押見修造のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
青春とは疾風怒濤、吹き荒ぶ風と、猛り狂う波と、
そして海辺での殴り合いだ。
それはもう、お決まりのパターンなのだ。
青年期を「疾風怒涛」と表現したのはアメリカの心理学者G.S.ホールであるが、彼が提唱した学説に「心理的反復説」というものがある。
個人の発達は生物としての人類が辿った進化の歴史に似た発達段階を繰り返す、というもので、
要するに文化や時代は違えど結局人は、過去の人が繰り返してきた同じパターンの反復でしか成長していけないんだよ、ということである。
結局みんなふつうに生きて、ふつうにセックスして、ふつうに死んでいくんだよ。
それしかできないんだよ。
それのどこがいけないの?
物語は永遠に続く繰り返しとして、幕を降ろした。
これは永遠に終わらない春日青年の思春期の記録であり、
永遠に繰り返される人類の歴史の一部なのだ。
…とまで言ったら、言い過ぎか。 -
Posted by ブクログ
安らぎは罪の上に。
日常は罰の下に。
物語としての目的がはっきりしていない作品だけに、終着点がいまいち予想できないのだけれど、
最終的にやはり、春日のファム・ファタールになりうるのは常盤さんではないのだろう。
常盤さんはきっと作家になって、何かのすごい賞をとったりするのだ。春日はどこか彼女の知らない場所で、そのことを知るのだ。
けれど常盤さんが小説に書いたのは、彼女自身を小説に向き合わせた若き日の恋人のことであった。その恋人がかつて語ってくれた蒼き日の罪のことを、彼女は小説にすることで彼を罰し、そして救ったのだった。
最終回では、まだ罪を拭いきれずにいる春日青年が、常盤さんのデビュー作であるその小説を、町の小さな本屋で手にするところで終わる。
その小説の題名が、若き日の恋人が敬愛して止まなかったヴォードレールの詩集の題名からとられていたことは言うまでもない…。
つまりこのマンガ『惡の華』とは、常盤さんが春日少年との日々を題材に書いた小説『惡の華』だったのである。
という「ループ説」を提唱してみる。 -
ネタバレ 購入済み
胸糞悪くて胸がすく
アニメの技法が賛否両(?)論で話題になっていたので読んでみました。
ドSな女の子による冴えない主人公いびりの漫画かと思いきや、どいつもこいつもクソムシのゴミムシ。
それも他人事とは思えない感じの、愛しいクソムシです。
そうなると、今は聖母のように見えるあのキャラもいつかは本性を…?などと考えてしまう。
表紙見ればわかる通り、主人公が歳を重ねるごとに驚愕のイケメン化してるのがちょっと面白い。
この少女マンガ的な表紙、展開もやがてクソムシにぶち壊されるのでしょう。楽しみです。 -
購入済み
9巻ハッピーエンドでヨクネ!?
思春期のあれやこれやをひたすらこじらせて爆発させるような物語で、ところどころ物足りなく感じたりしつつ(多分それは、キャラ萌えだったり燃えだったり、怖さ、ヤバさ、エロさ、そういう散りばめられてるそれぞれの記号について)。
しかし続きを読みたくなるハラハラ感はありました。
そして9巻のこの、なんですか、健康的な展開は!クリスマスのシーンとかたびたび読み返します。結局俺が求めてたのはラブ要素なのか。
なににしろ、9巻がこれで、さぁ10巻でどうなるのか。このままの前向きさで、全て乗り越えてハッピーエンドか。
それともこんだけ落差をつけて壊しにくるのか。
ハラハラ待ちつつ、9巻でハッピーエンドでよかったと思うヘタレです笑 -
Posted by ブクログ
連載当初は主人公とヒロインの関係性が逆さになっているものの、青春の中のSMめいた世界観が喜国雅彦『月光の囁き』を彷彿とさせ、てっきりスピリッツやヤンマガの漫画だとばかり思っていたが、コミックスの表紙を見返して少年誌(別冊少年マガジン)連載だという事に驚いた。
ストーリーは、少し他から浮いている"ありのままの自分"というものを隠して、平和に暮らしている地方の中学生・春日くんの物語。(現在は高校生編) ある日、誰もいない放課後の教室で、ひょんなことから密かに恋心を抱いているクラスメイト・佐伯さんの体操服を盗んでしまう。そのことが仲村さんというちょっと変わった女の子に知られ、秘密を共有するふたりの関係性は戸惑いから理解、そして共感へと向かって行くが、それは清らかな恋という形などではなく、明らかに破滅の道へと繋がってしまう。
それに対し、第7巻中盤からはじまった高校生編では、一見普通のさわやかな青春恋愛マンガのような展開になったように見えるが、やはり一筋縄ではいかず、特にこの第9巻は少ない台詞と動作だけで、見事にその中にうごめく違和感を表現しており、より一層"悪の華"の存在感が浮き彫りになってくる。
高校野球やテレビドラマや漫画で描かれる青春は、いつも健全でキラキラと光っており、誰しもがそうなりたいと願うものの、自分の事を思い返してみても、不健全でドロドロとしたやるせなさばかりが、恥ずかしく思い出される。むしろ大人になった今の方がそのモヤモヤとした雲は晴れ、世界はクリアに見えているのではないだろうか。つまり青春の正体とは、そのやるせなさに他ならない。そう考えると、この『惡の華』は変化球に見えて、実は一番少年誌らしい青春漫画なのかもしれない。その証拠に少年、少女、小説、夢、地方というモチーフ、スタジオジブリ『耳をすませば』と一体どこが違うのだろうか。僕にはまったく同じ作品に思えてならないのだ。いや、思いたいのだ。
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