事、『異国トーキョー漂流記』では個人的な人との交流がテーマとなっていたが、この作品は組織における人との交流がテーマになっていると思う。
作品のテーマが個人→組織へと規模が大きくなっているのだ。
この作品を読んで、日本にエイジアンのような面白い組織があったことに驚く。
一般的な日本の会社とは全く異なる組織だ。
私は今まで一般的な日本の会社しか会社を想像できなかった。いい加減なシステムでも崩壊しない会社を想像できなかった。
組織は意外と生命力に溢れてるのかもしれない。 -
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高野秀行さんの著書、これが3作目。
「ワセダ三畳青春期」がとてもおもしろかったので、それ以来良く読んでいる。
今回は、主人公である著者が、ひょんなことから「エイジアン」という新聞社の編集顧問になってしまったというお話。
劉さんという台湾人の社長を筆頭に、その新聞社には様々なアジア圏の国籍の方が働いているが、とにかく皆が皆ぶっ飛んでいる。日本人の感覚からしたらまともなことなど何一つ存在しない。
序盤は次々と起こるハチャメチャストーリーが紹介されている。
しかし、さすがのハチャメチャぶりに次第に不満を募らせる著者。そんな著者の葛藤と、まさかのラブストーリー的展開で読者を引き込む。
終盤になり、改めてエイジアンという会社、そこで働く人たちの良さに気付くものの、もう自分の役目は終わったとばかりに、エイジアンを去っていき物語は終了。
正直読み物として、この本の登場人物に触れるには最高に楽しい。しかし、いざ一緒に働くとなったら、とても私では著者のように楽しめる自信はない。良い意味で言えば個性的だが、悪く言えばただの非常識人だ。著者には感心しかない。
しかし、そう感じてしまった自分がとても小さく感じたのもまた正直なところだった。私は本当に小さい世界でしか生きていない。なんと視野の狭い世界で生きているのかと。
もっと視野を広げて、大きな心で物事を受け止め、許せることのできる人間になりたいものである。 -
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「未来国家」というよりは「ロストワールド」ブータンだ、とつくづく思う。実際、高野秀行は今回の旅を称して「これは遠野物語的だ」と何度も言い放っている。「遠野」の人たちは昔話をするつもりで話したのではなかった。みんな「現実(リアリティ)」として喋ったのである。だから、みんな実在の地名と名前で喋っている。ブータンでも例えば「そういえば、つい2日前神隠しに遭った女の子が帰ってきた」という話が普通にドンドン出てくる。普通の民俗学者がこれを読んだら、「もう明日にでもブータンに行きたい!」と思うはずだ。私が未だ大学の常民文化研究会に居た若い20代ならば、きっとそう思ったはずだ。何故ならば、100年前の日本には其処彼処にあったそんな語り手は、現代では絶滅し(かかっ)ているからである。
2010年4月より遡ること数ヶ月前、高野秀行はブータンの農業省の国立生物多様性センターと提携して事前調査を依頼される。しかし、旅行費用は自前で。いくら辺境大好きだからと言って、それはない、と思った途端に彼にキラーワードが囁かれる。
「高野さん、ブータンには雪男(イエティ)がいるんですよ」
村人ではない。政府の高官が言っているのである。
高野秀行は即答する。「行きましょう!」
確かにブータンでは雪男(ミゲ)の話が其処彼処(そこかしこ)に語られる。でも決して映像に入るとか、実在の痕跡を見つけるとか出来ない。つい最近までの体験として語られる、というのは正しく「遠野物語」だ。
それどころか、謎の生物チュレイ(ロバやヤクに似ていて、赤い顔、赤い足の裏、長い前髪)の目撃譚も語られる。政府の役人と共に辺境を旅しながら、高野さんは伝統的な生活もきちんと記録し、人々の信仰、雪男や毒人間、精霊や妖怪も生き生きと伝えられてゆく社会を記録してゆく。
日本を含めたアジアの国々は悉く、近代化によって伝統文化を壊し、高度な教育や医療・福祉を実現し、環境を破壊して、知識人は国家を否定し或いは寄生し歪んで成長してきた。その一方で、ブータンは近代国家のいいところを吸収し、弊害を取り入れまいと意識的に努力しているかのようだ。それが高野さんが「未来国家」という根拠ではある。
ブータン国家論を展開すれば、また長い学術書になってしまう。私たちは「軽い読み物」として、高野秀行版ブータン版遠野物語を読んで「願わくばこれを語りて平地民を戦慄せしめよ(柳田國男)」となることを楽しみたいと思う。
表紙は、影山徹さんが本書のために描いた(と思う)、東京上空に天空の城ラピュタみたいに浮かぶブータンの山々。