高野秀行のレビュー一覧
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「謎の独立国家ソマリランド』の続編。
前回が「ホントにあるのか、そんな国?」という謎解きスタンスで描かれていたのに対し、こちらは「もっと知りたいソマリ世界」という深掘りが軸になっている。だから、前作を読んでいないとなかなか入り込めないだろうし、展開も(終盤の襲撃事件を除けば)他の高野さんの本に比べて、わりとのほほんとした感じ。
とはいえ、高野さんの本なのでやっぱり面白い。
随所で笑わせてくれるし、大所高所から見下ろす観察者的視点は皆無で、あらゆるトラブルに巻き込まれながら地べたで感じたことを(イタい経験や下ネタもありありで)綴っているのだと感じる。
さすがというか、高野さんの真骨頂だなと感じ -
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大好きな著者さんどうしの対談なので、ゆっくり味わって読もうと思ったのに、面白いので、ついつい一気読みしてしまった。
クスッと笑えるところあり、名フレーズありで、またまたお二人の著作を読みたくなってしまう。
印象的だったのは、二人の共通点。
後先考えずに行動して、緻密に文章を組み立てるところ。
何をしたかより、どう文章化しているかで勝負したいところ。
既存のジャーナリズムに限界を感じているところ。
自分が読んで感じていたことは、あながち外れてもいないなぁとと思った。
あと、高野さんが子どもの頃に好きだった本が、私の好きだった本と同じで嬉しかった。『ドリトル先生』のシリーズは、冒険・探検好きの入り -
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高野さんの納豆愛・辺境愛が炸裂した一冊。
そして、最強の飯テロ本。
これを読んでいる間、何パックの納豆を食べてしまったことか。
そして、私の故郷である東北が紛れもなく辺境で、納豆文化の中心地であることを実感した。
納豆汁で育てられ、夕ご飯に何を食べたいかと聞かれたら常に「納豆!」と答え、盆にも正月にも納豆餅をしこたま食べる。さらに、土曜日には「ひとりあげ」に納豆をぶちこんで食べていたことをありありと思い出しながら読んだ。
あと、西和賀(夫の実家のすぐ近く)が「何でこんなとこにわざわざ住むのか」って言われたりしてて、ちょっと笑っちゃった。さすが、元無医村。高野さんをもってしてもびっくりの辺境なの -
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未確認動物探索家と聞くと世界の果てまでイッテQというテレビ番組を連想するが、まさに、その活字版という雰囲気の旅番組もとい紀行文。高野秀行の良い感じに肩の力を抜いた現地体験と、しかし、実はゾンカ語を習得せんとする努力と体当たりの行動力が、一緒に旅しているかのような臨場感を与えてくれる。で、ミステリーハンターの今回のターゲットはブータンの雪男である。
雪男に会えるかどうかは感想には書かないが、この雪男はブータンではミゲと呼ばれているらしく、インターネットで検索しても、この高野秀行の本に辿り着く位で広がりが無い。つまり、ミゲを日本に詳しく伝えた第一人者(正確には違うが)のようで、まさに冒険家の本分 -
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高野秀行の自伝的小説である『ワセダ三畳青春記』や『異国トーキョー漂流記』が面白かったので、3作品目も読んだ。
『ワセダ三畳青春記』では個人的な出来事、『異国トーキョー漂流記』では個人的な人との交流がテーマとなっていたが、この作品は組織における人との交流がテーマになっていると思う。
作品のテーマが個人→組織へと規模が大きくなっているのだ。
この作品を読んで、日本にエイジアンのような面白い組織があったことに驚く。
一般的な日本の会社とは全く異なる組織だ。
私は今まで一般的な日本の会社しか会社を想像できなかった。いい加減なシステムでも崩壊しない会社を想像できなかった。
組織は意外と生命力に溢れて -
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高野秀行さんの著書、これが3作目。
「ワセダ三畳青春期」がとてもおもしろかったので、それ以来良く読んでいる。
今回は、主人公である著者が、ひょんなことから「エイジアン」という新聞社の編集顧問になってしまったというお話。
劉さんという台湾人の社長を筆頭に、その新聞社には様々なアジア圏の国籍の方が働いているが、とにかく皆が皆ぶっ飛んでいる。日本人の感覚からしたらまともなことなど何一つ存在しない。
序盤は次々と起こるハチャメチャストーリーが紹介されている。
しかし、さすがのハチャメチャぶりに次第に不満を募らせる著者。そんな著者の葛藤と、まさかのラブストーリー的展開で読者を引き込む。
終盤になり、改め -
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「未来国家」というよりは「ロストワールド」ブータンだ、とつくづく思う。実際、高野秀行は今回の旅を称して「これは遠野物語的だ」と何度も言い放っている。「遠野」の人たちは昔話をするつもりで話したのではなかった。みんな「現実(リアリティ)」として喋ったのである。だから、みんな実在の地名と名前で喋っている。ブータンでも例えば「そういえば、つい2日前神隠しに遭った女の子が帰ってきた」という話が普通にドンドン出てくる。普通の民俗学者がこれを読んだら、「もう明日にでもブータンに行きたい!」と思うはずだ。私が未だ大学の常民文化研究会に居た若い20代ならば、きっとそう思ったはずだ。何故ならば、100年前の日本に