土屋京子のレビュー一覧
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_小さな子供たちだけが、唯一本物の民主主義者だよ。_
なかなか読む機会がなかった名作
職場の読書会のおかげで読むことができました。
アンクル・トムの受難の物語。
ケンタッキー州の裕福な農場、シェルビー家のお屋敷に奴隷として仕えていたアンクル・トム。家族も一緒で、キリスト教徒の奥様から大切にされていた。もし彼らが自由の身ならば、皆、幸せそう。
しかし…
奥様の身の回りの世話をする美貌の女奴隷イライザの美しい子ハリーと共に、トムは、主人の作った負債のために奴隷商人に売り渡されようといている…トムは立派なキリスト教徒の精神を持ち、自分が売られることで、主人の農場も自分の家族もこのままここにいられるのならと、自ら運命に身を委ねる。
イライザは息子のハリーを抱き、逃亡中の夫を追ってカナダへと逃げようと決める。
トムの運命とイライザたち若い家族の二つの運命を描く。
とても辛いけれど、ぐいぐいと読ませるのは、魅力ある登場人物たちのおかげなのですよー
・まずはシェルビー家の息子、ジョージ坊っちゃま。彼は生まれた時からあたたかなトムの小屋で過ごし、トムの妻アント・クロウィの美味しい食事と彼ら自身を愛している。誰からも愛される輝くばかりの坊っちゃま。トムが売られていく時には、僕が大人になったら必ず買い戻しに行くと約束した。
・トムが南部へ行く船で知り合った新しい主は、エヴァという、全ての真の美しさを持った天使のような少女。エヴァもまた敬虔なクリスチャンで、トムや、家にいる黒人たち全てを幸せにしたいと思っている。彼女とトムの絆の美しさといったら…
・エヴァの父親、ルイジアナの農場主オーガスティンも私は好き。本当に愛した人と結婚できなかったせいで、心に傷を抱え、怠惰に生きている。ちょっとギャツビーっぽいデカダンスキャラ。でも奴隷たちにはおおらかで、なによりエヴァの理解者。(但し夫人マリーはひどい女)
・北部から、家を切り盛りしてもらうために呼び寄せたオーガスティンの従姉妹のオフィーリアさんは素敵!やっとまともな人来た!って感じ。潔癖ともいえる完璧主義者で、黒人には慣れていないのだけど、奴隷制度反対派。
・トプシー。彼女は生まれた時からの奴隷で愛を全く知らない。鞭打たれていた不幸な娘をオーガスティンが買い取ってきた。エヴァとオフィーリアさんのおかげで愛を知ってゆく。
・悪の化身ディグリー(レグリー)からトムを守ってくれる女性、キャシーはジプシー女みたいにかっこ良くて、男共をぎゃふんとて言わせてくれる。
(最後の大団円ぶりはどうかと思いますけどw)
若い頃からキリスト教に憧れてきた身なので、トムの生き方には尊敬する気持ちでいっぱいでした。
とはいえ、あまりにも宣教的ではとか、白人から見た都合の良さがないかとか、懐疑的になってしまう所も。当時のアメリカの南北の違い(プランテーションの南部と、工業化の北部)に奴隷制度への考え方の違いが比例していたこともよく分かりました。それにしてもこの本がきっかけで奴隷制度廃止の運動が高まり、南北戦争が勃発したと言われているとは、文学の力ってすごい。後年、リンカーン大統領が作者のストウ夫人と会見した際、「あなたのような小さな方が、この大きな戦争を引き起こしたのですね」と挨拶したという逸話があるとか。
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ネタバレこの世の果てへ、冒険の旅。
ナルニアでも冒険はロマンにあふれている。カスピアンがまだ見ぬ東へと船を進めているところに合流したエドマンドとルーシー、それにユースティス。未踏の海域で行方不明になった7人の忠臣を探す旅だが、様々な島の様子とそこでのカスピアンたちの行動が面白くてページをめくる手が止まらない。とうとう辿り着いたこの世の果ての様子も、地球が丸くなかったらこのような場所があるのかなと思えるような神秘に満ちている。
嫌味ばかりで自分勝手なユースティス。解説者は自分がスーザンに近いと言っていたが、私自身はユースティスかもしれない。本で読んだ知識をひけらかして不満ばかり言う、力もなく勇気もなく、自分の欲に負ける。物語は読むけど。そんな読者は割といると思う。ドラゴンになって初めて自分の醜さを知り、誰かのためになりたいと願う。そしてアスランにすべてを剥がされて人の姿に戻る。でもここでユースティスがまったくのいい子になったのではなく、いい子でいようと努力しようとする子になっただけで、時には嫌味な子に戻ってしまったと書かれているのが救い。アスランと会っても、すぐ変われるわけではない。しかしユースティスは皆に受け入れられて冒険を続けていく。そのことにほっとするのは私だけではないだろう。
皆が気弱になると啖呵を切る気高きリーピチープがとてもカッコいい。ラストの消えていくところまで一貫してカッコよかった。彼が楽俊(十二国記)のモデルになっていることがよくわかった。 -
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ネタバレその国は衣装だんすの奥にある。
4人きょうだいの末っ子ルーシーは、ある日衣装だんすの奥から不思議な国に迷い込む。そこは危機に瀕したナルニア国。女王を名乗る魔女は自分の支配を絶対とするために人間の子どもを殺そうと探していた。ナルニア国に入ったきょうだいは、ビーバー夫妻とともにナルニアを救うため、アスランに会いに行こうとするが、下の兄のエドマンドは女王に惑わされて1人裏切って魔女の元へ——。
これがあのナルニアか。衣装だんす、街灯、そしてターキッシュ・デライト。ずっと前から知っていて憧れていた国に初めて降り立ったような感覚。
アスランの死と復活がキリストを表しているという話もわかる。誘惑に負けて一度はきょうだいを裏切るエドマンドが決戦では自分の身を危険にさらして魔女と戦うのにもキリスト教的な意味を読み取ることができそうだ。しかし散りばめられた神話的な登場人物たちやいにしえの魔法などわくわくする要素もふんだんにある。けして説教くさいだけのお話ではないから、読み継がれてきたのである。
エドマンドの性格が歪んでいたのはひどい学校のせいらしいが、著者のネガティブな学校の思い出が反映されているのかと年表を見ながら思った。 -
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特定の商品に限定された結びつきを超え、時間を超えた強い感情にブランドを結びつけること―「情緒的ブランディング」の重要性は、新ブランド社会においても変わらないが、それは意味のある商品開発に取って代わるものではありえない。情緒的ブランディングとは、商品に物質的価値以上に重要な情緒的価値があることを認識させ、それによってもともと力のある商品やサービスの訴求効果を高めるだけのものなのだ。これからは、情緒的ブランディングに加えて、商品開発やマーケティングのイノベーションを一層進める努力が大切になる。どんなブランドも、ひとところに立っているだけでは生き残れない時代なのだ。
「まず最初に、ナイキには消費者に訴える強い商品があった。第二に、ちゃんと機能するビジネス・モデルがあった。第三に、クリエイティブを検討するうえで常識をわきまえていた」どんな業界のどんなブランドであろうと、アドバイスはこれに尽きる。まず、消費者が望み、売り手が利益をあげることのできる優れた商品またはサービスが存在すること。勝ち残るブランドは、けっして最初から優れたブランドを構築しようと考えて商売をはじめるわけではない。まず利益を生み出せる優れた商品またはサービスを用意し、事業を支えていける組織作りに全力を注ぐ。それを達成した上で、マーケティングに本腰を入れ、世界に向けて宣伝をはじめるのだ。ただし、マーケティング活動が作り出す需要に対処できるよう準備しておくこと。でないと、プランドは離陸する前に墜落してしまう。さらに、広告には商品やサービスの利点をくりかえし訴求する力がなくてはならない。
ブランディングとは、ありふれたものを取り上げ、それに価値や意味を高めるような改良を加えることである。
商品は顧客がエクスペリエンスを得るための単なるモノにすぎない。
■強いブランディングを育てる8カ条
1ブランドのDNAを定義し保護する
2ブランドを賢く拡張して企業を育てる
3顧客とのあいだに商品やサービスを超越した情緒的きずなを築く
4時代を超えて価値の変わらぬものの擁護者となる
5企業の大きさをマイナスでなくプラスに活かす
6企業が持つ大きな力をよい目的に役立てる
7自社のブランド価値を組織全体に浸透させる
8ブランドのよき育ての親になる
スターバックス・ブランドの中核アイデンティティは、すばらしいコーヒーを提供することよりも、むしろコーヒーとのすばらしい出合いを提供することにある。いうまでもなく、最高級のコーヒー豆を正しく挽き、清浄な水を使い、適切な温度を保ち、きちんと時間を測って淹れることは大切である。が、「ナイキ・ブランド」の本質がトーション(ねじれ)・コントロールやミッドソール・クッショニング(衝撃吸収)・システムを超えたスポーツとフィットネスの歓びにあるように、スターバックス・ブランドの本質はエイブラハム・マズロー流にいうならば「コーヒー・ゲシュタルト」、すなわちコーヒーが醸成する雰囲気にあるのだ。
このようなインサイトがまとまった結果、スターバックスは、「コーヒーとの最高の出合い」を提供する商品に的を絞ることができた。
たとえば、以前マクドナルドに勤めたことのあるマネジャーたちから240ccの「ショート」カップをやめて960ccの特大カップをメニューに加えたらどうかという提案があったとき、議論には明確な基準があった。純白のペーパーカップをハンバーガー・ショップやコンビニで使っているポリスチレン・カップに変えたらどうかという提案があったとき、われわれはこれを退けた。スターバックスにとって重要なのは、コストを下げることだけでなく、一杯のコーヒーを楽しんでもらうことなのだ。コーヒーを入れる容器は、非常に大切だ。ペーパーカップの縁の感触も、真っ白なプラスチックに小さな穴のあいた持ち帰り用の「トラベラーリッド(蓋)」も大切なのだ。妥協するわけにはいかない。
さらに重要なのは、スターバックス・ブランドの本質を読み解くことによって、いかに魅力的に見えるチャンスでもスターバックス発展のコンセプトに合致しないものには手を出さない、という原則ができたことだろう。
「バーガー・ショップは客の腹を満たす。いいコーヒーハウスは魂を満たす」
■優れたブランドは優れたモノを超える
効果的なブランド構築のためには、人間に深く根ざす感情と文化を正面からきちんととらえる努力が必要だ。人生という名の広大で複雑な環境の中で確固たる地位を築いているブランドは、意味のある差別化ができている。優れたブランドは、消費者の物質的ニーズと情緒的ニーズをともに尊重することの重要性を理解している。広範な消費者と情緒的きずなを作り上げたとしても、失敗や判断ミスがなくなるわけではない。反感は、たとえそれが小さなセグメント内の現象であったとしても、共感と同等か、それ以上の影響力を持つものだ。
最近では大企業に対するメディアの監視がますます厳しくなったおかげで、小さなミスも大きな問題になりかねない。何年もかかってやっと築いた信頼のきずなが一瞬にして崩れ去ることだってありうるのだ。いまよい関係を築けているのなら、その相手を大切にすることだ。そして、愛憎は紙一重だということを忘れないように。
どんなマーケティング手段を使おうと三大ネットワークのテレビコマーシャルであろうと、ラジオのスポットCMであろうと、自前のウェブサイトであろうと、電柱の貼紙であろう企業が顧客に提供できる最もパワフルで最も永続的なものは情緒的利益だ。物質的利益は商取引から当然に発生するものではあるが、それ自体は、どれほど優れた商品であっても、単なるモノでしかない。
優れたブランドは、優れたモノを超越する。優れたブランドは、人間や場所や商品やサービスに対する時を超えた探求を大切にする。意識するかどうかは別として、われわれは思考を刺激す経験、心を揺さぶる経験、成長を促す経験、人生を何らかの形で豊かにする経験を求めている。可能なかぎり、ブランドをそうしたプロセスの一部にしていく努力が必要だ。
1自社ブランドのDNAを探り、商品やサービス・カテゴリーの内部および周辺に存在する中核価値や経験品質を把握すること。自社ブランドの時代を超えたメッセージは何か?
2この基本的理解にもとづいて、成長戦略(商品、サービス、市場の拡大)を選択する。戦略はブランドを希釈したり断片化したりするものではなく、ブランドから内発的に発展しブランドを強化するものでなければならない。ブランドを補完する商品やサービスがあれば、ブランドのより豊かなプレゼンテーションに役立つ。スターバックスでは、エスプレッソ・マシーン、カップ、ステンレス容器など実用的で美しいキッチン用品を販売している。ナイキは、時計やMP3プレーヤーを販売するようになった。どれも、アスリートを意識商品だ。もちろん、スポーツブラも毎年新しいモデルを発表している。
3どんなビジネスでも、優れた商品とサービスがまず基本だ。そうした基本を押さえたうえで、優れたブランドは、顧客の情緒的ニーズに対応することをめざす。
コーヒーショップへやってくる客は、少し元気になりたい、少し休憩したい、と思っている。どちらにしても、いい音楽は店での経験を一層好ましいものにするはずだ。また、コーヒーハウスは、社交のニーズを満たす場でもある。スターバックスは、ほんの数分でも、立ち寄った人が気持ちのよい時間を過ごせるように努力している(わたし自身は、スターバックスを「肉体と魂を満たすエネルギー企業」と考えたい)。自社の商品やサービスが物質的・情緒的にどのような利益を提供できるかを明確にすることが大切だ。ブランド環境保護の観点からは、情緒面の蓄積が非常に大切だ。しかし何よりも、優れた商品・サービスこそがブランディングを高いレベルに引き上げ、顧客とより深く情緒的な関係を築く原動力になることを忘れてはならない。商品から目をそらさないように。
コスト削減策を考えるときは、顧客の視覚、触覚、嗅覚、聴覚に触れにくい部分から手をつけること。そして何よりも、顧客との接点すべてにおいて同一レベルを保つこと。最も弱い部分(トイレ)がすなわち実力なのだ。
■創造的能力を引き出すブリーフの極意は、三点。
1簡潔に―2ページ以内に。できれば1ページに。
2きっちりと―ビジネス(またはカテゴリー)およびブランドの現在地と目的地を明示する
3ゆるやかに―やり方は現場に任せる
■ブランドを支える七つの価値
1シンプルであること
2気長であること
3適切であること
4利用しやすいこと
5人間的であること
6広範に露出すること
7革新的であること -
Posted by ブクログ
黒人奴隷制度撤廃のきっかけとなった、人類史でのエポックメイキング的な、本書。黒人奴隷が受ける不当な扱いに怒りがこみ上げるが、この本を出版時の読者達はどのような気持ちで読まれただろう。大ベストセラーになったとのことなので恐らくは相当な物議があったことだろうと思いを馳せながら読む。作者はキリスト教の教えと奴隷制度が矛盾していることを強く訴え、当時の人達はその便利さ故、都合のよい解釈で折り合いをつけていたであろう事が本書でも読み取れる。アンクル・トムを始め様々な登場人物のキャラクター作りが上手く、感情移入しやすい。
説教一辺倒ではなく、黒人でもだらしない人が登場したり、トムが周りの人たちを穏やかに変えていく過程が好きです。
題名であるアンクル・トムの小屋から早々に出ていく羽目になったのですが、下巻で何らかの形で小屋が復活するのかが気になります。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ一章ごとが短いのもあって読み進めやすい。ペンキ塗りの話はなんとなく知っていたが、ちゃんと読むのは大人になってからが初めて。
大人としてよんでしまったせいもあり、ポリーおばさんもベッキーのお母さんも振り回されて気の毒、トムはコロコロと気が変わりすぎ、少年たちが宝物にしているガラクタはちっとも魅力的じゃない、インディアンへのナチュラルな蔑視…といったところばかりが気になってしまった。
インディアン蔑視を含め当時のアメリカ白人の他人種に対する見方が伺える。解説を読むとトウェインは白人社会に向けた怒りを導入していることに意義があるのではとあり、作者の意図がどうなのかはともかくそれは本書の一つの価値かも。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ小公子と双璧の児童小説。話のあらすじがわかっていても、わかっているからこそ楽しめる「ドンデン返し」を味わうためにとても辛い物語を読む。どんなに落ちぶれていても、また食べるものに困っても気高い精神を持ち続けることの勇気と大切さ。そんな気高い気持ちが幸運を呼び、善人を引き寄せる。しかし、探し求めていた人が実は隣に住んでいたとはご都合よすぎですね。
この世に完全な善悪はないといえども、善人の定義は人のために行動する人、悪人は自分のために行動する人、とも考えられますね。
ことも向けといえども大人も充分満喫できる表現力であり万人におすすめです。 -
Posted by ブクログ
ナルニア国物語の6巻目。タイトル『銀の椅子』が何なのか、色々想像していたけれど、まったく当たっていなかった。
ペヴェンシーきょうだいのいとこ、ユースティスが再登場。いじめられっ子のジル・ポウルと体育館の裏から学校の外へ出ようとしたユースティスは、またもやナルニア国へ呼び出される。ナルニアでは数十年が経過。航海王と呼ばれるようになったカスピアンは老い、彼の息子リリアン王子は魔女の手にかかって行方不明になっていた。アスランから4つの〈しるし〉に従ってリリアン王子を探し出すよう命じられたジルとユースティスの冒険が始まる。
前作でただ一人、二度とナルニアに来ることはないとアスランから言われなかったユースティスが続投となり、おーやっぱり!と思った。前作ではかなり性格のねじ曲がっていたユースティスだが、今回は成長を遂げている。とはいえ、そこはユースティスであり、友だちのジルもすぐに心が折れてしまう。素直なペヴェンシー4きょうだいとは異なり、アスランの言うことに中々従わないのだ。そんな2人がシリーズでも屈指の大冒険を繰り広げる。アスランも頭を悩ませたことだろう。
ピーターたちペヴェンシーきょうだいは、すぐにナルニアに順応した(何せ闘いに参加するわ、敵の首も切り落とすわ…)が、冒険から逃げ出したり、使命を忘れたりと、ユースティスとジルは右往左往。読んでるこちらはもどかしいけれど、まあ何もわからない異世界に急に飛ばされたら普通の反応かも。ナルニアの世界の共通語が英語であることも判明した第6巻である。
前作では勇敢な〈もの言うねずみ〉リーピチープが大活躍した。今回2人を支えるのは〈ヌマヒョロリ〉族のパドルグラム。デフォルトでネガティブなのに、いざとなったら決して信念を曲げない姿が印象に残るキャラクターだ。こういう魅力的な脇役陣が多くいるのもナルニア国物語の魅力だろう。
さて、いよいよ最終巻だ。 -
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ナルニア国物語の5巻目。岩波書店版でいうところの『朝びらき丸 東の海へ』である。
夏休みを叔母さんの家で過ごすことになったエドマンドとルーシーは、突然、いとこのユースティスと共に絵の中に引きずりこまれ、気がつくとナルニア近海に放り出されていた。カスピアン王の船に助けられた3人は、そのまま行方不明の7人の忠臣たちを探す旅に同行することに…。
カスピアン王の叔父のミラーズに追放された7人の話は、前作『カスピアン王子』でチラリと出てきた。ナルニア歴で3年が過ぎ、16歳になったカスピアンは、アスランの許しを得て、彼らを救う旅に出ていたのである。
ナルニアに来られなくなった年長のピーターとスーザンは表舞台を去り、今回はエドマンドとルーシーが活躍する。物語を通しての成長株エドマンドはお気に入りのキャラだが、やはりメインはアスランに近しいルーシーということになる。そもそもナルニアの物語は、ルイスの友人の娘ルーシーに捧げられているので、その名をもらったルーシーが活躍するのは当然かもしれない。前作であまり見せ場のなかったカスピアン、初登場のユースティスにも活躍の場が用意されている。
ここ数作を通して、アスランは少しずつフェードアウトしてきているように感じる。強く導くというよりも、見守るというスタンスに変わってきているようだ。「きみはアスランを知っているの?」と訊くユースティスに対し、エドマンドは「むこうがぼくを知っているんだ」と応える。キリスト教的な問答だが、アスランと子どもたちのこの距離感は物語に一貫している。
本巻の最後にアスランは、エドマンドとルーシーに対し、二人がナルニアに来ることはもうないと告げる。歳をとり過ぎたのだ、と。そんな殺生なと二人に代わって文句を言いたくなったが、アスランはさらに続ける。「そろそろ、自分たちの暮らす世界と絆を深めるときが来たのだ」。
なるほどと深く納得してしまった。ナルニア国物語に限らず、大人になって子どもの頃に見えていたものが見えなくなるのは、多くの物語でありがちなパターンだ。毎回その理不尽さに不満があったのだが、それは何かを失ったからではなく、次のステップに進むためなのだというアスランの言葉はえらく腑に落ちた。
今回初めて、物語はナルニア国のある大陸を離れた。これまで以上にルイスの想像力が発揮され、読者を全く飽きさせない。もうほんと、よくこんなことを思いつくな、実際に見てきたのではないだろねと疑いたくなるほど。4きょうだいのエピソードも終わり、物語はいよいよ終盤に。次の巻に進もう。